体育祭

 今は木曜日の夕方、いつものように書斎の窓から外を見ているが、いつもと違うのは金曜日でなく木曜日ということである。もちろんこれには事情がある。明日金曜日はほぼ一日中都内でイベントがあって、そこに出席するので時間がとれないのだ。しかも二つの行事が重なっていて、一つは午前のオンライン会議、それが終わって午後のセレモニーに参加するのである。どちらも大切な仕事なので、遅刻することも早退することもできないが、タイミングがよく午前と午後に分かれていたので、両方に出席できるのはありがたい。そんなわけで明日の夕方に帰宅できず、ブログを今日に早送りした。

 私のブログは週1回なので1週間を振り返るのだが、その間に感じたことや心に残ったことなど、何らかの自分の心の変化があることを書き留めたいと思う。年齢を重ねても、何も変化がないということはない。若い人でも高齢者であっても、これは凄いとか、世の中には素晴らしい人もいるし苦労している人もいるし、華やかな活動をしている人もいれば落ち込んでいる人もいるので、それらを見聞きしたりすると、我が身を振り返って自分はどうなんだろうと心の中にさざ波が起きる。心の変化がなくただ見過ごすだけならば、無機物のようなものだから、認知症に近いのかもしれない。そうであれば、嬉しいことや悲しいこと、楽しいことや落ち込むことのあるほうが、健康である。

 この1週間では、昨日の出来事が最も印象に残っている。私が役員をしている地元の中学校の体育祭があった。ありがたいことに役員席でテントのある座席なので、直射日光を避け、快適に生徒たちの競技を見ることができた。この中学校は全校生徒780名を超す、今時では珍しい大規模校である。そのせいか自分たちの経験した体育祭の面影が色濃く残っていて、どこか若かった頃の自分を思い出した。それは中学や高校時代ではなく、自分が高校教師の時の体育祭だった。初めて就職した赴任先は、自分と同じような学校を出たての若い教師が大勢いた。進学校で中堅どころの普通高校だったから、やみくもに大学進学などと言わず、生徒たちも高校生活を楽しんでいたような気がする。若い教師たちは生徒たちと距離が近かった。兄貴分や弟分のような気持ちがして、毎日が青春ドラマのような雰囲気で暮らしていた。私は狭い長屋のようなアパートに住んでいたから、部活の生徒たちもよく遊びに来ていた。

 私も、授業は当然ながら、体育祭や合唱祭などイベントには情熱を燃やした。それと同じ光景が昨日の体育祭で繰り広げられた。青い空と白い雲、クラスごとの赤や青や白などのハチマキ、学校行事を撮影するカメラマン、リレーのための400mトラック、きれいに描かれた白いコース、ピストルを持ってスタート合図をする先生や生徒、応援団、そして校庭を取り巻く大勢の保護者、団体競技で勝って飛び上がって喜ぶ生徒など、昔と同じだった。各学年ごとのクラス対抗リレーは、体育祭の華だった。男子も女子も、足の早い生徒も遅い生徒も、バトンを受け取ったら懸命に走った。トップでテープを切る生徒も、最後にゴールする生徒も、全力で駆け抜けた。勝ち負けなど大したことではないのだ。最後まで諦めず、今にすべてをかける生徒たちに、保護者も役員も教師もみんな感動の渦に巻き込まれた。私の横にいた役員は、我が子が走る姿を懸命にビデオ撮影をしていた。何も言葉はいらないのだ。このひと時の我が子の姿に、目を潤ませていた。

 中学校の先生方は、全員が学校の名前の入ったシャツを着て、体育祭が成功するように運営を支えようと奔走していた。生徒たちは、頑張れ、ファイトの声を掛け合っていた。そこにはもう教師も生徒もなかった。そんな垣根はもはや必要ないのだ。ただただこの瞬間を生き抜き、その姿を保護者の皆さんに見てもらうのだ。応援合戦も圧巻だった。そして自分が高校教師の時、生徒たちと一緒に練り上げた応援のことを思い出した。若いということは純粋だということなのだろう。あれから何年経ったのか。自分は今でも、中学生という最も伸び盛りの生徒たちが全力をかけて繰り広げる体育祭を参観しているのだ。なんと素晴らしいことなのだろう。

 文脈は離れるが新聞に、「両足の指それぞれに力込めわが初孫は立ち初(そ)めにけり」(榊原勘一)の句があった。初孫が必死になって十本の指に力を入れて一人で立とうとしている。その姿を祖父の作者は見て感動を覚えた。孫は一人で立てた時どんなにか嬉しかったであろう。そして作者はどんなにか孫に愛情を感じただろう。健気にも全力をかけて立ち上がる姿は、作者にとってこれ以上はないほどの宝のような姿であった。それは体育祭で全力を尽くす生徒たちと同じである。生徒たちも先生もそして保護者も我々も、忘れがたい体育祭であった。

 

肩こり

 今日は金曜日の夕方、週末である。書斎の窓からいつものように空を見ると曇天で、昨日も今日も小雨がずっと降っていた。そして今日は肌寒く、天気予報は3月下旬の気温だという。先ほど西の方向にジョギングをして帰ってきた。若い人のような走りではなく、ゆっくりとした足取りだが、それでも汗をかいて1階の居間で、家内が八つ切りにしたグレープフルーツを食べた。口の中に味がしみわたり、喉を通るときビタミンCが体内に入って行くのを感じた。そして2階に上がってきた。

 1週間を振り返ると、いろいろなことがある。先週の土曜か日曜に、突然右肩が痛くなった。正しくは肩こりである。肩こりなど誰でも経験するが、急に痛くなった。パソコンに向き合う時間が長いのは仕事上なので、肩こりは今に始まったことではなく、長い付き合いである。週1回整体院に行っているが、「肩がこって硬いですね」とよく言われるが、痛くはなかった。しかし突然に痛くなった。土曜と日曜はスポーツジムに行っているが、プールでクロールで右腕を回すとき、初めて痛みを感じた。これは普通の肩こりとは違うなと思ったが、素人なので自宅に帰って家内に聞いた。家内はかなりの医療通である。「大したことではないから、電気マッサージ器で肩をほぐしたらどうか」と子ども扱いのように軽く言った。

 そういえば昔に父の日のプレゼントとして、子供からもらった電気マッサージ器があった。スイッチを入れて右肩に乗せたら電気振動がそのまま伝わって、肩の筋肉が少しずつ柔らかくなるような気がした。これで血行が良くなり、肩の痛みもなくなるのかと思った。ほんの数分だったが確かに肩が軽くなった。なるほど家内の言う通りで、大したことはないのかと思って、いつものように書斎でパソコンに対面した。しばらくするとまた肩が痛くなった。電気マッサージ器は1階にあるから、居間に降りていった。家内が「2階に持って行けば」と言ったが、なぜか2階と1階を何回か往復した。

 そして今でも、時折1階に行って電気マッサージ器で肩をもんでいる。効果はあるのだ。今はほとんど痛くはない。ほとんど治っているのだが、その時思った。どこか一箇所でも痛いところがあると、なぜか気になって、少し憂鬱になる。痛みが取れると体全体に血流が良くなるのか、やる気が出てくる。たかが肩こりといえども実は大切なのだ。昨日木曜日に都内である理事会があって、昼食に音響について雑談をした。音響の専門家がいて、「イヤホンをつけて音楽を聴いてもほとんど意味がない。音楽や音響は、体全体で聴くものだ。そうでないと音の良さはわからない」と言った。プロ中のプロのような専門家なので、説得力があった。その通りなのだ。逆を言えば、肩こり一つでも、体全体いや気持ちまでも影響を受ける。肩だけの問題ではないと思った。ピーター・センゲは、人は頭だけでなく体全体で学ぶのだと言っている。

 GIGA端末の活用が全国の学校で実施されている。温度差は大きいようだが、できれば活用してもらいたいと思っている。ある生徒がGIGA端末で英語の発音をしたら、そのまま画面上に単語が映し出された。それが嬉しくて知っている単語をすべて発音した。そして何度も何度も繰り返した。それで英単語を完璧に覚えた。やがて英語が好きになった。それがきっかけで勉強することに意欲が出てきた。このような実践を見聞きすると、少しでも苦手なことが克服できれば、すべてに広がっていくのである。そこに必要なのは道具である。自分の場合は電気マッサージ器であった。この道具のお陰で、いつの間にか肩の痛みがなくなり、元気が出てきた。痛みがなくなるだけで、人は以前より元気になれるのだ。

 文脈は逸れるが新聞に、「病院の長き廊下を痛みなく歩けた日には母に会いたい」(清水明子)の句があった。リハビリで入院されているのか分からないが、作者は痛みと戦っている。痛みが取れたら作者は笑顔になるだろう。顔だけでなく、身も心も嬉しさと明るさで満ちているだろう。その姿で母親と会いたい。幸せな気持ちを母親と分かち合いたい。母親に届けたいのは、痛みだけでなく、病気が治り、やがて退院する日が来る希望に満ちた自分の姿である。その日を指折り数えて待っている。必ず作者にその日がやってくるだろう。

 

思い過ごし

 今は金曜日の夕方だが、夕方と言うにはまだ空が明るく、日が長くなったと実感する。金曜日のブログは1週間を振り返るのだが、いろんなことが起きては過ぎ去っていく。一番印象深く思ったのは一昨日水曜日の午後である。都内でイベントがあり、自分も講演、正確には対談があった。対談なので当然ながら相手がいる。相手の方は自分の尊敬する先生で、丁寧に資料を準備され会場に来られた。相手の先生がゲスト役、自分はホスト役なので、どこかあまり責任を感じなくてもよいなどの不遜な思いがあったかもしれない。

 正直に言えば、自分はこのイベントに出るのが不安だった。いやイベントだけではなく、いろいろな仕事にも活動にもどこか自信を失っていた。なぜだろうと自問自答していたが、多分年のせいだろうと思っていた。ふと晩年の自分の父親を思い出した。「わしはもう何もできない、つまらん男じゃから」とよく言っていた。自分から見れば、身内ながら自慢の父親だった。社会的な地位や名誉などはなかったかもしれないが、人間としての生き様は誰にも恥じることはなかった。貧乏だったが、自分も大学に行かせてもらった。戦争に行って生きて帰ってきて、子供たちのために戦後の混乱期を頑張ってきたではないか。それを思えば、自分などは呑気な生活だったのだ。

 自分が自信を失ったり自己肯定感が低くなったりするのは、父親の遺伝なのかと思うことがある。一昨日水曜日のイベントで多くの人と出会った。「おうおう久しぶり、元気そうで何より」などと声を掛け合い、名刺をもらって、「さすがに立派で、すごい」などと話した。もちろん社交辞令ではなく、本心でそう思った。本当に久しぶりの人たちと会話した。その中でふと思ったことがあった。相手の人が自分を見て、「元気で昔と変わらない、どうしたらそんなに健康になれるのか」などと質問された。はじめは気休めのような言葉だと思っていたが、自分が本音で話をしているならば、相手も本音かもしれないと思ったのである。そうでないと論理的に辻褄が合わないからだ。確かに病気もせず入院もせず、なんとか仕事もして毎日を過ごしている。たまにはこのようなイベントにも出させてもらっている。そして一昨日は、イベントとすれば初めての懇親会があった。その懇親会の最後に中締めの挨拶をした。ふと思った。自分が現役の時の気持ちの高ぶりと同じじゃないか、自分をそんなに自己卑下しなくてもいいではないかと思えたのである。

 昨日は午前中オンラインの会議があって、役割上会議を仕切った。自分の専門外の会議だったので、どこか腰が引けたような、愛想笑いをするような遠慮があった。会議が進行するにつれて、皆さんが本音で発言され、それに自分も引きずられ、自分が素人だということも忘れ、流れの中で議論した。そしてふと気づいた。会議の皆さんは、私自身が素人であることなど何の気にも留めていないのだ。自分がそう思っていただけなのだ。それは自分の父親が、自分はつまらん人間だと思っているだけで、周りから見れば全くの的外れだと同じなのだ。一昨日のイベントから今日まで、どこか自分を縛り付けている呪縛の糸が切れたような気がした。もういいのだ、人は何も気にしていないのだ。

 今日も午前中は学校訪問があった。廊下で、ある先生に出会ったら、握手してくださいと言われ、「先生の最近の本を買いました」とニコニコされたのを見て、気恥ずかしさもあったが嬉しかった。まだ自分は先生方のお役に立てるならば、生きている限り精一杯頑張ろうと思った。文脈は逸れるが新聞に、「夕暮れの未(いま)だ明るき春の日を惜しみてカーテン引くをためらふ」(光谷三智子)の句があった。書斎の窓から見る今日の夕方のように、春の日差しはまだまだマンションや木々を照らしている。カーテンを引くのはもったいないので、自分も窓を開けたまま時々目を外に移す。ここ数日で、自分の思い過ごしや悲観することの愚に気が付いた。その自分の思い過ごしの糸をほどいてくれるのは、他人である。他によって自分の価値を知るのだ。社会構成主義のガーゲンもそう言っている。もう大丈夫、長い間この道を歩んできて良かった。息を引き取るその日までこの道で生きたい。

平凡な日常生活

 今は金曜日の夕方、いつものように南側の書斎の窓から空を眺めている。週1回週末にブログを書くことにしている。今日は先ほど久しぶりに都内に出かけ、帰ってきたばかりである。都内に出かけると、電車に乗る、打ち合わせをする、パソコンで資料を作るなど、諸々の仕事をこなす。そして今、書斎でパソコンの前に座ると、とりあえず今日も無事に過ごしたと思い、ほっとする。フリーランスになって、市内の学校訪問などは午前中にあるが、都内での仕事や打ち合わせは午後である。今日はブログのことがあったので、夕方前になんとか自宅に着いた。

 ゴールデンウィークも過ぎ去り、昨日と今日は平日のスケジュールで仕事をした。ゴールデンウィークは、歳をとっても人並みに楽しみたいと思って、老夫婦で出かけた。といっても日帰りで、温泉に浸かり、お昼に名物のソーセージを食べた。春にしては暑い日差しを浴びながら、大勢の親子連れにまぎれて、木陰のベンチで食べていた。極上の味だった。そうだ、いつか子供や孫たちと一緒に来たことがあった。その時も真夏のような暑さの中で、日陰を探したとか、野外で食べるとどうしてこんなに美味しいのかと思い出した。あの時が今年もやって来たのだ。束の間の身も心も癒された時だった。

 あっという間に大型連休は過ぎ、昨日から平日に戻り、平日なりの生活をしている。たまの休みには、テーマパークに行って温泉に入るのも極楽だが、これが毎日だとすると面白くない。温泉も極上の味も食傷気味になるだろう。平日になれば、今日のような都内に出かける用事や、市内で済ませる用事もある。あれやこれやで時間が経っていく。そして夕方になれば、お風呂に入ってテレビ番組を楽しみながら夕食をいただく。こんな風にして時が過ぎていくのか。これを平凡というならば、平凡はありがたい。たまの連休に癒され、喜んだり嘆いたりしながら毎日を過ごしている。

 平凡だから何の変化もないと思うが、実はそうではない。昨日新品のパソコンの充電率が急に80%になった。それまでずっと100%だったのになぜだろうか。まさか不良品では、などと懸念したが、ネットで調べたら、パソコンのバッテリーはリチウムイオン電池で、消耗を防ぐために80%に設定してあるのだという。初めて知ったが、いろいろ調べて100%にしようと愚策を思いついた。しかしどれもうまくいかなかった。実は今日パソコンを都内に持って行くので、バッテリーが重要だったのだ。そこで昨日テストをした。詳細は省くが、テキストベースでは1時間に4%か5%程度、写真や画像の処理などでは9%程度だったので、平均すれば1時間に6%か7%電力を消耗するようだ。7%としても10時間で70%だから、80%充電されていれば充分だという結果を得て、今日に臨んだ。

 今朝充電したパソコンを開いたら、100%まで充電されていた。なるほど自分の無知を恥じた。設計者は100%充電が続けば80%に制御し、そうでなければ100%充電をするのだ。こんな簡単なことを初めて知った。パソコンに触れ操作をするなどは、誰にとってもまことに平凡な単純な作業である。しかしその平凡なことであっても、知らないことは山ほどあり、時々その知らない事にぶつかると学び直す。バッテリーはリチウムイオン電池だそうで、リチウムは極めて貴重な金属資源である。日本では産出できず、海外からの輸入に頼っている。そうであれば、当然ながらパソコンの充電率は80%で充分である。そしてふと思う。平凡な営みの中に、我々の知らないことが山積していて、我儘を言ったり、愚痴を言ったり、不足を思ったりするのは、なんと愚かなことか。本当にパソコン設計者の悪口を言わなくて良かった。

 考えてみれば、パソコンには科学技術の粋が埋め込まれている。いやパソコンだけでなく、すべての製品に長年かけて作り出した技術が組み込まれ、我々の生活を助けてくれている。今日は日の明るいうちに帰宅できたので、和服に着替えリラックスして2階に上がってきた。まだ空は明るく白い雲と青空が一面を覆っている光景を見ると、平凡に生きられることのありがたさを思う。文脈は離れるが新聞に、「退院して今朝は生ゴミ出す日なり生ゴミ出しに行けるしあわせ」(山本美和子)の句があった。解説はいらない。作者はどんなにか生ゴミを出せることのありがたさを感じただろうか。健康であるということ、手足が動けるということ、生ゴミを包むポリ袋があること、車でその生ゴミを運んでくれる人がいることなど、数えればキリがない。しかし平凡な生活をしていると、そのことになかなか気づかないのだ。この短歌の作者は退院して初めてわかった。

 ある学会で、自分の気づきを促す試みの研究があった。高校生を対象に、冬休みに、ひとつかふたつの小さな目標を立てさせた。例えば、朝30分早く起きる、友人と互いの長所を話し合う、感謝を一日3つ書く、日の出を見るなどである。冬休みに実践した56名を分析した結果、自己成長スコアが大幅に伸びた。と同時に、自分が変わった感覚がある、自己理解が深まった、行動が変容したなどの記述があった。つまり意識的に気づきを促すことで、自分を変容させることができる。それは平凡な日常生活に埋め込まれている些細なことに気づくことである。

 

 

 

新しい出来事

 今は金曜日の夕方、5月1日である。特に日にちを書いたのは、5月のゴールデンウィークが始まる思いがあるからである。とは言っても金曜日なので、学校は平日の時間割と変わらない。昨日まで学校訪問やら会議などで外に出ていた関係で、今日からようやく連休なのかという思いがある。小中学校は一般企業と違って、ゴールデンウィークといっても、当然ながら平日は休校にはならない。だから今週も3日間、学校訪問をした。市内の学校暦はよく似ていて、学校行事や対外試合や保護者懇談会などは、ほぼ同じ時期に実施するので、訪問する日程は限られている。平均すれば1ヶ月間のうち 3週間ぐらいで、4月は特に2週間くらいで訪問しなければならない。そんなことで今週も来週も学校訪問はある。

 先週の日曜日、つまり5日前に新しいパソコンを買った。4月になったらどうしても買おうと決心していた。いくつか理由があるが、珍しくオンラインでの注文ではなく、電気量販店に行って、実際に手に取って選んだ。キーボードの指の感覚、画面の見やすさ、そして何よりも軽量、バッテリーの寿命などを考えると、店員さんのいる店で買いたかった。自分の年齢では、出かけた時に軽量でなければ肩がこる。バッテリーの寿命が短いとどうにもならない。もちろんメモリーなどのスペックは当然だが、オンラインの数字だけでは、どうしてもピンと来なかったから出かけたのである。

 しかし今は、まるで気持ちが若返ったように、新しいパソコンに、少しオーバーだが夢中になっている。ただ困ったことが起きた。古いパソコンの処理である。ブログで書くのは気恥ずかしいが、自宅に、自分だけで使うパソコンが8台ある。そこで3台だけ残して、5台を全て処理することにした。Let’s noteを廃棄するのは忍びないが、すべて初期化して廃棄する準備をした。新しいパソコンのアプリの設定などは、時間がかかった。特にOffice2024がインストールされているが、Wordのテンプレートが異なっていて、自分が馴染んでいる設定をするまで、時間がかかった。しかし現金なもので、新しいパソコンは、色といい指触りといい、自分が若返ったような気持ちがした。

 ふと、ある芸術系の大学の研究発表を思い出した。この大学は高校卒業してすぐ入学する学生は少なく、退職した後入学するシニアの学生が多いのだ。シニアの学生は久しぶりに大学で勉強できる嬉しさなのか、クラスメイトはよく話し合っていた。ある教員がその様子を観察して、若い頃のエピソードなど各自の物語をお互いに話し合う時間を設定した。学生たちは夢中になった。その後で芸術作品を制作した。その作品を教員が評価した。それは作品に含まれる創造性を指標とするもので、創造性尺度を用いて数量的な評価を実施した。その結果驚くべき変化を見出した。それは若い頃のエピソードを話し合った後では、統計的に有意な高い創造性を示したのである。これをノスタルジア研究として学会で発表した。自分はこの研究を聞いて面白いと共感した。

 若い頃の冒険談や失敗談や恋愛や失恋などを、お互いに赤裸々に話し合い、手を叩いて喜び合ったり、自分ごとのように心配したり、共感したりした。たぶんそれは、脳内にドーパミンなどのホルモンが分泌されたに違いない。自分にもこんな時代があったのか、それがシニア学生の気持ちを変えた。それが作品の中に現れたのであろう。この研究を思い出して、自分が新しいパソコンに夢中になるのは、ノスタルジア研究と似ていると思った。脳が若返ったような気がするからである。しかしここからが難しいところで、アプリの設定で時間がかかった。自分のものになるまで試行錯誤するのだ。そして馴染んできて、自分の仕事ができるようになる頃、また別の新しいバージョンが出てくるのである。

 文脈は離れるが新聞に、「なごり雪やがて小雨に自らを跡形もなく消し去るために」(池田典恵)の句があった。そうなのか、冬が過ぎて春が来るということは、その季節に適応するために、古い自分自身を消し去ることなのか。アプリは次々と新しいバージョンが開発されて、消費者は慣れ親しんだ古いバージョンを捨てるのか。そして慣れ親しんだ頃には、また新しいバージョンが生まれてくるのか。そうかもしれない。新しい世界が生まれなければ、そこで止まってしまう。パソコンに限らず、次々と新しい出来事がやってきて、喜んだり悲しんだりするが、新しい出来事が来なければ、なんの感情の変化もないだろう。思えば時間とは、新しいことの軌跡なのかもしれない。新しい出来事が来なければ、時間は止まる。

リバーシブル

 今は金曜日の夕方、いつものように2階の書斎の窓から外を眺めている。薄曇りの空だが、夜中に降った雨はすっかり上がって、昼間は晴天だった。前回のブログで書いたように、週末にブログを書こうと思う。つまり週1回にして、その週の出来事を振り返るようにしたい。4月ももう後半である。先週からようやく学校も授業が始まった。私事ながら、市の教育センターに協力して学校訪問をしている。学校訪問といっても、視察などのような、いかめしいものではなく、授業を参観するだけである。そして自分がコメントを書いてその学校に送るので、授業開始と共に自分の仕事も動いていく。

 私は別に教育センターの公的な役職ではなく、ボランティア活動と言ってもよい。もちろん無報酬で、地元の学校への自分なりのお礼奉公のようなものである。ただ教育センターの活動として位置づけられているので、教育センターから学校に依頼をする。授業参観をして、先生方も忙しいので、その後の研究協議などを行う暇はなく、1600文字程度のコメントを書いて添付メールで送っている。それが授業者の先生に届けられるのだが、学校によっては全ての先生方に配布されることもある。毎月一回小中学校それぞれ三校ずつ訪問している。それが五年間続き今年は六年目に入った。その成果や課題は何かなどと言われてもここでは述べない。自分は、このボランティアであることが素晴らしいと思っている。

 しかしこの活動に、自分は忸怩たる思いがある。高等学校の経験はあるが、小学校中学校で教鞭をとったことはない。だからコメントに、「自分は専門家ではないので参考としてお読みいただきたい」と断り書きをしている。今日も私と教育センターの指導主事と学校長が授業参観をした。英語の授業だった。授業の前半はドリルだった。英単語帳を大きくしたような厚紙を使って、英語と日本語を交互に見せて記憶させていた。なんだこんな授業なのかと、誰でも思うだろう。正直自分もそう思った。ただ生徒たちを見ると、ずいぶん集中して記憶している。こんなことで飽きないのかと思ったが、生徒たちは飽きるどころか、ますます夢中になって学んでいた。生徒たちの話す英単語のスピードが増し、全員が即答した。先生が厚紙を表裏にするスピードが、だんだん速くなっていたのである。そのスピードに遅れまいと、生徒たちは英単語に集中した。それは文字通り夢中であった。ドリルの練習が終わってすべての単語を記憶した時、全員の生徒たちは満足げだった。

 そういえば、小学校一年生の早口言葉の授業を思い出した。新人の女性の先生で、子供たちの扱いにはまだ不慣れだったが、早口言葉を先生が両手を叩きながら言わせていた。その時子供たちの中から、「先生もっと早く」という声があがった。「では少し早く話してみよう」と言って両手を叩くスピードを上げた。それが何回続いたのだろうか。子供たちは「もっと早く」と口々に叫んだ。新人の先生は夢中になって手を叩いた。後ろで参観している自分の目にも、先生の両手が真っ赤になって少し腫れているように見えた。そして「皆さんは本当に偉いね、こんなにも速いスピードで早口言葉が言えるのだね」と先生は言って涙を拭いた。「これまでどのように子供たちに接したらよいか分からなかったが、垣根が低くなった、見えない糸でしっかりと結びついたような気がした」と後で自分に感想を述べた。

 言われてみれば、英単語の記憶も早口言葉も繰り返しのドリルであり、今日の学習観からすれば、過去の遺物のような授業方法である。そして教師主導型であり、英語のコミュニカティブアプローチからすれば、昔型の指導方法だと言われるだろう。しかし現実はどうだろうか、中学生も小学生も夢中になって取り組んだ。少しオーバーに言えば、我を忘れて英単語の記憶と早口言葉に取り組んだのだ。学習効果は確実にあった。今日の英語の授業の後半では生徒同士の英会話の練習があって、ここでも生徒たちは満足げであった。授業が終わった後、廊下に出た私に先生が近づいてこられたので、「生徒たちは熱心に夢中になって学んでいました」と本当の自分の気持ちを言った。先生は「本当に本当に素晴らしい生徒なのです」と自分に告げた。授業中の先生の表情を見ると緊張していた様子がよくわかった。鼻に汗をにじませて一生懸命この授業に取り組んだのだ。自分ごとき人間が評価などとてもできない。ただただ生徒想いの先生の姿が、生徒を動かし、自分にドリルの意味を教えてくれたのである。

 文脈は変わるが新聞に、「春分やリバーシブルのぬいぐるみ」(村松譲)の句があった。リバーシブルとは表裏でも通用するという意味らしいが、教育理念や指導法にも通じるのではないだろうか。この学習観、この指導観、この教育理念でなければならないとは断言できないだろう。古典的な学習観も日本的な指導法も、また意味がある。それはリバーシブルの関係である。時に応じ状況に応じ、子供や生徒の幸せを願って伝えていくしかないのだ。こんな風にして、自分は教師から子供や生徒たちから、学んでいる。先週から本年度の自分の学びが始まった。

 

 

捨てる

 今は金曜日の夕方、いつものように書斎の窓から空を眺めているが、夕方とは思えないような明るい日差しで家々が包まれている。ブログを書くのは久しぶりである。つまり1週間ぶりなのだが、私的日記の公開なので、読んでいただいている読者のことを思うと、私的と言えどもあまりいい加減なことは書けないという制御信号が脳をよぎる。この4月から週2回ではなく1回にしようかと思っている。1週間を振り返って、自分の姿や感じたことを赤裸々に述べようと思う。ただ書けることと書けないことがあるのは、世の常であるから、歯切れが悪い文章になることもお許しいただきたい。今日のブログは、そんな内容かもしれない。

 先ほどオンラインの研究会が終わったばかりである。いつも思うのは、この年になっても、優れた研究に出会うと、若い頃の自分に戻ったような気持ちがして、胸がときめく。今日の研究会はそんな内容だった。この先生はまるで自分が若かった頃のようで、夢中になって取り組んでいるのか、その姿が美しい。文脈は変わるが、自分が独身だった頃の流行歌を、昨日聞くことがあった。題名は書かないが、聞いているだけで若い頃の自分に戻った。未知の世界に入っていく、ときめきと懐かしさと、世間を何も知らない初心な自分がそこにいた。そして教育実践に夢中になって、若気の至りのような教育論を振りかざしていたのだろうか、やがて教育研究という豊穣な世界に関わることが出来て幸せだった。なんだ研究に関しては、自分はまだ若い頃と変わってないではないかと、研究に触れるたびに思う。

 それは純粋に、自分を全て投影することができる対象なのだ。しかし世の中の仕事とか生活などは、研究とはまるで異なる。それでも優れた企業人や政治家などは、理想を求め夢中になってそのことに取り組んでいる。その姿は研究と同じだろう。自分は研究が好きで往生するまで離れたくない。しかし仕事はいろいろな要素が絡み、組織が関わり、いろいろな立場の人の考えが反映されている。だから誰も、自分の思った通りにならないことは当たり前である。しかし自分の思いを変えることは容易ではない。数日前、ふとしたことで家内にそんな愚痴をこぼした。「研究は楽しそうだが仕事はそうでもなく、不器用な人だね」と家内に言われた。「どうせなら面倒なことは捨てればいいではないか」と言われた。それができれば苦労はしないよ、と言いたかったが、ふとそうかもしれないと思った。

 研究はどこかしがみついても見つけるまで諦めない、という信条というか信念がある。しかし世の中の一般の仕事は、研究とは違うのだ。むしろ諦める方がよいこともある。捨てる方がうまくいく場合もある。家内との話で、何故自分はこんなにまで頑固に守ろうとするのか、捨てても構わないではないか、いや捨てる方がこの仕事にとってはふさわしいのだ、と思った時、なぜかまるで心の中が空っぽになったように軽くなった。なぜこんな簡単なことが、自分は気づかなかったのだろうか、数か月間どうして意味のないものを大事そうにして持ち歩いていたのか、今は本心で納得している。もったいないと思って捨てているのではない。それはまだ未練がある証拠だ。そうではなく本当にその通りだと思った途端、事態は好転していった。

 文脈は離れるが新聞に、「今は只とても仕合はせ母子草」(木田博幸)の句があった。自分の仕事の内容と同じで、作者がなぜ今は幸せなのかは、推測するしかない。親子で、これまで何かぎくしゃくした確執があったのかもしれない。どのような経緯なのか、どのくらいの年月だったのか、分からないが、ある時親子は、その邪魔な老廃物のような思いを捨てたのだ。心が空っぽになった時、親子は相手のことがよく見えるようになった。俳句の選者は、「只(ただ)」の一字が味わい深いと評していた。その通りである。この親子に言葉はいらない、気持ちが通じるだけで、こんなにも幸せなのかと思っているのだ。自分は仕事のことだが、心境は似ている。不要な確執を捨てれば、本来の自分に戻れる、目を覆いかぶさっているゴミを捨てればよいのだ。

 

 

手術

 今は金曜日の夕方、いつものように2階の書斎の南向きの窓から空を眺めている。今日は一日中どんよりとした曇り空で、今も空は白色で、マンション群を覆っている。先ほど西の方角にある春の小川に向かって少しばかりのジョギングをして、いつものように庭にあるグレープフルーツを家内が一口サイズに切ったものを、紅茶用の細長いスティックシュガーをかけて食べた。年寄りのジョギングであっても汗をかくので、酸性の強いフルーツが殊のほかおいしく、体の中に染み込んでくる。今日もジョギングができてよかった、そんなことを言いながら先ほど2階に上がってきた。

 実は今日は、自分にとってはかなり重要な日であった。ブログは公開日記なので、正直に午前中の出来事を書く。市内にある大学病院に出かけた。このブログでも書いたが、主治医である内科医から、定期的な血液検査の結果が思わしくないので、大学病院に行きなさいと言われた。かつては都内の私立の大学病院に、半年に1回ぐらい検査を受けていたのだが、患者が長蛇の列をなし、あまりにも時間がかかるので変えてもらった。市内の大学病院はよく知っているので気楽だと思っていたが、その思惑は違った。防衛医科大学という名前からして、患者は医師に逆らえないような印象があって、正直変えなければよかったと思った。

 医者は専門家である。そして大学病院は最先端の施設を整えて、研究もしながら患者を治療する。今日まで3回の検査をしたが、いずれも何人かの医学生が立ち合って、まるで生体実験を観察するかのように、教授が学生に説明していた。専門用語は分からなくても、雰囲気で病状の進行状態がわかる。3回目の検査で教授が、どうもなかなか難しいね、と言った言葉がしこりのように頭の中に残った。今日はその診断の日であった。自分はもう手術の覚悟を決めた。家内とも話し合った。もし手術なら個室にしてもらうこと、パソコンを持ち込むことを許してもらうこと、日程については自分の希望も受け入れてもらうこと、などであった。これまで一度も手術と入院をしたことがなかったから、不安がないといえばウソになるが、それよりも仕事の日程に狂いが生じることの方が怖かった。

 それを心配して、家内も今日は一緒についてきた。昔の罪人が、奉行所の白州に座って罪状を受ける心境に似ていた。そして医師ははっきりと、手術することはありません、これまで通り内科医院で定期的な血液検査を受けてください、と言って、いろいろな数値データやエコー写真などを見せながら、学生に説明するように丁寧に理由を言った。それは経過観察であり、大学病院に来る必要はないことを明言したのである。自分は、この時ほど嬉しかった瞬間はなかった。これでまた、自分の仕事が出来る、原稿が書ける、人前で話もできる、と思った時、感謝で胸がいっぱいになった。

 癌の疑いではない、甲状腺ホルモンの関係でカルシウムの数値が増加していたのである。自分は不安だったので、実は生成AIで調べた。生成AIは、この症状ですぐに手術することはほとんどありません、と断言し、いくつかの根拠も示していた。生成AIで調べる前は、ほとんど手術だろうと勝手に推測し、悪いことばかりを妄想していた。結果は、生成AIの言った通りである。生成AIは、ビッグデータつまり統計データに基づいている。ある論文に、人が事前に予想する悪い出来事の70%は起きないと、書かれていたことを思い出した。だからといって、誰でも楽観的に事に当たることは難しい。市井の人は医者でもなく科学者でもない。だから心配するのが普通なのだ。そしてその心配が晴れた時、今自分が置かれている状況に心から感謝できる。

 文脈は離れるが新聞に、「特急が速度落とさず過ぎゆける小さな駅の町に老いゆく」(田中美登)の句があった。自分も特急のような優れた能力があるわけでもなく、普通列車のように、少しずつ自分のできることをやりながら老いていき、やがて往生するだろう。しかしその当たり前のような生き方ができること自身が、すごいことなのだ。今日自分は医師の診断を受けて、普通に仕事ができること、普通の生活ができることが、いかに素晴らしいことかを知った。特急や急行でなくてよい。普通で十分なのだ。

あわれ

 今は土曜日の夕方、今日の午後はずっと雨が降って少し肌寒かったが、晴れたり雨が降ったりするのが自然で、晴ればかりでも困るし雨ばかりでも困る。その意味では心地よい春雨である。今日明日は土日で、春休み最後の休日とすれば、親子連れで桜の下で花見などと洒落て楽しむ計画をしていた家族も多いだろう。しかし天気予報によれば、明日も晴れではなく曇り空なので、絶好の花見日和とはいかないだろう。自分たちのような年寄りになれば、若い頃のような期待感はない。

 思えばコロナが起きる前までは、老夫婦で航空公園の桜の下で花見に行ったが、コロナのせいで足が遠のいた。それでも所沢祭りと航空公園の市民フェスティバルと花見は、恒例のように出向いていった。昔は防衛医科大学の大学祭にも、陸上自衛隊か海上自衛隊の音楽隊がやってきて素晴らしい演奏を生で聞けるので、出向いていった。花見の方は、自宅からビニールの敷物を持って、公園前のお店でビールと寿司や唐揚げなどを買って、満開の桜の下で花を愛で飲んだり食べたりした。

 我が家で犬を飼っていた頃は、犬も連れて花見をした。犬は特に唐揚げが大好きで、お辞儀をしたりしっぽを振って催促した。不思議と、娘と息子を連れて航空公園で花見をした経験はない。そんな昔のことは忘れてしまったのだろう。数年前に、乳母車に乗せた三つ子を連れた家族と隣り合わせで花見をした。三つ子はそれぞれ芝生の上を駆け回るので、父親と母親は追っかけてハーハー言いながら花見をしていた。実際は花見どころではなく、どこかに行ってしまうので、1人の子は乳母車に、あと2人を夫婦で見ていた。こんなにも忙しいのかと思って、手伝いましょうかと言いたかったが、年寄り夫婦がと思って、言いそびれてしまった。

 今日はこんな花見の事を書くつもりではなかった。先ほどスポーツジムから帰って来たばかりで、けだるい春の1日をぼうっとした頭でブログを書いていたので、どこか泡の立たないビールのような文章になってしまい申し訳ない。ただ当たり前なのだが、歳を取ると若い頃のようにはいかない。歯科医と眼科は3か月に1回、内科は毎月、検診してもらったり薬をもらいに出かけている。体は確実に衰える、人の名前や地名など固有名詞は驚くほどの勢いで忘れていく、さらには最近では普通名詞も思い出せず、あれこれなどと代名詞で夫婦で会話している。もちろん収入はフリーランスの身なので、若い頃とは比べものにならない。同窓会の名簿を見ると、1/4は物故者になっている。知識も体もすべて衰えていくのだ。考えてみれば高齢者とは寂しい存在なのかもしれない。

 それに逆らうように、スポーツジムに行ったりジョギングをしたり、本を読んだり原稿を書いたりしている。なぜか専門的知識だけは忘れることもなく、衰えていく感覚もない。体は弱っても、物事を見通したり判断したりする能力は、そんなに低下していないようだ。自分に似た高齢者は意外と多いと思う。だから多くの高齢者は多分活動の場を求めているのだ。それだけの能力も保持している。ただオファーが無くなっていく。文脈は離れるが新聞に、「廃校の桜今年も校門に来るはずのない子等待ち膨らむ」(渡辺照夫)の句があった。廃校になっても桜は今年も咲き誇っている。まるで学校にやってくる子供たちを待っているかのように、手を広げている。どこか高齢者の姿に似ている。ただ自分はこの短歌を読んで、寂しさを詠んだのではないと思う。そこに、もののあわれを感じたのではないだろうか。あわれとは、寂しさを乗り越えて、その寂しさを味わうことだと思う。高齢者になれば、健康も収入も家族も友達も少しずつ減っていく。それはどうにもならない自然の営みだとすれば、寂しがる必要はないのだ。昔の日本人はもののあわれという素晴らしい見方を知っていた。前回のブログで、「楽しいときは楽しむがよい」と書いた。その流れで言えば、「寂しい時は寂しさを味わえばよい、苦しいときは苦しさを味わえばよい」のだ。自然の流れという、どうにもならないことをくよくよ考えることは意味がない。味わうことで、深くその意味を知ることができる。知れば現在を感謝することに気が付く。

 

桜と菜の花

 今は水曜日の夕方、いつものように書斎の窓から見る空は、白い雲で覆われ朝から小雨がずっと降っている。水曜日の夕方にブログを書くのは例外だが、これにはもちろん事情がある。その前に自分のうっかりミスをお断りしておかなければならない。前回の3月27日のブログを火曜日と書いてしまった。金曜日の間違いである。どうもいろいろうっかりして思い違いをすることが多い。すべて正確でどこからもクレームが出ないことは、素晴らしい能力を持った人である。しかし平凡な市井の人はどこか間が抜けていて、失敗をする。それもよかろう、そんな気楽な生き方も大切である。

 3月の終わりに年度の最後を惜しむかのように、家内と2人で1泊2日の旅行に出かけた。年をとると旅行会社のツアーに参加するのが気が楽で、今回は瀬戸内海の島々をめぐり道後温泉に一泊した。自分の知識不足だったが、島を巡るといっても船ではなく、本州から四国までは高速道路で容易に行けるので、空港からはバスツアーなのだ。昨日31日の夜遅く帰ってきたので、ブログは今日に延期したのである。学校関係者に限らないが3月末日は年度の締めで、部屋の大掃除をしたり雑誌や本などを捨てて、4月を迎えるための準備をする。今日は4月1日なので、新しい自転車の交通ルールが適用されたり、身の回りにもいろいろな変化が起きてくる。その年度末の一時をゆったりと過ごしたいと思ったのである。

 最初の見どころは、村上水軍の拠点である因島である。「村上海賊の娘」の小説を読んだことがあるので、ぜひ見たかった。資料館やお城も興味深かったが、そこには瀬戸内海の海風と暖かい太陽を浴びて、桜の花と菜の花がいっぱい咲いていた。ピンクと黄色の花が、真っ青な空とお城を背景にして風に揺られているのを見ると、今は春なのだ、何も心配することはないなどと、素直に思える。日本中の子供も大人も年寄りもみんな、春うららに身を委ねて欲しい。どんな時でも、気になったり思い通りにならなかったりすることもあるだろう。そんな小さなさざ波が起きるのが日常生活であるが、そんなことは気にしないで、太陽を浴びて春を謳歌しよう。

 道後温泉には何度も来ているので珍しくはないが、屋上の露天風呂に浸かった時、何とも言えない開放感を感じた。露天風呂から見る空は青く、山は緑で、桜の木が一本だけ見える。ここは道後温泉なのか、歴史のある温泉に、大昔から人々は癒しを求め、明日の活力を得るための自分へのご褒美をこの湯でもらっていたのだろう。自分もこのひとときがなんとも贅沢で、そして天から地上を見るような気持ちさえした。それだけ心が広がって天下人のような気持ちになったのか、いやどうも違う。武将やら政治家などは、重い荷物をいっぱい抱えて、人間世界の中で眉間に皺を寄せて戦っている。今の空間は違う。世間を別の角度から眺めている。今という瞬間は、ふわっとした自分が何者であるかも忘れてしまうような今である。

 その露天風呂に句碑が立っている。「寝ころんで 蝶とまらせる 外湯哉」(一茶)と読まれていたが、なるほど、これは確かに世間とは違う。俳人とはこんな風に対象を捉えるのか、一茶はまるで幼児のように、蝶と心を通わせている。そんな世界観で世間を見ると、別の見方ができる。毎日食事ができる、雨露を防ぐ家がある、暖かく身を包んでくれる布団がある、それだけで充分ではないか、今自分はこんな優雅な贅沢なひとときを過ごしている、それが嬉しいとは思うが、同時にその世界から見れば、日常生活のこまごました生活もまた楽しいひとときに思えてくる。確かに幼児は、すべての出来事をそのまま受け入れ、面白くなければ泣き、楽しければ笑い、嬉しければはしゃぎ、自由奔放に生きている。大人になった時、幼児の頃や子供の頃は楽しかったなあと回想できるのは、その時代は一茶のような世界観をもっているからではないだろうか。大人になると、それどころではないよと言いながら、誰もがあまり楽しそうではない。

 文脈は離れるが新聞に、「桜行く電車菜の花来る電車」(村野則高)の句があった。因島のような光景である。作者は、ピンク色の桜と黄色い菜の花に囲まれた電車の線路の脇で眺めているのだろうか。作者はこの一時に春うららを感じて、困りごとなど頭の片隅にもないだろう。幼児のように、今この瞬間を楽しみ、はしゃいでいる。それが読む人に共感を呼ぶ。全国のあちこちでピンクと黄色の花が咲き誇っている。なんと素晴らしい季節なのだろうか。楽しむときは楽しむがよい。