マイムマイム

 今は金曜日の夕方、いつものように2階の書斎の窓から空を眺めている。まだ空は西日がまぶしく夕方とは思えないほどの明るさで、マンションや近所の家々の屋根が照らされている。そうか、そういえば6月21日の日曜日が夏至だから、昼間のような日差しは当然である。この暑い昼間に、先ほど小さなジョギングをして帰ってきた。何か無性に体を動かしたくなって、ゆっくりとした足取りながら45分間、西の方角に向かって走って戻ってきた。とは言っても年寄りのことなので、気恥ずかしいような走りだが、それでも自分の体に多少の負荷をかけないと、運動をした気にならない。この暑さだと汗をいっぱいかくので冷水が美味しい。そして今書斎でコーヒーを飲んでいる。

 さて今週は何か印象深かったことはあるかと、振り返った。今週は4日間午前中ずっと市内の学校訪問をした。水曜日に、ある中学校に行ったら1限目は体育の時間だった。指導案が用意されていて、フォークダンスの単元と書いてあった。指導主事と教頭と私の3人で授業参観をした。フォークダンスの基礎練習なのだが、初めての参観だった。はじめは5、6人のグループが数珠つなぎになって、先頭のリーダーが手を振ったり足をあげたりしながら歩くのだが、後ろのグループはそれと同じ動作をするのだ。なんだそんなことかと思っていたが、生徒たち全員が嬉しそうに歩いている、いやダンスをしている。言われてみれば、ダンスは全員が同じ動き方をするという当たり前のことに気がついた。そして同じ歩き方ができるだけで、妙に人は嬉しくなるのだ。たぶんそれは同じ動作をすることで、気持ちも共有化され連帯感が生まれるからだろう。

 次が、マイムマイムのフォークダンスの練習だった。自分も中学生の頃習った、あのダンスである。若い中学生が、男子生徒と女子生徒が手をつなぎ合って、円陣を組んでマイムマイムと言いながら踊っていた。昔聞き慣れたあの音楽が体育館に響いた。「マイム、マイム、マイム、マイム、マイム、ベッサッソン」の歌声が聞こえてきた。生徒たちはもちろん、先生も教育実習生もそして我々まで、マイムの音楽に揺り動かされた。それは身も心もすべて無条件にマイムの世界に入っていった。そして生徒たちは満面の笑顔を浮かべて、楽しそうに動いていた。彼らは今何の屈託もない幸せの瞬間を生きているのだ。中学生時代とはこのような時代なのかと、ふと思った。

 先生が、マイムとは水のことだと説明された。帰宅してネットで調べたら、イスラエル民謡でマイムはヘブライ語だそうだ。中東地域は、かなりの面積が砂漠である。水は貴重であり、開拓しながら生活をする人たちが、湧き上がる水を見つけた時の喜びの歌が、マイムマイムである。「水だ、水だ、素晴らしい水を見つけた」と男も女も老いも若きも、嬉しくて嬉しくてその喜びを歌にして踊りにして喜びを分かち合ったのだ。このフォークソングに含まれる人々の水を得た喜びが、私たちに伝わってくるのだろう。多感な中学生も、歌いながら踊りながらその喜びを感じただろう。中東で暮らす人々の生活は厳しい。その苦しさの中に、宝石のような水を見つけて喜びを分かち合ったのだ。中学生もやがて大人になり仕事をするようになれば、中東の人々と同じように、喜びと苦しさを味わうだろう。

 文脈は逸れるが、新聞に「理科室のにおいを愛した少年は化学会社で定年むかえ(中路修平)の句があった。たぶんその少年はこの句の作者だろう。中学生の頃この少年は理科が大好きだった。念願叶って好きな仕事ができて、今定年を迎えた。私が見学した中学校の生徒たちも、そんな人生を送ってほしい。しかしこの句の作者も平坦な道だけではなかったはずで、山あり谷ありの道を乗り越えてきただろう。マイムマイムはイスラエル民謡である。イスラエルは今、戦争をしている。イスラエルもイランもガザも関係ないのだ。人が人を殺し合う必要はどこにあるのか。砂漠で水を見つけた喜びは、イスラエルもガザも関係ない。どの国でも、幼子が若者になり、そして大人になって笑顔で生活できるような社会になってもらいたいと願っている。それが叶わぬ夢とは知りながら、子どものような願いと知りながら、マイムマイムを踊る中学生たちが、そのまま笑顔で生きられる人生であってほしい。

自由

 今は金曜日の夕方、いつものように書斎の窓から外を見ている。今日の天気予報はどこかおかしく、朝は太陽が照りつけるような上天気であったが、昼食後、買い物で外に出たら西の方角の雲行きが怪しくなり、灰色が濃くなったと思ったら、急に雨が降り出した。背中にしょっているリュックには傘が入っているので濡れずにすんだが、自宅に帰ると本降りになって雷が鳴りだした。無事帰って来られてよかったと思って玄関から外を見ると、ずぶぬれになった人が走って行く。その雷雨がかなり長く続いた。1階の居間から庭を見ていると、隣の家やマンションなどは、雨煙というのか靄がかかったようで、小雨にすっぽりと覆われたような感じであった。今日はどこにも出られないと思っていたら、2時間もしたらすっかり晴れ上がった。青空だけではなく太陽が照りつけて外に出たら、真夏のような日差しであった。今日の天気はどこか変わっている。

 家内が、「自然は全くめちゃくちゃだ」と呟いたが、そういえばもしこれが人間だったら、相当へそ曲がりというか、周囲から激しい非難を受けるだろう。ルール無視の自分勝手な振る舞いだからだ。そういえば人はなぜ自分勝手な事は出来ないのだろうか。当たり前の疑問が起きた。「当然じゃないか、我々が生活しているということは、勝手な事は出来ない制約の中で生きているからだ」と誰でも思う。そうか仕方がないのかと思う反面、某大国の権力者たちは、自分の思うがままに世界を動かしてるような気がする。かわいそうなのは庶民だ。戦争の犠牲者である庶民は、今日の天気のように、大国だから仕方がないのだと諦めているのだろうか。それでも時折テレビでその映像が映し出される。いつになったら幸せが来るのかと、訴えている。

 大河ドラマでも権力者の側の映像が放映されて、城の周囲に住んで生活している人の苦労は見えてこない。あれほどの戦いをして、大火事を起こし殺戮の日々を過ごしていれば、武士も戦うことしか眼中に無いだろう。その合戦の後ろで、庶民は嘆きそして諦めている。だからこの世が地獄なら、あの世の極楽に行きたいと仏教にすがるのかもしれない。現在でも戦争で苦しめられている人々は、どのように考えているのだろうか。自分の力ではどうにもならない出来事に諦観しているとすれば、人はどのように生きればいいのだろうか。

 最近、自分の仕事の関係上いくつかの現代思想の文献を読んでいる。ポスト構造主義と呼ばれる内容だが、現代社会はいろいろな仕組みが構造化されて、目には見えなくても何らかの形で私たちの生活を制約し、無意識的に諦めて従っている状況になっているのだろう。自分はフリーランスだから、そのような制約からは逃れて自由に生きているように見えるけれども、経済的な制約、家族という制約、住んでいる地域からの制約、教育の仕事からの制約など、多くの制限の中で生きている。ポスト構造主義では、その制約から離れて個人が自由に生きることを許すとも読めるのだが、実際のところはどうなのだろうか。今日は平日だからゴルフに出かけるのは気が引ける。しかしフリーランスだから自由に行動しても良いのだが、背中をチクリと棒で突かれているような気がする。自由といっても、自由に行動すればたちまち非難されるだけではなく、自分自身がそのことに引け目を感じる。つまり自由ではないのである。

 文脈は逸れるが、新聞に「楽しげに水面を走る水馬(みずすまし)癌治療をせず兄は逝きたり」(小沢まさみつ)の句があった。作者のお兄さんは、癌だと告知されても手術を受けず旅立ったのだ。それがお兄さんの自由な選択だったのだろう。もし自分がその状況であったとしたら、同じ選択するかもしれない。生きながらえることが良いことだという命題は、当たり前ではない。医者にとっては長生きをさせることが善であっても、患者にとっては善であるかどうかはわからない。その人の自由であり、その人の個人的な生き方である。学校でも同じかもしれない。学校に来ることは善であるということは学校や教師にとっては善かもしれないが、個人にとっては自明ではない。自分自身を考えれば、制約を制約と感じないで自由に生きたい。それが私のフリーランスの立場である。

奇蹟

 今は土曜日の朝であり書斎の窓から、白い雲は広がっているが、青空が見えて、すがすがしい朝である。数日前に台風が襲ってきたが、それほど豪雨でもなく強風でもなかったので、災害はなかった。天気予報によれば今日は一日中曇りであるが、春から初夏にかけてそよ風が吹くような典型的な気候で、どこか気持ちがワクワクする。珍しくこのブログを朝に書いている。それには事情があり、今週はずっと夕方に時間がとれなかった。空いている時間は、土曜日の午前中だけだった。朝食を取って庭に出ると、家内が洗濯物を干している。シャツやズボンやタオルなどが朝日を浴びて小さな光を反射している。洗濯竿の後ろに小さな花壇があって、今はバラが満開である。緑の葉っぱをバックにして、赤やピンクの花が埋もれていて、そのコントラストが目に優しい。

 スマホと小銭だけ持って、近所をぐるっと散歩してきた。近所に小川が流れていて、その橋向こうに弘法大師のお堂がある。たまにお賽銭を入れたり、家族の安全や自分の仕事のことなどをお願いすることもある。今日は頭を下げただけで通った。土曜日の朝は気持ちが良いのか、ジョギングをする数人とすれ違った。颯爽と走る姿は、土曜日の朝によく似合う。近所には大きなスーパーと小さなコンビニがある。そのコンビニまでは小さな坂になっていて、上っていくとかなり広い駐車場があって、この時間でも車が8台ほど駐車していた。なぜかその光景が好きで、駐車場でおにぎりを食べている人、タバコを吸っている人などもいる。そのコンビニから下っていくと、住宅やアパートなどがあって、元の小川に戻る。子供のようにキョロキョロしながら、10分程度の散歩を終えた。

 ブログは1週間を振り返って書いているが、印象に残っているのは、水曜日の夕方のオンラインでのセミナーである。セミナーといっても、自分はホスト役で毎回ゲストを呼んで講演をしてもらう。一時間の尺の約半分がゲストによる講演で、残りが自分も含めた参加者との質疑応答である。もう長く続いている。私が発案したものではなく、当初は都内のオフィスに来てもらって、対面でのセミナーであった。コロナの関係もあるが、対面からやがてオンラインに変わり、多分五年以上続いていると思う。振り返ってみれば、これは自分のライフワークかなどと思うほど、思い出がある。もちろん自分ひとりで企画して実施しているわけではなく、数人でゲストを候補に挙げて、承諾を得て広報をし当日を迎える段取りである。今週の水曜日は、長い間教育に携わり実践をしそして教育研究も続けてこられた先生で、私の尊敬している先生の一人である。

 セミナーが終わって、なぜ自分はこの先生の話が胸に響いてくるのだろうかと思った。ベッドの中でも考えていたが、それはこの先生の生き様だからではないかと思った。私も長い経験上、いろいろな多くの講演や話を聞いた。そして質疑応答したり対談することも数え切れないほどある。何が心に残るのだろうか、自分の知らない未知の世界や、物事の真理を突くような深い内容や、自分の専門に直接響くような研究などは、当然ながらいつまでも心に残っている。それが自分の仕事や研究の方法などに影響を与えている。しかしもうひとつ別のタイプの講演や話がある。それがこの前のセミナーであり、その内容は、その先生のこれまで辿ってきた道、そして現在の仕事や研究の内容へのつながりであり、そこに自分の考えや価値観がどのように変化してきたかの講演であった。自分の心の中に入ってきたのは、一言で言えば、その先生の生き方であり感じ方であった。

 それは自己の物語(ナラティブ)といってよいだろう。誰でも他人に語って聞かせる自分の物語を持っている。それはその人の生きてきた証であり、本心を語る物語である。そのナラティブは人を共感を呼ぶ能力を持っている。感動するような素晴らしい研究の講演もある。そしてもう一つは、その人の生き方に触れて共感するような話である。前者を認知的な語りとすれば、後者は非認知的な語りである。どちらが優れているかというより、私たちはその両方が必要であり、それらの内容を、羅針盤としながら自分の仕事や生き方を模索しているのだろう。

 文脈は逸れるが、新聞に「人はみな奇蹟を生きて花万朶」(米山明博)の句があった。万朶(ばんだ)とは満開に咲く花の様子を示す。この言葉は、自分が通った高等学校の古色蒼然たる第二応援歌に「健児脾肉(ひにく)を 嘆ぜしが、万朶花咲く櫻花」の歌詞があったので知っている。作者は、桜が満開になるのも、その桜を愛でることができるのも、そして今生きて生活できていることも、全ては奇蹟の連続であると、哲学的な句を詠んでいる。言われてみればその通りかもしれない。洗濯物を干すことも、朝の散歩も、水曜日のセミナーで感銘を受けたことも、そして今ブログを書いていることも、すべては奇蹟の連続なのだろう。そしてふと思う。ニュースを見れば、戦争やら殺人やらむごいことばかりのこの世の中で、朝食をいただき、暖かい布団に体を休め、人の話に感動し、今ここでブログを書けることは、実は極めて小さな確率的出来事なのかもしれない。 

 

体育祭

 今は木曜日の夕方、いつものように書斎の窓から外を見ているが、いつもと違うのは金曜日でなく木曜日ということである。もちろんこれには事情がある。明日金曜日はほぼ一日中都内でイベントがあって、そこに出席するので時間がとれないのだ。しかも二つの行事が重なっていて、一つは午前のオンライン会議、それが終わって午後のセレモニーに参加するのである。どちらも大切な仕事なので、遅刻することも早退することもできないが、タイミングがよく午前と午後に分かれていたので、両方に出席できるのはありがたい。そんなわけで明日の夕方に帰宅できず、ブログを今日に早送りした。

 私のブログは週1回なので1週間を振り返るのだが、その間に感じたことや心に残ったことなど、何らかの自分の心の変化があることを書き留めたいと思う。年齢を重ねても、何も変化がないということはない。若い人でも高齢者であっても、これは凄いとか、世の中には素晴らしい人もいるし苦労している人もいるし、華やかな活動をしている人もいれば落ち込んでいる人もいるので、それらを見聞きしたりすると、我が身を振り返って自分はどうなんだろうと心の中にさざ波が起きる。心の変化がなくただ見過ごすだけならば、無機物のようなものだから、認知症に近いのかもしれない。そうであれば、嬉しいことや悲しいこと、楽しいことや落ち込むことのあるほうが、健康である。

 この1週間では、昨日の出来事が最も印象に残っている。私が役員をしている地元の中学校の体育祭があった。ありがたいことに役員席でテントのある座席なので、直射日光を避け、快適に生徒たちの競技を見ることができた。この中学校は全校生徒780名を超す、今時では珍しい大規模校である。そのせいか自分たちの経験した体育祭の面影が色濃く残っていて、どこか若かった頃の自分を思い出した。それは中学や高校時代ではなく、自分が高校教師の時の体育祭だった。初めて就職した赴任先は、自分と同じような学校を出たての若い教師が大勢いた。進学校で中堅どころの普通高校だったから、やみくもに大学進学などと言わず、生徒たちも高校生活を楽しんでいたような気がする。若い教師たちは生徒たちと距離が近かった。兄貴分や弟分のような気持ちがして、毎日が青春ドラマのような雰囲気で暮らしていた。私は狭い長屋のようなアパートに住んでいたから、部活の生徒たちもよく遊びに来ていた。

 私も、授業は当然ながら、体育祭や合唱祭などイベントには情熱を燃やした。それと同じ光景が昨日の体育祭で繰り広げられた。青い空と白い雲、クラスごとの赤や青や白などのハチマキ、学校行事を撮影するカメラマン、リレーのための400mトラック、きれいに描かれた白いコース、ピストルを持ってスタート合図をする先生や生徒、応援団、そして校庭を取り巻く大勢の保護者、団体競技で勝って飛び上がって喜ぶ生徒など、昔と同じだった。各学年ごとのクラス対抗リレーは、体育祭の華だった。男子も女子も、足の早い生徒も遅い生徒も、バトンを受け取ったら懸命に走った。トップでテープを切る生徒も、最後にゴールする生徒も、全力で駆け抜けた。勝ち負けなど大したことではないのだ。最後まで諦めず、今にすべてをかける生徒たちに、保護者も役員も教師もみんな感動の渦に巻き込まれた。私の横にいた役員は、我が子が走る姿を懸命にビデオ撮影をしていた。何も言葉はいらないのだ。このひと時の我が子の姿に、目を潤ませていた。

 中学校の先生方は、全員が学校の名前の入ったシャツを着て、体育祭が成功するように運営を支えようと奔走していた。生徒たちは、頑張れ、ファイトの声を掛け合っていた。そこにはもう教師も生徒もなかった。そんな垣根はもはや必要ないのだ。ただただこの瞬間を生き抜き、その姿を保護者の皆さんに見てもらうのだ。応援合戦も圧巻だった。そして自分が高校教師の時、生徒たちと一緒に練り上げた応援のことを思い出した。若いということは純粋だということなのだろう。あれから何年経ったのか。自分は今でも、中学生という最も伸び盛りの生徒たちが全力をかけて繰り広げる体育祭を参観しているのだ。なんと素晴らしいことなのだろう。

 文脈は離れるが新聞に、「両足の指それぞれに力込めわが初孫は立ち初(そ)めにけり」(榊原勘一)の句があった。初孫が必死になって十本の指に力を入れて一人で立とうとしている。その姿を祖父の作者は見て感動を覚えた。孫は一人で立てた時どんなにか嬉しかったであろう。そして作者はどんなにか孫に愛情を感じただろう。健気にも全力をかけて立ち上がる姿は、作者にとってこれ以上はないほどの宝のような姿であった。それは体育祭で全力を尽くす生徒たちと同じである。生徒たちも先生もそして保護者も我々も、忘れがたい体育祭であった。

 

肩こり

 今日は金曜日の夕方、週末である。書斎の窓からいつものように空を見ると曇天で、昨日も今日も小雨がずっと降っていた。そして今日は肌寒く、天気予報は3月下旬の気温だという。先ほど西の方向にジョギングをして帰ってきた。若い人のような走りではなく、ゆっくりとした足取りだが、それでも汗をかいて1階の居間で、家内が八つ切りにしたグレープフルーツを食べた。口の中に味がしみわたり、喉を通るときビタミンCが体内に入って行くのを感じた。そして2階に上がってきた。

 1週間を振り返ると、いろいろなことがある。先週の土曜か日曜に、突然右肩が痛くなった。正しくは肩こりである。肩こりなど誰でも経験するが、急に痛くなった。パソコンに向き合う時間が長いのは仕事上なので、肩こりは今に始まったことではなく、長い付き合いである。週1回整体院に行っているが、「肩がこって硬いですね」とよく言われるが、痛くはなかった。しかし突然に痛くなった。土曜と日曜はスポーツジムに行っているが、プールでクロールで右腕を回すとき、初めて痛みを感じた。これは普通の肩こりとは違うなと思ったが、素人なので自宅に帰って家内に聞いた。家内はかなりの医療通である。「大したことではないから、電気マッサージ器で肩をほぐしたらどうか」と子ども扱いのように軽く言った。

 そういえば昔に父の日のプレゼントとして、子供からもらった電気マッサージ器があった。スイッチを入れて右肩に乗せたら電気振動がそのまま伝わって、肩の筋肉が少しずつ柔らかくなるような気がした。これで血行が良くなり、肩の痛みもなくなるのかと思った。ほんの数分だったが確かに肩が軽くなった。なるほど家内の言う通りで、大したことはないのかと思って、いつものように書斎でパソコンに対面した。しばらくするとまた肩が痛くなった。電気マッサージ器は1階にあるから、居間に降りていった。家内が「2階に持って行けば」と言ったが、なぜか2階と1階を何回か往復した。

 そして今でも、時折1階に行って電気マッサージ器で肩をもんでいる。効果はあるのだ。今はほとんど痛くはない。ほとんど治っているのだが、その時思った。どこか一箇所でも痛いところがあると、なぜか気になって、少し憂鬱になる。痛みが取れると体全体に血流が良くなるのか、やる気が出てくる。たかが肩こりといえども実は大切なのだ。昨日木曜日に都内である理事会があって、昼食に音響について雑談をした。音響の専門家がいて、「イヤホンをつけて音楽を聴いてもほとんど意味がない。音楽や音響は、体全体で聴くものだ。そうでないと音の良さはわからない」と言った。プロ中のプロのような専門家なので、説得力があった。その通りなのだ。逆を言えば、肩こり一つでも、体全体いや気持ちまでも影響を受ける。肩だけの問題ではないと思った。ピーター・センゲは、人は頭だけでなく体全体で学ぶのだと言っている。

 GIGA端末の活用が全国の学校で実施されている。温度差は大きいようだが、できれば活用してもらいたいと思っている。ある生徒がGIGA端末で英語の発音をしたら、そのまま画面上に単語が映し出された。それが嬉しくて知っている単語をすべて発音した。そして何度も何度も繰り返した。それで英単語を完璧に覚えた。やがて英語が好きになった。それがきっかけで勉強することに意欲が出てきた。このような実践を見聞きすると、少しでも苦手なことが克服できれば、すべてに広がっていくのである。そこに必要なのは道具である。自分の場合は電気マッサージ器であった。この道具のお陰で、いつの間にか肩の痛みがなくなり、元気が出てきた。痛みがなくなるだけで、人は以前より元気になれるのだ。

 文脈は逸れるが新聞に、「病院の長き廊下を痛みなく歩けた日には母に会いたい」(清水明子)の句があった。リハビリで入院されているのか分からないが、作者は痛みと戦っている。痛みが取れたら作者は笑顔になるだろう。顔だけでなく、身も心も嬉しさと明るさで満ちているだろう。その姿で母親と会いたい。幸せな気持ちを母親と分かち合いたい。母親に届けたいのは、痛みだけでなく、病気が治り、やがて退院する日が来る希望に満ちた自分の姿である。その日を指折り数えて待っている。必ず作者にその日がやってくるだろう。

 

思い過ごし

 今は金曜日の夕方だが、夕方と言うにはまだ空が明るく、日が長くなったと実感する。金曜日のブログは1週間を振り返るのだが、いろんなことが起きては過ぎ去っていく。一番印象深く思ったのは一昨日水曜日の午後である。都内でイベントがあり、自分も講演、正確には対談があった。対談なので当然ながら相手がいる。相手の方は自分の尊敬する先生で、丁寧に資料を準備され会場に来られた。相手の先生がゲスト役、自分はホスト役なので、どこかあまり責任を感じなくてもよいなどの不遜な思いがあったかもしれない。

 正直に言えば、自分はこのイベントに出るのが不安だった。いやイベントだけではなく、いろいろな仕事にも活動にもどこか自信を失っていた。なぜだろうと自問自答していたが、多分年のせいだろうと思っていた。ふと晩年の自分の父親を思い出した。「わしはもう何もできない、つまらん男じゃから」とよく言っていた。自分から見れば、身内ながら自慢の父親だった。社会的な地位や名誉などはなかったかもしれないが、人間としての生き様は誰にも恥じることはなかった。貧乏だったが、自分も大学に行かせてもらった。戦争に行って生きて帰ってきて、子供たちのために戦後の混乱期を頑張ってきたではないか。それを思えば、自分などは呑気な生活だったのだ。

 自分が自信を失ったり自己肯定感が低くなったりするのは、父親の遺伝なのかと思うことがある。一昨日水曜日のイベントで多くの人と出会った。「おうおう久しぶり、元気そうで何より」などと声を掛け合い、名刺をもらって、「さすがに立派で、すごい」などと話した。もちろん社交辞令ではなく、本心でそう思った。本当に久しぶりの人たちと会話した。その中でふと思ったことがあった。相手の人が自分を見て、「元気で昔と変わらない、どうしたらそんなに健康になれるのか」などと質問された。はじめは気休めのような言葉だと思っていたが、自分が本音で話をしているならば、相手も本音かもしれないと思ったのである。そうでないと論理的に辻褄が合わないからだ。確かに病気もせず入院もせず、なんとか仕事もして毎日を過ごしている。たまにはこのようなイベントにも出させてもらっている。そして一昨日は、イベントとすれば初めての懇親会があった。その懇親会の最後に中締めの挨拶をした。ふと思った。自分が現役の時の気持ちの高ぶりと同じじゃないか、自分をそんなに自己卑下しなくてもいいではないかと思えたのである。

 昨日は午前中オンラインの会議があって、役割上会議を仕切った。自分の専門外の会議だったので、どこか腰が引けたような、愛想笑いをするような遠慮があった。会議が進行するにつれて、皆さんが本音で発言され、それに自分も引きずられ、自分が素人だということも忘れ、流れの中で議論した。そしてふと気づいた。会議の皆さんは、私自身が素人であることなど何の気にも留めていないのだ。自分がそう思っていただけなのだ。それは自分の父親が、自分はつまらん人間だと思っているだけで、周りから見れば全くの的外れだと同じなのだ。一昨日のイベントから今日まで、どこか自分を縛り付けている呪縛の糸が切れたような気がした。もういいのだ、人は何も気にしていないのだ。

 今日も午前中は学校訪問があった。廊下で、ある先生に出会ったら、握手してくださいと言われ、「先生の最近の本を買いました」とニコニコされたのを見て、気恥ずかしさもあったが嬉しかった。まだ自分は先生方のお役に立てるならば、生きている限り精一杯頑張ろうと思った。文脈は逸れるが新聞に、「夕暮れの未(いま)だ明るき春の日を惜しみてカーテン引くをためらふ」(光谷三智子)の句があった。書斎の窓から見る今日の夕方のように、春の日差しはまだまだマンションや木々を照らしている。カーテンを引くのはもったいないので、自分も窓を開けたまま時々目を外に移す。ここ数日で、自分の思い過ごしや悲観することの愚に気が付いた。その自分の思い過ごしの糸をほどいてくれるのは、他人である。他によって自分の価値を知るのだ。社会構成主義のガーゲンもそう言っている。もう大丈夫、長い間この道を歩んできて良かった。息を引き取るその日までこの道で生きたい。

平凡な日常生活

 今は金曜日の夕方、いつものように南側の書斎の窓から空を眺めている。週1回週末にブログを書くことにしている。今日は先ほど久しぶりに都内に出かけ、帰ってきたばかりである。都内に出かけると、電車に乗る、打ち合わせをする、パソコンで資料を作るなど、諸々の仕事をこなす。そして今、書斎でパソコンの前に座ると、とりあえず今日も無事に過ごしたと思い、ほっとする。フリーランスになって、市内の学校訪問などは午前中にあるが、都内での仕事や打ち合わせは午後である。今日はブログのことがあったので、夕方前になんとか自宅に着いた。

 ゴールデンウィークも過ぎ去り、昨日と今日は平日のスケジュールで仕事をした。ゴールデンウィークは、歳をとっても人並みに楽しみたいと思って、老夫婦で出かけた。といっても日帰りで、温泉に浸かり、お昼に名物のソーセージを食べた。春にしては暑い日差しを浴びながら、大勢の親子連れにまぎれて、木陰のベンチで食べていた。極上の味だった。そうだ、いつか子供や孫たちと一緒に来たことがあった。その時も真夏のような暑さの中で、日陰を探したとか、野外で食べるとどうしてこんなに美味しいのかと思い出した。あの時が今年もやって来たのだ。束の間の身も心も癒された時だった。

 あっという間に大型連休は過ぎ、昨日から平日に戻り、平日なりの生活をしている。たまの休みには、テーマパークに行って温泉に入るのも極楽だが、これが毎日だとすると面白くない。温泉も極上の味も食傷気味になるだろう。平日になれば、今日のような都内に出かける用事や、市内で済ませる用事もある。あれやこれやで時間が経っていく。そして夕方になれば、お風呂に入ってテレビ番組を楽しみながら夕食をいただく。こんな風にして時が過ぎていくのか。これを平凡というならば、平凡はありがたい。たまの連休に癒され、喜んだり嘆いたりしながら毎日を過ごしている。

 平凡だから何の変化もないと思うが、実はそうではない。昨日新品のパソコンの充電率が急に80%になった。それまでずっと100%だったのになぜだろうか。まさか不良品では、などと懸念したが、ネットで調べたら、パソコンのバッテリーはリチウムイオン電池で、消耗を防ぐために80%に設定してあるのだという。初めて知ったが、いろいろ調べて100%にしようと愚策を思いついた。しかしどれもうまくいかなかった。実は今日パソコンを都内に持って行くので、バッテリーが重要だったのだ。そこで昨日テストをした。詳細は省くが、テキストベースでは1時間に4%か5%程度、写真や画像の処理などでは9%程度だったので、平均すれば1時間に6%か7%電力を消耗するようだ。7%としても10時間で70%だから、80%充電されていれば充分だという結果を得て、今日に臨んだ。

 今朝充電したパソコンを開いたら、100%まで充電されていた。なるほど自分の無知を恥じた。設計者は100%充電が続けば80%に制御し、そうでなければ100%充電をするのだ。こんな簡単なことを初めて知った。パソコンに触れ操作をするなどは、誰にとってもまことに平凡な単純な作業である。しかしその平凡なことであっても、知らないことは山ほどあり、時々その知らない事にぶつかると学び直す。バッテリーはリチウムイオン電池だそうで、リチウムは極めて貴重な金属資源である。日本では産出できず、海外からの輸入に頼っている。そうであれば、当然ながらパソコンの充電率は80%で充分である。そしてふと思う。平凡な営みの中に、我々の知らないことが山積していて、我儘を言ったり、愚痴を言ったり、不足を思ったりするのは、なんと愚かなことか。本当にパソコン設計者の悪口を言わなくて良かった。

 考えてみれば、パソコンには科学技術の粋が埋め込まれている。いやパソコンだけでなく、すべての製品に長年かけて作り出した技術が組み込まれ、我々の生活を助けてくれている。今日は日の明るいうちに帰宅できたので、和服に着替えリラックスして2階に上がってきた。まだ空は明るく白い雲と青空が一面を覆っている光景を見ると、平凡に生きられることのありがたさを思う。文脈は離れるが新聞に、「退院して今朝は生ゴミ出す日なり生ゴミ出しに行けるしあわせ」(山本美和子)の句があった。解説はいらない。作者はどんなにか生ゴミを出せることのありがたさを感じただろうか。健康であるということ、手足が動けるということ、生ゴミを包むポリ袋があること、車でその生ゴミを運んでくれる人がいることなど、数えればキリがない。しかし平凡な生活をしていると、そのことになかなか気づかないのだ。この短歌の作者は退院して初めてわかった。

 ある学会で、自分の気づきを促す試みの研究があった。高校生を対象に、冬休みに、ひとつかふたつの小さな目標を立てさせた。例えば、朝30分早く起きる、友人と互いの長所を話し合う、感謝を一日3つ書く、日の出を見るなどである。冬休みに実践した56名を分析した結果、自己成長スコアが大幅に伸びた。と同時に、自分が変わった感覚がある、自己理解が深まった、行動が変容したなどの記述があった。つまり意識的に気づきを促すことで、自分を変容させることができる。それは平凡な日常生活に埋め込まれている些細なことに気づくことである。

 

 

 

新しい出来事

 今は金曜日の夕方、5月1日である。特に日にちを書いたのは、5月のゴールデンウィークが始まる思いがあるからである。とは言っても金曜日なので、学校は平日の時間割と変わらない。昨日まで学校訪問やら会議などで外に出ていた関係で、今日からようやく連休なのかという思いがある。小中学校は一般企業と違って、ゴールデンウィークといっても、当然ながら平日は休校にはならない。だから今週も3日間、学校訪問をした。市内の学校暦はよく似ていて、学校行事や対外試合や保護者懇談会などは、ほぼ同じ時期に実施するので、訪問する日程は限られている。平均すれば1ヶ月間のうち 3週間ぐらいで、4月は特に2週間くらいで訪問しなければならない。そんなことで今週も来週も学校訪問はある。

 先週の日曜日、つまり5日前に新しいパソコンを買った。4月になったらどうしても買おうと決心していた。いくつか理由があるが、珍しくオンラインでの注文ではなく、電気量販店に行って、実際に手に取って選んだ。キーボードの指の感覚、画面の見やすさ、そして何よりも軽量、バッテリーの寿命などを考えると、店員さんのいる店で買いたかった。自分の年齢では、出かけた時に軽量でなければ肩がこる。バッテリーの寿命が短いとどうにもならない。もちろんメモリーなどのスペックは当然だが、オンラインの数字だけでは、どうしてもピンと来なかったから出かけたのである。

 しかし今は、まるで気持ちが若返ったように、新しいパソコンに、少しオーバーだが夢中になっている。ただ困ったことが起きた。古いパソコンの処理である。ブログで書くのは気恥ずかしいが、自宅に、自分だけで使うパソコンが8台ある。そこで3台だけ残して、5台を全て処理することにした。Let’s noteを廃棄するのは忍びないが、すべて初期化して廃棄する準備をした。新しいパソコンのアプリの設定などは、時間がかかった。特にOffice2024がインストールされているが、Wordのテンプレートが異なっていて、自分が馴染んでいる設定をするまで、時間がかかった。しかし現金なもので、新しいパソコンは、色といい指触りといい、自分が若返ったような気持ちがした。

 ふと、ある芸術系の大学の研究発表を思い出した。この大学は高校卒業してすぐ入学する学生は少なく、退職した後入学するシニアの学生が多いのだ。シニアの学生は久しぶりに大学で勉強できる嬉しさなのか、クラスメイトはよく話し合っていた。ある教員がその様子を観察して、若い頃のエピソードなど各自の物語をお互いに話し合う時間を設定した。学生たちは夢中になった。その後で芸術作品を制作した。その作品を教員が評価した。それは作品に含まれる創造性を指標とするもので、創造性尺度を用いて数量的な評価を実施した。その結果驚くべき変化を見出した。それは若い頃のエピソードを話し合った後では、統計的に有意な高い創造性を示したのである。これをノスタルジア研究として学会で発表した。自分はこの研究を聞いて面白いと共感した。

 若い頃の冒険談や失敗談や恋愛や失恋などを、お互いに赤裸々に話し合い、手を叩いて喜び合ったり、自分ごとのように心配したり、共感したりした。たぶんそれは、脳内にドーパミンなどのホルモンが分泌されたに違いない。自分にもこんな時代があったのか、それがシニア学生の気持ちを変えた。それが作品の中に現れたのであろう。この研究を思い出して、自分が新しいパソコンに夢中になるのは、ノスタルジア研究と似ていると思った。脳が若返ったような気がするからである。しかしここからが難しいところで、アプリの設定で時間がかかった。自分のものになるまで試行錯誤するのだ。そして馴染んできて、自分の仕事ができるようになる頃、また別の新しいバージョンが出てくるのである。

 文脈は離れるが新聞に、「なごり雪やがて小雨に自らを跡形もなく消し去るために」(池田典恵)の句があった。そうなのか、冬が過ぎて春が来るということは、その季節に適応するために、古い自分自身を消し去ることなのか。アプリは次々と新しいバージョンが開発されて、消費者は慣れ親しんだ古いバージョンを捨てるのか。そして慣れ親しんだ頃には、また新しいバージョンが生まれてくるのか。そうかもしれない。新しい世界が生まれなければ、そこで止まってしまう。パソコンに限らず、次々と新しい出来事がやってきて、喜んだり悲しんだりするが、新しい出来事が来なければ、なんの感情の変化もないだろう。思えば時間とは、新しいことの軌跡なのかもしれない。新しい出来事が来なければ、時間は止まる。

リバーシブル

 今は金曜日の夕方、いつものように2階の書斎の窓から外を眺めている。薄曇りの空だが、夜中に降った雨はすっかり上がって、昼間は晴天だった。前回のブログで書いたように、週末にブログを書こうと思う。つまり週1回にして、その週の出来事を振り返るようにしたい。4月ももう後半である。先週からようやく学校も授業が始まった。私事ながら、市の教育センターに協力して学校訪問をしている。学校訪問といっても、視察などのような、いかめしいものではなく、授業を参観するだけである。そして自分がコメントを書いてその学校に送るので、授業開始と共に自分の仕事も動いていく。

 私は別に教育センターの公的な役職ではなく、ボランティア活動と言ってもよい。もちろん無報酬で、地元の学校への自分なりのお礼奉公のようなものである。ただ教育センターの活動として位置づけられているので、教育センターから学校に依頼をする。授業参観をして、先生方も忙しいので、その後の研究協議などを行う暇はなく、1600文字程度のコメントを書いて添付メールで送っている。それが授業者の先生に届けられるのだが、学校によっては全ての先生方に配布されることもある。毎月一回小中学校それぞれ三校ずつ訪問している。それが五年間続き今年は六年目に入った。その成果や課題は何かなどと言われてもここでは述べない。自分は、このボランティアであることが素晴らしいと思っている。

 しかしこの活動に、自分は忸怩たる思いがある。高等学校の経験はあるが、小学校中学校で教鞭をとったことはない。だからコメントに、「自分は専門家ではないので参考としてお読みいただきたい」と断り書きをしている。今日も私と教育センターの指導主事と学校長が授業参観をした。英語の授業だった。授業の前半はドリルだった。英単語帳を大きくしたような厚紙を使って、英語と日本語を交互に見せて記憶させていた。なんだこんな授業なのかと、誰でも思うだろう。正直自分もそう思った。ただ生徒たちを見ると、ずいぶん集中して記憶している。こんなことで飽きないのかと思ったが、生徒たちは飽きるどころか、ますます夢中になって学んでいた。生徒たちの話す英単語のスピードが増し、全員が即答した。先生が厚紙を表裏にするスピードが、だんだん速くなっていたのである。そのスピードに遅れまいと、生徒たちは英単語に集中した。それは文字通り夢中であった。ドリルの練習が終わってすべての単語を記憶した時、全員の生徒たちは満足げだった。

 そういえば、小学校一年生の早口言葉の授業を思い出した。新人の女性の先生で、子供たちの扱いにはまだ不慣れだったが、早口言葉を先生が両手を叩きながら言わせていた。その時子供たちの中から、「先生もっと早く」という声があがった。「では少し早く話してみよう」と言って両手を叩くスピードを上げた。それが何回続いたのだろうか。子供たちは「もっと早く」と口々に叫んだ。新人の先生は夢中になって手を叩いた。後ろで参観している自分の目にも、先生の両手が真っ赤になって少し腫れているように見えた。そして「皆さんは本当に偉いね、こんなにも速いスピードで早口言葉が言えるのだね」と先生は言って涙を拭いた。「これまでどのように子供たちに接したらよいか分からなかったが、垣根が低くなった、見えない糸でしっかりと結びついたような気がした」と後で自分に感想を述べた。

 言われてみれば、英単語の記憶も早口言葉も繰り返しのドリルであり、今日の学習観からすれば、過去の遺物のような授業方法である。そして教師主導型であり、英語のコミュニカティブアプローチからすれば、昔型の指導方法だと言われるだろう。しかし現実はどうだろうか、中学生も小学生も夢中になって取り組んだ。少しオーバーに言えば、我を忘れて英単語の記憶と早口言葉に取り組んだのだ。学習効果は確実にあった。今日の英語の授業の後半では生徒同士の英会話の練習があって、ここでも生徒たちは満足げであった。授業が終わった後、廊下に出た私に先生が近づいてこられたので、「生徒たちは熱心に夢中になって学んでいました」と本当の自分の気持ちを言った。先生は「本当に本当に素晴らしい生徒なのです」と自分に告げた。授業中の先生の表情を見ると緊張していた様子がよくわかった。鼻に汗をにじませて一生懸命この授業に取り組んだのだ。自分ごとき人間が評価などとてもできない。ただただ生徒想いの先生の姿が、生徒を動かし、自分にドリルの意味を教えてくれたのである。

 文脈は変わるが新聞に、「春分やリバーシブルのぬいぐるみ」(村松譲)の句があった。リバーシブルとは表裏でも通用するという意味らしいが、教育理念や指導法にも通じるのではないだろうか。この学習観、この指導観、この教育理念でなければならないとは断言できないだろう。古典的な学習観も日本的な指導法も、また意味がある。それはリバーシブルの関係である。時に応じ状況に応じ、子供や生徒の幸せを願って伝えていくしかないのだ。こんな風にして、自分は教師から子供や生徒たちから、学んでいる。先週から本年度の自分の学びが始まった。

 

 

捨てる

 今は金曜日の夕方、いつものように書斎の窓から空を眺めているが、夕方とは思えないような明るい日差しで家々が包まれている。ブログを書くのは久しぶりである。つまり1週間ぶりなのだが、私的日記の公開なので、読んでいただいている読者のことを思うと、私的と言えどもあまりいい加減なことは書けないという制御信号が脳をよぎる。この4月から週2回ではなく1回にしようかと思っている。1週間を振り返って、自分の姿や感じたことを赤裸々に述べようと思う。ただ書けることと書けないことがあるのは、世の常であるから、歯切れが悪い文章になることもお許しいただきたい。今日のブログは、そんな内容かもしれない。

 先ほどオンラインの研究会が終わったばかりである。いつも思うのは、この年になっても、優れた研究に出会うと、若い頃の自分に戻ったような気持ちがして、胸がときめく。今日の研究会はそんな内容だった。この先生はまるで自分が若かった頃のようで、夢中になって取り組んでいるのか、その姿が美しい。文脈は変わるが、自分が独身だった頃の流行歌を、昨日聞くことがあった。題名は書かないが、聞いているだけで若い頃の自分に戻った。未知の世界に入っていく、ときめきと懐かしさと、世間を何も知らない初心な自分がそこにいた。そして教育実践に夢中になって、若気の至りのような教育論を振りかざしていたのだろうか、やがて教育研究という豊穣な世界に関わることが出来て幸せだった。なんだ研究に関しては、自分はまだ若い頃と変わってないではないかと、研究に触れるたびに思う。

 それは純粋に、自分を全て投影することができる対象なのだ。しかし世の中の仕事とか生活などは、研究とはまるで異なる。それでも優れた企業人や政治家などは、理想を求め夢中になってそのことに取り組んでいる。その姿は研究と同じだろう。自分は研究が好きで往生するまで離れたくない。しかし仕事はいろいろな要素が絡み、組織が関わり、いろいろな立場の人の考えが反映されている。だから誰も、自分の思った通りにならないことは当たり前である。しかし自分の思いを変えることは容易ではない。数日前、ふとしたことで家内にそんな愚痴をこぼした。「研究は楽しそうだが仕事はそうでもなく、不器用な人だね」と家内に言われた。「どうせなら面倒なことは捨てればいいではないか」と言われた。それができれば苦労はしないよ、と言いたかったが、ふとそうかもしれないと思った。

 研究はどこかしがみついても見つけるまで諦めない、という信条というか信念がある。しかし世の中の一般の仕事は、研究とは違うのだ。むしろ諦める方がよいこともある。捨てる方がうまくいく場合もある。家内との話で、何故自分はこんなにまで頑固に守ろうとするのか、捨てても構わないではないか、いや捨てる方がこの仕事にとってはふさわしいのだ、と思った時、なぜかまるで心の中が空っぽになったように軽くなった。なぜこんな簡単なことが、自分は気づかなかったのだろうか、数か月間どうして意味のないものを大事そうにして持ち歩いていたのか、今は本心で納得している。もったいないと思って捨てているのではない。それはまだ未練がある証拠だ。そうではなく本当にその通りだと思った途端、事態は好転していった。

 文脈は離れるが新聞に、「今は只とても仕合はせ母子草」(木田博幸)の句があった。自分の仕事の内容と同じで、作者がなぜ今は幸せなのかは、推測するしかない。親子で、これまで何かぎくしゃくした確執があったのかもしれない。どのような経緯なのか、どのくらいの年月だったのか、分からないが、ある時親子は、その邪魔な老廃物のような思いを捨てたのだ。心が空っぽになった時、親子は相手のことがよく見えるようになった。俳句の選者は、「只(ただ)」の一字が味わい深いと評していた。その通りである。この親子に言葉はいらない、気持ちが通じるだけで、こんなにも幸せなのかと思っているのだ。自分は仕事のことだが、心境は似ている。不要な確執を捨てれば、本来の自分に戻れる、目を覆いかぶさっているゴミを捨てればよいのだ。