今は、土曜の夕方、より少し前の時刻だが、書斎の窓から見える空は、曇っている。午前中は快晴だったが、今日は風が強く、体感温度がかなり低い。外に出ると、かなりの防寒服を着ていないと、厳しい寒さだった。と言うのは、先ほど、スポーツジムから帰宅したばかりで、一息ついて、書斎で調べ物をしてから、ブログを書いている。土曜と日曜は、オンラインか出かける用事がない限り、スポーツジムに行くように心掛けている。週3回を目標にしているが、2月とか3月のような忙しい月は、なかなか守れない。明日は、1日中外出するので、と言っても、仕事なのだが、時間が塞がっているので、スポーツどころではないが、今日は、有難い曜日で、心休まる日なのだ。特に、プールで泳いで、2階のプールが屋外とつながっていて、そこにジャグジーがあって、温泉のような温かさで、外気は身震いするほどの冷たさなので、その差が、なんとも気持ちを豊かにする。いつも、ジャグジーに身を浸す時は、街を見渡すのが習慣になっているが、今日は、空が晴れ渡っていて、雲が流れている光景で、こんな贅沢をしていいのだろうか、と思いつつ、午前中に書いた原稿のことや、明日の予定や、来週の仕事や打ち合わせのことなどを、思っている。身体が弛緩としているので、思うことも、あまり真剣ではなく、気の向くまま、という嬉しい雑念なのだ。来週の、あの打ち合わせでは、この話題はどうだろうか、とか、明日の仕事には、宿題があった、が、面倒だから明日の朝にやればいい、などと自己対話をしているが、もし言葉に出したら、頭のおかしい人だと思われるだろう。黙っているから、なんとか常人でいられる、思っていることを正直に言葉にしたら、ほとんどの人は、狂人扱いか、まともな人間関係は維持できないだろう。大人は内言だと、ビゴツキーは言ったが、その通りだ。同時に、思考することを、言葉が媒介するとも言っているが、何か思ったことを、言葉にして表現できれば、それは、物事を動かす、つまり仕事ができる。それを、内言だけで心の内に閉まっておくと、どうにもならないような息苦しさを覚えるだろう。モノ言わねば、心がうつうつとして晴れないし、モノ言えば、唇寒し秋の風のような後悔をする場合もある。子供のように外言だけで、すぐにモノ言うは、子供だから許されるのであって、大人の場合は、思慮が足りない、と批判されることもある。今日のブログに、こんな内言と外言を書くつもりではなかったが、筆が滑った。ただ、ふと気になった短歌を思い出した。病床の夫の寝顔にひとすじの涙のあとが白く残れり(佐々木節子)の句を読んで、奥さんもご主人の気持ちも、よく分かる。病床で寝たきりだろうか、やりたいことも一杯あるだろうが、それもできない、言葉に出すことも、どこか我慢していて、涙に自分の気持ちを託して、それも人に見られたくなかった、白い跡だけが、それを物語っていた。人が生きていくことには、どうしようもないこともある。その時、声に出してしまえばいいのか、じっと内に閉まっておけばいいのか、涙に託せばいいのか、分からない。自分は、このご夫婦には申し訳ないが、スポーツジムに行って、健康を維持したい、と思っている。
美味しいコーヒー
今は、火曜日の夕方、書斎から見える西空も南空も、まだ明るく、冬の雲一つない青空が、マンションや家々の屋根を覆っている。はて、今日は何をしたのか、そうそう、あれもした、これもした、そして、健康のために、先ほどジョギングをして、1階の居間で、グレープフルーツを食べて、その酸っぱい液体が、乾いた喉に沁みていった。健康は、仕事と同じように、重要なことは言うまでもない。だから、なるべく時間を取って、運動をしている。今日も、いろいろあった、急な用事ができて、市内を出かけたり、その後、オンラインで打ち合わせをしたり、ある雑誌の編集後記を毎号書いているので、それを仕上げたり、手帳に書き込んだ予定にしたがって、それをこなしている。こなすような仕事の他に、講演資料とか原稿作成やデータ分析などがあるが、まとまった資料の場合は、時間がかかるので、荷物を右から左へ移す、という作業ではないので、準備が必要だ。まとまったとは、1時間の講演資料、出版の分担執筆で400字原稿用紙50枚などの場合に相当するが、そのような仕事を抱えているが、すぐには書けない。自分の場合は、ふと、気付くことがあるとメモをし、そのメモが大切で、それにしたがって、目次を作り、目次にしたがって、資料を張り付けるような流れになる。この資料も、手慣れた内容、自分が専門とする内容であれば、時間はかからないが、そうでない内容の場合は、かなりの準備が必要になる。自分の専門と、少し距離があって、どうも苦手な分野だとか、勉強不足だと自覚している内容では、頭髪をむしるような難しさや、自分は何と浅はかなのか、などと思うのだが、実はそのほうが面白い。楽な内容や手慣れた講演や原稿などは、決して面白くない、むしろ、やる気が起きない、という矛盾するようなことが、現実である。1週間位前に送った原稿、それは、オーバーに言えば、寝ても覚めても考える、ような内容で、久し振りの理系の原稿だったせいか、脳の芯まで脳血流が流れていくような感触で、今でも、思い出すと嬉しくなる。今は、貯めた小さなメモがまとまってきた時期で、そろそろ目次を作り、資料を張り付けるか、と思うが、それには、まとまった時間が必要になる。文脈は離れるが、新聞に、こんな句があった。温かいコーヒー飲んで船を待つ雪がひらひら高島渡船(楠井花之)だが、作者は鳴門市と記されていたので、鳴門市高島に渡船があったことを思い出した。昔、何度も鳴門教育大学を訪問したから、あの場所か、と思ったのだが、暖かい鳴門にも雪が降るのか、と感慨を深くした。ここで言いたいことは、よほどコーヒーが美味しかっただろう、ということで、それは、四国には、珍しく雪が降ってきて、それを眺めながら、熱いコーヒーが喉を通る時、冷たい雪が降ったから、その美味しさが倍増したのだ。冷たい雪だったから、温かいコーヒーが美味しい、ジョギングをして疲れた体だったから、酸っぱさが美味しさに変わった、うん、うん、と唸るような難しいテーマだったから、仕上げた時の喜びは、忘れられないものになった、と言えないだろうか。人は、楽なことだけでは、喜びは味わえないものらしい。
子供から学ぶ
今は、土曜日の夕方、外はまだ明るい、西空が薄く赤みがかっているので、良い天気なのだ。やはり、日が長くなったのだろう、以前は、真っ暗だった空が、まだ明るい。午前中に、予定していた仕事をこなし、原稿も送れたので、良い1日だった。いくつになっても、やるべき仕事をし、予定どおりに事が運べば、今日も良かったと、充実感が身体中に染みわたる。午後に、スポーツジムに行って、汗をかき、プールで汗を流し、帰宅して、どうしても見たい録画したビデオを見終わって、書斎に来たところである。昨日は、都内に用事があって出かけたが、気持ち的には、所沢市内の方が好きで、いろいろな用事も、車で出かけるか、徒歩か、オンラインなので、電車に乗らなくて済むから、落ち着くのだ。昨日の帰りの電車が、人身事故で遅れた、駅のホームと電車の中で、長い時間立っていたから、足が鉛のように重くなった。そんな時、誰でも我が家が恋しくなる、自宅に着くと、文字通りほっとして、暖房の効いた温かい部屋に入ると、本当に極楽のようだと思う。テレビでニュースを見ると、巨大地震とか戦争とか、悲惨な映像ばかりで、特に今時の季節では、暖かい部屋、熱い飲み物、寝袋のような寝具などが、極上の御恵みだと言うが、その通りだ。それを思えば、自分は、なんと贅沢な生活をしているのかと、申し訳なく思う。今日は、特に温かい気温で、春のような陽射しが、1階の居間や2階の書斎に入ってきて、少しばかりうとうとして、瞼が下がってくる。生きていることとは、こういうことなのか、人は、安全に平穏に暮らせる有難さにには、気が付かないようにできていて、寒さとか危険な目に合うなどの、痛みを伴う時だけ、これは困った、なんとかしてくれ、と思うようだ。都合の良いことは当たり前になり、そうでないことだけに気を取られ、不平を言ったり、嘆いたりする。ただ、今日のような暖かい日に出会うと、もう春なのか、と心が弾む。歳を取ってきたら、都合の悪いことだけに気を取られないで、良いことに目を向ければ、毎日が、心楽しく暮らせるだろう、早速実践してみよう。そして、慣れることも、素晴らしい。これも、毎日同じことの繰り返しで、惰性で生きているのか、と不足に思うのではなく、慣れることで、ストレスが無くなり、それが自分の生き方に合ってくるのだ。コロナ禍になって、生活パターンが一変したが、今は、これが一番好きで、この上なく居心地が良い、都心に電車でよく通っていたなと、今では、感心するくらいだから、慣れるとは、素晴らしいことなのだ。新聞に、車椅子慣れきし友の冬帽子(飯島博幸)の句があった。始めは、車椅子に乗ることは、よほど辛かったに違いない、どう動かしていいのか、もどかしさに、いつも不平を言って、投げやりな気持ちにもなっていただろう、しかし、どうだろう、慣れてくると、この寒い季節では、冬帽子をかぶり、足を毛布で覆って寒さを凌いでいる、どこか笑顔の表情さえ見える、としたら、世の辛さを嘆くことはないのだ、ひっとしたら、この車椅子の人は、今は幸せだと感じているかもしれない、人の幸せ度は、外からは測れないのだからと、平凡ながら思う。スポーツジムの帰り道、旧市役所の広場で、大勢の親子連れが、土曜日だからか、遊んでいた。子供は、今がすべてで、この世で一番大切な人は、ママでありパパである。どんなに貧しい家庭であっても、子供にとって両親とは宝であり、自宅とは極上の居場所なのだ、と思えば、大人は、子供から学びたい。広場で遊ぶ子供は、この上なく、幸せそうな声を上げていた。
急がず焦らず
今は、火曜日の夕方、外はもう真っ暗だが、いつもの2階の書斎で、パソコンに向かっている。書斎は、仕事場であり、ここに置いてあるものは、すべて相棒のような愛着がある。年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず、の諺通り、花のような自然物は、毎年季節に合った花が咲くが、人は変わっていく、歳を取っていくのだ。小さな庭に、梅の花が真っ盛りで、ピンクの花ビラが、しっかりと冬の寒さにも強い風にも、凛と向かって咲いている。武士が好む花なのか、散り際の潔い桜の方が好みなのか、分からないが、梅と桜は、冬から春にかけて、人に情感をもたらす花である。梅は受験シーズンを、桜は入学式を連想させるが、学生たちは、悲喜こもごもであるが、人生の浮き沈みを味わう最初であろう。それを見て、大人や老人は、自分たちにも、そんな時代があったのか、と懐かしむこともある。歳を取るごとに、そんな感動や、夢中になることが、徐々に少なくなって、同じことの繰り返しの日々が続くようだ。ただ、自分は、有難いことに、いろいろな変化が起きてきて、退屈する暇はない。世の中の出来事には、すべて締め切りがある、これが有難い、と思うのは、自分を引っ張ってくれるからで、そうでなければ、何もしないだろう、そして、年年歳歳同じことの繰り返しになるのだが、悲しいかな、同じに見えて、実は確実に衰えていくのだ。今日は、予定通り、午前中に、仕事をし、原稿を送り、調べ物をし、午後は、久し振りに、ジョギングをした。そして、驚いた。忙しかったせいか、2週間位、運動をまったくしていなかったし、土日は、新潟の雪深い温泉地に行って、観光旅行をした。その余韻が老体に疲れとなって溜まっているのか、走っていて、足が重い、こんなはずではないのに、と思いながら、家路を急いだ。そして、お風呂に入ったら、眠気が襲ってきて、うとうとと、したようだ。うーん、今でも眠い、やはり疲れか、久し振りのジョギングは、かなりの体力を消耗したのか、それでも、走るだけで、気分が晴れ晴れして、まだまだ大丈夫という気がする。新聞に、湯豆腐のコトコト揺らぐ昼の膳(鈴木よし子)の句があった。特に文脈はないが、コトコト揺らぐが、うとうとする居眠りを連想させたのか、お昼時の、どこかノンビリした気分が、心地よい。若い頃と違って、急ぐとか、焦るとか、締め切りに追われるとか、叱咤激励するとか、などは、もう卒業だ、ゆっくり、余裕を持って、事をなす、これは素晴らしい。そんな仕事のやり方を続けていきたい。やることがある、それを身の丈に合ったやり方で、とは、なんと、心地よい言葉だろう。湯豆腐がコトコト揺らぐように、急がず焦らず、仕事をこなす、もうこれに決めた。ただ、思い通りにならないのが世の常だが、それでもいい、心の中は、誰にも邪魔されないから、と独り言を言う。
昔の日本人
今は、土曜日の夜で、2階の書斎から、ではなく、新潟県の温泉地からである。土日が連休の休日だが、JTBの観光旅行、1泊2日の短い旅行に来て、温泉旅館にいる。先ほど夕食が済んで、今、家内と2人でリラックスしている所で、先ほど飲んだ生ビールでほろ酔い気分になって、目がうつろになっている。生来が、お酒に弱いのだが、ふわっとした気分が好きで、浮世から少し離れて、さまよい気分になりたくて、毎日晩酌をしている。今日は、温泉に入って、美味しい食事をいただいて、ほろ酔い気分のレベルが上がっている。昨日の夕方、自宅の書斎で、ブログを書こうか、とも思ったが、忙しくて、時間がまったく取れず、今日にしようと決めた。温泉宿で、テレビ番組に興ずるもよし、もう一度温泉に入るもよし、早寝するもよし、自由気ままな時間が、誰でも嬉しいのだが、今は、ブログを書くしかない。今日を外すと、明日は無理で、一度歯車が狂うと、すべてが元に戻って、せっかく丁寧に積み上げた積み木が、崩れてしまうからだ。少し、概況を説明したほうがいいだろう。ともかく、すべての締め切り日が、まるで申し合わせたように、重なっている。JTBの予約は、その偶然の締め切り日を予測できるはずもなく、その渦中に入っていた。だが、それは有難い、忙中閑あり、ではなく、忙中だから閑を作って、また元気を出すのだ。今日の観光は、雪、雪、雪だった、行く先々が、雪に覆われていて、豪雪地帯を、観光バスは進んで行った。昨日は、所沢も1日中雪だった、書斎に籠って、仕事に追われた、だから、もう限界だったのだ、ここでネジを巻きなおすには、ちょうどよい休日だった。新潟は、米どころ、魚どころ、酒どころ、もう美味しいものばかりで、雪に囲まれて暮らす人々は、昔の日本人、礼儀を知り、他人を受け入れ、情けを知り、という、郷愁をそそるような人々のようだ。だから、今日来てよかった。新聞に、子を行かせ犬も通して雪箒(ほうき)(根来美知代)の句があった。雪国の人々は、こんな人情を持っているのかもしれない。明日は、朝風呂に入って、お昼は、ヘギそばを食べて、夕方に帰宅する。昔、年の押し詰まった12月28日から、新潟大学で集中講義を3日間、ほぼ毎年行っていた。その3日間のお昼は、ヘギそばだったから、それから大好物になった。明日は、その楽しみがある。なぜか、この頃、日本人の良さ、謙虚さ、優しさ、思いやり、などが、無性に恋しくなることがある。あの時代の日本人は、どこかに去ってしまったのか。雪に覆われた人々は、しっかりと、昔の日本人を、守り続けているような気がする。
変わらぬ生活
今は、火曜日の、まだ外は明るい夕方である。このブログを書いて、その後お風呂に入って、その後、夕食ではなくてオンライン会議が入っている。午後7時から9時までだから、当然、空腹になるが、その後、夕食である。それは、一杯飲みたいからで、先にお腹を一杯にして、会議で頭を使って、さて一杯やるか、というわけにはいかない。仕事も片付けて、お風呂にも入って、すべて終わって、美味しい夕餉になるのが、事の順序だろう。午前中は、学校訪問があって、午後は、先ほどまで市役所の6階で会議があって、帰宅したところである。コロナ禍になって、すっかり生活パターンが変わってしまった。それまでは、都内の事務所に電車に乗って出かける、ハンを押したように、定時に家を出て、ほぼ定時に帰宅する毎日だった。時々、出張が入ったり、会合で遅くなったりするが、逆に早めに帰宅することは、ほとんどない。つまり、典型的なサラリーマン、というか、団体役員と自称しているが、的な生活で、朝の通勤電車で、なるべく座れるように、時刻と電車の乗り場所を工夫する毎日だった。事務所に着くと、いろいろな仕事をして、ああ、自分も団体役員か、と、まんざらでもなく、満足して通勤していた。お昼は、行きつけの、サラリーマンで一杯の店に行って、美味しい蕎麦やうどん、カツ丼、パン、パスタ、カレーなど、およそ定番の食事をして、それは楽しみな時間だったが、という、生活だった。世のサラリーマンとは、こんなことか、と思っていたが、今は、まったく違う。書斎が仕事場であり、オンラインがほぼすべて、お昼は外食ではなく、1階の居間で食べて、近所の店で買ってくる、サンドウィッチ、肉まん、石焼き芋、インスタント蕎麦やラーメンなど、およそ、質素な食事である。運動をしないと、と思って、お昼に、短い運動をすることもある。2月は、いろいろ忙しく、出かけることも多かったが、普段は、都内への電車から、市内で車での移動が、中心になってきた。そして、慣れた。もうすっかり慣れて、電車にはなるべく乗りたくない、なるべくオンラインで済ませたい、今日も、夜の会議は、オンラインにしてもらったが、そんな生活をすると、自分は、所沢市民なのだ、という意識が強くなって、この生活は、自分に合っている、ずっとこうして生活して、このまま往生したい、などと思うようになる。コロナ禍以前から、ずっと以前から、こんな生活をしていたのか、と思うくらいで、お前は、変化がなくて、凡庸な生活が好きか、と言われても、はい、そうです、これが気に入っています、と答えたい心境なのだ。車に乗って市内を移動すると、仕事だという意識も薄らいで、このまま温泉地に行ったら、楽しいだろう、など、不謹慎なことを考えることもある。庶民の生活とは、こんなものではないのか、昨日は、都内で仕事があって、珍しく都心の赤坂で懇親会があって、深夜に帰宅した。だから、眠いはずだが、朝5時起床の目覚ましで起きて、普段と変わらぬ生活を送っている。変化があること、それは素晴らしいことだが、変わらないこと、それも、満ち足りた、小さな幸せではないか、と思う。新聞に、降る雪や昔ばなしをするように(小山内豊彦)の句があった。日本海側辺りで、雪が降る日は、昔に聞いた話を思い出すのか、いつの時代も変わらない生活なのか、太平洋側から見れば、大変だな、と思うかもしれないが、雪掻きをし、雪道を作り、仕事に出かけ、暖かい我が家に帰る、という平凡な生活だが、ずっと変わらぬ生活で、その中に、これでいいのだ、柱に背をもたれて、うつらうつらして、音楽を聴いたり、テレビ番組を見たり、という想像をした。とすれば、電車通勤も良し、在宅勤務も、また良し、都内の事務所から出かけるのも良し、市内を車で出かけるのも、また良し、今の生活を味わってみると、それは、案外、幸せに包まれているのかもしれない。
仕事と趣味の間
忙しかった1週間の終わりになって、ホッとする日が土曜日だが、こんな日にブログを書くのは、有難い。ブログと言えども、誰も読んでいないわけではなく、他人の目に入ることを思えば、なんだ時間を損したとか、元気がなくなった、では困るので、少しは、明るい話題にしたいと思う。とは言っても、近所を見渡せば、高齢者が多く、それは日本全国の何処でも見られる現象で、このままでは未来に希望が持てない国になってしまうので、国は、異次元の少子化対策を模索している。大いに結構、と同時に、高齢者も元気になるように、年齢に関係なく、異次元の高齢化対策をすべきだろう。これまでの経験を生かせば、世の中に貢献できることが多いので、子供の見回り隊だけでなく、多様な仕事を開放して、テレビの番人だけの生活から脱却する施策が望まれる。誰も好んで、テレビ画面にしがみついているわけではない、仕事がないから仕方なく、という反論が聞こえてきそうだが、因果関係は、仕事と高齢者の双方向のような気がする。比較的若い人も、早く引退したいとか、定年が待ち遠しい、とか、フリーランスになりたい、とか、どうも、覇気がないようで、例え、仕事があっても、逃げたいという気持ちが強いようだ。自分の仕事が特殊なのかもしれない、と思うのは、今日も、平日と変わらない仕事だが、ただ土日はスポーツジムに行く頻度が高いが、それは、ほとんど趣味のような世界だからだと思う。午前中に原稿を書いた、すぐに返信が来て驚いたが、編集者と自分の間に、原稿を介して通じるモノ、それは、趣味の世界で通じる共感のようなモノで、そうそう、それだよ、とか、あれあれ、で通じる世界なのである。それは、長い間連れ添った夫婦の会話のような感じで、大学院生などが5年以上も研究室にいて、一緒に過ごしていると、あれは面白い、と言って、そうだ、と共鳴したら、かなり本物に近くなっている。つまり、あれとか、面白い、とか省略語や代名詞で、通じるのである。それは、趣味も同じで、あれ、それ、面白い、詰まらない、がお互いに了解し合っているからである。そのためには、永い期間を必要とする。高齢者は、永い年月を生きてきた、その間に獲得した知識や知恵、技などは、まんざら捨てたものではない。新聞に、枝打の漢(おとこ)身軽や若からず(兼子嘉明)の句があった。そう言えば、自宅の外装をしてもらった職人さんや、自宅の改装を請け負った大工さんも、高齢者だったが、その身のこなし、その技の凄さ、出来ばえの見事さ、など、どれを見ても一流だった、文字通り、年季が入っている、と感嘆したことがある。こんな技術を持った人には、引退とか年齢制限などは不要である。その職人さんも、たぶん、趣味のような感覚を持っているのではないか、と思う。自分が、その域に達して、書いているのではなく、永い間続けていると、仕事とか趣味とか遊びとか楽しさとか苦しさなどの垣根が無くなって、言葉も要らない世界になる、と言いたいのである。もう、窓の外は暗くなった。明日は日曜日だが、一日中都内で仕事の予定で、朝早くから出かけるが、半分は遠足気分でもあるし、緊張感もある、境界が無くなっている。
茜空
今は、外は漆喰の暗闇、今日は変則的に、先にお風呂に入って、ブログを書いている。その後で、夕食になる。明日火曜日辺りが良いのだが、今週は忙しく、明日は、朝から夕方まで出張が入っているので、今日にした。今日も、4つのオンライン会議があったが、それでも昼間に1時間半くらいの隙間時間があったので、ジョギングをした。ジョギングは久しぶりで、どこか心弾む、帰宅すると、この冬でも汗をかく、すると、下着を変えたくなる、それなら、お風呂に入って、その後、ブログ書きという時間順序になった。最近は、スポーツジムに行っても、ランニングマシーンはあまりやらない、マシーンを使った運動は、周りの風景が固定されているので、変化がなく、文字通りトレーニングになって、我慢比べのように感じるからである。どこか、楽しみがないと、面白くない。ジョギングなら、周囲の光景が変わる、いつの間にか、広い敷地の農家に、アパートが立ち、大家の家は、お屋敷と呼びたいくらいの邸宅になっている。そうか、今は、土地を持っている農家が、一番のお金持ちで、優雅な生活ができるのか、自宅の近所でも、マンションを所有している家などは、昔からの土地持ちで、サラリーマンや公務員など、桁が1つも2つも違う。すごいな、と思いながら、小川の横の小さな道に添って、ゆっくり走るのだが、小川には、カモや白鳥、だと思うが、見ることができる。今日は、西向きだが、公園があって、そこに大勢の子供たちが、サッカーやドッチボールに興じている。それを眺めながら、その横に老人施設があって、ひっそりとしている。いつも不思議に思うのだが、お年寄りが大勢いるのだから、公園に出て、子供たちの元気な様子を見れば、楽しいだろうに、と思うが、外に出ている姿を見たことがない。自分は、ゆっくりとはいえ、走りながら、まるで田舎から都会に出てきた、お上りさんのように、きょろきょろして、風景を楽しんでいる。風景の中でも圧巻は、空だろう。冬の空は、乾燥していて、青空の青さが透き通るようで、そこに、グレーに混じった白い雲が、西空にも東空にも、広がっているが、冬として正統的な晴天で、空気がピリッとしている。この時間では、少しだけ、西空に茜がかった雲が見えるが、それは見とれるような光景で、今、自分は何をしているのか、もし自分が、先の老人施設に入っていたら、もし帰る家が無かったら、もしホームレスで食べ物が無かったら、どこか雨露を防ぐ場所はあるのだろうか、など、途方もない空想が浮かんくる。時折、ジョギングをしたり、スポーツジムから帰る時など、そんな現実味のない恐ろしいような空想をすることがある。たぶん、今はそんなことはない、という安心感を確かめたいのかもしれない。新聞に、寂しさに極上もあり寒茜(小沢隆)の句があった。もし、自分が老人施設に入っていたら、西空を眺めたら、冬の冷たい空に、茜色の夕焼けが見えて、なんと美しいと思うのだろうか、それとも、夕日の美しさが、我が身の寂しさや侘しさを、より一層深く感じさせるのだろうか、美しければ美しいほど、ある場合には、残酷な思いをさせるのかもしれない。自分は、まだ大丈夫だと思うが、もし惨めな境遇になった時、否、老化現象は確実にやってくる、体力も知力も気力も衰えていく時、美しすぎるような茜空を見たら、どう感じるのだろうか。とは言うものの、今が良ければいいではないか、これから、夕食が待っている。そう思えば、まだ楽しい。人は、あんがい楽天的に生きているようだ。
安堵感
今週は忙しい、来週も忙しい、なぜか、イベントや仕事などで、手帳が埋まっている。今日は、先ほど、オンライン会議が終わったが、別に難しい内容ではなく、これで、今日、ブログを書く時間ができて、ほっとしている。昨日は、夜遅く帰宅した、対面での会議が都内であって、帰宅時刻が11時近くだったので、お風呂も入らず、ウイスキーを飲んで寝たので、今朝は寝不足だった。ここ数日、朝の冷え込みが厳しいので、朝起きて、エアコンをつけても、しばらくは寒い。我が家は、エアコンの他に、石油ストーブがあるので、その傍に行って、火鉢に手をかざすように、石油ストーブの前に行って暖まっていると、老人そのものになる。確かに老人だが、どうも気分がそれについていかないようで、昨夜のように、遅く帰宅すると、若い頃のような、高揚した気分になる。忙しかった1日を、飲みながら、振り返ると、いろいろなシーンが脳に浮かんでくる。一昨日は、大一番だった、午前中は、市内の先生方に配信するビデオの収録を教育センターで行い、午後は、市内の学校の研究発表会に行って、講演をして、帰宅して、午後6時からオンラインでのセミナーがあって、ホスト役を務めた。昨日は、朝から夕方まで、気を遣うオンラインでの審査があって、終わってすぐに、都内の会議に出かけ、夜遅く戻ってきたから、現役の頃の仕事ぶりと同じだった。そんな時、人は、頑張った自分を振り返って、その余韻を楽しむのだろう、ウイスキーの水割りかオンザロックが、ほろ酔い気分にさせて、どこか安堵感をもたらしてくれる。それは、どこか嬉しいのだ、自分はまだ大丈夫なのか、外は極寒の気温であっても、胸の内は、温かさに包まれて、自分でも、少しは役立ったと、嬉しさで満たされる。今日は、このブログを書いたら、お風呂に入って、夕餉に向かう、今夜も外は寒く、小雪が舞うかもしれないが、部屋は暖かく、その後、録画しておいた朝ドラをまとめて見るが、これが金曜日の習慣で、家内も楽しみにしている。こんな小さなことでも、子供のように、はしゃぐ気持ちになる。事の大小に関わらず、楽しみにしていること、大切にしていること、があれば、楽しく生きていける。安堵して深酔う父を忘れない農継ぐと我が告げたその夜(鈴木興山)の句を、新聞から引く。父親は、心から安堵したのだろう、息子が自分の後を継いでくれた、自分が大切に守ってきた農業が、また続いていく、継いでくれとは言えないが、それを察してくれた、その嬉しさの余韻を味わいたくて、少し飲み過ぎたのか、朴訥で優しい父親の姿が目に浮かぶ。文脈は少し逸れるが、気持ちはよく分かる、外は寒くても、暖かい部屋に、親子は、温かい気持ちで一杯だったろう。そうか、安堵するとは、こういうことか、自分も、束の間の安堵感を味わった。
若い頃のように
今は、火曜日の夕方、よりも、夜に近い。今日は、忙しかった、昨日も、いや今週は、ずっと忙しい。この歳になって、と思うが、何故だろうか、いろいろあって、いろんなオファーが来て、いろいろな役割が来て、という、誠に有難いことだが、少し不安になる。明日は、明後日は、大丈夫だろうか、と思って、なんとか時間をやりくりしている。審査系の仕事は、最重要で、決してミスはできないし、主催が国の省庁であれば、どこか威信を背負っているので、公平に、公正に、と思うと、手が抜けられない。昨日は、エンジン全開で、脳をフル回転しないと、追い付いていかない、と言っても、詳細を書かないと、たぶん理解できないだろうが、お許しいただきたい。今日も、先ほど、委員会から帰ってきて、先ほどまで、明日の準備をした。本音は、少しでもいいので、ジョギングをしたかったが、とても無理なので、書斎でパソコンに向かったが、資料を出すと、あれこれと考えが交錯して、時間ばかり経つが、気に入った出来ばえではない。もう時間切れと思い、ブログ書きを明日に伸ばそうか、という声、たぶん、それは悪魔の囁きなのだが、この甘言に引っかかると、すべての歯車が狂ってしまうので、手帳の時間割にしたがって、行動するしかない。明日は大一番で、夜まで詰まっているので、ブログを書く余裕はない。昨日を振り返ると、忙しかった、そして、オンラインでワイワイ議論して、まるで子供のように、若い頃のように、参加者全員が、どこかはしゃいで、画面の向こうの皆の顔が、輝いて見えた。たぶん、自分もそう見えただろう。この年齢になると、役割が、コーディネータとか司会者なので、全体を仕切らないといけないが、それがうまくいくこと、それは、自分ではないのだ、参加者の嬉しそうな顔を見たいのだ、場の盛り上がりと言ってもよいが、それが証拠なのだ、自分への通信簿なのだ。先ほどの対面での委員会も、同じような光景が見えて、今日の会議に参加して良かった、という思いが、全員に感じられた時、自分の役を果たしたことになる。そんな状況がずっと続いていて、華やいだ気分になっている。しかし、この世の中は、そんなことは、いつまでも続かない、たぶん、どこかで挫折したり、落ちこんだり、健康を害したりするだろう、それでもいいのだ、現在の状況の中で、全力で取り組むしか手はない。すると、不思議に、タイミングに恵まれて、物事はうまくいく、詰まらぬ妥協や遠慮はいらない、ただ真っすぐに、正直に、純粋に取り組むだけなのだ。若い頃とは、そんな生き方をする時かもしれない。新聞に、姉さんがジェームス・ディーンをまだ語る八十歳の目を輝かせ(四方護)の句があった。あの頃に戻ったような、青春を懐かしんだのだろう、それもいいのだ、その時代の喜びが戻ってくれば、今を楽しく生きられる、青春は、いつでも、手に入れられる。