図書館の分室

今は、土曜日の夕方、スポーツジムから帰宅したばかりで、書斎の窓から見える西空は、まだ明るい。風は強かったが、快晴の天気で、典型的な冬空である。プールで泳いで、屋外にあるジャグジーに身を沈め、青空を眺める気分は、解放感で満たされる。ジャグジーの横に、ガーデンチェアがあって、そこに腰を降ろして、街の様子を眺めたいが、この強い冬の風に当たるのは、さすがに避けて、室内のサウナに入って、汗を流した。と言っても、気休め程度の時間だが、束の間のリゾート気分になる。シャワーで身体を洗い、帰り支度をする。帰宅する方向は、西向きなので、歩いていくと、西空の方角に明るい陽射しがあって、雲を照らすので、白色と灰色が混じった雲が、西空を覆っている。冬の夕方か、と思いながら、帰宅途中に、市立図書館の分室があって、ふと中を覗いてみたくなって、入った。雑誌や新聞のコーナーがあって、かなりの人が、読んでいる。図書館は、当たり前だが、話す場所ではないので、誰もが黙って読んでいる光景は、冬に合っている。ここに来て、本などを読んだ経験はないが、新聞でも雑誌でも、今月、先月などに分類されて、膨大な量が陳列されているので、調べ物をしたい時には、好都合だろう、と思ったが、インターネットの時代に、新聞や雑誌でもないだろう、と気付き、では何故だ、と言えば、時間潰し、ということになる。自分も、仕事が無くなったら、今の団体役員のポストを辞退したら、原稿などの依頼が来なくなったら、委員会の委員などのオファーが止まったら、この図書館に来るかもしれない、所在ない時間になるのだろうか、すると何が生きがいになるのか、などと思いが広がった。自分の同僚など、多くの年配者は、それは一大事であって、それで苦しんでいる。思えば、小さな仕事があるだけ、小さなオファーがあるだけで、大きな幸せを感じることができる。それでも、人は我儘な生き物で、仕事が思ったようにいかない、相手の人が動いてくれない、などと不平を言う。そして、時間が経ってみると、そのほとんどは、自分の力量不足から生じることに気が付いて、ああ、自分も歳なのか、などと決まり文句の愚痴を言うようになる。好々爺とか悟りを開いたような人になれないことは、当たり前である。だから、水戸黄門のような人物に、人気があるのかもしれないが、番組は、願望の作り話なので、現実にはならない。さて、どう生きるのか、と言っても、仕方がない、目の前にあることから、やっていくしかないのだろう。小さな不平を言いながら、少しばかりの自己卑下をしながら、少しずつ、進んでいくのか。とすると、昔の人は、偉かった。クラークの指差す指に積もる雪(藤林正則)の句を、新聞から引く。作者は札幌市と書かれていたが、志を持っている人は、些細なことには拘泥しないのか、自分の住む市内は、冬の風程度だが、札幌では雪景色になるのだろう、作者は、このクラーク像を眺めて、何を思ったのか、偉人にあこがれたか、自分には、到底無理だと思ったか、元気をもらったのか、寒い冬の季節は、自分を振り返させて、何かを感じさせる。小さな自宅の庭に、緑色の雑草があちこちに見えてきた、ピンクの梅の花が、ちらほら咲いてきた。もうじき、暖かい春が来る。

冬の小雨降る寒い日

今は、16日月曜日の夕方、外はもう真っ暗で、冬の暮れは早い。明日は夕方にオンラインが入って書けないので、今日に移した。今日は、朝から3つのオンライン会議があって、午後の会議は重要だったが、終わって、眼科クリニックに行って、検査をしてもらい、帰宅したばかりである。今日は、朝から小雨が降って、体感温度はかなり低く、曇り時々雨の天気は、空全体がどんよりとして、誰でも、少し鬱っぽくなって、こんな日に元気一杯などというのは、子供くらいだろう。ただ、今は、ブログ書きという気楽な時間なので、部屋の中にいると、エアコンの効いた温もりと、横のCDプレイヤーから流れる音楽、古いラジオ歌謡や童謡に、癒されて、ゆったりとしている。今日も、いろいろあった、仕事の事では、自分の所属する団体のスタッフ、午前の会議では、自分と関わっている企業の担当者、午後では、大学や企業や官庁の専門家、などと一緒に仕事をして、この人たちは、本当に優れた力を持っている、自分は、とても及ばない、と思うことが多い。それは、結構なことではないか、もう永い間、研究をし、論文も書き、対外的な仕事もし、そして、若い世代や、仕事盛りの人達の力量を、敬服するのは、人生の先輩として、老人の在り方として、悪くはない、もうバトンタッチの時期ではないか、と思うのだが、そこが世の中の難しさである。もちろん、そのつもりで、そのような立場で、発言したり、対話したり、挨拶をしたりするのだが、こんな曇天の寒い日には、むしろ、自分の能力の無さに、なんとなく、引け目を感じるのは、何故だろうか。いくつになっても、我が身の至らなさとか、自分は駄目だ、と思うのは、それも、老いていく身の感じ方かもしれない。家内にも子供にも、今の年齢なら、何も恥じることも、卑下することも、無いではないか、などと言われるが、性分なのだろか、否、これも老いの気力が衰えていく現象ではないのか、と思う。新聞に、こんな句があった。淋しいか淋しくないかと問いかける鍋のおでんの最後のちくわ(小杉なんぎん)。おでん屋さんで、1人で、たぶん老人だろう、おでんで一杯飲んでいる光景なのか、最後のちくわに、自分の姿を映し出しているのかもしれないが、それは境遇は違っても、老人の心境を詠っているような気がする。有難いと思うことと、自分はもう歳だから、これくらいしかできません、という恥じ入る気持ちが、混在しているのだろう。老いても元気盛ん、という人は、かなり稀だろう。それでも、そんな姿を人前にさらすのは、仕事をしている身としては、いくつかの委員会で発言している身としては、講演したり原稿を書いたりしている身としては、嫌だから、強がりを見せているのかもしれない。爺さんであっても、男であることに変わりはないから、どこか美学を持っていて、見苦しい姿は見せたくないのだろう。こんな冬の小雨降る寒い日には、どこか、気が弱くなってくる、が、それでいいのだ、人はそんなに強くはない、静かに時に身を委ね、音楽に癒されるのも、人の世の生き方である。

有難いこと

今は、13日金曜日の夕方、外は、薄暮だが、もうじき陽は落ちるだろう。13日の金曜日とは、縁起が悪いかもしれないが、明日は土曜日だと思うと、少し嬉しい。今日は、午前に学校訪問をして、お昼の時間にジョギングをし、その後、教育委員会の方の来客があって、会議の事前打ち合わせを自宅でして、その後、石油ストーブの灯油を買いに出かけ、ホッとして、書斎に上って、今ブログを書く時間になった。その間に、メールのチェック、嬉しい知らせもあれば、そうでない連絡もある。人の世は、ままならぬもので、いつも仕事が輝いているばかりでないことは、人生の黄昏に近くなった自分としては、骨身に沁みている。仕事ばかりではなく、家庭のこと、家族のこと、健康のこと、その他、諸々のことは、波のように、山もあれば谷もある。ただ、いつもブログで書くように、小さいさざ波であってほしい。私的なことなので書けないが、自分としては、2つの嬉しいことと、1つの都合の悪いことがあった。しかし、それは、小さな出来事で、気にしなければ何でもないのだが、人とは、どんな小さなことでも、嫌なことは、どうしても気にかかり、脳のどこかに常駐しているようで、晴れ晴れとしない。そんなことは、詰まらぬ、と思っても、悟りを開いた達人ではない平凡な市井人としては、気になる。江戸の昔の女性なら、井戸端会議で、コロナ禍前のサラリーマンなら、気の合った友人と、一杯飲んで憂さ晴らし、ということになるのか。考えてみれば、そんな風にして、波にさらわれないように、という処世術を覚えてきたのだろう。今日、気になることが、引っかかっていたのだが、ふと、それでも、対応できるだけましではないか、と思った。詳細を語っていないので、意味不明な言葉だが、うまくいかない時は、そうであっても、そのレベルより下のレベルを考えれば、何でもないことに、気が付くのである。都合が悪いこと、と言っても、健康だからいいではないか、経済的に困っていないのだからいいではないか、仕事を頼まれるだけ有難いではないか、と思うと、ほとんどは、何も困ってはいないのだ。年齢と共に、体力も知力も精神力も、徐々に衰えることは、自然の摂理であって、不可逆的現象なので、それに掉さすことは、合理的思考ではない。そう思えば、実は、有難いことばかりなのだ、と思える。新聞に、別れ際不意打ちのごと友の言ふ夫の認知症進みてゐると(秋葉美恵)の句があった。そうか、認知症も進むのか、それが自然で、不可逆現象だから、その通りで、外から見れば、可哀そうに、と思えるが、本人にしてみれば、それは分からぬ、意外と、食事ができるだけ、ぐっすりと眠られるだけ、有難いと思っているかもしれない。自分は、年齢と共に、有難いと言える、有難爺さんになりたい。昨年の年末、加山雄三が、テレビ番組の中で、有難いと連発していたが、良い歳の取り方をしていると感心した。自分も、そうなりたい。

明日から仕事

今日は、9日成人の日の祝日で、3連休の最後の日である。もう、長いお正月休みも終わって、明日から本格的な仕事をする日が始まる。もちろん、4日から仕事は始まっているが、7日から9日までの連休があるので、多くの企業も、オンラインなどで、自宅勤務になっているし、もちろん、学校は冬休みだし、どこか、気持ちも身体も弛緩している。今は、スポーツジムから帰ってきて、書斎で、西窓から、うっすらと茜色の空を眺めているが、あと半時間くらいで、外は真っ暗になるだろう。関東地域は、ずっと晴天続きで、日本海側の皆さんには申し訳ないが、やはり晴天のほうが、気も晴れ晴れする。午前中は、講演資料の作成をしていたが、これも、自分の作品なので、出来あがると、我が子が産まれたようなもので、もう一度見たくなる。それで、見直すと、ニュアンスが違って、修正したほうがいいように思えて、スライドを変えるか、手を加えることになる。講演資料などは、誰でも経験しているが、最後まで、完成しないモノなのだ。講演の間際まで、否、終わっても、あそこを差し替えれば良かったとか、別のスライドを入れた方が良かった、など、際限がないので、人は、なかなか往生際が悪いものだ、と思う。午前中は、それで時間が潰れた、メールを見たり、予定表を書いたり、など雑用をしながら、その後、スポーツジムに行った。気になることは、審査系の仕事だが、焦っても仕方がないので、手帳に予定を書き込んで、決して変更しない、予定通り実行する、と自分に言い聞かせている。明日は、あまり好きな仕事ではないが、私的な用事で詰まっていて、夕方からオンライン会議がある。明後日は、などと書かなくてもいいので、省略するが、予定などは、こんなことで時間が塞がっていくので、何か大きなことをしているわけでもなく、ワクワクするわけでもなく、小さな出来事を、こなしているだけである。毎日とは、そういうもので、そうでなければ、非日常的な出来事になり、およそ都合の悪いこと、病気だとか、突発的な飛び入りの仕事だとか、などが多いのだろう。それでも、自分のような年齢になると、そのような仕事でも、昔なら雑用と呼んでいた仕事であるが、有難く思える。教育と教養が大事だとよく言われるが、今日行くところがある、今日用事がある、という略語だが、近年はオンラインがあるので、行く所がなくても良いが、何かしらの用事があるほうが、張り合いはあるだろう。但し、今日の午前中の講演資料作成などは、仕事ではなく、趣味とか楽しみなどに分類されるので、比較にならない。すべて趣味の世界で、という訳にいかないことは、この世の中の定めである、また、それだけで、人は満足できるかというと、それも、かなり疑わしい。ほどほどに趣味的な仕事をし、ほどほどに事務的な仕事もし、ほどほどに苦手な仕事もし、そして、運動もして、健康にも気を付ける、ということだろうか。明日から、本格的な仕事の舞台に立つ、ここは気張ってやるしかない。今日の新聞を探したら、こんな句があった。あたらしい靴も買ったしこれからも自分の道を歩んでいこう(楠井花乃)。そうか、この詠み手も、似たような気持でいるのか、靴を買って、どこか嬉しいのだろう、この靴で、踏ん張って前進するのか、いいではないか、年が新しくなったら、靴が新しくなったら、人は気持ちまで新しくなる。新しきことは、良きことかな、と、平凡なことを考えた。

早や6日

今は、金曜日の夕方、正月も早や6日である。明日は、七草粥を食べる日だから、もう1週間が経つ、平凡ながら、月日の経つ早さに、驚かされる。歳を取るのは、無理もない、と言いながら、毎日を過ごしているが、何もしないのではなく、今日も、ジョギングをして、うっすらと汗をかいて帰宅したが、家内が用意してくれた、グレープフルーツを食べるのが、楽しみになっている。夏のような大汗はかかないが、身体が、クエン酸を欲しがって、その酸っぱさが、身体中にしみわたって、元気をもたらしてくれる。あっという間に、窓から見る外の景色が、真っ暗になって、もう1日が終わった、という感覚になる。今日は金曜日だが、来週の仕事の都合によって、月曜の9日にブログを書く予定なので、1日早めて、パソコンのキーボードを叩いている。元日と2日だけ、朝餉に、お節料理にお屠蘇が付くので、なんとなく正月らしさを感じるが、3日から、普段の生活に戻って、朝食も、お節に飽きて、納豆などを食べたくなる。ただ、朝から、お酒が入ると、どこか、お琴の音色が聞こえてくるような気がして、そうか、お正月くらいだ、朝から酔っても、文句を言われないのは、などと考えて、小原庄助さんに親近感を覚えるが、庶民である自分には、その世界は2日間だけである。箱根駅伝などは、このだらけた我が身に比べて、あの若者の姿は何だろう、身を切るような冷たさだが、身体じゅうが、躍動して、力の限りを尽くして、タスキを渡すと、性根尽きて倒れる光景が、テレビを見ている自分と、あまりに違うから、感動を覚えるのかもしれない。自分のジョギングとは、天と地の差だが、凡人なりに、老人なりに、その世界に浸って、その後の酸っぱい柑橘系フルーツを食べるのを、楽しみにして、足を運んでいる。それでも、今日は初仕事をして、市内の教育センターに行って、1月と2月と3月、さらに4月以降の活動の打ち合わせをした。有難い、まだまだ自分でも、やるべき仕事がある、と思いながら、審査系の仕事があって、それは、膨大な時間を要する、ざっと見積もっても、1月下旬までに、30時間は必要なので、試算して、手帳に予定を書き込みながら、ホッとため息をつく。まあ、いいではないか、なんとかなるさ、と思いつつ、今年がスタートしたのだ、メールを見ると、仕事の匂いがしてくる。まあ、今年も頑張ろう、歳相応に、やっていこう、とここまで書いて、ふと手が止まった。お正月編では、新聞に歌壇が無いのだ、あるいは、まるで単行本のような分厚いお正月用の新聞に恐れをなして、かなりの枚数をゴミ箱に捨てたので、歌壇が混じっていたかもしれない。それでコラムに、小林一茶の句、とし玉のさいそくに来る孫子(まごこ)かな、があったので、引用しよう。江戸の昔から、お年玉の習慣はあったようで、そう言えば、お節料理、お宮参り、お屠蘇、お飾り、さらに七草粥など、すべて昔からの引継ぎの行事である。たぶん、昔の人も、三が日は、小原庄助さん気分で過ごしたか、あるいは、3日目は飽きて、外に出かけたか、まさか、ジョギングはしないだろう、車もないし、誰もが健脚だから、健康のために走るなどの野暮なことはしないか、と思いつつ、自分が昔なら、長屋に住んで、貧乏ながら、平凡に過ごし、孫がくれば、お年玉をやって、息子とお屠蘇を酌み交わしていたかもしれない、たぶん、今年も良い年になるといいな、と言いながら、ご隠居の身分で、長屋の近所と挨拶を交わしていただろう、とたわいもない空想をした。どうも、まだお屠蘇気分が抜けないようだ。

迷う時には

今は、3日火曜日の夕方、外は真っ暗で、できれば、明日の水曜日にブログを書きたかったが、来週の仕事の関係で、今日に書くのが都合がよいからである。元旦の朝、ブログを書いたので、中1日だけなので、書く内容がないような、あるような、中途半端な日なのだが、来週は10日から仕事が忙しくなるので、その前の9日月曜日にブログを書く予定になっていて、どうも週2日の日程を考えると、今日書いた方が良い、という、あまり意味のない結論である。明日は4日、お正月気分が抜けて、仕事始まりだが、今日3日から、その準備をしておいたほうが、効率的なのである。お屠蘇気分と言っても、元日と2日くらいで、3日は、平日との橋渡しの日だと思っているので、朝から資料を作ったり、合間に箱根駅伝を見たり、2階と1階を行ったり来たり、そして、家内と車で出かけて、用事を済ませたり、それなりに忙しかった。午後3時にスポーツジムに行って、今年の初ゴルフ練習、といっても、下手なクラブを30分振っただけ、その後プールで初泳ぎをして、先ほど帰宅した。この歳になると、健康第一なので、31日から2日まで、ジョギングをしたが、うっすらと汗をかいて、身体を拭くと、身体に溜まっている老廃物を出したようで、ゴミ集配車が来て、すっかりゴミ箱が空になったような気がする。初スポーツジムだったが、かなりの人数で、誰も、お正月で鈍った身体を、シャキッとしたいと思っているのだろう、自分も同じで、行く前と今では、気持ちがまったく違う。よし、というのが今なら、行く前は、やめとこうか、というささやきが聞こえてきて、ふと誘惑に負けそうになる。しかし、行って良かった、迷う時には、する方に掛けると良い、とは、長い経験からくる人の知恵だろう。ブログもそうだ、今日にするか、と、明日でいいではないか、今日は、もう遅い、という声が聞こえてくるが、およそ、そのささやきに乗ると、後で後悔することが多い。明日の予定はあるが、どこかで変わることもあるからだ。突然の事で、予定通りにはいかない。仕事の仕方も、同じだろう、だから、ブログは今書く方が良いのだ、と思ったが、ふと困った、お正月のためか、新聞の俳句や短歌が、掲載されていないのだ。どうしよう、新聞のコラムから引用することをお許しいただきたい。気に入った、文章があった。大臣などになると、人が群がり、止めると、潮が引くように去っていく、その人を形容して、上り坂の高揚と下り坂の孤独を知る人だった、と書いてあった。それは、大臣に限るまい、スポーツ選手も、芸能人も、そして企業人も学者も、すべての人に通じる世の中の諸相である。無常でも薄情でもない、この世のことは、すべて浮き沈みがある、だから、平凡が最も有難い、その浮き沈みの振幅をなるべく小さくしてもらいたい、と思っている。お正月に2か所のお宮参りをして、そんなことをお願いした。もう自分も長い人生を生きられるわけではない、静かに着地できれば最も良い、と思っているが、予測できないのが、この世の中である。何が起きるか分からない、後悔しないように、生きていこう。今日はブログを書いたので、明日は時間がなくてもかまわない。たぶん、後悔しない。

大晦日

今は、令和5年の正月元旦、朝6時半過ぎである。実は、昨日大晦日は土曜日だったので、夕方ブログを書くつもりだったが、すっかり忘れてしまった。午前中は、いつもと同じで、審査系の仕事をして、午後はジョギングもしたが、少し早めの午後3時過ぎに息子家族4名が、やってきた。仕事のこと、近況のこと、孫のこと、健康のこと、話すことは、どこの家族でも同じように、山積している。1階和室の和風テーブルに背もたれ座椅子で、お茶を飲みながら、というスタイルは、大人にとって、すぐに時間が経ってしまう。小学生の孫たちは、流行のテレビゲームで夢中になっているので、大人の時間なのだが、その時間が過ぎると、少し早めのお風呂、少し早めの夕食、そしてテレビ番組、という恒例のパターンになる。大晦日は特別の日なので、時間割が違うことは、当たり前だが、すっかりブログ書きを忘れてしまった。誰もが、元気で、健康なことが、何よりのお土産で、その言葉を聞きたくて、その様子を見たくて、五感のすべてが、全開している。嬉しい話であれば、どんな小さなことでも、それが、サッカーでシュートしたこと、運動会で放送委員になってアナウンスしたこと、であっても、また、仕事で役職に就いたこと、などであれば、なおさら、心地よい響きとなって、幸せな気持ちになる。夕食は、鍋料理がメインで、お刺身、野菜など、お酒は、ワイン、ビール、ウイスキーと、好みに応じて飲み、食後は、お菓子を食べながらのテレビになるが、数年ぶりだろうか、紅白歌合戦を視聴した。若い人の歌は、分からない、興味も湧かないが、小学生の孫、女の子は、歌も歌い、踊りもする、のは、この年齢では、すぐに吸収するからだろう。老夫婦は、もう9時半までが限界で、それ以上のテレビ視聴は、耳に悪いと思って、2階の寝室に行った。大晦日は、どこか昔に戻るのか、郷愁を誘うのか、自分の子や若い孫の姿に、ほっと安堵感を覚えるのか、自分を振り返って、まだまだ大丈夫と思うのか、昔の自分に出会うような気持がする。新聞に、県境の峠下がれば商店にふるさと訛り聞きてうれしき(大津雄志郎)の句があった。ふるさと訛りを聞いて、話す人に、身内のような親近感を覚えたのだろう、どこか帰省した息子家族に通じる気持ちのような気がする。それを見て、まだまだ頑張らなくては、と思うのは、老人の強がりだろうか。1週間前の12月23日に、新刊書を出版した、STEAM教育と俯瞰力(ジャムハウス出版)だが、どこか、大丈夫、まだまだこれからだ、と、新年にふさわしい気持ちになった。今年も、よろしく。

なんとかなるさ

今は、火曜日27日の夕方、午後6時近くになった。先ほどまで、オンライン会議があって、時間が延びたので、仕方がない。明日は、28日の御用納めだが、午後6時から、所属する団体のオンラインセミナーがあって、自分は、流行の言葉で言えば、MCだが、ホストというほうが、分かりやすいが、そんな役目なので、当然ながらさぼる訳にはいかない。毎回ゲストを迎えて、1時間のセミナーで、今年のセミナー納めだから、ブログを書く時間はない、だから、今書いているが、出来れば、午後5時くらいから書きたかった、およそ1時間かかるので、これは、校正とか推敲の時間を入れてだが、午後6時に終わると、その後、お風呂に入って、小説などを読む時間、といっても、せいぜい15分程度だが、を確保して、夕食に向かう、のが、ブログを書く曜日の時間割である。今日は走り書きで申し訳ないが、7時のNHKニュースは、どうしても見たいので、なんとか仕上げるとしよう。今日も、いろいろ忙しく、明日も御用納めで、午後7時まで、仕事が待っている。思えば、有難いのだが、振り返ると、誰でも同じだが、都合の良いことと、悪いことが、必ず起きる。それが、仕事である。そこから逃げようとか、腹立てるとか、不安になるとか、悲観するとか、誰でも同じだと思うが、その気持ちが嫌で、なるべく逃げないように、そして、出来ることはやってみよう、としているが、凡人には、難しい。だから、逃げないようにやってみよう、としている、と努力目標だけを書いた。ただ、後になってみると、ほとんどの内容や原因が、自分のせいとか、勘違いとか、誤解していたとか、気付くのだ。あの時、怒らなくてよかった、言うことを聞いて良かった、と、胸を撫でおろすことが、ほとんどなのだ。歳を取るごとに、そんな経験が蓄積されて、まあまあ、この世のことは、なんとかなるさ、という、理想なのか、諦めなのか、分からないが、そんな気持ちに近づいてくる。実は、その気持ち、それは脳に安らぎを与えることだから、幸せ感を促すホルモンが分泌されるはずで、人の生き方に、良い効果をもたらす、ことにつながるだろう。新聞に、干蒲団ただそれだけの平和かな(今泉準一)の句があった。この句が目に留まったのは、自宅の居間に、山のように干し蒲団が積まれているからである。居間は、南向きの庭につながっていて、太平洋側の冬型の天気の典型で、真っ青な空から、お日様が、天からの恵みのように、降りそそいで、布団を温かさで、くるんでいる。それを見て、誰も怒りはしないだろう。家内が、お正月に実家に戻ってくる息子夫婦と孫たちのための、準備なのである。通年なら、娘家族も一緒で、合計10名の蒲団を干すのだが、今年は少ないが、それでもその光景を見ているだけで、心が温かくなる。この句の詠み手のように、平和なのである。うーん、今年も確かにいろいろあった、嬉しいことも、そうでないことも、だが、それは、人間の煩悩のようなもので、悲観することもある、そしてそれは必ず起きる、とすれば、嫌なことに心を占領されたくない、楽しい思いで満たされたい、とすれば、この世のことはなんとかなるさ、が、一番良い心の持ち方だろう。現に、このブログを書いた時間は、今で20分程度だった。ただ、出来ばえは保証できない。しかし、これで、いつものように、この後が楽しめる。

世の不条理

今は、土曜日の夕方で、外は真っ暗だが、今日は、12月24日、クリスマスイブである。平穏な夜を迎えるのが通例だが、世の中は、どうもそうはいかないようで、日本海側は大雪で、車の大渋滞で、耐えられないような時間を車の中で過ごした、と言うが、なんとかならないものか。アメリカも、大寒波の襲来で、停電が重なって、寒さに身を凍らせて、耐えていると、お昼のテレビ報道で知った。ウクライナの惨状は言うまでもなく、電気ガスなどの、生活インフラを中心に攻撃されて、暖房なしで極寒の冬を過ごすというから、ロシアには人道の欠片もない。遠く離れた日本から、歯ぎしりをするだけである。この世は、どこに行っても、惨状があり、心から同情するが、平凡な市民としては、どうしようもない。昔、学生運動が盛んだった頃は、プチブルと言って、軽蔑されたものだが、歳を取ると、若い頃のように、正義感に燃えて、気勢を上げるわけにもいかない。いくら革命を起こしても、すべての人が幸せになることは、あり得ないことは、諸外国の例を見れば、すぐ分かる。幻想に過ぎないのである。北陸地方の人々には、申し訳ないと思いながら、抜けるような青空を見ながら、スポーツジムから帰ってきた。しかし、街ゆく人のコートを飛ばすような、強烈な風が吹いていて、体感温度は、かなり低い。クリスマスイブなのに、と思いつつ、昔のような、赤いサンタの帽子をかぶった酔客が街を歩くような光景は、東京でもたぶんないだろう。コロナ禍以降、何もかも変わったような気がする。カリフォルニアに滞在していた時、クリスマスイブは、日本のような派手な騒ぎはないが、家々で、ケーキと大きなチキンの皿が、食卓にドーンと乗せてあって、家族でクリスマスイブを祝っていたようで、家内と2人だけで、渡米していたので、ささやかな晩餐だったことを思い出す。いつも夕食は、7時からだが、今日のレシピは、チキンの手羽焼きがメインディッシュらしく、あの香ばしさと美味しさが、楽しみだ。スポーツジムに行って、この寒い日にプールで泳ぎ、温かい料理をいただく、なんと贅沢な、といつも思う。先に書いたように、この世の不条理はどうにもならないことは、知っていながら、そして、自分だけがぬくぬくとしてるのは、小市民、プチブルと言われることは、承知の上である。スポーツジムに通えること自身が、健康であることの証であり、振り返ってみると、今年1年、感染病になった以外は、それも、1日だけ38度越えの高温だったが、それ以外は平熱だったから、はしかのようなもので、本当に無事に過ごせた。新聞に、病院に泣き場所欲しき十二月(菅沼葉二)の句があった。病院だから、大勢の患者さんがいるだろう、それぞれの思いを持って、もうじき退院できるとか、経過が順調だとか、深刻な病気ではなかったとか、嬉しい思いの人もいるだろう、そして、一人で、周囲に誰もいない隅で、泣きたいような思いの人もいるだろう。そんな辛い思いをしている人は、元気に回復に向かっている人を見ると、余計に涙が出てくる、慰めの言葉は要らない、欲しいのは、一人になれる場所である。年の瀬には、その辛さが余計に身に沁みるのだろう。自分が、もしそのような状態だったら、ブログどころでなく、悲観にくれているかもしれない。世の中の不条理を知りながらも、自分が小市民であることを知りながらも、未来はまだ捨てたものではない、来年こそ、素晴らしい年になる、と、声を掛けたくなる。

仕事と遊び

今は、水曜日の夕方、午後5時を過ぎると、書斎の窓から見える外は、夜である。ブログを書く曜日は、週2回、火曜日と土曜日を標準にしているが、いつもきちんと守れないのは、世の常である。昨日は、夜11時半に帰宅した。すぐに寝ても真夜中の12時になるが、都心で懇親会があったからだが、仲間とのくだけた忘年会ではなく、集まったお歴々は、いづれもその分野で名を成している人たちで、自分を除いてだが、自分はそれなりに気を遣ったので、少し疲れた。が、ほっとして、振り返ってみれば、宴がすすむごとに、座が盛り上がり、といっても、自分を入れて4名だが、楽しい雰囲気になった。途中で、三味線を弾く、プロの弾き手が、目の前で演奏してくれ、まるで、京都のお座敷にいるかのような錯覚を覚えた。自分も歳を取ってきたので、このような付き合いも仕事の内と、言い聞かせているが、腹が決まると、それも楽しい。料亭だから、そんな雰囲気があるが、自分には場違いの世界なので、どうも座り心地は良くなかったが、それもいいだろう。今日は、先ほどまで、オンラインでの対談があった。これは、昨日の懇親会と違って、自分の専門の話をすればいいので、気は楽で、話が弾んで、最後の落とし所に、きちんと着地できた。昨日、オンラインで事前の打ち合わせをしたが、今日の本番は、その場の雰囲気で、話が飛んでいくが、それが快感でもある。youtubeだが、プロが編集して公開するらしい。昨日の寝不足があって、今日の対談の途中で、居眠りをしないか、心配だったが、話の中に入ると、脳もシャンとするらしく、それなりの筋道はできたようだ。今は、ほっとして、ブログを書いている。こうして、時間が過ぎて、1年も終わっていくのか、それでも、不慣れな料亭での懇親会、今日のオンライン対談、年末だが、それなりにせわしく仕事をこなしている。都心での会食も、オンライン対談も、なんとなく新鮮さがあって、充実感もある。先週も、オンライン対談があったが、ストーリーのない、どこで脱線するかわからないことが、多少のスリル感があって、脳を刺激するらしい。もし、つっかえたら、とか、もし言葉を思い出さなくて、恥をかいたら、などもあるが、よし、と決めれば、杞憂にすぎなくなる。この歳でも、こんな新しいことに触れると、どこかワクワクするらしい。新聞に、神田川ニコライ堂や聖橋(ひじりばし)たづね行かむとおもいたるのみ(松山光)の句があった。確かに、お茶の水駅あたりは、湯島天神や神田明神や大学なども多く、江戸情緒の雰囲気があって、自分も好きな場所である。大学や駅近くのビルで、何度かイベントに参加したが、たまに、神田明神などを覗いたりすることもある。仕事の合間の遊び心での寄り道も、どこか童心に帰るようで、楽しい。先週も今週も、仕事と遊びが混じっているようだ。昔の風流人とは、このような気分なのだろうか。