オンラインの講義

昨日は一日、オンラインによる研究発表大会で過ごした。オンラインなので相手が見えないで、質疑もできず、ただ一方方向で話す講演も、悪くないと感じた。アクティブラーニングではない、かつての大学か放送大学の講義を、思い出した。最近はオンラインセミナーやオンライン講演が多いので、慣れてきたようで、むしろ対面よりいいかもしれない。画面を見ながら、スライドを見ながら、脳が活性化しているようで、それは自分の音声が脳にフィードバックするからで、そのループの中で、気付くことも多い。だから、余分なことを話してしまうようで、昨日もその前も、実は、準備したスライドの6割程度で終わってしまう。計画通りいかないのであり、思いついて、挿入するので、このような結果になる。かつて、高校や大学の講義では、脱線する教師に人気があった。講義内容よりも、脱線に引き付けられることが多かったからだが、私の場合は、そのような横道にそれるのではないが、いろいろなことに気付くので、話に出てくるのである。ただし、時間は厳守なので、電波時計を前に置いて、1秒の狂いのないように終わるので、計画通りの内容は話せない。ただ、前のブログでも紹介したが、本を読むと、そこから自分だけの映画館が始まる、という小学生の文章のように、話しながら、自分の物語に入っていくようだ。その後、嬉しいメールが届いた。かつて私の研究室で学んだ宮崎大学の先生から、学生たち60名にオンラインで視聴させて好評だった、という。昔を思い出した。

プロの仕事

昨日は、午前はオンラインセミナーで講演をして、午後は都内の会議に参加し、帰宅してすぐにオンライン会議と、忙しかった。その上、顔に絆創膏を張っており、右手も多少痛いのでままならない、満身創痍とまではいかないが、少し傷をおったままの仕事だった。まあ、たまには良いか、1週間もすれば治るので、と思いながら仕事をした。体調不良の割には、自分としては満足のいく仕事ができた。以前、このブログでも紹介した、誇りと幸せ、は仕事でもらう、という塗装職人の会社の責任者が言っていたが、調子が良い時でも悪い時でも、仕事とか活動などは、そのようなものだろう。都内の対面の会議では、いろいろなプロの仕事ぶりを見せてもらった。なるほど、さすが、と思うことがいっぱいあって、そのプロの人に比べれば、自分はまだまだ、と思って、生涯勉強なのだと改めて感じた。プロは、誇りを持ち、そこに、生きがいと幸せを感じている。内容を公開できないので詳細は書けないが、思うことが一杯あって、良い経験をした、という感慨があった。今日、つまり、11月13日は、朝9時から夕方までオンライン研究発表会に参加の予定である。宮崎県の研究発表会であるが、今日もたぶん勉強できるだろう。プロの仕事ぶりを見せてもらえるだろう、と思えば、何も心配することはない。70分という多少長い講演をこなすことだが、見えない相手に話すことも、また楽しい。

怪我をする

昨日夕方、と言っても、最近は日が落ちるのが早い、6時になると真っ暗になって、足元が見えない。5時過ぎになってジョギングをしたが、後ろから自転車が来るので、横に足を動かしたら、あいにくと段差になっていて転倒した。とっさに手をついたが、舗道はコンクリートなので顔を打った。ケガである。家に帰ってみたら、相当に顔に傷跡がある。家内に消毒や絆創膏など張ってもらい、今後夕方は決してジョギングをしないと、約束させられた。無理もない、年齢が高いと大きな怪我になるので、致し方ない。運悪く、今週は極めて忙しい。今日は、午前はオンラインセミナー、午後は、公開ブログなので書けないが、仕事としては大一番と言ってもよいくらいで、都心に出かけて夜9時まで入っているが、夜は自宅からオンラインにしてもらう予定だ。明日は、終日オンライン研究大会で、講演も70分しなくてはならない。土曜日もオンラインがあり、日曜日は、自分の研究では、やはり大一番で失敗できない仕事がある。運が悪いとは、このことか、と嘆いたが、家内に慰められた。目や頭に傷はないので、大切なところは怪我がなかっただけ、良かったではないか、と言われば、確かにそうだ、そして、オンラインの講演が続くが、今の時期ならマスクをしても許される、と言われて、なるほど、それもそうだ、と思ったら、少し気が楽になった。怪我をしようが、病気になろうが、世の中は待ってくれない、というなら、最大限の対応をすべきだ、と考えた。オンラインで、怪我をしたので、マスクでお許しいただきたい、と堂々と言いたいので、何も問題はないだろう。隠したくはないのだから、このブログもどうしようか、と思ったが、たまには、落ち込むような話もいいのではないか、そのほうが、自分らしいと思ったので、今日は怪我の話を書いた。

著作権処理

今日は都内に出かけるので、朝の時間が厳しいが、ブログも少しでもいいので書かないと、宿題をやってこないで登校する小学生のような気分になるので、書く。昨日は、ある団体が主催する、来年度の講習会の資料、と言っても、4回分のビデオオンデマンドだが、その資料の打ち合わせをした。このビデオが厳しい。何が厳しいのかは、著作権や肖像権の処理である。何かを、受け手に訴えるには、文字だけでは無理で、どうしても、写真や動画などを資料として提示したい。そのためには、研究文献ならば引用の明記、写真なら本人への了解、動画も当然であるが、音楽も著作権料を支払う必要がある。一回だけの講演などでは、授業と同じという位置づけであれば、許諾が取りやすいが、ビデオオンデマンドは、サーバに格納して受講者のニーズに応じて、いつでも配信するので、その著作権処理が厳しいのである。これまでは、自分が講演しても、ビデオに録るのは構わないが、コピーして他に配るのは止めてほしい、と主催者にお願いしていたが、立場が逆になった。それで、なかなか許諾処理が難しいので、主催団体と打ち合わせをして、分担することになった。もちろん、これまでも、出版でも同じ処理をしてきたが、ビデオの場合は、より一層厳しい。これまで逃れてきたが、やはりきちんと対応しなければならない。これも、その気になるかどうかで、決まる。良い勉強のような気がするので、早速対応したい。今日は朝に出かけるので、どうしようか、と迷っていたが、このブログを書いたら、すぐに手を打とう。世の中は、なんとかなる。大したことではない。

やる気が起きない時

昨日は忙しかったのでお昼も食べそこなったが、都内に出かけると新鮮な感じがするので感覚がおかしく、すっかり在宅に慣れてしまった。午前中は、有楽町にある企業のショールームでの対談だったが、土地柄か、しゃれた雰囲気があって、都会の香がする。カメラマンに写真を撮られるのも久しぶりで、どこか気恥ずかしい気持ちになる。日比谷まで歩いて、といっても、5分程度だが、千代田線でオフィスのある溜池山王に行った。いろいろな会合もあったが、夕方のオンライン研究会は遅くなって、8時半から夕食をとった。その時のリラックスした気持ちが、食事をより一層美味しくさせる。今週が忙しいのは覚悟しているが、そう思っていると苦にならない。日常になると、時間が解決してくれる。ただ、メモして、予定を立てて、事前準備して、これならいけそうだ、と気持ちがその方向に向くことが大切で、その時は安心して事に臨める。ブログでも忙しいと書かないでおこうと思うことも多いが、書く前に気が乗らなくても、ブログのページを表示しておくだけで書くことができる。何でも、やる気はなくても、そのつもりはなくても、ページを見るだけ、メモしておくだけ、ポストイットを置くだけ、しおりをはさんでおくだけ、で、やる気を起こさせてくれる。たいていの人は、このようなものであろう。動機付け理論よりも、現実的な対処法である。

忙中楽あり

昨日は日曜だったので気が楽だったが、隣家の庭に出っ張っている木の剪定や、運動靴や細かな日常品の買い物や、スポーツジムで運動するなど、午後も楽しい活動があった。1週間が経つのは、平凡だが早い。早くも喪中が届き、今年は年賀状を出さないといけない、とか、1年の締めくくりの時期が近づいてくる。ただ11月は活動の真っ盛りで、まだ心の余裕もなく、特に今週は忙しい。今日は、都心に出かけるので、時間に追われているが、都心に出る時、電車の時刻と場所を確認しないと不安なので、いつも地図や時刻表を印刷して出かける。今日は、有楽町、溜池山王、飯田橋と3か所を回り、帰宅してからもオンライン会議があるので、日程が詰まっている。それでも、余裕を持ちたいと思い、事前に準備をしておくことが多くなった。若い頃は、かなり現場で出たとこ勝負のようなこともあったが、それだけ忙しかったこともあるが、年を経ると、そのようないい加減な対応では、相手に見抜かれてしまう、という実践値が働くので、事前準備に時間をかける。したがって、書斎での時間が増えるので、申し訳ないが、コロナ禍のおかげで、外出することが少なくなって移動時間が無くなり、時間調整がうまくいく。準備があれば、心配や不安は無くなる。今日も、その意味ではなんとかなるだろう。新聞社の対談、事務局会議、科研費の打ち合わせ、研究会の参加、などだが、帰りの電車の中で、読みかけの小説を読むという楽しみもある。忙中閑あり、の気持ちが嬉しい。

研究発表会に参加する

昨日は、教育研究団体の発表会にオンラインで参加した。良かった、というより、素晴らしかった、得るものが多かった。優れた発表には、どこか共鳴する。共鳴するから、優れた発表になるのか、その因果関係は明確でないが、たぶん、それは聴衆者の専門や興味に依存するのであろう。小中学校の先生方による実践発表に、きらりと光る内容が隠されていて、それに共鳴し、大学の研究者による新しい考え方に惹かれ、朝9時から夕方まで、オンラインで過ごした。対面だと、その後で発表者に声をかけることもできるが、オンラインではできないのが残念だが、気持ちは残る。教育系の研究会では、実践者も研究者も、同じセッションで発表する。昔は研究者の立場でしか、研究が見えなかったが、今は、実践の立場で見える、というよりも、見たいと努力している。特に、小学校の実践に光るものが多いので、そこから学びたい。このことは、このブログでも何回か書いているが、科学研究費をいただいているので、これからの数年間は、その研究をしたいと思っている。自分も、例えば出版や講演などもしているが、その不安は、本当に教育に役立っているのか、現場の声を聴いているのか、現場の課題を捉えているのか、独りよがりになっていないか、という自省である。その声は、いつも聞こえる。もし私に研究指導者がいるとすれば、その声は先生からのアドバイスであり、そこに近づきたい、という生徒のもがきである。昨日は、そのアドバイスの声を聞けた。

花を咲かせる

昨日は車の半年点検で、夕方にホンダのディーラーに行った。1時間程度で点検が終わるということなので、その間に少し早い夕食をとることにした。金曜の夜は、外食にすると決めて、家内と2人で外で食事をするが、と言っても、たいしたものではなく、昨日は焼肉だった。最近は、焼肉屋さんも競争が厳しいようで、その近くにも、食べ放題などの看板のある別の店もある。我々のような年配者には、むしろ少ない方が有難い。安くてうまい焼肉で、堪能してホンダ特約店に戻った。点検が終わって、丁寧に対応する女性が出てきて、説明を受けて、通りまで見送ってもらった。家内が言うに、素晴らしい、前はスチュワーデスだったに違いない、と言ったので、そうか、と思っていたら、胸に研修生のバッチをつけていた、と言ったので、ふと新聞記事を思い出した。ANAやJALの客室乗務員が、トヨタなどの自動車産業に出向する、というニュースだった、と思う。今や、海外へお客を乗せて飛び立つ飛行機は、ない。文字通り翼をもがれた鳥と同じで、飛び立てず、仕事がなく、給料も激減し、生活も苦しくなる、のは必定である。スチュワーデスは、過去でも今でも、花形の女性職業の1つだろう。そういえば、お客への対応は、これまで見たことがないような見事なもので、文字通り華やかな花が咲いているような美しさがあった。職業に貴賤はない、どの職場でも、きれいな花は咲く、それは、外見だけでなく、にじみ出る真心という贈り物を添えて対応する姿である。家内と車の中で話して、今苦難を強いられている多くのスチュワーデスの皆さんに、エールを送りたい。今は、我慢の時だ、というより、今もきれいな花を咲かせてほしい。

会議で学ぶ

昨日は、いろいろな会議やイベントなどが集中して、忙しかった。対面では移動時間があるので不可能なことが、オンラインでは可能になる。オンラインフォーラム、オンライン会議、遅れて出席したが対面の会議、オンラインセミナーで、4つの業務をこなした。対面の会議は、所沢教育委員会の会議なので、車で行って後半だけ出席できた。出るだけでも役目を果たすと思い、他の仕事もそのようにしている。オンライン会議は、ある財団の会議だが、三菱みらい育成財団で、日ごろから尊敬する人も同席で、いつも、その人の発言に感心している。昨日も、卓越した発言で、なるほど、と思うことが多い。トップ目線ではなく全体目線だということ、そして、相手を認める度量の大きさである。その分野でトップの人や、著名な人の発言や行動には、知的高さとは別の人を引き付けてやまない魅力を持っている。当然ながら、知的に優れているが、優れているだけの人は大勢いるので、その分野のトップにはなれない。その上に、人間としての広さが必要のようだ。この会議に出ると、いつも自分が小さく見えて、そして、もう一度学ぼう、という素直な気持ちになる。自分には、そのような度量がなく、これはいけない、と自省することが多いので、家内には反省病だと言われている。しかし、この人の発言は、自分も成長したいと、思わせるので、本当の教師かもしれない。いくつになっても、自分は謙遜ではなく未熟のようで、なかなか成長できない。ブログは公開なので、個人名は避けているが、かまわないだろう、その人の名は、通称、鈴寛さん、鈴木寛先生で、東大と慶応大学の両方の教授をしておられ、元文部科学副大臣である。

ゾウの時間ネズミの時間

今日は日程が詰まっているので、簡単にブログを書く。オンラインセミナーやオンラインフォーラムが多く、対面のイベントがほとんど無くなって、この形になったが、逆に忙しくなった。つまり、時間が早くなった。技術が進歩するということは、時間を短縮することかもしれない。道具の発達を考えれば、人は時間を早める方向に向かっていることは、確かである。ただ、本川達雄が、ゾウの時間ネズミの時間、の本で述べているように、時間を早く使っている動物は、生きる時間が短くなる、という学説だったと思うが、もしこの論で行けば、人の寿命は短くなるが、果たしてどうだろうか。忙しくてたまらない、というような仕事人間や、多忙なタレントや、そのような人は長生きできない、という統計的なデータはないから、人間には、本川理論は適用できないかもしれないが。かつてバブルの時代や、日本が高度成長の時代は、急げ、進め、行け、などの動詞と、早く、前へ、全力で、などの形容詞で、仕事をしていたようで、そのような仕事の仕方が、一段落して、今は、ゆったり、マイペース、癒し、など、自分にあった仕事や生きがいを見つける時代のようだ。どちらがいいとは言えない。自分などは、どちらかというと、忙しい人と見られているようだが、心情的には、今は、自然派に近い。将棋でも、攻撃型と自然型があるようで、どちらが有利なのか、建築物も、頑丈型と柔軟型があるようで、地震や災害にどちらが有利なのか、わかならい。ただ、在宅勤務という、通勤時間などの時間から解放されて自由になったのに、さらに、時間が早くなるのは、どういうものだろう。人の世は、まだ未知である。