手術と入院

 今は金曜日の夕方、いつものように書斎の窓から空を見ると、もう薄暗くなって夕方から夜の時刻に移ろうとしている。窓から見えるマンション群は規則正しい部屋の明かりがついて、今日も一日が終わるのかと、ホッと一息つくような雰囲気になった。今週は秋晴れの良い天気が続き、良い日和だと誰も思っているだろう。そして今週を振り返って、このブログを書こうと思う。

 先ほど都内の高等学校を訪問して帰宅したばかりである。何しろ時間ばかり気になって、きちんとした用事もできていないようだ。それは水曜日に家内が手術を受けたからである。火曜日に入院してから病院での生活を送っている。今日は都内に出かけたので病院には行けなかったが、なるべく面会しようと思っている。ただ面会時間も決められており、フリーランスとはいえ、時間が縛られると訪問も難しい。加えていろいろな身の回りの用事が山積している。忘れないようにメモを書いて、1階の居間に貼っていても抜けがある。今日の午前中は近所のスーパーマーケットと薬局に行って諸々の買い物をしてきたが、牛乳を買うのを忘れていた。メモはしていても、どこか気が抜けているのかもしれない。

 先ほど都内から駅に着いたとき、このままスーパーに行って牛乳を買って帰宅しようと思ったが、ふと見ると駅前に小さなコンビニがある。まさかと思ったが入ってみたら1L用の牛乳が置いてあったのですぐに買った。牛乳は明日の朝どうしても必要なので気になっていた。しかしいくつも用事を忘れていた。薬局でうがい薬と鎮痛の塗り薬を買うつもりが、うがい薬だけを買ってきた。自分の脳はもうキャパシティがいっぱいなのかと寂しくなった。外出するときは必ず玄関の防犯カメラをスマホでオンに設定するのだが、今日は急いでいたせいかそれも忘れていた。

 朝の仕事として、ゴミを出すこと、ルンバで部屋を掃除すること、できるだけ洗濯をして庭に干して夕方前に部屋に入れて整理すること、ワインと日本酒を切らさないようにスーパーで買うこと、夕食の料理は手料理にすること、そのためにスマホのレシピで調べて必要な食材を補充すること、風呂の掃除をすることなど、かなりの処理をしなければならない。夕食などスーパーで出来合いを買ってくれば良いのだが、自分はそれが嫌いなのだ。だからどうしても時間が不足する。当然だが、いつもと同じように仕事は継続している。

 家内からラインで通知が来る。水曜日の手術だったので数日間は痛みがあって、それに耐えているのだろう。時々痛いというメールが来ると、自分がどうにもできないもどかしさに急かされる。しかし、どうにもならないのだ。この世の中には自分の思い通りにならないことが、いっぱいある。できる限りのことはしているのだが、ふと自分も歳をとったのか、家内も同じだろうと思うと、老夫婦が助け合って励ましあって乗り越えていくしかないのだ。痛い時には自分にメールを送ってくれれば、少しは気が紛らうのだろう。自分も小さなことだが、そんな経験をしたことがあった。

 ふと思う。家内は昨年の手術に続き、今年も手術を受けている。自分は健康で手術も入院もしたことがない。しかし二人とも倒れたら助け合うことができないのだ。家内には、もう少しの辛抱だから耐えてほしいと願うしかない。新聞に「手を滑り茶碗の割れる度(たび)ごとに身代わりになってくれしと思う」(阪梨義春)の句があった。家内は自分の身代わりだったのかもしれない。これから痛いリハビリも続けなければならないが、痛みが取れて退院する日を心待ちにして頑張ってほしい。新聞を見ると、日本中の祝福と賞賛と期待の星であった、あの大谷翔平ですら不振にあえいでいる。世界中の誰も、常に順風満帆である人はいないのだ。大谷選手は、我々には想像できないほど苦しんでいるに違いない。大水害で仕事ができなくなった人、我が子を事故で亡くした人、不景気で社員に給料が払えなくなった経営者など、新聞のニュースを見ると、誰もがもがきながらも、希望を失わず前に進んで行こうとしている。自分もその人たちを見習おうと思う。

 

授業コメント

 今は金曜日の夕方、いつものように2階の書斎の南向きの窓から空を眺めている。今日も、空に向かって声を出して話しかけたくなるような優しい青空が広がっている。今週はずっとこんな天気で、先週の長雨はどこに行ったのだろうか。自然はこんなに優しい表情をすることもあれば、罪のない人達の命や人生をめちゃくちゃにするような大災害も起きる。誠に自然とは不可思議なもので、人の感覚とまるで違う。そんなことは当たり前で、今更ブログで公開することでもないのだが、この世の中は自分だけではどうにもならないことが起きてくる。

 今日は午前中、市内の小学校を訪問し、授業コメントをメール添付で送った。午後はオンライン研究会があり、先ほど小さな庭の草取りと小さな用事を済ませて、今机に向かっている。今週は何があったのか、振り返ってみると、4つの学校の授業参観をした。私は授業参観をする度に、自分の非力さを実感する。長い間、自分は本当のところは教育や授業のことがわかっていないのではないかと、疑問を持っている。これはもう超えることができないような問いなのだが、なかなか他人は理解してくれない。子供たちを見る目線や先生方の視点とは自分はどこか離れていて、ひょっとすると先生方は自分に対して冷ややかに見ているのではないだろうか、などとつまらぬ懸念をする時がある。

 今日も小学校を訪問したら、1限の授業より時間が少し早かったので朝の会にも参加した。子供の代表が、黒板の前に立って全員をリードしながら歌を歌っていた。子供向けの喜びに満ちた歌詞で、子供たちはリズムに乗って体を動かし、子供の代表はタクトを振るような仕草をしていた。それを見て私は身体化認知だと思った。声を出す、体を揺らす、手を振るなど、身体を通じてその世界の意味を理解するということだが、私は授業コメントにそのことを少し書いた。A4で1頁のコメントを授業後に送っているのだが、これでいいのかどうなのか不安であった。そもそも先生方にとって、身体化認知などどうでもよいのではないのか。それよりも、子供たちが元気に授業に取り組んでいることの方が大切なのだ。私は、先生方にとって当たり前のことを、理屈をつけているだけではないのかと、自責の念が起きてくる。

 5年生の社会科で食料品の自給率の単元を扱っていた。小麦などの海外からの輸入量の変化のグラフを見せながら、先生は子供たちに質問した。「なぜだろうか」と問えば「パン食が多いからだ」と答え、先生が「パンの他には」と聞いて、子供たちは「ピザ」などと答えた。それから食料品について、議論が深まった。先生と子供たちとの間の質疑応答を聞きながら、私はただ感心するだけであった。そのコメントに私は「グラフを見ながら、子供たちの日常生活の経験を話す活動は素晴らしいと思う」と書いた。生成AIに記号接地問題がある。生成AIは、言葉すなわちデータや記号を大規模言語処理によって、最もふさわしい回答をする。しかし、仮に「りんごは美味しい」と答えても生成AIは、木にぶら下がっているりんごを取ったことも触れたこともなく、食べたことももちろんない。つまり生成AIは記号だけで理解しているのであって、本当の理解には至ってないことが記号接地問題である。そこで「この授業はグラフという記号と子供たちの体験を見事につなげている。そこが素晴らしい」と書いたのである。

 そのコメントを受け取った先生は、どう思うだろうか。ほとんど意味のない理屈だけを書いたのかと、思われるかもしれない。「あなたは自分の知識で解釈しているだけなのか。それは現場には関係ないのだ」という声がどうしても自分の脳に入り込んで離れないのだ。小学校の経験豊かな先生であれば、そのような解釈ではなく、もっと地に足の着いた適切なアドバイスをするであろう。それは自分には不可能なことなのだ。文脈は離れるが、新聞に「人生は思い通りにならないと泡立つビールの呟き聴こゆ」(越智照雄)の句があった。本当に自分もそうかもしれない。ただ不可能なことを嘆いても意味がない。アメリカの学会に4月にオンラインで参加したいと思っている。テーマが気に入ったからである。それは理論と実践をつなげる(Bridging theory and practice)である。そうか、それならまだ自分も嘆くこともないではないか。少し元気が出てきた。できることだけでよいから、少しでもお役に立つなら頑張ろうと思う。

 

伝えること

 今は金曜日の夕方、いつものように2階の書斎から南側の空を眺めている。青い空をバックに西日を受けた白い雲が、かすかに東に向かって動いている。テレビなどで1ヶ月以上の長雨が続いたと報じているが、昨日からようやく秋の日差しを浴びることができた。誰でも秋の季節は、爽やかな風と、天高く秋晴れの空と、美しい花が咲く光景を思い浮かべる。しかし今年は長雨や台風のせいで、関東地域はすっぽりと雨のドームに覆われて、野菜は日光不足で市場に出せず、人はうっとうしさで気も晴れず、頭痛などの症状に悩まされた。それが短いとは言え、昨日から待望の太陽が降りそそいだ。ようやく秋がやってきたようだ。

 今日は先ほど都内から帰宅したばかりで、リュックサックを机の横に置いて、すぐにパソコンに向かった。都内の高等学校を訪問し、その後珈琲店で科研費の管理事務担当と打ち合わせをした。これでほとんど1日の仕事は終わったような気持ちになった。金曜日はブログを書く日なので、電車の中であれこれ考えていた。ブログと言えども、読んでいただける人のことを思えば、いい加減には書けない。ただし研究にも通じるところがあるが、ハッとするような良いアイデアはなかなか浮かばない。時間切れになってパソコンに向かう時もある。平均的にはもやもやとしたイメージがあって、パソコンに向かっている間に、少しずつ鮮明な画像が出来ていくような気がする。つまりシナリオのような明確な台本はないのだが、画面と共に作り出していくようだ。

 それは自己対話と言ってもよい。自分と対話しながら何か形ができてくる。今週は何があったのか、大きなイベントは札幌の学会に参加したことだろう。研究発表はしないが、優れた研究を聴くのは、演劇を見るのと同じ、感動的なテレビ番組を見るのと同じで、脳のどこかに小さな感動が宿るのである。研究の素晴らしさは、若い時でも今でも感じることができる。ただ若い頃と違うところはある。研究室の学生たちを連れて出かける時は、どこか肩で風を切っているような雰囲気があった。そして血気盛んな勢いのある研究者のポスター発表を聞き、質疑応答したくなる。歳をとってくると、著名な研究者で流行りのテーマもよいが、道端にそっと咲く雑草のようなテーマにも、どこか心惹かれる。そんなポスター発表も聞いて、その先生の伝えたいことがよくわかった。こんな遠くまで多額の費用をつぎこんでやってきたのだと思うと、聞き手は自分一人であったが、少しお役に立った気がした。

 立場上参加しなければならない懇親会もあるが、今年はホテルの近くの居酒屋で夕食をとった。北海道の新鮮な海鮮が食べたくてカウンターに座ったら、粋な板前がきれいに盛り付けた刺身を作ってくれた。そして2匹の焼き海老も絶品であった。ご飯代わりに、名物のじゃがバターを食べた。翌日は別の店で串焼きを食べた。カウンターの目の前で、腕利きの料理人が12種類の串焼きを出してくれた。熱い串焼きが冷たい生ビールによく似合う。そしてふと思う。こんな光景は江戸の昔から続いているのだろうか。食材は違っても、料理人と客が対面しながら料理を味わっている。言葉はいらない。ただ美味しさに浸っている。料理の味が2人を結ぶ絆である。黙っていても気持ちが通じていた。

 歳をとってくれば、誰でも体力・能力・気力の全てが少しずつ衰えていく。そんな自分に寂しさを覚えながらも、自然に沿って生きていこうと思う。そんな中で、今朝自分宛のお礼のメールを読んだ。国立ハノイ教育大学で招待講演をしたのだが、そこに参加していた大学院生からのメールであった。自分で言うのは恐縮だが、本人は、目から鱗が落ちたような、新しい発見をしたような、その喜びを伝えずにはおられないようなメールであった。英語だったが、行間から学生の気持ちがすべて自分に伝わったように感じた。生成AIは大規模言語モデルなので、言葉を土台にしている。しかし人の伝わり方は行間である。行間は感じ取るものであり、読み解くものである。生成AIと人の伝え方の違いは、ここにあるのではないか。

 文脈は離れるが新聞に「虫の秋地球程よく傾けり」(大場のりこ)の句があった。まさに23度の絶妙な傾きによって、我々は春夏秋冬味わうことができる。それは自然のなせる現象であり、その流れに沿って生きている。自分のブログの書き方も、1人だけで聞いたポスター発表も、居酒屋でカウンター越しに料理をいただいたのも、ハノイの学生からのメールも、すべて自然の流れの中で伝わってくるような気がする。それは自己対話であっても、AI対話であっても、他者対話であっても同じである。人は文章の行間で伝え合っている。居酒屋の雰囲気で美味しさを味わっている。人は言葉ではない方法で伝え合っているのではないだろうか。なお、自己対話・AI対話・他者対話の研究は、ポスター発表で聞いて、私が感銘を受けた内容である。

 

日本語センター

 今は9月25日金曜日の午前である。この変則的な時間にブログを書くのは、もちろん理由があるからで、今日の午後、札幌に学会で出かける。夜ホテルではブログを書く時間がないので、今書いている。先週から今週にかけて忙しかった。9月はいろいろな行事があって、はしごから落ちないように少しずつ登っている。いくつになっても人は、目の前にあることを追いかけたり追いかけられたりしながら、少しずつ前に進むようだ。今日のブログの中心は、昨日帰国したがハノイでの学校訪問と講演である。

 学校はハノイ市内の3校を訪問し、それぞれの授業を参観した。そしてハノイの国立教育大学で講演をした。2時間半の講演と聞いて信じられないと思ったが、質疑応答があること、そして日本語をベトナム語に通訳するので、半分ぐらいの時間が実質的な講演時間である。ただしスライドは英語で、質問は英語の場合もあるので、日本語と英語の混在した講演だったが、時間があっという間に経って楽しい経験をした。どうしてハノイに行ったのだと聞く方も多いだろう。ハノイと日本の架け橋のような優れた先生がおられて、私は彼と長い間付き合ってきた関係で、この度訪問することができた。彼のような教育に情熱を燃やし、ベトナムの人々を受け入れ、日本文化も伝える能力を持っている人はほとんどいない。彼のおかげで私は素晴らしいシルバーウィークを過ごした。

 学校の授業参観の一つに、ハノイ日本語センターがあった。この学校は、日本の農業や工場などで働く技能実習生を送り出すための日本語の学習センターである。新聞などでは読んだことはあるが、実際の教室は見たことはない。他の学校は義務教育の学校であったが、この日本語センターは大人が対象である。20歳代から30歳代までの若者が、日本で働くために日本語を勉強していた。結婚して子供もいる人たちも多い。どうしてと疑問をもつことは意味がない。いわば日本への出稼ぎなのである。ベトナムで生活することは今日でも楽ではないようで、日本で働いて、そのお金を家族に送金するために我が身を削るのだ。

 この日本語センターは、共同生活であり合宿所でもあった。だから教室の中に宿泊施設もある。知覧の特攻隊の施設を見学したことがあるが、同じように二段ベッドの上下で寝泊りしている。そしてささやかな食堂もあり、職員が料理を作る。生徒たちは文字通り朝から夜まで日本語の勉強をする。それは生きるための言葉の学習である。私たちが参観したのは日本語の基礎であった。カードに絵が書いてある。2人ペアになって、いくつかのカードの中の一枚を示して会話をする。「机と傘があります」と先生役の生徒が言って、もう生徒役はそのカードを探す。そして「傘はいくつですか」と聞いて「二つです」と答える。「どちらにありますか」と聞いて「右にあります」という会話を繰り返して「このカードです」と答える。私も「先生役をやってください」と言われて、「傘は2本あります」と言ったら、生徒役がカードを探せなかった。

 本当に日本語は難しい。一つ二つ、一本二本など、対象によって数え方も違うのだ。こんな初歩から勉強するのか、そして日本に来て技能を習得して、給料をもらい、それを家族のために仕送りをするのか、その遠い道のりを思うとき、彼らのこれからの日本での生活の厳しさを思った。しかし彼らはまだ若い。ニコニコとして将来を夢見ている。大きな声で「ありがとうございました」と頭を下げた。こんな光景に出会うとは思わなかった。休憩時間になった。校庭で生徒が散髪をしてもらっていた。バリカンできれいに散髪をし、カミソリで生え際を剃っていた。聞けば散髪をしている生徒は、日本語センターに入学する前は床屋であった。彼は生徒たちの散髪を受け持っていた。まるで兄弟のように仲が良い光景に見えた。それは知覧で見た特攻隊のイメージに重なった。

 かつて日本も貧乏だった。だから私も小さい時は、母親にバリカンで散髪をしてもらった覚えがある。虎刈りなどと冷やかされたが、それが日本の平均的な家庭であった。文脈は遠く離れるが、新聞に「昭和へと還る灯篭流しかな」(松岡三男)の句があった。この散髪風景を見ると、私の記憶も昭和の時代に戻っていくようで、日本語センターはかつて日本がたどってきた道のように思えた。いつだったかNHKの番組で、技能実習生の生活ぶりを報道していた。北海道の牧場で働く女性は、孤独に悩んだ。何ヶ月ぶりに一緒に日本にやってきた友達に会えた時、嬉しくて嬉しくて一晩中語り明かした。2泊3日の宿泊を終えて仕事場に戻る時、2人の女性は抱き合って泣いた。ベトナムも日本も人情は変わらないのだ。日本語センターの先生が「貧しくても家族で一緒に暮らせることが一番の希望だ」と言っていた。この日本語センターの生徒たちは、6か月の研修を終えて12月には日本に出発すると言う。生徒たちの幸せを祈らずにはおられない。いつかベトナムに戻って家族と共に暮らせる日を心から願っている。

不安と緊張

 今は9月18日金曜日の夕方なので、ブログを書く時間になってきた。いつものように南向きの窓から空を見ると、久しぶりに青空と白い雲が見える。秋らしい天気で少し心が晴れ晴れとしてきた。例年にない長雨で、いくつかのイベントも中止になったり、災害が起きて人々の困った表情がテレビ報道から伝えられている。昨年は9月はまだ夏真っ盛りで、日本は二季になったのかと言われるほどだったが、今年はもうすっかり秋の気候で、今日も23度程度の過ごしやすい一日だった。しかしまた明日から台風の影響で雨降りが続くという。人の思い通りにはいかないのが世の常である。

 一週間を振り返ってみる。平凡な生活だが、なぜか気ぜわしく、どこか不安なところがある。9月は学校では2学期の始まりの月のせいか、いろいろな行事が重なっている。学会の大会や学校訪問などの自分の仕事もあったが、やはり気になるのは身の回りのことである。家内が10月に手術をして入院する関係上、昨日も今日も病院に連れて行った。昨日はいろいろな検査があって、異常が見つかると手術が延期になるか、できないので重要な一日であった。家内は数週間前からそれが気になって、不安だった。膝の病気とどう関係するのかわからないが、乳癌の検査などもあったようで、もし癌の疑いがあるとしたらどうしようと、傍目から見ても落ち込んでいた。我が家だけでなく、どの家庭でも同じだろうと思う。

 一昨日、担当医の先生から2日にわたって検査してもらった結果を聞いた。全て異常なしの言葉を聞いたとき、本当に助かったと思った。長い間続いた雨降りが今日のように青空が見える秋晴れと同じで、目の前の靄がきれいに晴れたのだ。そして今日は市内の大学病院に手術の関連で出かけた。しかしこれから大一番が待っている。前日に準備をして入院をし、翌日手術を行い、2週間ほど入院する。手術が成功しリハビリができるようになれば、そしてリハビリの効果が出てきて膝の痛みが薄らいでくれば、などと期待ばかりしている。しかし人はなぜか良い方向よりも、悪いことを予感しながら不安になっていく。

 実は私もその通りなのだ。このブログで書いたようにアマゾン出版をするときは、不安と緊張だらけであった。今日になってようやくそこから離れることができた。そしてまた次のことが心配になっている。明後日成田からハノイに飛び立つ。翌日ハノイの大学で講演をしなければならない。それが今から緊張しているのだ。資料もすべて送って問題ないとは思いながら、不安でいっぱいである。それは2時間半の長時間のせいでもあるが、本当にできるのだろうかと思ってしまう。数日前にスタッフと雑談していた時に、ふと口にしたら「それはいいね、私も行きたい」などと気楽なことを言った。実はそうではないのだ、できるものなら誰かに代わってもらいたいぐらいの気持ちである。本音を言うと、自分は人前で話すのが苦手で、仕事柄そうもいかないのが世の常である。だから不安になったり緊張したりするのだろう。

 海外出張したり国内の学会が続いたり、いろいろな行事があるので、今日は床屋に行った。床屋には江戸の昔から人が集まるので、主人は雑学の専門家である。床屋の職人は認知症にならないと言っていた。まず手を動かす、お客の関心のある話をする、そのために新聞などの情報を取り入れる、収入と支出を計算して経営をする、考えてみれば、手を動かし頭を使う仕事なので、認知症にはならないらしい。しかし一番面白かった話は、カミソリなどの刃物を使うので緊張することであった。認知症とは、何も緊張しないことなのだ。何も考えず何も苦労しないことは、気遣いする必要もない。つまり脳に何の負担もない状態が続くと、認知症になると言う。人に会うだけでも、人は緊張する。有名な舞台俳優は、いくつになっても舞台に上がる時に緊張と不安で震えるほどだと言っていた。ハノイの大学では生成AIと教育の話をするが、その中で認知的オフローディングにも触れる。オフローディングとは頭に負荷をかけないことで、生成AIにすべて任せて、自分の頭に負荷をかけなければ徐々に認知症になるだろう。

 文脈は遠く離れるが、新聞に「昼過ぎの進路指導室の壁にボートの揺れのような秋の陽」(常田瑛子)の句があった。中学校なのか高等学校なのかわからないが、先生と生徒が進路について相談をするのだろう。そこに秋の日差しが差し込んできて、風で揺れる木漏れ日のように、波で揺れるボートのように、壁に当たった日光が動いている。その様子は、どこか不安げで緊張している生徒の心を映し出しているようである。誰も同じなのだ。どんな人も不安と緊張で物事に臨むのだ。適度な不安と緊張は人が生きていく上で、大切なことなのだ。そしてそれが自然な生き方である。そして一つずつ終わっていけば、生を全うできる。

 

 

 

学校訪問

 今は金曜日の夕方、いつものように書斎の窓から空を見ている。今日も一日中小雨が降って、秋の長雨の言葉通り、しばらくはこのような雨模様が続くようだ。今日は午前中に学校訪問があり、帰宅してコメントを書いて送った。午後はオンラインの研究会があって、その後散歩をして今帰って来た。通常はジョギングなのだが、今日は雨も降りそうなので、傘を持って散歩としゃれ込んだが、予想通り雨が降ってきた。約一時間の散歩だったが、背中が汗びっしょりになった。散歩とは言え、小雨が降る中を歩くと適度な運動になったのか、気持ちが晴れ晴れとしている。やはり体を動かすことは健康の源である。

 手帳を見ると、今週から市内の学校訪問が始まった。教育センターのアドバイザーをしている関係で、授業を参観しその日のうちにコメントを書いて送っている。その日というより午前中になるべく送るようにしている。今週は4校訪問したが、今日は東のはずれの小学校だった。この学校が自宅から最も遠くて、雨降りのせいか道路が混んでいて車で40分かかった。そして初めて能力別編成のクラスの授業を参観した。低学力のクラスなので、先生と学習支援員の先生の2人で、9名という少人数の子供たちを指導していた。先生は、噛んで含めるように分数の割り算を教えていた。「みかんが16個あります。3人で分けたら一人何個もらえて、何個余るでしょうか」という定番の文章題である。

 さすがに先生は子供のことをよく知っていて、みかんを分ける仕草を見せた。自分は初め何をしているのだろうと思ったが、この文章の意味を伝えていたのだと気がついた。文章の意味がわからないとは、自分は考えてもみなかった。そしてプラスチック製のおはじきを一人一人に渡して、考えさせた。そして黒板に磁石製のおはじきを使って、やり方を見せた。そのやり方は3人とも同じ数のみかんなので、はじめは1個ずつ次も1個ずつ渡して、答えを導いた。これは大変だねと言って、割り算の計算式を書いて計算した。

 1個ずつ渡す方法は、数え上げである。それはコンピュータの計算方法である。ひとりの子供は指折りしながら計算していた。コンピュータは指折りの数え方と同じで、最も素朴で自然な計算方法なのかと思った。それで計算式という方法が発明されて、効率的に計算できるようになった。計算の苦手な子供は、指折りの数え方から入るのがよいと、この先生は思ったのだろう。この説明が終わって、教科書の次の問題を解く場面になった。それは数字が少し変わっただけで、全く同じ問題だった。だから自分はこの易しい問題はすぐに正解するだろうと思った。しかし実際は全く違っていた。計算式が書けない子供もいれば、書いても計算できない子供もいる。これが子供の実態なのかと知った時、自分は何も知らないのだと気がついた。

 担当の先生も学習指導員の先生も、一人一人に寄り添って優しく丁寧に教えていた。「個に応じる」とはこのことかと、初めて教えてもらったような気がした。後で先生が「自分の分身が何人でも欲しい」と言われた時、後ろで授業参観をしている自分が何の役にも立っていないことが分かって、申し訳ない思いがした。ある子供の横に立ってノートを見たら、計算式も何も書けていなかった。その子供がそっとノートを隠すようにした。子供は子供なりの苦しさがあるのだ。それを上から目線で見ている自分は一体何なのだ、本当に情けないと思った。

 小雨の降る散歩で、下校する子供たちに出会った。どの子供も元気で嬉しそうに話し合っている光景を見ると、学校は楽しく桃源郷のようだと思うが、子供たち一人一人は楽しいことばかりではなく、苦手なことも逃げ出したいこともあるのだ。その中に入ってみなければ、外から見ているだけでは何もわからない。帰宅途中、訪問介護の車とすれ違った。この世の中は楽しいことも苦しいこともあって、そして子供も大人も老人も頑張って生きているのだ。それでも学校の素晴らしさに惹かれて、これからも教育センターのアドバイザーとして学校訪問をしたい。その実践の一部を「教育のダブルスタンダード」としてアマゾンで出版した。

 文脈は遠く離れるが、新聞に「地球にも表面張力露の秋」(渡辺しゅういち) の句があった。宇宙から見れば、地球はまるでハスの葉っぱに乗っている露のような水滴に見えるのだろう。海が青く奇跡のような美しい星に見えるのだろう。しかしその中に入ってみれば、大洪水やら大地震やら戦争など、いたるところに厳しい出来事が起きている。それでもなんとか努力して、美しい地球を守ろうとする人間がいる。学校も同じである。いや学校だけでなく家庭も地域も、すべて同じだろう。

病院

 今は金曜日の夕方、今日はほぼ一日中小雨が降って、秋の長雨の言葉通りである。福井県や千葉県などは未曾有の大洪水で、生活も困窮しているようだ。だからこんな呑気なことを書くと、被害を受けた人々から叱られそうである。最近の気象異常はどうにもならず、地震や高気温と大水害が一度にやってくる。ニュースを見るたびに、人間の弱さが身にしみる。そんな弱い人間同士が戦争をして、この世の中はどうなっているのだ。まさに末法の世の中なのか、どこに希望が見えるのか、などと心の中で誰しも呟いているに違いない。

 今日は珍しく都内の高等学校を訪問して、先ほど帰ってきた。久しぶりに電車に乗って学校に着くと、若者は何の屈託もなく、勉強や運動そして日々の生活を謳歌しているように見えた。実際はいじめ不登校などの話を聞けば、内面は誰も複雑な思いを持っているに違いない。それでも二学期になって初めての仕事をしたという思いがあって、どこか心がくすぐられているような気がした。今週を振り返ってみて、実は昨日は大変な一日だった。ブログなので事実をありのまま述べるが、家内が10月に手術を受けて入院することになった。本来は市内にある大学病院の予定であったが、手術を希望する人の数が膨大で年内は無理だという。そこで隣の市の病院で手術を受けることになった。そのための検査やら諸々の打ち合わせやらで、家内を車に乗せて病院に行き、帰ってきたのは午後7時になっていた。

 身内のことをあまり話すのも少し気が引けるが、去年は脊柱管狭窄症の手術を受け、今年は膝の手術を受ける。どちらも痛くて痛くてたまらない。なるべく早く手術をして、楽に歩けるようになりたいと思うのは人情である。自分などは痛みに弱いので、よほど大騒ぎするだろう。そして病院も手術も大嫌いなので、逃げ惑うだろう。女性の方が男性よりも我慢強いようで、本当に偉いと思う。昨日病院に行って思ったことは、なんと患者さんの多いことか、皆さんは痛みや苦しさをこらえて耐えているのかと思うと、自分がまだ成長していない子供のように思えてきた。そして病院は待つことにも耐えるところなのかと思った。何時間も待たされてよく平気だなあ、と患者の皆さんも偉く見えてきた。

 待つことも大の苦手な自分は、幾つかの本を持って行った。実はその中に自分の新刊書があった。このことについては日を改めて話したいが、9月1日の発行日で「教育のダブルスタンダード」のタイトルである。アマゾン出版なので、1ページから214頁までと表紙もすべて自作である。それが9月3日の午前中に届いたので、それを読んでなんとか待ち時間を乗り越えた。痛みのない自分が、待つのも大嫌いというのは、もはや幼児みたいなもので、何の取り柄もない人間のように思える。

 しかし自分もこれからは心して、毎日を生活しなければならないだろう。10月の手術までにいろいろな検査が待っている。そして手術をして帰宅できたとしても、リハビリのために病院に通わなければならない。もちろん入院中は、自分が掃除・洗濯・料理など、すべき事をするのは当然だが、これまでのようにはいかないだろう。入院中の家内の衣服も自分が洗濯するだろう。隣の市の病院まで痛い足を引きずって電車で通うのはあまりにも惨めだから、自分が車で送っていこうと思う。ただフリーランスとは言いながら、いろいろな仕事を抱えていて難しいことも起きるだろう。昨日は家内とそんな話をしながら、これからの計画を立てた。

 文脈は遠く離れるが、新聞に「秋立つや硬めの糊の白シーツ」(遠藤音々)の句があった。秋には、ビシッとした真っ白なシーツでベッドを整えるのだろう。自分は今日が二学期の仕事初めであった。学校に行って自分の背筋が少しピシッとしたような気がした。頼りない自分だが、「これからはしっかりしよう、もっともっと頑張ろう」と自分に言い聞かせた。この世の中には、頑張っている人が山のようにいる。日照り続きで野菜がしおれてしまった農家、大洪水で機械がすべて使い物にならなくなった工場経営者、地震で我が家を失い、怪我をした子供を抱える夫婦など、もがきながら頑張っているのだ。それに比べれば、自分などは取るに足らない小さな出来事だろう。医者は、右膝の次は左膝の手術も必要になるだろうと言われた。まあまあ大丈夫、それを乗り切れば軽い足取りで動けるようになるのだ。半年か1年くらいの辛抱なら心配することはない。自分がしっかりすればよいのだ、頑張ればよいのだ。

するかしないか

 今は金曜日の夕方、いつものように2階の書斎から南の空を眺めているが、白い雲が空一面を覆い、青空が少しばかり見える。今日も昼間はかなり暑かった。どうにもやりきれず、まだ学校は夏休みだからと思って、スポーツジムのプールだけに行った。そして先ほど帰ってきたのだが、気持ちはさっぱりしている。プールに行く前はどうしようかと迷っていたが、プールといえども行こうか行くまいかと、人はいつでも迷うのだ。そんな時、あまり考えないで行くほうがよいのだ、するかしないかと迷った時は、する方にかけたほうが良い、となんとなく自分に言い聞かせている。その方が後で後悔しないからである。

 実は朝の涼しい時間に、庭やその他の雑草取りをしている。今日は庭の小さな草取りだったが、昨日は玄関の前の郵便受けの下にある木を引っこ抜いた。枝葉が繁って郵便ポストの入り口をほとんど塞いでいた。家内に言われていたが長い間ほっといて、なぜか昨日ふと抜いてしまおうと思った。しかしこれは意外に手ごわかった。根が土深くまで広がっていたからである。汗びっしょりかいて、ようやく取り除いた時は、全身から力が抜けた。そしてすぐにシャワーを浴びて下着を着替えたら、さっぱりした。やるかやらないか長い間迷っていたが、やってよかった。

 今日の午前中は、ある自治体の教育センターの運営委員会があった。いつもは対面で参加するのだが、諸々の事情があって今日はオンラインで参加した。2時間の長丁場の会議なので、正直そんなに参加意欲は高くはなかった。ところが「今日は初めての試みだが、少人数のグループ討議を行う」と、担当者が言った。研修会や講演会でも短時間のグループ討議はよく導入されている。私も何度も経験しているので、違和感はない。そして5~6人の委員がブレイクアウトルームで討議をしたら、確かに議論が活発になった。内容も少し本質に迫るような気がした。

 多分担当者は、運営委員会なので少人数のグループ討議を導入するかどうか、迷ったに違いない。そして今日初めてやってみた。私はなるほどと思った。運営委員会のメンバーなので、少人数でなくても話す内容は豊富に持っているから、あまり効果はないだろうと思っていたが、私の予想外れであった。他のメンバーから学んだことが多かった。多分大会議室で対面で話したとしても、同じような意見は出てくるだろう。しかし少人数のメンバーになると、その伝わり方が違ってくる。親近感があるからなのか、言葉の奥の本音の内容が伝わってくるような気がする、自分の専門分野の用語で言えば、ソーシャルプレゼンスなのかと思った。

 そして私は今、ブログを書いている、正直言うと、今日は書くネタがないと思って、どうしようかと迷っていた。しかし時間は迫ってくる。そんな難しいことを考えなくても、今週を振り返って印象に残ったことを書けばよいではないかと思っていたが、なかなか浮かんでこなかった。だから見通しはなく、今日の出来事を書いた。書いていると、なぜか出来事が浮かんでくる。だから私のブログは計画に沿って書いているわけではない。書いている内に何か浮かんでくるので、それを書いているだけだが、画面の文字が案内してくれるような気がする。

 そして今思っていることは、するかしないか迷うことではなくて、することによって自然にガイドしてくれるのではないか、それに従えば良いのだ。それはむしろ自分の意思を離れているのかもしれない。画面の文字と私が対話しながら、共同で出来上がってくるような気がする。文脈は遠く逸れるが、新聞に「梅雨明けや句をつくりてはまた生きる」(笹沼郁夫)の句があった。その作者の心情はわからないが、作者と句が寄り添いながら共同で俳句を作っているのではないか。少なくとも作者だけで作る感覚ではなく、句と対話しながら、おぼろげな輪郭が徐々にはっきりして出来上がるのではないか、作者は作句を生きがいにしているようだ。誰もが絶えず、するかしないかで迷っているが、することによって人は対象が導いてくれるようだ。することは、対象と人との共同作業である。

大往生

 今日は金曜日の夕方、いつものように書斎から空を眺めている。昼間はかなり暑かったが朝夕は少し涼しくなって、どこか安らぎのある時間になった。先週はお盆休みだったのでほとんど仕事はなかったが、今週は少しずつ用事が入ってくる。用事と言っても仕事の部分と私的な部分があって、今週は特定健康診断やがん検診や床屋などの私的な用事と、オンライン研究会や対面でのイベントの仕事が混じって、1週間が過ぎ去っていった。月並みだが月日が経つのは早く、明日から休日になる。猛暑と呼ばれた暑さもかすかにやわらぎ、公園などで蝉時雨の声を聞くと、もうじき夏も終わるのかと感慨深く思ったりする。

 先週も今週もニュースを見ると、いろんなことが起きている。千葉県では予想もしない大水害で、車の立ち往生や車に閉じ込められて亡くなった人もいた。まさかこんな事態になるとは、誰も予想できなかった。私ごとながら、何事もなく週末を迎えていることはありがたいと思うしかない。先ほどオンラインの研究会が終わり、もうブログを書く時間なのかと思って、1週間を振り返る。先ほど書いた通り平凡な日々が過ぎていき、公開日記に書くほどの内容はなく、時の流れに身を任せている。そしてそれが今の自分の境遇に合っているとも思える。

 新聞を見たら、岸恵子さんが93歳で老衰のため亡くなられた、という記事があった。この大女優の映画を見たことはないが、岸恵子自伝の本を読んだことがあるので、あの著名な女優がと感慨深かった。新聞を読むと「私は人生の勝ち組ではない。私は何年も何年も負けて、学び取ってきた。それで強い女になれた」と心境を語ったという。自伝を読むと、こんなにも努力する知的な女性がいたとは信じられなかった。頑張って頑張り抜いた人であった。女優でありそしてジャーナリストであったことは、最後まで走り続けたに違いない。しかし悔しくて悔しくて、どうにもならない壁を乗り越えて、これまで生きてきたと書いてあった。旅行中に地政学の本を読んだせいか、彼女の言葉がよくわかった。日本は海に囲まれているから外敵とは距離があり、日本人は以心伝心で伝わる社会である。しかしヨーロッパ大陸のように国と国が隣合っていれば、強くなければすぐに征服されてしまう。日本からパリに渡って生活をし仕事をし生きていくためには、強い女になるしかなかったのだろう。

 日本のメンタリティーで生活しても仕事をしても、ヨーロッパ大陸では負けて負けて負け続けたに違いない。そして勝つ方法を身につけた。特にジャーナリストとして国際的な仕事をされたので、その生き様は厳しくそして挫折も味わったであろう。しかも見事にそれを乗り越えて、今日まで活躍し続けてきたことは、まるで奇跡の人である。自伝の中で、孫と一緒に撮った写真があった。生まれて数ヶ月の赤ちゃんと一緒に居るのが、ただただ嬉しく幸せだったと書いていたが、そこでは平凡な「ばあば」であった。どんな人も孫に出会うと、全ての憂いや厳しさ、苦しさなどが流れ去ってしまうようだ。特に異国の地で強い女として生きてきた人には、この上ない安らぎだったろうと思う。

 そしてパリから離れ、40年以上を経て故郷の横浜に帰ってきて、優れた仕事もしながら残りの人生を生き抜いた。93歳で老衰による生涯は大往生である。大満足であろうと思っていたが、本人は「勝ち組ではなく、負けて負けて」と語っている。たぶんそれは本音であろう。外野から見ると本音はわからない。離婚する時も、自分の悔しさを歌詞にして、おどけて歌ったと書いてあったが、本当に苦労をされたのだろうと思う。しかし世間は、彼女の生き方を大絶賛している。凡人には真似のできない生き方であり、そして波乱万丈の生を全うされた。

 文脈は逸れるが、新聞に「「4番じゃ徳島行は」少女らが楽しそうです田舎の駅で」(楠井花乃)の句があった。小学生か中学生かわからないが、無邪気に少女らが電車に乗って出かけるのを楽しみにしている。同じ町の友達だろう。そこにはヨーロッパ大陸とは違う、安らぎがある。この短歌を読むと、そこに住む人の優しくお互いに気遣う息吹きを感じる。それは田舎の駅と徳島弁のもつ柔らかさであり、日本の故郷の香りがする。岸恵子さんは、最後の舞台は故郷の横浜であった。たぶんそこでは強い女である必要はなく、身も心も故郷の優しさに包まれて、楽しい仕事ができたのではないだろうか。先週のお盆の時期、我が家にも娘夫婦と息子夫婦がやってきて、お昼を一緒にとって近況を話し合った。家族や実家とはそういうものだろう。それだけで老夫婦は満足なのだ。岸恵子さんも満足されて、大往生だったのだと思う。

 

 

線路

 今は金曜日の夕方、いつものように書斎の窓から外を見ると、曇り空のような晴れのような妙な天気である。最近の天気予報は当たらないようで、午後はずっと小雨の予報だったが、日差しの強い夏の天気そのものだった。天気予報も確率だから、正確さを期待するのは難しいかもしれない。テレビなどでは、コンピューターシミュレーションによってかなり先まで予想しているが、コンピューターといえども気象に関わる変数は膨大で複雑な地球を対象にしているので、難しいだろう。それにしても昨夜の千葉県の被害などは予想外のことであった。車がまるで川を走っているようで、車が壊れるだろうと他人事ながら心配になった。

 ちょうどお盆の時期なので、成田空港に帰国した人も、電車が不通になってしまったので空港に寝泊まりだという。せっかくの海外旅行が台無しで、多分「今年はついてない」などと呟いているかもしれない。千葉県の飲食店などは、大水が店内に流れ込んできて、食料品などをすべて破棄するしかないという。今週はお盆の休暇である。せっかくの休暇なのに、千葉県も都内も電車が動かなくなって、バスに乗ったらバスも大水で動けなくなった。タクシー乗り場でタクシーを待っていても全く見通しが立たず、「もう6時間も待っています」と乗客は答えた。この世の中は、どうしてこのように無理難題が出てくるのだろうか。神や仏と言えども答えに窮するだろう。

 今日は久しぶりにスポーツジムに行って、先ほど帰宅したばかりで、先週の日曜日から昨日までスポーツジムは保守期間で休館であった。丸5日間体を動かすことがほぼなかった。今週はずっと雨降りだったので外にも出られず、近所の買い物レベルの運動では、ストレスを発散できず、おかげで体重が増えたようで気が重くなった。内科の主治医からは、「暑いからなるべく水を飲みなさい」と言われ、それが原因ではないと思うが、水で体重が増えたかもしれないと、およそ科学的ではない推論をした。仕方がない、この5日間はこれまで後回しにしてきた仕事をしようと決めた。しかし悲しいかな、年をとると根気が続かなくなる、資料を探している内に時間が経ってしまう、気持ちばかり焦り、生産性がかなり低くなっている。そうか俺も歳なのかと嘆息した。

 家内に言うと、「当たり前ではないか」と一笑に付された。その通りである。人は不思議なもので、いつまでも変わらないと思い込んでいるようだ。昨日は8月13日だったので、天にいる両親が道に迷わないように、迎え火を玄関で焚いた。親父は自分の歳の時はどうだったのだろうか、と思い出しても、鮮明には思い出せない。年老いて認知症になった頃の姿は思い出せるのだが、まだそこまで年老いてない時の姿はあまり記憶にない。今日は久しぶりにスポーツジムに行った。すると自分は今までと変わらないと思うようになる。それが突然に病気になったり転んだりすれば、つまり急激な変化によって自分の歳を感じるのだろうと思う。そうでなければ人はいつまでも同じだと思い込むのではないか。

 お盆の休みは里帰りか旅行に行くか、楽しい休暇が過ごせると人は思う。毎日の生活の延長で考えればその通りだが、突然の大雨が降って、まさか成田空港で一夜を過ごすとか、タクシー乗り場で数時間も待っても見通しが立たないとか、子供であれば、毎日小雨が降って遊びに行けないとか、人は予想外のことに出会う。それまでは何の悪いことは起きないと信じている。予測できないことは、自分の都合の良いことが続くとしか考えないからである。しかしそれでよいのだ。人は変化に出会って、初めて自分の立場を知ることになる。私も同じである。自分の都合の悪いことは考えたくないし、良いことしかイメージしていない。自分も体力も能力も気力も衰えているに違いない。それでもあまり意識することなく、今の仕事に取り組んでいる。それは何かと聞かれても答えない。私は、その仕事の良いイメージしか考えていないから、他人に言えば家内と同じく一笑に付される。

 新聞に「どこまでも続くと思いたいけれど線路は終わる終着駅で」(小杉なんぎん)の句があった。その通りなので何も補足することはないが、淋しさはあるがどこかおかしさがある。終着駅に向かって人は歩いていくのだが、あっちへ行ったりこっちへ行ったり右往左往して、老人と呼ばれる年齢になって、終着駅はもうじきだと思ってほっと一息つくこともあるだろう。それまではどこの終着駅かも知らず歩いていくのだ。それまでは、他人から見ればつまらぬように見えても、本人は意外と一生懸命歩いているのだ。本人は今のままずっと変わらないと思っているので、「線路は続くよいつまでも」の歌詞を信じている。人はこの歌詞のように生きるが、その先どうなるかは天のみぞ知る。