感動

 今は火曜日の夕方、2階の書斎の窓から見る空はまだ明るい。それだけ日が長くなったのだろう。今日の午後は市役所で会議があり、戻ってきてすぐに着替えて、西の方角に向かってジョギングをした。短い時間でしかもゆっくりとした走りなのだが、夕方の少し前の今時の空気と周りの風景が好きで、運動したくなる。自宅に戻る時は自分の影が長く映って、その影を追うように足を進めている。ジョギングをしながらも、会議での議論を思い出したり、これから先のことを意味もなく想像したりする。こんな風に緩やかに一日が過ぎていくのは、心が安らぐ。

 今日の午前中は、書斎で仕事をしていたのだが、ある必要が生じて、AIを用いたイラストを描いていた。この表現は間違いである。AIに依頼して、イラストを描いてもらった。その出来栄えは素晴らしく、どのように表現していいか言葉が見つからない。AIは技術であり道具なのだが、今の自分には、天才的な相棒だと思える。相棒と言っては失礼で、尊敬する師匠であろう。ともかく、このようなイメージのイラストと書くだけで、たちまちに自由奔放に描くのは、人間では不可能で、すごいという感嘆詞を超えて、感動的である。感動とは、これまでの自分の認知や感情では掴みきれなくて、脳の部位の構成が再編成されたような気がする。

 土曜日から月曜日まで3日間で、ある応募作品の審査をした。月曜日に審査した作品が素晴らしく、この先生方の努力や意気込みや情熱はどこから来るのだろうか、これほどまでに人を惹きつけるのか、ただ素晴らしいのひと言であった。これも表現するなら、感動したとしか言いようがない。自分は審査員の立場上、もろ手を挙げてすごいとは言いにくい。人間のすることだから、どこか課題もあるだろう、欠点もあるだろうと思うのだが、それは凡人の考えることであり、世の中には、ただただすごいとしか言いようがない作品もある。凡人の頭の中にも、これまでの経験上、それなりの審査に必要な知識や感性を持ってるはずである。感動とは、それらの枠を超えて、これまで蓄えてきた認知の枠組みそのものを変えるのである。

 最近、仕事上と研究上のことで、生成AIを活用することがある。自分も研究者という立場から、オリジナリティやひらめきや気づきを最重要に考えている。だから生成AIにアイデアをもらうことは、これまで控えてきた。生成AIがすごいことは分かっている。だからその内容に引きずられ、それを引用したり真似したくなることが、自分は怖い。AIイラストレーターは言葉ではないから、引用できる。しかし文章になると話が違って、自分のアイディアでなければ、盗用になる。自分も歳を取ってきたので、生成AIからヒントをもらったり参考文献を教えてもらったりすれば良いのだが、老いの一徹というか、自分という存在が薄らぐような怖さがあるので、距離を置いている。

 ただ思うことは、歳を取っても感動はあるということだ。感動があれば、生きていて良かったとすら思う。技術に感動し、優れた人物に感動し、素晴らしい作品に感動する。脳も心も体も揺さぶられるのだ。自分もまだこんな気持ちになれるのだと思うだけで、嬉しさが湧いてくる。新聞に、「ぽんこつを互ひに笑ひ去年今年」(清正風葉)の句があった。去年今年(こぞことし)は新年の季語らしい。まるで我々老夫婦のことを詠ったような句で、体のあちこちや脳のどこかも部品が弱ってきて、ぽんこつになってきた。それでも嬉しい事があれば笑い、悲しい事があれば涙を流し、感動すれば身も心も喜びで震える。だから生きていけるのだ。今日は2月3日の節分である。この後お風呂から出たら、豆まきをし、恵方巻をいただく。鬼は外と言って庭に豆をまき、福は内と言って居間に豆をまく。年寄りが子供になったようでどこかおかしいが、まだ生きている証拠である。有難いことである。

 

 

生成AI考

 今は金曜日の夕方、書斎の窓から見る空は薄い青色で、冬らしい空である。先ほど小さな買い物があって、自宅から歩いて1分ほどのスーパーに行って帰ってきたばかりである。途中に小川があるが、その橋から空を見ると、西の方角がオレンジ色に輝いて、冬の優しい光を投げかけている。その夕日を浴びていると、何事もなく過ぎ去った今日1日が愛しく思える。帰ってすぐに2階に上がった。書斎は自分の城である。

 昨日の夜、俳句の番組を久しぶりに見た。昨日は俳句のトーナメントのイベントがあって、それぞれの素晴らしい句の解説を聞きながら楽しんだ。文才のない自分には、俳句の良し悪しはよくわからない。しかし解説を聞くと、さすが専門家は読み方が違うと思いながら、納得した。この俳句の前に、粘土で作るアート作品のイベントがあった。そこでタレントの作った作品を見て、審査員はすぐに、これは面白くないとか、これは素晴らしいなどと判定する。しかし視聴している自分には、どうしてそう判定できるのか分からなかった。さすがはプロだとは思ったが、理由を聞いても理解できないのだ。

 何故だろうかと気になって、脳のどこかに居座ったような気がした。そういえばテレビの料理番組を見ると、タレントがこれは美味しいとか、うまいとか言うのだが、それ以上の言葉は出てこない。なるほど、俳句は言葉で表現するから解説を聞いてもわかるが、料理の味とかアート作品などは、言葉ではなく、舌で味わうとか、目で鑑賞するとかなど、言葉ではないことに気がついた。すると言葉で説明できる対象と、言葉では説明できない対象があることになる。しかし同じ美味しいでも、どんな美味しさかは、比喩などを使えば説明できるかもしれないが、実際に食べてみないと本当はわからないと思った。アート作品も、このデザインが良いのだと言われても、その言葉自身の理由が理解できないので、結局わからないのだ。

 話は変わるが、一昨日出版社の人が校正用の原稿を持って、我が家に来た。自分は執筆兼監修だったので、自分の執筆原稿はチェックしたが、他はざっと目を通した。その仕事の後で、編集者と雑談になった。テーマは「生成AIと教育」だったが、その時人間は、生成AIを超えられるかが議論になった。自分は、それは言葉にあると言ったことを覚えている。生成AIは大規模言語モデルを基盤としているので、言葉がベースである。学問もすべての対象は、言葉で表現できると仮定している。赤いという言葉は、赤以外ではないことを規定するので、境界を作ることである。全ての言葉は、このように世界を区分けしている。したがって言葉で表現できる対象は、生成AIは見事に答えることができるが、言葉で表現できない対象は、生成AIには難しいのではないか。

 この意味では、俳句の良し悪しや添削は、生成AIは見事にやってのけるだろう。しかしアート作品の良し悪しは、どうだろうか。プロの作った作品と素人の作った作品を学習させれば、作品の良し悪しの判別はできるかもしれない。しかしそれを解説しろと言われたら、難しいのではないか。専門家であっても言語化することが難しいからである。美味しい料理について解説しろと言われても、食材についての分析はできても、何故美味しいのか、料理によって美味しさの違いを、言葉で説明することは難しいのではないか。

 文脈は離れるが新聞に、「ドラマの部屋常に片付く冬薔薇」(宮川ゆず)の句があった。確かにドラマに出てくる部屋は、綺麗に片付いている。床の間があったりタンスがあったりするが、ゴミ箱とかダンボールを重ねたような雑なものは見かけない。しかし現実は、ゴミ箱とか小さな荷物が置いてある。ドラマのディレクターは、部屋と言えば、床の間やタンスなどの典型性がインプットされていて、それ以外は排除している。つまりディレクターの部屋という言葉は、それ以外の言葉を排除するので、ゴミ箱や雑なものは含まれないのだろう。しかし現実の部屋は、違う。つまり言葉で定義され関係づけられる対象と、言葉では表現できない対象が混在しているのが、現実世界である。そう考えれば、生成AIが処理できる言葉の世界と、言葉では表現できない世界は、人間が処理することが求められるのではないか。

もったいない

 今は火曜日の夕方、いつもの通り2階の書斎から空を見ている。今日も冬空が続き、乾燥しているのでむしろ山火事などが心配になる。自然は思い通りにならないもので、日本海側は大雪で、太平洋側の山梨県は山火事で住民が苦労している。反対ならよいものと誰でも思うが、世の中は思うようにいかないのが常である。本当に生活をするのに困っている人は多い。

 我々の生活はそういう意味では贅沢であり、多くの人はそのことに気づかない。今日は珍しく都内の会議に出席した。東大本郷の会議室で、名刺交換もあるので普段着とは少し変えた。通常はカジュアルシャツとジーンズとジャケットにスニーカーというスタイルだから、気楽で良いが、初対面の人もいる会議では、そうもいかず、ワイシャツにネクタイをした方が良いとは分かっていても、どうしても面倒で、カジュアルシャツとジャケットと革靴で、その上にコートを羽織って出かけることにした。

 出かける時に、家内が「オーバーにしたら?」と言う。それほど寒くないと思ったが、家内にも言い分がある。「今日ぐらい着ないと、かなり奮発して買ったのに、もったいない」と言う。自分はダウンコートの方が好きで、オーバーより軽いのが気に入っている。しかし言われてみればその通りで、家庭の財務を預かる主婦とすれば、言いたくもなるのだろう。久しぶりにオーバーを羽織って、革靴もブラシで綺麗にし、クリームでツヤを出した。「ワイシャツとネクタイにすればいいのに」と言う家内の声を後にして出かけた。

 自分でも思う。すべてきちんとして出かけたほうがいいことはわかっているのだが、どうして反発するのだろうか。たぶんそれは習慣だからである。習慣を変えたくないのだ。そうすると、年中カジュアルな格好だけして、形式的なスタイルから逃げることになる。書斎の隣の部屋は、クローゼットと本棚がある。クローゼットに入りきれない、クリーニング店で洗濯したワイシャツが、本棚の横にかなり掛けてある。オンライン会議が中心になって、ほとんど必要ないからである。誠に贅沢である。そしてオーバーも数本クローゼットに入っているが、ほとんど着用したことがない。もったいないのだが、仕方がない。

 そういえば書斎の本棚も満杯で、隣の部屋にある本棚も満杯である。3月末には大掃除と称して何冊か廃棄することになる。もったいないが仕方がない。文脈は離れるが新聞に、冬銀河百科事典は屋根裏に(秋岡実)の句があった。この句が目に留まった。隣の部屋の本棚の片隅に、大辞林と大辞泉などの大型の辞書がある。自分は一体何度この辞書を引いたのだろうか。ほとんど記憶がないのだ、ということは、この重い辞書も使われないで、本棚の片隅に置かれているのだ。

 何ともったいないと思うが、必要とされないものは、この通りである。自然災害もオーバーもワイシャツも辞典も、この世の中は矛盾がある。需要がないものは捨てられる。自然も望み通りの恵みをもたらさない。しょうがないかと愚痴を言いながらも、なんとか凡人は工夫しながら生活している。

共通テスト

 今は金曜日の夕方、いつものように2階の書斎の窓から空を見ている。今日も良い天気だったせいか、その名残のような夕暮れで薄い青空が広がっている。マンションの規則正しい明かりが灯っている。今日もほぼ一日の終わりに近づいてきた。昨日に比べたら今日は少し暖かった。この時刻になると、今日一日何をしたのかと振り返る。

 実は大学入学共通テストの問題を読んでいた。昔高校の物理の教師をしていた関係で、物理の問題は多少気になり、大学に来てから情報関係の仕事をしてきたので、情報の問題も気になっていた。新聞に掲載された問題は、そのまま切り取って机の横に置いてある。今日の午前中は時間があったので読もうと思ったが、とても読めない。字が小さすぎるのである。虫眼鏡で読んでいたのだが、とても解く気持ちにならない。

 当たり前だが、ネットで調べれば問題と解答ぐらいは、手に入るだろうと思ってアクセスしたら、YouTubeで解説動画があった。現役の予備校の先生であったり、高校の先生だったり、いろいろな先生が説明されていた。自分はどんな問題なのかという軽い気持ちだったのだが、ずっと引き込まれた。さすがに現役の先生である。見事な解説と流れるような話術だった。自分は初めて、共通テストの解説動画を視聴した。こんなにも素晴らしいとは思ってもみなかった。

 そしてふと思う。自分が今、紙のテストを見て解こうと思っても、恥ずかしながら解けない。こう書くと少しプライドが傷つくので、満点は無理である。高校生はよくこのような難しい問題にチャレンジすると感心した。解説者も感想を述べていたが、今年の物理と情報は、昨年に比べてかなり難易度が高くなっているという。午後は小さな用事以外は、ずっとこの共通テスト問題に釘付けになった。若い頃は自分も簡単に解いていたのだろうかと思ったが、そこで気がついた。大学入試問題はパターンがあって、そのパターンに慣れれば、そんなに難しくはないと昔は思っていた。今も思う。

 ただ、YouTubeで講義を聴くことは、きらびやかなテレビ番組より、もはるかに魅力がある。だから教師という仕事は、エンターテイナーである。今日は自分は生徒になった。こんな面白い講義を聴けるなら、もう一度大学生になりたいとも思った。それでも現実の学校では、面白さを感じない子供や生徒が多い。自分は学校を卒業して長い期間が経ったので、面白さを感じるのだろうか。その世界にずっと浸っている間は、面白くないのかもしれない。もし自分が新聞紙を拡大コピーして、問題を解いたとしても、どこかでつまずけば諦めるかもしれない。それを釘付けにしたのは、当然ながらYouTubeの中の教師であり解説者である。つまり紙と動画では、引き付ける力に雲泥の差がある。そして解説を聞きながら、この問題の作成者の考えや意図が少しずつ分かってきた。さらに受験生の表情すらおぼろげながら浮かんできた。つまりYouTubeという道具は、問題を媒介にして、作成者や解説者や受験生などのすべてを、聴衆である自分に送ってきた。

 解説者は、どこか半分嬉しそうな表情で語った。この問題のこの問いの場面で、問題作成者の得意顔が見えるような気がした。受験生は苦しみながらも、挑戦することの喜びを感じるような気がした。自分はまるで観客席から舞台を観るような気持ちで、引きずられたのである。デジタル機器の道具は、多様な情報を利用者に持ち込んでくる。その情報は、まるで生きているかのように、新しい気づきや想像力をかき立てる。小中学校の授業を参観しても、新しい情報に触れると、子供たちは目を輝かせ夢中になってその世界に入っていく。文脈は離れるが新聞に、子どもには壊す喜び霜柱(鈴木基之)の句があった。霜柱を踏めば、あのさくさくという音がなんとも楽しいのだ。子供は新しい未知の世界であれば、躊躇はしない。老年になっても同じではないだろうか。昔を思い出し、今はどうなっているのだろうかという思いが、心弾む動画視聴になったのだろう。それは新しい世界に足を踏み入れる感覚と同じである。ワクワクとし、なるほどと納得し、問題を解く楽しさの世界である。

 

気掛かりなこと

 今は火曜日の昼間、この変則的な時刻に書くのは事情がある。市内の学校で研修会があって、もう少し経ったら出かけるのだが、夕方まで帰って来られない。今書けるところまで書いて、研修会が終わって自宅に帰ってからまとめたい。とはいうものの、皆様に公開するほどの内容はないが、この世の中はいろいろなことが起きてくる。楽しいこともあれば面白くないこともある。午前中に学校訪問があって、コメントの原稿を書き終わってやれやれと思っていたら、別のやっかいな書類が届いた。それはなんだと聞かれても、プライベートなことなので答えない。生きていればいろんなことがあるのだ。

 ほんの小さなことでも、喉仏に何か刺さったような感じがして気になる。誰でも同じだと思うが、気にしなくてもいいのにと思いつつ、どこか気がかりになる。しかし時間が経つと多少その振幅が小さくなって、まあなんとかなるかなどと、自分で自分を元気づけたりする。それでも努力している間は、小さな船でも前に進むようだ。気がかりなことは、自分は手帳に対応する時間を書き入れている。手帳に書かなければ、そこから逃げることになるからだ。手帳に書いてあれば、体が自動的に動くようで、少しずつ前に進む。

 そんな小さな仕事というか対応がいくつか書き入れてある。ふと昨日の夜、録画しておいたビデオを思い出した。昭和百年のリーダーの特集で、興味深く視聴した。確かに日本を牽引するようなリーダーは、並外れた人間力を持っているらしい。特に田中角栄のビデオは圧巻で、良きにつけ悪しきにつけ、日本人の心に長く残る人物だろう。それでも晩年は寂しかったかもしれない。だからすべてが順調で思い通りになる人などいないのだ、とすれば、凡人たる自分は、山あり谷ありの小さな波を潜り抜けながら進んでいくしかないだろう。

 それでも若い人から元気をもらうことがある。日曜日に駅構内のショッピングセンターで音楽会が催されて、老夫婦ふたりで出かけた。市民オーケストラの演奏もあったが、老夫婦は中学校の吹奏楽の演奏に惹かれた。若いということはなんと素晴らしいのだ。歳を取るといろんな老廃物が身にまとってくるが、少年少女たちは真っ白なのだ。未来に向かってまっすぐに進む年齢なのだ。彼らが奏でる音楽は、荒削りでも勢いがあり、どんなことでも乗り越えられそうな気がする。思わず自分は大きな拍手を何度も送った。身も心も洗われたような気がして、日曜の夜は久しぶりに自分も少年に戻ったようだった。

 そして月曜火曜と日常生活を送るにつれて、いろいろな波がやってくる。それでも浮世のことは、対応していけばなんとかなる。自分は手帳に書き込んだだけで、半分ぐらい気が楽になる。先ほどの件は、3回ぐらい時間を取ればなんとかなりそうな気がした。それで前向きになれる。考えてみれば、心配事でも不安なことでも、ほとんどは気持ちの中だけであって、実際に向き合ってみれば、たわいもないことが多いのだ。日本のリーダーたちが向かっている課題は、凡人にはため息が出るような巨大な壁であっても、気持ちを変えながら取り組んでいるのではないか。事の大小は問わず、誰でも同じように対応しているかもしれない。

 若い中学生に元気をもらうように、日本のリーダーの映像を見て背中を押されるように、凡人も少しずつ前に進んでいくのだろうか。新聞に、「それでいいよと言ってほしくて聞きたくて耳をすませる仏壇の前」(横井節子)の句があった。作者の気持ちがよく分かる。自分の両親に、同じような願い事をしたり愚痴を言ったりすることがある。なぜか自分もそうすることで気が楽になる。多分誰でも、誰かにすがったり、賛同してもらいたかったり、大丈夫だよと言ってもらいたいのだろう。そう考えれば、若い中学生も日本のリーダーたちも同じだろう。なんとか間に合いそうなので、これから研修会に出かける前に、このブログを書き終える。これで心置きなく出かけられる。

研究会の講演

 今は土曜日の夕方、いつものように書斎の窓から空を見ると、日が伸びたせいか、明るい薄青色の空が広がっている。いつものように、先ほどスポーツジムから帰って来たばかりで、ビタミンCを補給して一息ついて、2階に上がってきた。今日は小春日和で、ジムからの帰り道で、親子連れや若者たちや子供たちともすれ違ったが、どこか華やいでいるような気がする。ジムから西方向に向かって歩くので、遠くに見えるマンションや家々は明るい日差しに包まれていた。


 実は金曜日の夕方にブログを書く予定をしていたのだが、時間がなかった。金曜日の午後は市内の学校の研究発表会があって、自分が一年間関わってきた関係で講演をして、その後諸々の感想やら今後の取り組みやらなどを関係職員の皆さんと話していたので、帰宅は予定より遅れた。実はこの講演には少し事情がある。研究発表会の2日前に教育センターからメールが来て、講演時間の中に公開授業についてのコメントを入れて欲しいという要望が、学校側から来ているのでよろしく、という内容だった。


 一瞬急な変更なので、講演は大丈夫だろうかと思い、公開授業を見学して、すぐにコメントが言えるだろうかと不安になった。それが正直な自分の気持ちだった。公開授業は7教科で、コメントしたとしてもそれなりの時間がかかる。講演内容をどうしようかと思って、スライドを見直した。歳を取ってくると即座に対応することが苦手になって、余裕を持って準備する習慣がついて、講演のスライドもかなり前に準備していた。それを画面に提示して内容を確認した。そして愕然となった。


 あれほど準備していた内容が、自分の頭に入ってこないのだ。どうしてもピンとこない。なぜだろうと思い焦った。そんな時、人は楽な道を選ぼうとする。いっそのこと7つの授業のコメントを話し、授業者に質問をして、講演時間をそれで埋めたらどうだろうかと思った。そうすれば自分と参加者との間に会話が飛び交って、むしろ充実した時間になるのではないか。自分が独演会のように話すのは、むしろ退屈ではないのか。学校側の要望では、授業コメントと講演なのだが、それは無理で、授業コメントだけで済ます方がふさわしいのではないかと思った。


 仮にその方式を採用したとしても、授業コメントは何の準備もなく、出たとこ勝負で話しなければならない。簡単な概要は書いてあったとしても、それを元にしたコメントは、参加者の胸には響かない。生きた授業を見ていないからである。一つの授業を5分程度見たとしても、自分にそのポイントが見えるだろうか。それでも多分講演時間は埋まらない。そうならば、これまで準備した講演スライドを、コンパクトにまとめなければならない。それしか自分の責任は果たせないだろう。


 一昨日その作業に取り掛かった。それは自分にとって不思議だった。一時間でも話せる内容の骨子は同じだが、ほとんどすべての資料が入れ替わり、1/3くらいの分量になったのだろうか。それが出来上がった時、自分の胸にスッと入ってきた。自分が言いたかったことは、これではないのかと、まるで自分の分身が生まれたかのように、生き返った。この資料で時間が足りるかどうかは別として、なんとかなると思えた。


 昨日の講演は、予定通り公開授業のコメントを話したら、残り時間が少しだけになった。その時ふと思った。参加されている先生方は、授業コメントだけでなく事前告知のチラシ通り、講演も聞きたいのではないだろうか。それを伝えなければ、自分はまるで詐欺師のようなものではないか。そう思ってスライドを投影した。先生方がノートにメモを取ったり、こちらを向いている姿が、自分には眩しく見えた。話を聞いてもらえるだけでただ有難かった。時間を忘れた。終わった時、大幅に講演時間を過ぎていた。


 文脈は離れるが新聞に、「落ち葉掃くそんなことさえ嬉しくて病癒えたる顔の輝く」(杉本葉子)の句があった。自分の心境はこの句の通りだった。自分のようなものでも、少しお役に立てたという嬉しさである。そして思う。授業コメントを入れてほしいという要望が、講演内容を変えてくれたのだ。準備した内容であったら、何も参加者の心には入っていかなかっただろう。その要望が自分を変えてくれたのだ。準備した内容で満足するのではなく、もっとマシなスライドを作れという声だったのだ。

帰り花

 今は火曜日の夕方、少し日が長くなったせいか、書斎の窓から見る空は、薄い青色と灰色のグラデーションで、西の方角は少し明るい。久しぶりに今日は学校訪問があって授業を参観し、そのコメントを午前中に送った。これは地元の学校への奉仕活動のようなもので、GIGAスクール構想で1人1台端末が整備されて以来、教育センターに協力して授業改善のお手伝いをしている。もう5年近くになっているので、自分の仕事として脳にインプットされている。

 公立の小中学校の授業は、12月は中旬まで1月は中旬から始まるので、約1ヶ月間の空白がある。もちろん専任の先生方は授業以外の仕事もあるので忙しいが、自分と教育センターの担当指導主事は授業だけに関わっているので、今日はちょうど1ヶ月ぶりだった。誰でも同じだと思うが、長い間の空白があると、そこに復帰するのはなかなか腰が重い。その間に別の仕事や研究をしているので、頭の切り替えが難しい。それは机の上のパソコンに向かっている環境と、生徒たちが学んでいる教室の環境が違っているからだ。環境によって脳の働く部位が違う。

 先生と生徒たちが、黒板やタブレットなどを使いながら授業をするのは、何が起きるか分からない。生きている環境である。今日は中学校だったので、発育盛りで伸び盛りの若い生徒たちは、先生や自分たちとは違う発想やエネルギーを発散している。それをうまくまとめ、拾い上げ、形を作っていくのは、先生の役割である。それは大まかな台本を下敷きにした演劇である。自分はいわばその舞台を見ている観客である。素晴らしい演劇を見れば、誰でも感動するし、それを体験したいために、入場料を払って劇場に入る。自分は有料ではないが、似たような世界だと思っている。

 自分は演劇評論家のようなもので、その感想を学校にメールで送る。先生方も忙しく議論する暇もないので、文章にして添付ファイルで送っているが、それは自分の宿題のようなものである。ただどんな授業でも、必ず気づきがある。こんなことは分かっていると思っていても、こんなレベルしか分かっていなかったのだという気づきである。それは自分にとっては小さな宝物である。机の上のパソコンの中の論文と、生きた生徒たちが織りなす物語の違いだろう。そういうことだったのかという気づきは、この生きた演劇と役者からのご褒美である。今日もそんな気づきがあった。

 そして自分はこの歳になっても、まだそんな夢のようなことを追いかけているのかと苦笑することがある。本当にそれは夢なので、このブログでは書かないが、今でも追いかけている。先ほど、ゆっくりとしたジョギングから帰って、冷たいお茶とグレープフルーツを食べて、一息ついた。その時、自分は贅沢な生活をしていると思った。金銭的なことではなく、運動もし、頭も使い、そしてまだ夢を追いかけているという贅沢さである。文脈は離れるが新聞に、「雨降りてあの桜坂帰り花」(中島紺)の句があった。撰者の評に、桜坂は、アイドルの名前か歌かなどと書いてあった。自分は桜坂のことは知らないが、春の頃は、薄桃色の桜が咲いて、この坂を行き来する人々は誰もが喜びで満ち溢れていただろう。そして桜の花びらが散る頃は、この坂は絨毯のように花びらで覆い尽くされていただろう。ネットで調べたら帰り花とは、季節はずれに咲く花で冬の季語だという。そこに雨が降っている。冬の雨は寒く冷たい。それでも狂い咲きのように花が咲いていたとすれば、どこか侘しいが応援したくなる。

 自分ももう老いて、それでも夢を追いかけているとすれば、それは小雨の降る道に咲く帰り花だろうと思う。自分の知り合いや子供たちも、こんなブログを読めば、驚くか年寄りの冷や水だと思うかもしれない。だから今日のブログを書くのは少し迷った。本当は隠しておきたかったが、日記なのでいいだろう。どんな夢かは笑われるので、止めておく。

小さな負荷

 今は金曜日の夕方、いつもの通り2階の書斎で南向きの窓から景色を見ている。近所の住宅の向こうに、マンションが見える。先ほど数えてみたら6棟もあった。この所沢市内はなぜか大都会並みのマンションが立ち並び、人口も減っていないようだ。所沢駅近くの小学校の児童数は1000人を超えている、というから驚く。自宅は、所沢駅から電車で3分の駅が乗車駅で、駅から近い。どの地域でも駅近くにはマンションが林立して、朝夕は通勤する人で賑わう。自分はフリーランスという立場から、ほとんど通勤することはないので、混んだ電車に乗らなくて済む。

 歳をとってくると誰でも同じだが、電車通勤はしたくない、人ごみの中に居たくない、騒がしいテレビ番組は見たくない、などとずいぶん勝手なことを言うようだ。振り返ってみれば、若い頃はよく朝早くから夜遅くまで出かけていたと感心する。電車が混むのが嫌で、朝6時前に家を出て、大学のある駅前のコンビニで小さな朝食を取っていた。冬の頃は、おでんが大好きで、こんにゃくや大根などを買ってコンビニの前で食べていた。これがもう絶品の味で、お腹が空いていて、背中を丸めるような寒さの中で、温かいおでんを食べるのは、これ以上の幸せはないような気持ちだった。そんなに朝早く出かけなくても良いのだが、早起きは三文の徳とばかり、早めに研究室について仕事をするのが自分の性に合っていた。

 大学に来る前は高校の教師だった。若かったから廊下を常に走っていたような気がする。走らなくても授業には間に合うはずだが、そうしないと何か調子が出ないような気持ちだった。あるときベテランの女性の先生から、皮肉を言われ注意されたことがあった。教師はもっと生徒の手本になりなさいというような言葉だったと思うが、あまりピンとは来なかった。そんな癖が今でも続いているのかもしれない。先ほどジョギングから帰って来たばかりである。散歩する年配者は多い。自分はどうも散歩するのは時間の浪費のような気がして、ゆっくりながらジョギングをしている。体に負荷がかからないと、醤油をかけない刺身のような感じで、自分の性分に合わないのだ。

 といってもジョギングのコースは、西の方向にある通称、春の小川と呼ばれている場所の向こう側までの往復である。なぜこのコースが好きかといえば、自宅の近くに小川が流れていて、その川沿いに小さな道があり、その両脇には昔ながらの農家や畑などがあって、童謡の歌詞に出てくるような風情なのである。小川には白鷺や鴨がいて、寒くないのかなどと思ったりする。大きな白壁の蔵があって、昔は庄屋だったのかなどと思う農家もある。一面の麦畑があったり、グレープフルーツの木があったり、ビニールハウスが畑に点在していたり、走りながらそれらの光景を見ていると癒される。

 だから年寄りのジョギングは、癒しも兼ねているので激しい運動ではなく優しく、しかしながら小さな負荷を自分にかけて、健康を保とうとするのだ。しかし癒されるだけでは人は生きてはいけない。小さな仕事でも研究でも良いので、頭に負荷をかけることもまた大切である。満員電車には乗りたくないが、ゆったりと座れる座席がある電車なら乗るだろう。同じように仕事でもジョギングでも、ゆったりとした気持ちで対応したいのが老人の本音だろう。確かにそれは身勝手で贅沢な願いかもしれないが、人にはそれぞれに合ったやり方がある。それは自分と身の回りとの調和である。

 新聞に、「夜学生へチョーク一本熱弁す」(今泉準一)の句があった。作者は若い頃の自分を思い出したのか、あるいはそんな熱血教師がいたことを思い出したのか、どこか正義感を身に纏ったような教師はどこにでもいる。自分もそんな教師の一人だったかもしれないが、年を取ればその姿も変わっていく。ただいくつになっても、自分の芯を貫いている信条や信念などは変わらないような気がする。それは身の回りや状況に合わせながらも、多少なりとも人のお役に立てばよいと思うからである。お役に立てれば、それが老人への最大の報酬である。

 

 

 

老いた研究者

 今は火曜日の夕方、いつもの通りだが、書斎の窓から見える空は真っ暗である。先ほどまでメールを見たり、明日のオンラインの準備をしたりしたので、ブログを書く時間になっても用事が済まなかった。お正月も終わったのだが、学校の授業はまだのようで、自分も来週から学校訪問をする予定である。だから今週は比較的時間の余裕があって、自分なりの研究的な仕事をしている。どんな小さな研究でも、ルーチンワークの仕事とは違って、新しいアイデアや結果を出すことがミッションなので、それなりの努力をしなければならない。

 研究とは面白いもので、あーでもないこーでもないと、もやもやしている内に、どこかヒントが生まれて、小さな発見がある。発見というと大げさなので、気付きと言ってよいが、その瞬間がこの上なく嬉しくて、この歳になってもまだ続けている。どんなテーマなのだと聞かれても、企業秘密のようなものなので、このブログでは書かない。子供が秘密基地に自分の宝物を隠すようなもので、公開するまでは誰にも話さない。また研究は、ケチをつけようと思えば、いくらでも付けられる。歳をとってくるとそれが嫌で、研究発表などはほとんどしない。公開するとすれば論文である。論文ならば面と向かってやり取りすることはないので、メンタルの負担が軽減されるからである。

 今日も午前中、データを元に資料を分析したり文献を調べたりしていたのだが、どうもしっくり来ない。どうしても腑に落ちず、明確に切り分けることができなかった。その理由を説明するのは難しく、たぶん伝わらないので、自分の感じ方だけを述べる。今取り組んでいるテーマは、まるで雲の中を歩いているか、もやのかかった霧の中でさまよっているようで、ぼんやりとした形だけが浮かんで見える。若い頃はそうでもなかった。何かもっと明確に、切れ味の良い刀でスパッと処理するような研究だったような気がする。そのような研究であれば、論文にしても発表しても、誰もが納得するだろう。なぜなら本人も査読者も読者も、共通基盤があるからである。

 生成AIの回答の仕方は、切れ味の良い刀で切っていると感じる。それは言葉の世界で処理しているからだろうと思う。ビッグデータはほとんどが言語なので、そこに論理が横たわっている。つまりサイエンスなのである。言葉と言葉の関係を組み合わせ、論理的な処理をして回答すれば、それは科学的な論文と同じである。したがって多少のハルシネーションはあったとしても、生成AIは自信満々に答える。それはまるで新進気鋭か、脂の乗り切った研究者の書いた論文のようである。論理の世界では間違いがないので、そのような世界になるのだろうと思う。自分も若い頃はその通りだった。

 ところが人の世を長く生きていると、特に教育はサイエンスが半分で、残りは未知だと気が付く。正しくは未知ではなくて、アートだと思っている。これを書くスペースもないので省略するが、人の織り成す営みは、科学や論理が半分、残りはアートだと思う。学校に行って思うことは、毎時間の授業は、教師と生徒の作り出す芸術であり、作品であり、どこか感動がある。昨日の新聞に、「寅さんのラストシーンのような空 貧しくたって青かった空」(桃井恒和)の句があった。若い頃はこの通りである。迷いがないのだ。まっすぐに自分の道を進む姿が、どこか眩しい。誰も辿ってきた道であり、歳を取ってきて振り返ると、真っ青な空のような透き通った光景だったのかと思う。しかしあえて言えば、今の年齢でしか見えない世界もあり、それを言葉で残し伝えることも、老いた研究者の役割なのかもしれない。

八百万の神

 今は土曜日の夕方、いつものように南向きの書斎の窓から空を見ている。1月3日なのでまだ三が日ではあるが、自分は今日から平日の感覚に戻っている。少しだけ日が長くなったのか、真っ暗ではなく青みがかって西方向はほんのりと黄色のグラディエーションの空である。こんな夕空を見ていると、お正月ももう終わりかという気持ちと、何かしなければという平日の気持ちが混じって、ホッとするようなけだるさと、きちんとブログを書かなければいけないという小さな緊張感が混じっている。

 先ほどいつものように、スポーツジムから帰ってきたばかりである。元日と2日は、今日と違って、お宮参りをしたり、昼間からお酒を飲んで昼寝をしたりした。今年は子どもたち孫たちも泊まることはなく、お宮参りと昼食を一緒にしただけであった。それでも久しぶりに話をすると、アルコールのせいもあって、嬉しくなったり陽気になったりして、暖かい日差しが注ぎ込む部屋で話をすると、あっという間に時間が経ってしまった。子や孫のことを聞くと、それは俺の親父とそっくりだ、それは俺の遺伝かもしれないなどと、いつの間にか饒舌になった。これがお正月なのだ。どの家庭でも似たようなものだろう。

 考えてみれば、12月のクリスマスはキリスト教、31日の除夜の鐘は仏教、お正月のお宮参りは神道で、日本人は1週間でいろいろな宗教に出会う。そういえば昨日今日の箱根駅伝では、山の神がいた。八百万の神と言うように、山でも海でも川でもすべてに神が宿り、そしてそれを敬う。自然と共存する日本人の特性なのか。自然は美しく神秘だけでなく、猛威を振るうこともある。だから八百万の神としてあがめて、仲良くしようと思ったのだろうか。その思想は、多分自然だけでなく、地域に暮らす人々の生活の中にも入ってきて、助け合う協調性が日本人に生まれたのだろうか。

 遠い祖先の日本人たちは、協力しなければ生活できず、まるで親兄弟のように、地域の人たちは、嬉しい時は喜びを分かち合い、悲しい時は慰め合い、大変な時は協力し合ってきたのだろう。年末と年始のテレビ番組で、厳しい自然災害を経験している人たちが助け合っている姿を目にして、こうやって昔から日本人は乗り越えてきたのかと思った。地域の人たちは、まるで身内のような感覚を持っているのかもしれない。子どもや孫が頑張っていれば、自分のこと以上に嬉しくなり、壁にぶつかってもがいていれば、応援したくなることと同じだろう。

 八百万の神という、自然とも環境とも地域の人々とも、一体感を持って協力して困難を乗り越えようとすることは、素晴らしい日本人の特性ではないか。そして自分は振り返ると、身内には一体感があっても、他人に対してはそうではないと自省した。仏様でも神様でもないので自省しなくても良いのだが、昨日話をしていてふと思った。「隣の芝は青く見える」諺を思い出し、その通りなのだ、一点の不安も困りごともない人は誰もいない。近所を見ても、同僚を見ても、皇族や有名人を見ても、誰も同じである。そう思ったら、他人が少し身内に近くなるような気がした。昔の日本人はそのことをよく知っていて、助け合ってきたのではないか。せめてお正月ぐらい昔の人を見習おうと思い、できれば長くその気持ちを維持したいと思った。

 お正月の新聞には読者からの投書がなかったので、約2週間前に掲載された句を引く。「嫁入り前母と歩いた落葉道「カサカサ」の音今も聞える」(高橋芙美子)。作者にどんな感慨があったのか、もっと頑張らなければならないと思ったのか、母親ならどんな時でもいつも味方になってくれる、優しく元気づけてくれる、そう思ったのかもしれない。なんと身内は有難いものだろうか。脈絡は離れるが、歴史を見ても今の世界を見ても、戦争が絶えない。なんとか身内のように、助け合い協力し合い手を取り合うことはできないものか。「隣の芝は青く見える」と錯覚しているだけではないのか。戦争の犠牲者は、未来を生きていく幼子や子どもたちである。