昨日は、久しぶりに整体院に行って、その後スポーツジムに行った。少し右腕が痛いので、家内に勧められて治療を受けた、と言っても、マッサージをしてもらって腕をほぐしてもらった程度である。1週間くらい前に転倒した時、体を支えようと、とっさに右腕がかばった時の打撲傷だろうと思うが、その後少し痛みがあったが、たいしたことではなかったので、そのままにしておいたが、やはり気になるので整体院に行った。わざわざ行くのは面倒なので、そこが自分の悪い癖なのだが、時間が無駄だ、という気持ちがあるので、整体院に行って、その足でスポーツジムに行くというコースなら、往復時間の無駄がない、という理屈で、納得した。整体院と言っても、健康保険が効くので、医療機関と同じである。そこでは、医師と同じで、先生と呼ぶ。担当になった先生が、痛くなった理由を説明してくれて、腕の治療というか、マッサージをしてくれるが、その説明が、自分にとっては有難い。なるほど、腕の痛みは、骨と筋肉との関係、つまり筋肉が打撲によって固まるからだという説明に、納得した。さすが、国家試験の資格を持っているだけのことはある、と妙に感心した。考えてみれば、整体院に行って、その近くのスポーツジムに行って、帰ってくれば時間的なロスがないという理由に納得したことと、同じかもしれない。人はどうも納得しないと、行動しにくいようだ。対面でもオンラインでも、聴衆が納得しなければ、講演の価値はない。自戒したい。
贅沢な日
昨日は高速道路を走って、鬼怒川温泉から自宅まで3時間までかからず、途中休憩時間も入れて、しかもガソリン代が安いのだがら、電車では行けないだろう。ホテルを朝9時前に出て、ガソリンも満タンにして、自宅に12時前に着いた。帰宅してから、オンライン会議や諸々の仕事を片付け、スポーツもすると、あっと言う間に夕方になって、金曜日なので近所のピザ屋さんに行って、ピザを買って夕食にした。久しぶりのピザで、こんなにおいしいのか、とワインの量が進む。ピザと言っても、デリバリーではなく、ピザ屋さんから自分たちで持ってくるので、値段が半額になるという信じられないサービスである。温泉ホテルで買った、たまり漬けは、絶品の味で食が進む。ワインは、頂き物で、素晴らしい高級酒のようで、堪能した。留守中に見たい番組があったので、録画しておいたが、それを見ながら食事をするという、本当に申し訳ないのだが、文字通りの贅沢だった。温泉で贅沢をし、帰宅してからも、その続きのような感じで、何か、こんなことをブログで書くのも気が引ける。贅沢とは、物質的なこともあるが、たぶんに精神的な要素が強い。どんなに美味しいものを食べても、面白い番組を見ても、心が満ちた状態でなければ、美味しくも面白いとも感じない、ことは、誰も経験しているだろう。今は、コロナ禍であるが、老夫婦にとっては、むしろ平穏で、浜辺に押し寄せる小さな波のようで、凪の状態のような気がする。働き盛りの時は、大波や大風に向かって進む船のようだが、役割を終えて浜辺に上がり、しかし、まだ海を監視している船頭のような気がする。
温泉に浸かる
昨日は、というか今日は、日光市の鬼怒川温泉に来ている。Go To Travelで安いので申し込むと、アッと驚くほどの安さとサービスで歓待される。食事はバイキングで、食べ放題、当然ながら温泉はお湯の流し放題、アルコールも有料だが飲み放題、とすべて放題なのである。印象から言えば、これまでの1人分の価格で、夫婦2人分が支払える。きれいなホテル、WiFiも部屋から接続できて、仕事も困らない。何もかも、至れり尽くせり、なのだが、凡人には、このような経験をすると、これでいいのだろうか、と老婆心が出てくる。コロカ禍では曜日の感覚が無くなって、仕事も遊びも同じ目線で見るようになり、平日だが旅行に行こう、という気持ちになるから不思議だが、ホテルも満席に近い状況で、どうも同じ思いかもしれない。放題とは読んでも字のごとしで、制限がない状態なのだが、裏を返せば、タガが外れた状態でもある。何か、自分がつまらぬ人間のような気分にもなるが、有難いサービスだが、どこか放蕩息子になったような気持ちもするし、たまにはいいか、という許す気持ちもある。果たして、どうすればいいのか、人とはどこまでも、迷う動物らしい。今日、今は朝の散歩が終わって、これからチェックアウトする時刻、といっても、8時半であるが、の前に書いている。午後には、オンライン会議があるので、9時前に出発しなければならない。どこか、矛盾したまま過ごしている。でも、温泉は素晴らしかった。
プログラミング教育のコンテスト
昨日もつつがなく過ぎたが、ブログなので感じたことを記録する。KOOVというソニーのプログラミング教育用キットがある。よくできているが、毎年、このコンテストを行っている。今年は、昨年までの日本と中国だけでなく、アメリカも参加するという。ブログでどこまで書いていいかわからないが、あまり漠然とした記述だと、何のことだか意味不明になるので、今後はある程度のことは書く。KOOVコンテストは既に公募されているから、構わないだろう。自分は、3年間、KOOVコンテストの審査を続けているが、今年は少しニュアンスが違う。KOOVを使うのは当然ながら、身の回りの道具も使って、音楽をプログラミングしよう、というテーマなのだ。ソニーはウォークマンのように、新しい発想を尊重する社風があって、それで世界に認められている。小中学生が音楽をプロジュースしようという試みは、面白いではないか、いかにもソニーらしい。審査員は、自分を除いてすべて音楽系の専門家なので、畑が違うので、自分でいいのかと思っていたら、どの分野も共通する基準が存在しているようで、例えば、独創性、魅力度、ワクワク感など、規則を守りながらも自分を表現することを、評価基準にすることなので納得した。課題曲と自由曲があって、課題曲は、上を向いて歩こう、なので、確かに、3か国の子供たちに、なじみがある曲だろう。オンラインでの打ち合わせだったが、自分の知らない世界は、また面白い。午後は、人事に関するオンライン会議で、通常の仕事の話だが、これも大切なことで、仕事にすべて無駄なことはないようだ。
作品つくりの楽しさとは
昨日の午前中は都内の病院に出かけ、午後に帰宅してオンライン会議をこなし、と言っても2時間を超える長丁場だったが、楽しい会議だった。オンラインの教員免許更新講習、と言っても、75分の4回分なので、かなり長い。通常の授業なら、余裕があるが、オンラインだと事前にきっちり用意しなければならない。何よりも、著作権と肖像権のクリアが厳しいが、3人で議論しながら時間を経つのを忘れた。昼食は駅のコーヒー店だったので、朝ドラのエールが見れなかったので、夕食時にビデオで見た。佳境に入っているが、11月で終了だという。忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ、という名文で、当時の女性の感涙を誘って大評判になった、菊田一夫原作、君の名は、の場面だった。菊田一夫の才能はすごい、また古関裕而との名コンビも、朝ドラを魅力あるものに仕上げている。NHKのディレクターと3人の共同制作の様子が、大ヒットを生むドラマを物語っているが、ふと思った。制作することは、こんなにも楽しいことなのだ、という当たり前のことに気が付いた。スケールはまったく違うが、小さな4回分の免許更新講習用の資料作りであったが、同じように3人で話し合って、時間がアッという間に経った。各自が宿題を抱えて、12月の収録に向かう。ビデオオンデマンドなので、スタジオを使ってプロが収録するのだが、どこか面白い。75分を4回も話すのは、それなりの緊張も伴うが、何かワクワク感がある。それは、作品を生み出す、受講生に自分のメッセージを届ける、こと自身の楽しさだろう。
聴衆を引き付けるとは
昨日は月曜日で週の始まりだが、自分が所属する団体の定例の会議が、午後にオンラインであった。昨日は、その会議に後に、ブレーンストーミングをして、今後の方向性や新規プロジェクトなどについて話したが、前向きな話なので、議論が盛り上がる。議論する時、正解がある場合は学校における議論であり、正解がない場合は実社会における議論になる。世の中のことは正解がないのが通例だが、それでも知恵を絞って議論するのは、正解に近づきたいという意識があるからだろうか。あの人の意見は傾聴に値するという時、何が基準なのだろうか、とふと思う。政治家などの発言では、所属する党によって主張が異なるので、何が正解というわけではないが、それでもそれぞれの党には、論客がいて、聴衆を巻き込むので、どこか違いがあるのだろう。同じ内容を書いても、話しても、書き手や話し手によって、響きや影響や印象が異なるのは、何だろうか、と思うと、書き方や話し方ということになるのだろうか。そうだとすると、表面的な技の違いになってしまい、本質ではないような気がする。受け手に響くのは、例えば、昨日のブログで書いた小説などは、事件の展開の仕方や書き方に依存することが多く、さらに落語などでは、同じストーリでも話し手によって、全く違う。それは、エンターテイメントだから、と昨日のブログで書いた。聴衆を引き付ける講演とか、議論における論客などは、本質的な点で違うような気がする。自分には、まだ分からない。
推理小説を読む
昨日は、オンライン実験が始まり、自分の研究が終わって、正直ほっとする。オンライン実験では、やはり気を遣うが、オンラインセミナーでも講演でも、事前にチェックするのは、失敗するとやり直しができないからだが、それでもどこかでミスが生じる。小さなミスなら仕方がない、いいではないか、と最近思うようになった。夕方になって気が楽になったのだろうか、久しぶりに読みかけの小説を、お風呂上りで夕食前の時間に読んだ。推理小説なので、何かの事件が起きて、推理して解決するというストーリーは同じだが、そこに人間模様が反映される。その人間も、殺人などの犯罪が出てくるので、市井の人とは違って、人の邪悪な面が出てきて、その葛藤の中でもがく姿なので、現実ではない世界である。だから、今の自分には少し違和感がある。先に書いたように、少しぐらいのミスはいいではないか、人生とはそういうものだよ、というような幅が出てくるのが、年配者の特長だ。意外な結末とか、悲惨な人生を辿るような物語なので、今の自分の気持ちには、ずれが出てくる。若い頃とは違うのである。しかし、さすがにプロの小説家とはすごいもので、引き付けて離れられず、最後まで読んでしまった。それは、研ぎ澄まされた技としか言いようがないが、どこか末梢神経の満足のような印象で、研究とか知的な凄さとは別のようだ。だから、エンターテイメントなのだ。
オンラインとスケジュール
昨日は懸案だった審査を終えて、その結果をメールで送ってほっとした。何事も、時間をかけてやり遂げたときは、安堵感と喜びがある。特に今週は、オンラインセミナーやオンライン会議などで忙しいので、一日一日が氷の上を歩くように、慎重にそして決して失敗しないように、と思って過ごしている。今日は日曜日だが、オンライン実験の日で、自分にとってきわめて大切な日である。ネットワークやICTは、時としてトラブルが起きるので怖い。ICTとは、いつもちょっとトラブル、の頭文字だと誰かが言っていたが、その通りで、特にネットの不調はどうしようもないが、それでも今の時代は、オンラインでなければ、仕事が進まない。先日、携帯に電話が入って、次回の会議を対面で実施したい、という依頼なので、オンラインにしてほしい、と言ったら、そちらの担当者から、どうもオンラインは苦手なので、という声が聞こえてきた。携帯電話は、こちらの都合に関わりなく、ということなので、重要な会議中では迷惑であり、オンライン中でも収録の時には、余分な音が入る。オンライン会議で、手帳に予定を書くと、移動時間を計算しなくて良いので楽だが、対面になると、そうはいかない。頼むから、オンラインにしてほしい、と言っても、オンラインは苦手、と言われると、少し勉強したらどうだ、という気持ちになる。と思って、ふと、いじめの新聞報道を思い出した。そうか、このようにして、子供たちのいじめが発生するのか、と気が付いて、これは難しい課題だと認識した。これからは、ネットやICTやテクノロジーによる差別やいじめが起きるかもしれない、と思うと、これは教育の問題だろうと、我が身を振り返った。
オンラインの講義
昨日は一日、オンラインによる研究発表大会で過ごした。オンラインなので相手が見えないで、質疑もできず、ただ一方方向で話す講演も、悪くないと感じた。アクティブラーニングではない、かつての大学か放送大学の講義を、思い出した。最近はオンラインセミナーやオンライン講演が多いので、慣れてきたようで、むしろ対面よりいいかもしれない。画面を見ながら、スライドを見ながら、脳が活性化しているようで、それは自分の音声が脳にフィードバックするからで、そのループの中で、気付くことも多い。だから、余分なことを話してしまうようで、昨日もその前も、実は、準備したスライドの6割程度で終わってしまう。計画通りいかないのであり、思いついて、挿入するので、このような結果になる。かつて、高校や大学の講義では、脱線する教師に人気があった。講義内容よりも、脱線に引き付けられることが多かったからだが、私の場合は、そのような横道にそれるのではないが、いろいろなことに気付くので、話に出てくるのである。ただし、時間は厳守なので、電波時計を前に置いて、1秒の狂いのないように終わるので、計画通りの内容は話せない。ただ、前のブログでも紹介したが、本を読むと、そこから自分だけの映画館が始まる、という小学生の文章のように、話しながら、自分の物語に入っていくようだ。その後、嬉しいメールが届いた。かつて私の研究室で学んだ宮崎大学の先生から、学生たち60名にオンラインで視聴させて好評だった、という。昔を思い出した。
プロの仕事
昨日は、午前はオンラインセミナーで講演をして、午後は都内の会議に参加し、帰宅してすぐにオンライン会議と、忙しかった。その上、顔に絆創膏を張っており、右手も多少痛いのでままならない、満身創痍とまではいかないが、少し傷をおったままの仕事だった。まあ、たまには良いか、1週間もすれば治るので、と思いながら仕事をした。体調不良の割には、自分としては満足のいく仕事ができた。以前、このブログでも紹介した、誇りと幸せ、は仕事でもらう、という塗装職人の会社の責任者が言っていたが、調子が良い時でも悪い時でも、仕事とか活動などは、そのようなものだろう。都内の対面の会議では、いろいろなプロの仕事ぶりを見せてもらった。なるほど、さすが、と思うことがいっぱいあって、そのプロの人に比べれば、自分はまだまだ、と思って、生涯勉強なのだと改めて感じた。プロは、誇りを持ち、そこに、生きがいと幸せを感じている。内容を公開できないので詳細は書けないが、思うことが一杯あって、良い経験をした、という感慨があった。今日、つまり、11月13日は、朝9時から夕方までオンライン研究発表会に参加の予定である。宮崎県の研究発表会であるが、今日もたぶん勉強できるだろう。プロの仕事ぶりを見せてもらえるだろう、と思えば、何も心配することはない。70分という多少長い講演をこなすことだが、見えない相手に話すことも、また楽しい。
