新しい出来事

 今は金曜日の夕方、5月1日である。特に日にちを書いたのは、5月のゴールデンウィークが始まる思いがあるからである。とは言っても金曜日なので、学校は平日の時間割と変わらない。昨日まで学校訪問やら会議などで外に出ていた関係で、今日からようやく連休なのかという思いがある。小中学校は一般企業と違って、ゴールデンウィークといっても、当然ながら平日は休校にはならない。だから今週も3日間、学校訪問をした。市内の学校暦はよく似ていて、学校行事や対外試合や保護者懇談会などは、ほぼ同じ時期に実施するので、訪問する日程は限られている。平均すれば1ヶ月間のうち 3週間ぐらいで、4月は特に2週間くらいで訪問しなければならない。そんなことで今週も来週も学校訪問はある。

 先週の日曜日、つまり5日前に新しいパソコンを買った。4月になったらどうしても買おうと決心していた。いくつか理由があるが、珍しくオンラインでの注文ではなく、電気量販店に行って、実際に手に取って選んだ。キーボードの指の感覚、画面の見やすさ、そして何よりも軽量、バッテリーの寿命などを考えると、店員さんのいる店で買いたかった。自分の年齢では、出かけた時に軽量でなければ肩がこる。バッテリーの寿命が短いとどうにもならない。もちろんメモリーなどのスペックは当然だが、オンラインの数字だけでは、どうしてもピンと来なかったから出かけたのである。

 しかし今は、まるで気持ちが若返ったように、新しいパソコンに、少しオーバーだが夢中になっている。ただ困ったことが起きた。古いパソコンの処理である。ブログで書くのは気恥ずかしいが、自宅に、自分だけで使うパソコンが8台ある。そこで3台だけ残して、5台を全て処理することにした。Let’s noteを廃棄するのは忍びないが、すべて初期化して廃棄する準備をした。新しいパソコンのアプリの設定などは、時間がかかった。特にOffice2024がインストールされているが、Wordのテンプレートが異なっていて、自分が馴染んでいる設定をするまで、時間がかかった。しかし現金なもので、新しいパソコンは、色といい指触りといい、自分が若返ったような気持ちがした。

 ふと、ある芸術系の大学の研究発表を思い出した。この大学は高校卒業してすぐ入学する学生は少なく、退職した後入学するシニアの学生が多いのだ。シニアの学生は久しぶりに大学で勉強できる嬉しさなのか、クラスメイトはよく話し合っていた。ある教員がその様子を観察して、若い頃のエピソードなど各自の物語をお互いに話し合う時間を設定した。学生たちは夢中になった。その後で芸術作品を制作した。その作品を教員が評価した。それは作品に含まれる創造性を指標とするもので、創造性尺度を用いて数量的な評価を実施した。その結果驚くべき変化を見出した。それは若い頃のエピソードを話し合った後では、統計的に有意な高い創造性を示したのである。これをノスタルジア研究として学会で発表した。自分はこの研究を聞いて面白いと共感した。

 若い頃の冒険談や失敗談や恋愛や失恋などを、お互いに赤裸々に話し合い、手を叩いて喜び合ったり、自分ごとのように心配したり、共感したりした。たぶんそれは、脳内にドーパミンなどのホルモンが分泌されたに違いない。自分にもこんな時代があったのか、それがシニア学生の気持ちを変えた。それが作品の中に現れたのであろう。この研究を思い出して、自分が新しいパソコンに夢中になるのは、ノスタルジア研究と似ていると思った。脳が若返ったような気がするからである。しかしここからが難しいところで、アプリの設定で時間がかかった。自分のものになるまで試行錯誤するのだ。そして馴染んできて、自分の仕事ができるようになる頃、また別の新しいバージョンが出てくるのである。

 文脈は離れるが新聞に、「なごり雪やがて小雨に自らを跡形もなく消し去るために」(池田典恵)の句があった。そうなのか、冬が過ぎて春が来るということは、その季節に適応するために、古い自分自身を消し去ることなのか。アプリは次々と新しいバージョンが開発されて、消費者は慣れ親しんだ古いバージョンを捨てるのか。そして慣れ親しんだ頃には、また新しいバージョンが生まれてくるのか。そうかもしれない。新しい世界が生まれなければ、そこで止まってしまう。パソコンに限らず、次々と新しい出来事がやってきて、喜んだり悲しんだりするが、新しい出来事が来なければ、なんの感情の変化もないだろう。思えば時間とは、新しいことの軌跡なのかもしれない。新しい出来事が来なければ、時間は止まる。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21名誉会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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