夏の盛り

 今は、8月8日土曜日の午前中である。当然ながらこの変則的な時間にブログを書くのは理由がある。今週はまさに夏真っ只中で、月曜日は都内でセミナーがあり、火曜日から木曜日まで老夫婦で旅行に行った。旅行会社のツアーに申し込んで予定通り出かけたのだが、何しろ行き先が大分県と熊本県だったので、地震でキャンセルになるかと思っていたら決行になった。昨日金曜日は、都内でセミナーがあり参加した。そして講演と挨拶をして夜帰宅した。一週間が密度濃く過ぎ去っていき、今は夏の盛りを生きているのだ、となぜかそんな気持ちがした。ぐっすりと休んで、ようやく一息ついた。家内は体調が万全ではなかったが、ツアーに参加できた。自分たちの方でキャンセルすることもできたが、今思うと参加して良かった。翌日セミナーがあったので少し躊躇する気持ちもあったが、可能性があるなら実行する方が良いと実感している。

 月曜日のセミナーでは、学ぶことが多かった。年をとってからは、自分がプレゼンすることもさることながら、優れた講演を聞くことは楽しい。ただ自分の頭にすっと入ってくる場合と、どうしても馴染まないような話もある。その時はなぜだろうかと考え込んで、さらに理解できない場合もあって損したような気持ちになる。旅行では飛行機やバスなどに乗っている時間が長いので、本を二冊ほど持って読むことにしている。今回は地政学の本を持って、ほぼ読み切れた。切れ味の良い語り口のような文章と、その背景に横たわる理論的な内容が頭の中にスッと入ってきた。もちろん以前に1/3ぐらい読んでいたのだが、旅行で何かみやげ物をもらったような気持になった。教育に長く関わってそれなりに理解していると思っていたが、ある分野の教育学者の話はどうしても入ってこない。しかし省庁系の講演や、地政学のような多少自然科学系が含まれているような文章には納得しやすいのである。

 金曜日のセミナーでは、私も話をしたり挨拶もしたりしたが、矛盾するようだが、教育に関わる話もしくは教育実践に見られる背景的な考え方の話をしている。当然ながら教育理論や技術的な話はせず、自分の頭の中は学校で展開される日々の活動が分散されており、そこには自分にとってハッと気づくような場面があり、それを中心に話をしている。ただいつも思うのだが、それは自分の自己満足の気づきであり、一般化されていないように思われる。ある分野の教育学者の話は、実は自分の知らない本質的な話をしているかもしれない。これは説明するには難しいのだが、根本的な意味で、自分はどこか教育の見方・考え方が一部欠落しているのではないかと思うことがある。

 二つのセミナーと旅行で読んだ地政学の本を総合して、振り返ってみた。講演者も地政学の著者も、実は人間とは何かを追求したかったのか、あるいはどう生きていけばよいのか、子供にどう接していけばよいのか、と模索していたのではないかと思った。地政学はまさに地理を中心にして、政治や国同士の駆け引きや戦争などについて理論展開しているのだが、まことに見事だと敬服するしかない。しかし戦国時代を見れば、領土をめぐって駆け引きをし戦争をしていることを思えば、それは地理に深く関係している。領土とは地理だからである。国といえども読んでいると、まるで人間の生き様のような感じがした。人は、どう生きればよいのかという示唆を与えてくれた。省庁の役人も教育学者も教育実践家も教育関連の企業人も、学びとは何か、大人も含めてどう生きればよいのかという語りに聞こえた。

 そして今感じていることは、もっと日本という国を大切にしたいということである。私自身が日本人であること、日本の環境で育ったことはまぎれもない事実であり、地政学のように、その環境から自分の生き方も考え方も影響を受けているはずである。それは自分を知ることであり、自分を大切にすることにもつながる。あー日本に生まれて良かったと、今自分は思う。自己を否定する必要はないのだ。文脈はそれるが、新聞に「入学式に七重八重とふ双子姉妹の美(は)しき名ありし戦後四年目」(山本喜太郎)の句があった。戦後まもなくの時代には、日本人の感覚が色濃く残っていて、我が子にも美しい名前をつけたいと親は思ったのだろう。七重八重は美しい花を連想し、まっすぐにそして微笑みたくなるような大人に育ってほしいと願ったのだろう。老夫婦の我々も同じ気持ちである。世に出れば厳しいこともあるかもしれないが、まっすぐな生き方をしていると思ってもらうような人になってもらいたいと願っている。明日は墓参りに行って、両親に近況を報告する。

有ること

 今は金曜日の夕方、いつものように2階の書斎の窓から南空を眺めている。連日の猛暑で昼間はうだるような暑さであったが、今は落ち着いたようである。ただ、断定できないのはエアコンの効いた書斎にいるからである。一方、昼間に用事があって外に出た時は、帽子なしでは歩けなかった。小さな用事といっても往復で20分ほどかかったので、帰宅した時は汗びっしょりだった。しかし、どこか汗をかくと気持ちが良い。暑い暑いと言いながら、一方で暑さを受け入れる自分がいる。誰でも似たような感覚を持っているのではないだろうか。

 先ほどオンラインの研究打ち合わせが終わって、その後に小さな用事があって徒歩で出かけた。帰宅して、気になっている資料の分析をしてようやく整理できたので、学校の夏休みの宿題の一部が終わったような開放感がある。ブログを書く時間になって、さて1週間印象に残っていることは、と振り返ってみたが、オンラインでの打ち合わせ、対面での会議、仕事や研究の継続、朝の小さな庭の草取りなど、一般公開して語るほどの物語はない。気になることといえば、熊本の大地震である。火曜日の確か午後4時半ぐらいに発生したと、携帯から通報があった。その1時間ぐらい前に、オンラインでの打ち合わせが終わったばかりであった。この打ち合せは、ある県の偏差値がトップの高校の生徒からのインタビューであった。今高校では探究が必修になっており、この生徒は研究遂行のために私の著書を読んだらしい。そして理解を深めるためにオンラインでの取材になったのである。

 高校生の取材という珍しい出来事と、そのすぐ後の熊本大地震、のニュースが脳の中で結び付いてセットになって、脳に記憶されている。若い高校生のはつらつとした取材で夢のある研究を応援したい一方で、10年前にも起きた同じ熊本で大地震が起きたとは、自分ではどうにもならないもどかしさが残った。今日の昼間のニュースでも、水・電気・ガスなどのライフラインがまだ復旧してないという。車の中での生活を余儀なくされているという人たちもいる。しかもこの暑さである。照りつける太陽で灼熱の建物で、エアコンなしでどのようにして生活をするのだろうか。自然のなせることは愚痴を言っても始まらないが、天には情がないらしい。ニュースでは、フランスやスペインなどで山火事で多くの人が避難しているという。世界の大戦争もまだ続いている。この先地球はどうなるのか、日本はどうなるのか、この暑さだけでなく台風が来れば大水害になり、人間の非力さを感じる。

 現代社会だから、まだそれでも自衛隊が応援したり、国も自治体も支援している。これが江戸時代やそれ以前の昔であれば、世の無常を嘆き、この世の地獄と思って、あの世の極楽に行けるように、念仏を唱えていたのかもしれない。歴史で末法思想の言葉を聞いたことがあるが、現代で言えばVUCAの時代であろう。文字通り先行き不透明な時代を実感する。本当に孫の時代にはどうなるのか、年金はきちんともらえるのか、などと意味のない老婆心が起きて不安になる。仏教は無を出発点としている。無とはたぶん執着心を捨てることだろう。生まれてきた時は裸だから、すべてを捨てても元に戻るだけだと考えれば、それは一つの生き方かもしれない。しかし凡人にはそれは難しい。デカルトは、我思うゆえに我あり、と言った。西洋哲学は有から出発している。自分には、こちらの方が納得しやすい。熊本の方には申し訳ないが、それでも救援隊が来て食料などの給付がある、家は壊れたとしても避難所はある、我が家の水が出なくなったとしても給水車がきて水はある、まだ命がある、これから先も生きたいという願いもある、有ることを出発点とした方が、人は生きる勇気をもらえるのではないか。

 文脈はそれるが新聞に「真夏日と聞いて安堵の日本かな」(野々村澄夫)の句があった。この句は実感としてよくわかる。夏日は25度以上、真夏日は30度以上、猛暑日は35度以上、酷暑日は40度以上と、最高温度で気象庁が定義しているらしい。なるほど30度以上なら許せるかという気持ちになる。猛暑日や酷暑日に比べれば、まあよいではないか、とほとんどの人は思う。これも有りの思想だろう。そして自分もこの1週間を振り返ってみた。年をとってもまだやることがある。昨日は市役所の会議室でいじめ問題対策委員会があった、水曜日の夕方のオンラインセミナーも楽しかった、高校生の取材で元気をもらった、何を不足だと思うことがあるだろうか。無いことを探せばいくらでも出てくるだろう。そんなことは意味がない。年齢やらいろいろな障害やら病気やら考えるだけ無駄である。自分には、住む家もあり、寝る布団もあり、お風呂にも入れ、夕食もいただける。有ることが身の回りにいっぱいあるのだ。それで充分である。

山崎さんの本

 今は金曜日の夕方少し前の時刻であるが、書斎の窓から見る空は白い雲が浮かび、ぽつりぽつりと小雨が降っている。もっと降れば涼しいのにと思いながら、天からの贈り物に感謝している。テレビの番組では、連日のように40度越えの猛暑の地域を報道している。今の時間は、この恵みの雨に手を触れて、その心地よさを実感したいのだが、降ったり止んだりの頼りない小雨なので、窓に残っている雨つぶの痕跡を眺めている。先ほど玄関に出て手で確かめたが、確かに少量ながらも天からの水滴である。こうなると、この雨つぶもどこか愛おしいが、窓から見る空模様では、雨はもう期待できそうもない。

 この1週間を振り返ってみた。印象に残ったことは、山崎エマさんの著書である。山崎エマさんは米アカデミー賞ノミネート監督としてよく知られ、いわゆる著名人である。私が彼女の存在を知ったのは、NHKの番組でエマさんをドキュメンタリー映画監督として紹介していたからである。制作した映画のタイトルが「小学校」であり、しかも日本の小学校である。この番組を見るまで、恥ずかしながら山崎エマさんの名前を知らなかった。詳しくは憶えていないのだが、日本の小学校のありのままの姿をドキュメンタリー映画として制作し、それが世界中の映画館で上映されて大きな評価を得たと言われている。私はこの「小学校」というタイトルに惹かれた。日本の小学校がドキュメンタリーとして上映され、かつそれが世界の人々に絶賛されたとは、どういう意味なのだろうか知りたいと思った。

 隔週毎の頻度で、私は水曜日の夕方にオンラインのイベントを主催している。といっても私はホストで司会役なのだが、ふと山崎エマさんをゲストとして迎えたいと思った。この水曜日のイベントには、私を含め4人のスタッフが担当しているが、その打ち合わせで彼女を推薦した。まさか引き受けてくれないだろうと思っていたので、交渉担当から了解の返事をいただいたときは驚いた。来週の水曜日の夕方にイベントが予定されている。山崎さんから送られてきたタイトルは「それでも息子を日本の小学校に通わせたい」であった。それは彼女の著書であると書かれていた。これは読んでおかないとイベントで私が恥をかくと思って、注文した。そして昨日読み終えた。それは彼女の自分史と言ってもよい内容で、久しぶりに心が揺すぶられた。

 山崎エマさんは、家庭環境にも才能にもそして幸運にも恵まれて、世界に知られるようなドキュメンタリー監督になった。しかし、真実は厳しい葛藤の世界があることを知った。日本文化とイギリス文化とアメリカ文化のはざまで、自分探しを続けた。アメリカ社会で、映像系の仕事で地位を獲得することは、才能だけではないことを知った。努力に努力を重ね、明日の生活費に不自由しても、自分がやりたいことは決してあきらめない決意がなければ、厳しいニューヨークで生き延びることはできないのだ。それを彼女は、イチロー選手の本に学んだという。アメリカンドリームは一握りの努力家だけが手にするものらしい。

 しかしほとんどの人は平凡な道を進み、一部の選ばれた人だけが栄光を手にする。その裏に、並々ならぬ努力と強い精神力と恵まれた才能が隠されている。そのことは誰でも知っているが、どこかでラッキーだったのではないかと、凡人は思う。自分もそのラッキーにあやかりたいなどと思うが、この本を読んで真実はそうではないことを知った。努力と不退転の決意とまっすぐな精神力で、栄光を勝ち取ったのだ。それは山崎エマさんだけに限らない。それなりに名を挙げた人は全て同じだろう。文脈は逸れるが、新聞に「びびること何ひとつなし長嶋の大空振りを思えば平気」(神郡一成)の句があった。言うまでもなく不世出の長嶋選手は、空振りさえも世間から愛された。それは彼が全力を尽くしてバットを振っているからである。その空振りの姿が見る人の心に飛び込んでくるのだ。あのように全力で生きたいという気持ちが湧いてくる。

 山崎エマさんも、全力で映画作りに取り組んで世の評価を得た。その作品は、努力に努力を重ね、丹精を込めて咲かせた花である。山崎さんのメッセージがその花に込められて、見る人の心に入ってくる。それは長嶋選手の全力でバットを振り切る姿と同じで、その姿を見る観客は、そこから言葉にならない感動を得て、自分の生きる力の糧にするのだ。私も同じである。「もう年だから、そろそろゆっくりして、なるべく表に出ないようにして、面倒なことはやめよう、誰かがやってくれるから」などという言葉はもう止めよう。全力とは、今持っている自分の力を出すことだから、昔のようにできないことはわかっている。そうではなくて力を出し惜しみすることは、全力ではない。当然ながら、人から評価されたいとか褒められたいということではなく、その方が楽しいからだ。仕事や研究や作品作りに年齢など関係無いのだ。また一つ私は山崎さんの本から教えてもらった。

 

受け入れる

 今は金曜日の夕方、より少し早い時刻である。天気予報とは違って、曇り空で小雨は降っているが、傘も必要ないような天気である。猛暑のような高温でもなく、ジトジトした妙な天候だが、いつものように2階の書斎から空を眺めている。先ほどスポーツジムから帰って来たばかりで、1階の居間で老夫婦が今年初めてのスイカを食べた。「夏だなあ」と話しながら、汗をかいた後の果汁の味はまた格別である。町内会の回覧板が回ってきて、そこに盆踊りのお知らせがあった。我が家からすぐ近くに弘法大師のお堂があり、銀杏の木に囲まれ、カモが住んでいる小川とスーパーマーケットに両側を挟まれている小さな広場がある。例年ここが盆踊りの会場である。

 今日金曜日はどの学校も終業式で、明日からの3連休から夏休みが始まる。嬉しそうな子供の笑顔が見えるようだ。私は昨年からフリーランスになって、正式に所属する職場はない。いくつかの団体の役員はやっているが、自分の身分を証明するような役職ではなく、名誉職に過ぎない。気持ち的にも時間的にも自分が労力をかけているのは、市内の学校訪問である。市の教育センターのアドバイザーと呼んでもよいが、職員ではない。1学期最後の学校訪問が、今週の火曜日だった。これからの夏休み期間には、いくつかのイベント等に参加もするが、時間的にはかなり暇になる。ホッとするような寂しいような夏休みだが、それも良かろう。

 火曜日に訪問した学校で、私が授業参観をしていると、一人の先生らしき人が教室に入ってきた。なぜその先生が入ってきたのか、そもそも先生なのか職員なのか、この学校外の人なのか補助員なのか、何も分からず授業を参観していると、私に何度か笑顔で頭を下げていた。意味がわからないが、私も何度も授業中にお辞儀をした。授業が終わった後、廊下に出たら「先生、本当にありがとうございました」と言われた。私も「いいえ、とんでもない。私もお世話になりました」と相づちを打った。その後、校長室で教頭先生と打ち合わせをした。「あの先生は、どのような方でしょうか」と聞いたら、「4月の授業で、私が参観した先生です」と言われた。「あの先生は、私に何か言いたいことがあったのでしょうか」と聞いたら、「あの先生は本校に転任間近で、いろいろな諸事情があって少し落ち込んでおられました。4月の授業で自分の授業を、と自ら名乗り出られて、私の参観を希望されました。そして私が書いて送ったコメントを読んで、どこか吹っ切れたような、少し自分に自信を取り戻したような様子に見えました。彼はそれから変わったのです。だから先生にお礼を言いたかったのだろうと思います」と言われた。

 それを聞いて、私の方が驚いた。自分は小中学校の授業に対して、コメントを書けるほどの力は全くない。だからこうした方が授業が良くなるという改善案は、一切書いていない。書いていないのではなく、書けないのだ。経験がないことを書くのは、欺瞞である。だから私は、授業をありのまま見てそのまま受け入れている。自分が知らない世界を教えてもらっている。ありのままを受け入れると、どこか見えてくることがある。この先生の言いたかったこと、生徒に伝えたかったこと、教材のここが本質だと考えていること、先生の生徒想いの愛情などを感じるのである。それをコメントに書いて添付ファイルで送っている。だからそれは授業改善でも指導でもなく、私の感想に過ぎない。授業を参観した一コマごとに、これまで蓄積してきた経験知や研究知見などが呼び起こされて、つながって見えることがある。だから私の方こそ教えてもらっているのである。

 「これは謙遜でもなんでもなく、もう少し改善提案などできればよいのだが」と言い、「私の劣等感です」とも言っている。長い間自分は何をしてきたのだろうかなどと、悔やんだり後悔したりして落ち込んだ。時々自分の同僚や弟子などに、なにげなく言うこともあったが、誰も、謙遜か、他人へのリップサービスか、本心ではないだろうと思っていたようだ。しかし昨年からフリーランスになって、悔やむことも反省することも要らないと思えるようになった。長い間、家内から「あなたは反省病だ」と何度も言われていた。フリーランスとは自由業であり、組織に縛られることは何もない。自分は自由の身なのだと、まるで刑務所から出てきたようなことを自分自身に言うこともあったが、今ではありのままでよいと思える。小中学校の授業を参観して、自分は素人だから、ありのままを受け入れていたが、それが今思えば良かったのかもしれない。自分の書いた感想が一人の教師に自信を持たせたとすれば、こんなに嬉しいことはない。それはその先生と私が共感しているとも言える。その先生は「そうそう、自分はこう思っていたのだ。ここを生徒に伝えたかったのだ」と、私に訴えたかったとしたら、私がそれを受け取って「その通りだ。自分はそこはこう思う」と書いたことで、よく分かってくれたという安心感が生まれたのではないだろうか。

 文脈は逸れるが、新聞に「消しゴムの消しあと黒し梅雨に入る」(塚本文武) の句があった。梅雨の季節になると、湿気が多いせいか消しゴムで消してもきれいには消えず、黒くなってしまうという句なのだが、消しゴムで消す必要もないではないかと私は思ったりする。ありのままの自分だとすれば、消す必要も修正する必要もない。かつて算数や数学の計算で、消しゴムを使うなという指導があったと聞いている。間違っていれば、そこに二重線を引いて追加すればよい、という考えであった。消せば残らないが、消さなければその時の思考過程が見えるからだという理由である。どちらがよいかは分からないが、反省病であった自分が今思うことは、その時はその時で良かったのだ、むしろ最善であったのだ、何も修正したり反省したりすることもない、ありのままを受け入れれば良いということである。過去にもこれからも、自分の思い通りにならないことが必ず起きる。その時には、ありのまま受け入れようと今は思っている。

子ガモ

 今は木曜日の夕方、ではなく、正確には夕方前の真昼である。金曜日ではなく木曜日、そして夕方ではなく真昼にブログを書くのは、当然ながら理由がある。明日金曜日の午後は、都内に出かけなければならない。珍しく取材が入って夕方には間に合わない。対面での取材はどこかときめき感があって、浮き立っている自分に気づいて、「この年で」と苦笑する。それでいいのだ、仕事が来るだけ、オファーがあるだけで、フリーランスはありがたいと思う。今日の夕方は私的な用事なので大した内容ではない。いつものように南側の窓から外を見れば、入道雲ではないが、真夏を連想させる青空に少しばかりの白い雲が浮かんでいる。もう夏なのかと嘆息するほどの青空である。

 先ほど地元の学校の役員会議があって、帰ってきたばかりである。歩いて行ける距離なので大したことはないと思っていたが、帰宅した時はもう汗びっしょりで、家内の作ってくれた梅ジュースが角氷の冷たさと一緒になって、喉を通って、ようやく一息つけた。書斎で、さて1週間を振り返って何があったかと思い出すと、一昨日のテレビ番組が浮かんできた。民放の番組で、カモの引っ越しのドキュメンタリーだった。1キロばかり離れた神社に、親ガモ1羽と子ガモ11羽が移動するだけの映像なのだが、なぜか1時間釘付けになった。自然そのものの光景で、人工的な作為は何もなかった。しかしそこに物語が隠されていた。

 11羽のうち1羽だけ1日後に生まれたので体力もなく、子ガモ10羽の後に距離を置いてついて行くのである。親ガモが移動する途中に壁があって、子ガモはその壁に飛びついてなんとか上の場所に移ろうとするが、壁が高いと何度やっても失敗する。親ガモはじっとそれを見ている。やがて11羽のうち数羽が飛び越えると、他の子ガモもそれが合図であるかのように、飛び越えていった。しかし11番目の子ガモだけは、何回挑戦しても無理だった。それでもようやく飛び越えることができた。生まれた時のハンデがあるので体力が弱く、他の子ガモより倍以上の努力が必要だった。

 しかし壁は何度も続いた。最大の難関はカラスであった。数羽のカラスが子ガモを狙って、電線の上に留まっていた。子ガモが食べられてしまう、なんとかできないのか、と視聴者の自分もテレビの出演者もそう思った。映像の中に、近所の人たちがカモの引っ越しを見守っていた。カモに直接手を触れたり手助けすることはできないのだが、数羽のカラスが狙っている時だけは、いてもたってもおられず、カラスに向かってまるで太鼓を叩くように音を出したり、中にはCDを自宅から持ってきて、太陽の反射光をカラスの方向に向けて動かした。それが功を奏したのか、数羽のカラスはやがて逃げていった。やれやれこれで一安心と、視聴者の自分もそしてスタジオにいる出演者も口々につぶやいた。これはもう何としてでも無事に目的地まで辿り着いてもらわなければ、それを確認するまでは、この映像から離れることはできない。心配なのは11番目の子ガモである。相変わらずよたよたしながらなんとかついていった。

 親ガモと10羽の子ガモが引っ越し先である神社の池に辿り着いた時、ホッとため息が出たが、11番目の子ガモはどうなっているのだと気になって仕方がない。出演者も同じ気持ちのようだった。記憶は曖昧だが30分くらい遅れたが、無事に池に飛び込んだ。出演者が、ああ疲れた、とつぶやいた。本音だろうと思う。私もまったく同感だった。11番目の子ガモが道に迷って辿り着けなかったら、この世に神も仏もあるものか、と思うに違いない。これは自然そのものの姿であり、人工的に作ったものではない。自然はなんという素晴らしい物語を演出するのか。最後になって視聴者も出演者もみんな喜びで満たされた。

 話は変わるが、テレビ番組を見た日の午前に小学校を訪問した。1年生の国語の時間だった。外国籍の子供が体験入学で後ろの席に座っていた。隣同士で話をしようという課題だったが、ひと言も日本語が喋れないのに話せる訳ないではないか、と思っていたら、先生がやってきて個別に対応していた。しかしそれにも限界がある。所在なく辺りを見回して、後ろで参観している自分と目が合った。自分がニコッと笑ったら、その子供も笑った。どう手助けしていいかわからないが、何もできないのだ。やがて授業の途中で、じゃんけんをする場面があった。その時、子供は見事としか言いようがないほど素晴らしいじゃんけんをしたのだ。言葉は話せない分だけ、じゃんけんができることに喜びを感じたのだろう。授業が終わって帰る時、自分と握手をした。嬉しそうな笑顔が忘れられない。この子供は11番目の子ガモなのだ。しかし皆が応援している。心配することはないと言いたかった。

 文脈は逸れるが、新聞に「百人の陽キャといても変われない僕はなんだとイオンを学ぶ」(登ゆう)の句があった。評者は、陽キャは陽キャラの略で、イオンにも陽イオンと陰イオンがあると述べていた。中学なのか高校なのかわからないが、心配しなくてよい、必ず孤独を感じない日がきっとくる。11番目の子ガモがちゃんと神社の池に辿り着いたではないか。そんな孤独な君ならきっとみんなが応援している。

 

 

生きる勇気

 今は7月3日金曜日の午前である。金曜日にブログを書いて1週間を振り返るのはよいのだが、通常は夕方に書いている。この時間にパソコン画面に向かっているのは、午後から私的な用事が入っているからで、いつものように書斎の窓から空を見ている。曇り空であるといっても、どんよりとした灰色ではなく、白色で雲の切れ目はない。梅雨の季節なので、ほぼ毎日このような天候である。少量でも良いので雨が降った方が野菜の育ちはよく、農家も喜ぶだろう。私もたまには小さな菜園の雑草などを取っているが、この時期は伸び方が早い。名も知らぬ雑草やドクダミなどは、放っておくと外から見れば、この家人は手を抜いていることがすぐばれる。しかし曇り空や小雨が降る日は、腰が重くなって眺めるだけである。

 1週間を振り返って気になったことといえば、新聞の掲載記事である。それぞれの時代を精一杯生きて、世に名を挙げた人の生き様の連載であるが、一昨日から柔道家山下氏が登場した。言うまでもなくロスアンゼルスオリンピックの柔道の金メダリストであり、その後も日本オリンピック委員会JOCの会長を長く勤めたと聞いている。ただ自分の脳裏には、オリンピックの決勝戦が強く残っている。この時、山下氏は足の怪我をしたので、少し足を引きずっているような印象があった。この不利な状況の中で、よくぞ優勝できたと感慨深かった。それは私だけでなく、日本中の人々が精一杯の拍手を送った。勝った瞬間、山下氏は両手を上げて、そして涙を流していたと記録している。テレビ画面なのでうろ覚えではあるが、私は深い感銘を受けた。

 その後、山下氏がJOCの会長になったことは知っていたが、山下氏は柔道家としてだけでなく、日本のスポーツ界を背負っていく至宝として尊敬されていたと思う。日本の伝統スポーツである柔道を代表する人物として、誰もが日本人らしい好漢山下氏を応援している。しかし新聞記事には、「逆境を背負い、前へ」のタイトルがついていた。山下氏にも逆境があったのかと思った。新聞記事には、数年前に温泉で突然の病に倒れ、現在もまだ手足が不自由で、車椅子でリハビリを続けていると報道していた。まさかあの山下氏がと思ったが、順風満帆はいつまでも続かないのか、天に情けはないのか、と思った。あの人懐っこい笑顔と、日本中の期待を背負って怪我をしても頑張り抜いた山下氏の人柄は、誰でも好感を持っている。あのような素晴らしい人でも、神は情け容赦はしないのかと思った。

 しかし新聞記事を読んで、さらに山下氏の考え方に共鳴した。「あの時死んでいてもおかしくなかったのに、今生きていることはまだすべき事がある」と語っていた。頑健な身体に鍛え上げただけでなく、精神までも力強く鍛えたのだ。そしてその鍛え方は、鋼のような強さではなく、しなやかな強さなのだ。「柔よく剛を制す」の言葉通り、気負うことなく、不自由な自分の体を支えてくれる人たちに感謝しながら、自分ができる精一杯の努力をしたいと語っていた。山下氏には柔道の真髄がしっかりと根付いているに違いない。その道を極めた人は、どこか達観した人生観を持っているようだ。誰にも幸不幸はやってくる。しかしその受け止め方が大切なのだ。そのことは誰もわかっているが、本音でそう思っているかどうかは別である。それはどこか仏教用語で言えば「悟り」のような気がする。

 新聞に「むきたてのゆで玉子だよと頭撫で治療のりきる娘の笑顔」(梅川さりい)の句があった。がん手術の後の治療薬の後遺症なのだろうか、滅入りたくなるような辛さを乗り越えて、笑顔で母親に話している。本当にこの人は偉いなと思った。自分ならとても真似できないと思いながら、人は誰でもこのようにして、苦しいこともつらいことも乗り越えていくのだと思った時、人間とはどんなことも頑張っていける力を本来的に持っているのではないかと思った。ワールドカップで日本選手がブラジルに負けた時、ある選手は「四年後を目指して鍛えて優勝する、まだまだ自分たちの力量が低かったのだ」と語った。日本を代表するような選手たちは、素晴らしい精神力を持っている。がん治療を受けた娘さんもサッカー選手もそして山下氏も、こうして起きてくる出来事と戦っている。自分も生きる勇気をもらった。

であること

 今は金曜日の昼間なのだが、今日は一日中小雨が降って、今も空はどんよりとした曇り空である。週末である金曜日にブログを書くことにしているが、夕方にオンラインの仕事が入っているので、前倒しで昼間に書くことにした。今はワールドカップのサッカーに日本中が湧いているような雰囲気であるが、私は、午前中に学校訪問があり、昼間は先ほどまで諸々の仕事をして、この時間をブログの時間に当てた。そしてこの1週間を振り返って、気になったことなどを書き残している。

 気になるほどのことはないのだが、家内のスマホがどうにも調子が悪くなった。もう寿命である。ちょうど五年も使ったのだから、すぐに機種変更したいのだが、頭痛の種はアプリの継続である。そのためにはIDパスワードなど、きちんと整理しておかなければならないが、どうも家内の場合はそれが心もとない。私も手伝って、なんとか機種変更してもうまく接続できるように、パスワードのメモなどを私のパソコンにも保存した。そして電気量販店のスマホコーナーに行って、担当者と相談した。家内はYouTubeをよく見ているが、自分はほとんど見ないので五年間経ってもまだ十分使える。私はパソコン派で家内はスマホ派である。たぶん世間でも同じようなものだろう。

 二人で担当者と相談しながらやりとりしたが、はじめはなんとなく高価な機種を売り込みたいような印象を受けた。それはこの担当者だけでなく、スマホの設定などは高齢者にとってはかなり面倒なので、どこか上から目線でビジネスをしているような気がした。高齢者はスマホやパソコンになると自己肯定感が下がって、相手の言うなりになってしまう傾向がある。だからそのイメージが自分にあって、担当者に騙されないように、どこか身構えている自分がいた。家内は、とにかく面倒なことはやめて、早く新しい機種を手に入れたい、新しいカバーを買いたいなどと思っている。多分ほとんどの人はその通りだろう。自分はスマホはあまり好きではないが、パソコンは仕事上多少のことは知っている。だから、少したかをくくっていた。

 専門家とはよく言ったもので、担当者はスマホのプロである。IDとパスワードを知らなければ、家内のアプリをすべて新しい機種にインストールすることはできないのは当然だが、プロにはプロのやり方がある。クラウドを活用するのだが、なるほどと思う場面があった。そこから少し自分の考えが変わった。ふと担当者の上着のポケットを見ると、10本近くのボールペンがひっかけてあった。こんな光景は初めてだったので、思わず「こんなにもボールペンを使うことがあるのですか」と驚いた口調で聞いた。担当者は半分恥ずかしそうに、そして半分嬉しそうに「これが結構便利なのですよ」と答えた。それから私と担当者の間の空気が変わった。量販店を出るときは、「本当に優秀な担当者に出会って良かった」と家内に伝えた。

 最近自分の専門とは程遠い「日本と西洋の思想関連の文献」を読んでいる。抽象的な内容が難しいのだが、自分の研究や仕事上理解しておきたいからなのだが、高校の教科書に出てくる丸山眞男の「であること」と「すること」の単行本を読んでいる。表面は知っていても原文を読んだことはなかったので、面白いといえば面白いが、本質まで理解できているかどうかはわからない。ただその中で、例えば量販店の店員「である」という状態から、私たちはなるべく高く売りたいのではないかという気持ちを抱く。それは「であること」からくるイメージである。しかし実際の手際よい仕事ぶりを見たり話しあってみると、やはりこの人は専門家なのだと自分の考えが変わる。それは「すること」によって変わったのである。少しこじつけ的な解釈だがなるほどと納得した。

 文脈は逸れるが、新聞に「武者人形の前に思ふか逝きし子を小さくなった妻の丸き背」(角田兼勝)の句があった。毎週月曜日に掲載される短歌や俳句を読んでいるが、脈絡もなくこの句が気になった。外見は何事もない普通の生活であったとしても、内面は逝ってしまった我が子への思いが捨てられないのだろう。武者人形を見たときの奥さんの寂しさが、ご主人にも痛いほど伝わってきたのだろう。人は誰でもそんな悲しみや悩みや辛さを持っている。裕福で立派な企業に勤め家族にも健康にも恵まれていたとしても、その「であること」という状態だけからは本当のことはわからない。ふとしたことからその人の本音を聞くこともある。ただ自分は、いろいろなことがあったとしても、雨露を防ぐ家があり、暖かい布団で体を休め、三度の食事ができれば、これ以上は贅沢だと思っている。我が子を亡くした人の悲しみは分からないが、きっと良いこともある、自分が生きていて良かったと思える日が来る、亡くなった子供も喜んでいると思える日がきっとくる。教育の仕事に長い間関わっていると、なぜかそんな気がする。

マイムマイム

 今は金曜日の夕方、いつものように2階の書斎の窓から空を眺めている。まだ空は西日がまぶしく夕方とは思えないほどの明るさで、マンションや近所の家々の屋根が照らされている。そうか、そういえば6月21日の日曜日が夏至だから、昼間のような日差しは当然である。この暑い昼間に、先ほど小さなジョギングをして帰ってきた。何か無性に体を動かしたくなって、ゆっくりとした足取りながら45分間、西の方角に向かって走って戻ってきた。とは言っても年寄りのことなので、気恥ずかしいような走りだが、それでも自分の体に多少の負荷をかけないと、運動をした気にならない。この暑さだと汗をいっぱいかくので冷水が美味しい。そして今書斎でコーヒーを飲んでいる。

 さて今週は何か印象深かったことはあるかと、振り返った。今週は4日間午前中ずっと市内の学校訪問をした。水曜日に、ある中学校に行ったら1限目は体育の時間だった。指導案が用意されていて、フォークダンスの単元と書いてあった。指導主事と教頭と私の3人で授業参観をした。フォークダンスの基礎練習なのだが、初めての参観だった。はじめは5、6人のグループが数珠つなぎになって、先頭のリーダーが手を振ったり足をあげたりしながら歩くのだが、後ろのグループはそれと同じ動作をするのだ。なんだそんなことかと思っていたが、生徒たち全員が嬉しそうに歩いている、いやダンスをしている。言われてみれば、ダンスは全員が同じ動き方をするという当たり前のことに気がついた。そして同じ歩き方ができるだけで、妙に人は嬉しくなるのだ。たぶんそれは同じ動作をすることで、気持ちも共有化され連帯感が生まれるからだろう。

 次が、マイムマイムのフォークダンスの練習だった。自分も中学生の頃習った、あのダンスである。若い中学生が、男子生徒と女子生徒が手をつなぎ合って、円陣を組んでマイムマイムと言いながら踊っていた。昔聞き慣れたあの音楽が体育館に響いた。「マイム、マイム、マイム、マイム、マイム、ベッサッソン」の歌声が聞こえてきた。生徒たちはもちろん、先生も教育実習生もそして我々まで、マイムの音楽に揺り動かされた。それは身も心もすべて無条件にマイムの世界に入っていった。そして生徒たちは満面の笑顔を浮かべて、楽しそうに動いていた。彼らは今何の屈託もない幸せの瞬間を生きているのだ。中学生時代とはこのような時代なのかと、ふと思った。

 先生が、マイムとは水のことだと説明された。帰宅してネットで調べたら、イスラエル民謡でマイムはヘブライ語だそうだ。中東地域は、かなりの面積が砂漠である。水は貴重であり、開拓しながら生活をする人たちが、湧き上がる水を見つけた時の喜びの歌が、マイムマイムである。「水だ、水だ、素晴らしい水を見つけた」と男も女も老いも若きも、嬉しくて嬉しくてその喜びを歌にして踊りにして喜びを分かち合ったのだ。このフォークソングに含まれる人々の水を得た喜びが、私たちに伝わってくるのだろう。多感な中学生も、歌いながら踊りながらその喜びを感じただろう。中東で暮らす人々の生活は厳しい。その苦しさの中に、宝石のような水を見つけて喜びを分かち合ったのだ。中学生もやがて大人になり仕事をするようになれば、中東の人々と同じように、喜びと苦しさを味わうだろう。

 文脈は逸れるが、新聞に「理科室のにおいを愛した少年は化学会社で定年むかえ(中路修平)の句があった。たぶんその少年はこの句の作者だろう。中学生の頃この少年は理科が大好きだった。念願叶って好きな仕事ができて、今定年を迎えた。私が見学した中学校の生徒たちも、そんな人生を送ってほしい。しかしこの句の作者も平坦な道だけではなかったはずで、山あり谷ありの道を乗り越えてきただろう。マイムマイムはイスラエル民謡である。イスラエルは今、戦争をしている。イスラエルもイランもガザも関係ないのだ。人が人を殺し合う必要はどこにあるのか。砂漠で水を見つけた喜びは、イスラエルもガザも関係ない。どの国でも、幼子が若者になり、そして大人になって笑顔で生活できるような社会になってもらいたいと願っている。それが叶わぬ夢とは知りながら、子どものような願いと知りながら、マイムマイムを踊る中学生たちが、そのまま笑顔で生きられる人生であってほしい。

自由

 今は金曜日の夕方、いつものように書斎の窓から外を見ている。今日の天気予報はどこかおかしく、朝は太陽が照りつけるような上天気であったが、昼食後、買い物で外に出たら西の方角の雲行きが怪しくなり、灰色が濃くなったと思ったら、急に雨が降り出した。背中にしょっているリュックには傘が入っているので濡れずにすんだが、自宅に帰ると本降りになって雷が鳴りだした。無事帰って来られてよかったと思って玄関から外を見ると、ずぶぬれになった人が走って行く。その雷雨がかなり長く続いた。1階の居間から庭を見ていると、隣の家やマンションなどは、雨煙というのか靄がかかったようで、小雨にすっぽりと覆われたような感じであった。今日はどこにも出られないと思っていたら、2時間もしたらすっかり晴れ上がった。青空だけではなく太陽が照りつけて外に出たら、真夏のような日差しであった。今日の天気はどこか変わっている。

 家内が、「自然は全くめちゃくちゃだ」と呟いたが、そういえばもしこれが人間だったら、相当へそ曲がりというか、周囲から激しい非難を受けるだろう。ルール無視の自分勝手な振る舞いだからだ。そういえば人はなぜ自分勝手な事は出来ないのだろうか。当たり前の疑問が起きた。「当然じゃないか、我々が生活しているということは、勝手な事は出来ない制約の中で生きているからだ」と誰でも思う。そうか仕方がないのかと思う反面、某大国の権力者たちは、自分の思うがままに世界を動かしてるような気がする。かわいそうなのは庶民だ。戦争の犠牲者である庶民は、今日の天気のように、大国だから仕方がないのだと諦めているのだろうか。それでも時折テレビでその映像が映し出される。いつになったら幸せが来るのかと、訴えている。

 大河ドラマでも権力者の側の映像が放映されて、城の周囲に住んで生活している人の苦労は見えてこない。あれほどの戦いをして、大火事を起こし殺戮の日々を過ごしていれば、武士も戦うことしか眼中に無いだろう。その合戦の後ろで、庶民は嘆きそして諦めている。だからこの世が地獄なら、あの世の極楽に行きたいと仏教にすがるのかもしれない。現在でも戦争で苦しめられている人々は、どのように考えているのだろうか。自分の力ではどうにもならない出来事に諦観しているとすれば、人はどのように生きればいいのだろうか。

 最近、自分の仕事の関係上いくつかの現代思想の文献を読んでいる。ポスト構造主義と呼ばれる内容だが、現代社会はいろいろな仕組みが構造化されて、目には見えなくても何らかの形で私たちの生活を制約し、無意識的に諦めて従っている状況になっているのだろう。自分はフリーランスだから、そのような制約からは逃れて自由に生きているように見えるけれども、経済的な制約、家族という制約、住んでいる地域からの制約、教育の仕事からの制約など、多くの制限の中で生きている。ポスト構造主義では、その制約から離れて個人が自由に生きることを許すとも読めるのだが、実際のところはどうなのだろうか。今日は平日だからゴルフに出かけるのは気が引ける。しかしフリーランスだから自由に行動しても良いのだが、背中をチクリと棒で突かれているような気がする。自由といっても、自由に行動すればたちまち非難されるだけではなく、自分自身がそのことに引け目を感じる。つまり自由ではないのである。

 文脈は逸れるが、新聞に「楽しげに水面を走る水馬(みずすまし)癌治療をせず兄は逝きたり」(小沢まさみつ)の句があった。作者のお兄さんは、癌だと告知されても手術を受けず旅立ったのだ。それがお兄さんの自由な選択だったのだろう。もし自分がその状況であったとしたら、同じ選択するかもしれない。生きながらえることが良いことだという命題は、当たり前ではない。医者にとっては長生きをさせることが善であっても、患者にとっては善であるかどうかはわからない。その人の自由であり、その人の個人的な生き方である。学校でも同じかもしれない。学校に来ることは善であるということは学校や教師にとっては善かもしれないが、個人にとっては自明ではない。自分自身を考えれば、制約を制約と感じないで自由に生きたい。それが私のフリーランスの立場である。

奇蹟

 今は土曜日の朝であり書斎の窓から、白い雲は広がっているが、青空が見えて、すがすがしい朝である。数日前に台風が襲ってきたが、それほど豪雨でもなく強風でもなかったので、災害はなかった。天気予報によれば今日は一日中曇りであるが、春から初夏にかけてそよ風が吹くような典型的な気候で、どこか気持ちがワクワクする。珍しくこのブログを朝に書いている。それには事情があり、今週はずっと夕方に時間がとれなかった。空いている時間は、土曜日の午前中だけだった。朝食を取って庭に出ると、家内が洗濯物を干している。シャツやズボンやタオルなどが朝日を浴びて小さな光を反射している。洗濯竿の後ろに小さな花壇があって、今はバラが満開である。緑の葉っぱをバックにして、赤やピンクの花が埋もれていて、そのコントラストが目に優しい。

 スマホと小銭だけ持って、近所をぐるっと散歩してきた。近所に小川が流れていて、その橋向こうに弘法大師のお堂がある。たまにお賽銭を入れたり、家族の安全や自分の仕事のことなどをお願いすることもある。今日は頭を下げただけで通った。土曜日の朝は気持ちが良いのか、ジョギングをする数人とすれ違った。颯爽と走る姿は、土曜日の朝によく似合う。近所には大きなスーパーと小さなコンビニがある。そのコンビニまでは小さな坂になっていて、上っていくとかなり広い駐車場があって、この時間でも車が8台ほど駐車していた。なぜかその光景が好きで、駐車場でおにぎりを食べている人、タバコを吸っている人などもいる。そのコンビニから下っていくと、住宅やアパートなどがあって、元の小川に戻る。子供のようにキョロキョロしながら、10分程度の散歩を終えた。

 ブログは1週間を振り返って書いているが、印象に残っているのは、水曜日の夕方のオンラインでのセミナーである。セミナーといっても、自分はホスト役で毎回ゲストを呼んで講演をしてもらう。一時間の尺の約半分がゲストによる講演で、残りが自分も含めた参加者との質疑応答である。もう長く続いている。私が発案したものではなく、当初は都内のオフィスに来てもらって、対面でのセミナーであった。コロナの関係もあるが、対面からやがてオンラインに変わり、多分五年以上続いていると思う。振り返ってみれば、これは自分のライフワークかなどと思うほど、思い出がある。もちろん自分ひとりで企画して実施しているわけではなく、数人でゲストを候補に挙げて、承諾を得て広報をし当日を迎える段取りである。今週の水曜日は、長い間教育に携わり実践をしそして教育研究も続けてこられた先生で、私の尊敬している先生の一人である。

 セミナーが終わって、なぜ自分はこの先生の話が胸に響いてくるのだろうかと思った。ベッドの中でも考えていたが、それはこの先生の生き様だからではないかと思った。私も長い経験上、いろいろな多くの講演や話を聞いた。そして質疑応答したり対談することも数え切れないほどある。何が心に残るのだろうか、自分の知らない未知の世界や、物事の真理を突くような深い内容や、自分の専門に直接響くような研究などは、当然ながらいつまでも心に残っている。それが自分の仕事や研究の方法などに影響を与えている。しかしもうひとつ別のタイプの講演や話がある。それがこの前のセミナーであり、その内容は、その先生のこれまで辿ってきた道、そして現在の仕事や研究の内容へのつながりであり、そこに自分の考えや価値観がどのように変化してきたかの講演であった。自分の心の中に入ってきたのは、一言で言えば、その先生の生き方であり感じ方であった。

 それは自己の物語(ナラティブ)といってよいだろう。誰でも他人に語って聞かせる自分の物語を持っている。それはその人の生きてきた証であり、本心を語る物語である。そのナラティブは人を共感を呼ぶ能力を持っている。感動するような素晴らしい研究の講演もある。そしてもう一つは、その人の生き方に触れて共感するような話である。前者を認知的な語りとすれば、後者は非認知的な語りである。どちらが優れているかというより、私たちはその両方が必要であり、それらの内容を、羅針盤としながら自分の仕事や生き方を模索しているのだろう。

 文脈は逸れるが、新聞に「人はみな奇蹟を生きて花万朶」(米山明博)の句があった。万朶(ばんだ)とは満開に咲く花の様子を示す。この言葉は、自分が通った高等学校の古色蒼然たる第二応援歌に「健児脾肉(ひにく)を 嘆ぜしが、万朶花咲く櫻花」の歌詞があったので知っている。作者は、桜が満開になるのも、その桜を愛でることができるのも、そして今生きて生活できていることも、全ては奇蹟の連続であると、哲学的な句を詠んでいる。言われてみればその通りかもしれない。洗濯物を干すことも、朝の散歩も、水曜日のセミナーで感銘を受けたことも、そして今ブログを書いていることも、すべては奇蹟の連続なのだろう。そしてふと思う。ニュースを見れば、戦争やら殺人やらむごいことばかりのこの世の中で、朝食をいただき、暖かい布団に体を休め、人の話に感動し、今ここでブログを書けることは、実は極めて小さな確率的出来事なのかもしれない。