長い休校措置で、子供たちの学びが心配になる。子を持つ親であれば、孫を持つ祖父母であれば、誰も同じ気持ちだろう。街を親子連れが歩いている。Vの字になって、幼子が両手を両親にあずけて、時々顔を見上げて話している。幸せという文字を、その姿いっぱいに映し出している。そのような光景がはばかられるのは、子供たちから幸せをもぎ取っているようなものだが、しばらくは我慢するしかないのだろう。いろいろな会合で聞くと、小学校の担任の先生から声掛けの電話があると、子供たちが元気になり、出された課題をやり始めると言う。だらだら過ごす張りのない顔から、明るい顔になると聞いた。子供は、先生の声を聞いて学校の生活を思い出すのではないのか。それは、幼子が街を親子連れで歩く、あの満ち足りた心を呼び戻すような嬉しさではないだろうか。この親の元に生まれてよかった、この先生が担任で良かった、この学校で良かった、この町に育って良かった、というwell-beingな心が呼び戻るからではないか。1日も早く、子供たちを心身ともに健康な状態に戻さなけければならない。
コロナ禍よ、終息に向かえよ

コロナ禍の全国感染者数のグラフが気になる。誰でも同じだと思うが、この感染者数の速報を見るのが日課になった。このブログでも何回も速報グラフを元に自分の考えを書いているが、近い時期に終息に向かうと予想している。1つは、統計的な傾向である。統計は嘘をつかないと以前に書いたが、誰が見ても4月11日から下降減少にあることは明らかである。いくつかの山もあるが、それは曜日や在宅勤務状況やクラスターの発生状況などに依存するのだろう。そのような要因は揺らぎとして、つまりいくつかの山となるが、全体の大まかな傾向としてグラフを見るのが統計的な見方だろうと思う。2つは、日本人の特性や文化や習慣の要因だと思う。子供も親もマスクをし、家では清潔さを保ち、不足ならばマスクを自作し、ルールを守って自粛をしながら、今日に至っている。街にゴミはまったくなく、どこの店にも消毒液があり、帰宅しても必ず手にきれいにし、ウイルスをまき散らさないように気を付ける。そんな日本人の素晴らしさと生真面目さに、改めて気が付いた。子供たちに、伝えていきたい文化であり、日本人の誇りである。日本に生まれて良かった。
我慢の中で生きる
今は、外出自粛、3密を避けるなど、我慢の時期である。我慢は、自分の心を制御することだが、これを活用することも庶民の知恵である。家内が布マスクを洗濯し始めた。殺菌力の強い太陽を浴びて真っ白になったマスクは、心地良い香りがして、フレッシュな気持ちがする。洗えば何度でも使えるという経済性もありがたい。緊急に読みたい本があって、初めてキンドルで注文したら、当たり前だが即時にファイルをPCにダウンロードできて、楽しみが増えた。書店は開業していないし、注文の本を郵便で待っていたら数日は確実にかかる。自宅の部屋や家の周りを片付け始めた。普段気になっていても、なかなか腰が挙がらなかったが、整理するという心のスタート地点に立った。学校の先生方は、自主的にZoomなどの操作を覚えて、子供たちとコミュニケーションをし始めた。これまでICT機器の教員研修でも逃げ腰の先生方が多かったのに、どこか劇的な変化が生じたようだ。我慢や制限があって人を自由にさせない、つまりどうにもならない状況が人の行動や知恵を動かす、状況の中に知識が埋め込まれている、とは状況的学習の考え方であるが、その通りだと思う。
パチンコ店の営業
新聞報道によれば、営業を続けているパチンコ店があり、店名を公表しても平然と開き直っていると言う。パチンコ店のような人が集まる場所はクラスターが発生しやすいことは明らかで、個人が公園に散歩に出たり近所をジョギングすることとは、質が違う。マスクをしながらジョギングすると息が苦しいので、走る距離が少なくなったと、孫から連絡があった。子供でもルールを守ろうとするのが、社会生活をする人々の心得である。パチンコ店を営業する人は、人が集まるからという理由を言うかもしれないが、それは人の非常識な欲望を満たすことと同じで、平時なら仕方ないが非常時には当然ながら罰則的な行為であろう。自分はパチンコをしないので説得力はないかもしれないが、禁煙と同じで、パチンコ依存症の人は、これを機に止めたらどうだろう。禁パチ運動を起こしたらどうだろう。
自粛と言うこと
自粛することは、今の状況では致し方ないが、ほとんどすべての企業の営業停止や自宅から外に出るな、という要請をますます強めるのははいかがなものか、と思う。というのは、自分自身が守れそうもないからである。散歩もジョギングもできず、スーパーマーケットも自粛して営業日数を減らせとは、庶民の生活はできないことになる。生活ではなく、生きていけないことになる。10日間も家にじっと閉じこもるのは、人間であることを止めることと同じくらい苦しく、独房に入ることと同じである。いろいろな歪、家庭での息苦しさや子供たちの精神的・社会的な悪影響、夫婦間や親子間のストレス、これらの影響は、コロナ禍後の日本にとって重要な爪痕を残す。しかし、国民の命を守ることが重要だという論理には、その通りと言うしかないが、その土台となる人間はどう生きるのか、に目をつぶってはいけないのではないか。あまりにも代償が大きすぎる。下記のグラフのように、順調に感染者数は減っており、緊急事態宣言は効果を発揮している。油断すると言ってるのではない。精神的・社会的に健康であるという状態を維持することは、どのような緊急事態にも対抗できる強力な方法だと思うからである。
コロナ感染からの脱出
2020年4月23日午後5時現在の全国感染者数のグラフは、上記の通りである。4月22日のブログで、感染爆発は起きないと予想した。もちろん自分は疫学の専門家ではないが、ピークの4月11日から全体的に感染者数が下降していることは、誰が見ても明らかである。統計は嘘をつかないはずなので、これは明らかに国の緊急事態宣言の効果であろうと思う。少なくとも人が接触する物理的な頻度が減少するので、感染者数が減少するのは、素人であっても自然な見方と言える。もし、これが増加するとすれば、それは在宅勤務、企業の自粛、外出自粛、休校措置などの意味がないことになり、その原因は、カタストロフィックな、上記の傾向に反する不連続な要因である。簡単には、施策と真逆な人々の行動が生じたことになる。たぶんそんなことは起こりえないが、国や自治体の責任者は、連休の人出を不安に思っているのであろう。このまま推移して、5月6日には、かなり減少した数になると期待したい。
庶民ができること
近所から手作りのマスクをいただいた。やや大きめで効果がありそうなマスクである。自宅の小さな菜園で採れた野菜のお返しである。野菜造りは主に家内の役で、自分は雑草係であるが、コロナ禍で自宅勤務になると、時間的に余裕ができるので、菜園にも目が届く。日本の庶民は、江戸の昔から、もっと昔から、このような付き合いをしてきたのだろう。3.11の大震災の時も、同じような支えあいがあった。昭和20年代の戦後の混乱期にも、近所で助け合ったと聞く。家庭内も近所も、支柱を使ってキュウリやえんどう豆を作るように、支えあっていきたい。それは、程よい関係でなければならない。支柱は、2本が寄り添う力のバランスで安定している。新聞では、コロナ禍で家庭内DVが起きていると言う。子供たちへの影響が心配になる。庶民ができる、最も身近で大切なコロナ禍への対応は、仲良くすることである。
感染者数の推移

2020年4月21日までの感染者数の推移である。4月11日をピークに全体的に下降傾向にあるように見える。
https://newsdigest.jp/pages/coronavirus/
欧米の研究者は、日本の感染爆発の予測をしているが、日本と欧米は違うと思う。4月11日のピークがそのまま直線的に増加すれば、累積感染者数は等比級数的に増加するので感染爆発になるが、このグラフはそれを示していない。日本の医師は、医療現場の危機を訴えて、感染者数を押さえたいという意識が強いが、その通りだと思う。問題は、医療が対応できる感染者数であり、日本の医師の専門家の意見に従って、市民として協力したい。日本の死者数は世界に比べて圧倒的に少ないので、当たり前だが入院する感染者数を減らすことだ。感染者数は数理的シミュレーションだけでは決まらない。数値化できないパラメータ、つまり多くの要因によって影響を受けるので、私たちは、報道されているように、3密を避けて、手洗いやマスクなどの防御、そして健康的な生活を維持するしかない。
NHKスペシャル

2020年4月19日(日曜日)夜9時からのNHKスペシャルは、興味深かった。北海道の知床で暮らす84歳の老漁師は、この地に生息するヒグマが、漁師たちに被害を与えないように、叱るというドキュメンタリである。その叱り方は、この地で得た経験的なわざであったが、同時に、ヒグマと共存するすべも知っていた。叱るには、人間は決して後に引かないという気迫を伝えなければならない、同時にヒグマも飢えから身を守るために、漁師が獲ってきた魚を横取りするのではなく、別の生き方をしなければならない。それが、共存の考え方であった。つまり、人もヒグマも、やさしさと厳しさの両面を持つ自然の中で共に生きる意味であり、自然からみれば、同じような存在である。それは、今のコロナ禍に対応する人間の在り方を示唆しているようだ。
日曜日
今日は、日曜日。在宅勤務以来、お昼休みを長くとって、散歩を慣例化している。よく晴れて雲一つない真っ青な空に包まれて、心が軽くなる。航空公園まで歩いていくと、幼児を乳母車に乗せた夫婦、犬を連れた人、サッカーボールをドリブルしながら駆ける少年、公園の芝に寝転ぶ若者たち、それぞれの姿が、日曜日の公園によく似合う。暑いほどの陽気で、上着を脱ぐ人、高校生くらいの若い人の弾けるような笑い声、父親らしき人が自転者に乗って、息子を走らせて激励している声、ベンチでくつろぐお年寄り、アイスを食べる子供たち、どれもこれも昼下がりの良く晴れた日曜日の公園に、よく似合う。コロナ禍とは無関係の光景がある。人は、大変な時でも、大変な時だからこそ、穏やかな日常を非常時にかぶせて、幸せを味わう知恵を持っている。

