今は火曜日の夕方、書斎の南の窓から見る空は青空で、一点の雲も見えない暑い一日だった。昨日が敬老の休日だったので、今日は火曜日といってもなんとなくイメージが湧いてこない。今日から仕事始めの週のような気もするが、フリーランスの身としては、休日と平日の区別がほとんどないので、一日が無事に終わればありがたい。先週は外出ばかりで忙しかったが、今週はやはり出かけることも多く時間に追われる。時間は仕事ばかりで埋まっているのではなく、諸々の用事も重なっている。先ほどはプリンターのインクを買いに行ったばかりで、お昼休みは近所のスーパーに買い物に行き、早朝は自宅の庭にある小さな畑に野菜を育てるので、苦土石灰をまいて土と混ぜ合わせた。そんなことも入ってくるので、忙しいと言えば忙しいのである。それでも書斎から空を見ていると、今日もほぼ終わりに近づいたと思う。いくら暑いと言っても自然の営みは正確で、今の時間は庭に出ると爽やかな涼しい風が吹き、西の空は茜色が薄く交じったグラデーションが自分を癒してくれる。人は勝手なことを言って、灼熱の暑さや危険な暑さと言い、大雨や洪水が起きると日本列島は大災害に見舞われているような報道をする。確かにこの頃の気象は、天地異変のような気もする。今日の午前中は市内の中学校に行って、社会科の授業参観をした。単元は北海道の災害で、雪の被害を取り上げて人々はどのような対策をしているかをまとめていた。北海道には雪や火山や大自然に満たされているが、被害だけなのかという問いに対して、観光客がいっぱい来るから収益が上がるのなどの利益についても話し合った。観光客がたくさんくれば良いことばかりなのかという問いが出て、いやプラスもあればマイナスもあるという議論になって、人々はそれぞれに対応して生きているという授業だった。なるほどそのとおりで、暑さが続けば雨は恵の雨となり、洪水が起きれば晴れた日が恋しくなる。人と自然のいたちごっこのような戦いの日々である。そして人は知恵を絞って、苦しさや大変さの中にも喜びを見出そうとする。お昼のテレビで、いくつかの地域の祭りやイベントを報道していた。今年は秋刀魚が豊漁で、暑い日差しにテントを張って秋刀魚を食べるイベントは、自然に負けないと主張しているようであった。夕方のこの時間に空を見ると、優しさと平穏さで満たされている。そのとき人は本来の自分の気持ちを呼び出すようだ。できればいつもこのような穏やかな気持ちで過ごしたいが、そうもいかないのがこの世の中である。苦しい時や思いどおりにならないときは、なんとか頑張るしかない。そして灼熱の日差しが衰えて涼しい風が吹く夕方になるように、世の中の出来事は移っていく。今日の社会科の授業のように、自然やこの世の中のことは、良いこともあれば都合の悪いこともある。人々はそれに対応している。文脈は離れるが新聞に、「せんじょう」は心に痛し戦場も降水帯も遠くであろうと(白波悠子)の句があった。そうであろう。自分は何もお役に立てないが、現地に住む人々は苦渋の日を過ごしている。何もできないが、この作者と同じように自分も心を添える。何の根拠もないけれど、努力していけば窮地をいずれ脱出して、良きことも起こってくる。そう願うだけである。
新幹線
今は土曜日の昼間、夕方ではないことは、もちろん理由がある。新幹線の中である。以前に書いたように今週は毎日外出している。フリーランスの身にしては珍しい。午前中に神戸で講演があって、12時半に終わってすぐに新幹線で帰宅する予定で、その通り進行している。ただ、今朝は驚いた。朝5時半に自宅を出て5時40分の西武電車に乗って、東京駅で余裕を持って新幹線に乗るつもりだった。できれば、おにぎりとお茶を買って車中で朝食をと思っていたが、今朝予感があって自宅で食べた方がよいと思ったので、卵かけご飯を食べてきた。池袋の駅で、これも直観があって、新幹線の切符はここで買った方が良いと思って、自動販売機で処理をして驚いた。指定席もグルーン席まで満席ではないか、自由席だけ選択可能な緑色だった。東京駅でまた驚いた、ホームが人で溢れている、何かあったのですかと聞いたら、何しろ3連休の初日の朝ですからという返事だった。7時ちょうどの「のぞみ」なのだ、そうか世間ではそうなのだ、観光客であふれていて、仕事で出かける人は少ないのだ、そういえばネクタイはしていないがスーツを着ているのは、自分くらいでほとんど見かけない。フリーランスとはこのことか、と初めて自覚した。しかも今年から「のぞみ」の自由席が3両から2両に減った。その2両の入り口には長蛇の列がつながっている。待ってくれ、これでは東京駅から新神戸駅まで2時間41分も立ちっぱなしではないか、11時からの講演はどうするのだ、30分前には会場に着くという約束だったので、余裕がないのだ。それでなくても朝5時半に自宅を出てきたのだ、自分は新幹線の中の恐ろしい光景が目に浮かんだ。実際に自由車両は通路まで人とバゲージと大勢の外国人観光客も交じって、まるでラッシュの山手線の形相だった。場内アナウンスも、今日は大混雑ですのでお気をつけてと言っていたが、同時に席を変えることはできません、グリーン席も満席ですと無常の音声が流れていた。後ろから押されるままに、自由席車両の真ん中あたりに進んだら、奇跡が起きた。3列席の通路側の席を指差して、若い男女がどうぞと言った。女性は窓側席にいて、男性が通路側席から2つのバゲージを棚に上げようとしていて、ちょうど収まったところだったので、通路側席が空いたのだ。そこに自分が通りかかった。ありがとうございますと感謝の言葉を言ったのは言うまでもない。自分はパソコンの入ったリュック1つだから身軽なのだ。席に座って周囲を見たら、立ちながらお握りを食べている人もいる。無理もない、朝7時発の新幹線なら、朝食抜きで自宅を出ただろうから、満員新幹線での朝食なのだ。それでも若い人なら、遊びだから我慢してもらおう。自分は新神戸に着いてすぐ帰りの新幹線の切符を買った。。もちろん指定席である。無事80分の講演も終わり、今帰路についている。遠く文脈は離れるが新聞に、娘の夫のブログを読みて距離あれど暮らしぶり見え密かに安堵(伊藤英子)の句があった。もしこのブログを自分の家族が読めば、安堵するだろう。いや、たぶん何も気にしていないだろう。
夏風邪
今は水曜日の夕方、書斎の南側の窓から見える空の景色も、暑さが少し和らぎ白い雲と青空のバランスが9月の季節に丁度良い。昨日火曜日は忙しくて時間が取れなかった。あれほど灼熱のような猛暑が退いて、外は柔らかい風も吹いている。今日はほんの少量だが小雨が降ったので、野菜なども息を吹き返らせているような気がする。先ほど床屋から帰ってきたばかりで、いつものようなスポーツジムなどには行っていない。夏風邪をひいたのである。家内は1階のベッドで、自分は2階の寝室で別々に寝ているのだが、クーラーの設定があまり上手くいかないようで、数日前より喉がガラガラになった。家内に加湿器を使うようにと言われて、昨夜は使ったが、1人だといろいろなことを忘れてしまう。小さな夏風邪でも鼻水がしょっちゅう出てくる。それよりも思考が深まらないのがつらい。そして、なんとなく体全体がだるい。だから家内はベッドで体を休めるようにというが、生まれついた時間の貧乏性なのか、何かしていないと背中を突かれているような気がするが、今日はさすがにゆったりしている。早朝に習慣になった庭の草取りなども今日は止めた。ただ今週は月曜日から土曜日まで毎日所沢市内及び市外にも出かける予定になっている。こんなことはまれなのだが、今週だけはなぜか集中している。これも自分の力でどうにもなるものでもなく、自然の流れに任せるしかない。ただこんな体調不良で大丈夫かという不安はある。こんな時ふと都内で暮らす子どもたちや、若い頃に一緒に仕事をした仲間や、すでに物故者になった友達や、病気を患って病院通いをしている仲間や、いろんな人の顔が頭に浮かんでくる。たかが鼻水が出るぐらいの小さな風邪であっても人は気が弱くなると、いろんなことを思い出すようだ。それでも研究者としての矜持なのかプライドなのか、多少朦朧とした頭で、先ほどまで分析をしていた。詳細は言えないが、それは自分にとって存在証明のようなものである。老いぼれの妄想かとでも言われそうだが、研究する者は最後の最後まで往生の瞬間まで追い続けているものらしい。偉大な先達はそのようにして寿命を全うされた。少しでも良いので自分もその先達に近づきたいという希望を持っている。文脈は離れるが新聞に、君の声雲の峰よりきこえしか(小池喜久枝)の句があった。女性の句なので、君が誰かを推測するのは失礼だが、多分若い頃の思い出深い友達だろう。今頃その友達は何をしているのか、元気で生活しているだろうか、病気で苦しんでいないか、家族に見守られて幸せに暮らしているだろうかなど、雲と雲の間の峰から友達の声が聞こえてきそうである。友達だろうと書いたが、同性でも異性でもどちらでもよい。自分が少し気が弱くなると、友達の声を聴きたくなるのだ。自分が少しでもつらければ、相手に話を聞いてもらいたい、相手も困ったことがあれば話してほしい、そしてお互いが辛さを共有していけば乗り越えることができるのだ。日本人はそうして生きてきた。自分も仲の良かった友達に会いたいと思うことがある。しかし現実はほとんど無理なのだ。明日も他県に行って研究会に参加し講演もする。感傷に浸っている時間はない。いくつになっても最善を尽くして取り組むしか生きる道はない。
今を楽しむ
今は土曜日の夕方、昼間は灼熱といってもいいぐらいの暑さなのに、この時刻になると、外は涼しい風が吹いて思わず気持ちがいいと声を出した。先ほど近所のスーパーマーケットから帰ってきたばかりである。家内が退院してから自分の生活パターンも少し変化が起きた。家内一人で外出するのも少し負担がかかるので、なるべく自分が付き添っている。夕食はなんだと家内に聞くと、冷蔵庫にキャベツがあって、我が家で取れたナスと玉ねぎがあるので焼肉にするというので、自分は喜んだ。大好物である。家内が入院中も自分で焼肉を2回作った。といってもブログで書くほどのものでもなく、鉄板の上に乗せればすぐに食べられるから、誰でもできる。どの野菜もこんなにおいしかったのかと思うのは、野菜がとろけるように柔らかくなるからだろう。それが舌の上で絶妙な味をもたらすので、手間暇がかからずおいしい料理、つまりコストパフォーマンスが最高なのである。洗濯物などは自分が2階のベランダに干していたが、いつまでもというわけにはいかず、庭に物干し台をネットで注文した。明日自分が組み立てる予定になっている。庭であれば家内が洗濯物を干せるからだ。いろんな面で生活スタイルが変化していく。年をとるということは生活パターンも変わるということであり、それが自然の摂理なのだろう。一般的には何かと不便になって、こうしたいけれど仕方がないという多少諦めに似た気持ちになるのだろう。最近日本の文化と欧米の文化の違いについての文献を読んでいる。その中で日本文化は水の流れのようであり、欧米文化は建造物のような違いがあると書いてあった。水の流れとは、先ほど書いたような自然の摂理と言ってもよく無常と呼んでもよいが、年と共に植物が枯れていくように、人も少しずつ機能が衰えていき、最後は土の中なのか自然の中に戻っていく。それは川の流れが上流から下流に向かっていき、最後は海の中に、まるでそれが自然であるかのように戻っていく。そこにある意味で諦観があって、ものの哀れや無常感を感じるのかもしれない。そういえば日本の歌謡曲などは、流れ流れてとか、場末の酒場だとか、上っていくより下っていく歌詞が多いような気がする。これに対して欧米は、ピラミッドだとか荘厳な建物だとか、がっしりとした建造物で、永遠に壊れないという文化かもしれない。だから日本人の年老いた感覚と違うのではないかとも思う。テレビで見る欧米のお年寄りは、まるで若者が着るような服を着て、元気そうに見えるのはなぜだろうか。あるテーマで文献を調査しているのだが、なるほどと思うことが多い。文脈は遠く離れるが新聞に、麦秋や校舎の裏の思川(栃木安穂)の句があった。この句を引いたのは川という文字があったからである。さらに自分が勤めた白鴎大学を思い出した。麦秋(ばくしゅう)は夏の季語らしいが、夏の日差しが川を照らしてキラキラと反射する光景を、駅から大学まで歩いている時によく見た。この俳句のように、大学の裏側にこの句と同じ名前の思川が流れていた。思川(おもいがわ)という万葉集でも出てきそうな上品な名前が自分は好きだった。あれからもうずいぶん時間がたった。時が流れていったのだ。ただ自分の心境は、無常観や諦観ではない。どんな時でもどんな状況になっても、欧米の高齢者とは違った方法で、楽しむことはできると思う。それが日本の老人の知恵なのではないか。
秋刀魚
今は火曜の夕方、近所のスーパーマーケットでの買い物を済ませ、2階のベランダにある洗濯物を集めて1階の居間に運んで、今2階の書斎に上がったところである。家内が退院したと言っても、すぐ元気に動けるわけではなく、外出は一緒でなければならず、また2階にひとりで登るのはまだ先である。我が家の近所にはスーパーマーケットとコンビニがあってそれぞれ2分以内なので、その意味で助かっている。だから何かと気ぜわしく、書斎で時間をかけて研究的な仕事をするのはなかなか難しい。というよりもフリーランスという立場上、そんなに忙しい仕事があるわけではないので、本来の仕事は減って家事にかかる仕事が増えている。それでも講演依頼があると、若い頃とは違い、かなり前から資料を準備する。現役の時は忙しいという口実を作って、なるべく短い時間で講演資料を作ってそれで終わりとしていた。現実に授業や学生の研究指導や会議などが本業なのだから、外部からの講演や原稿依頼などは、その他の雑務に入る。つまり副業でありアルバイト的な感覚であったが、今ではそれが本業に近い。今日も9月中旬にある講演の資料を見直したら、いろいろなことに気づいた。もう数週間前に完成しているので手をつける必要がないと思っていたが、なんというか欠陥商品のように思えた。それは不思議な感覚で、あれほど完成度が高いと思っていたものが、こんなにも穴が開いていたのかと思った時、人の感じ方や見方は変わることに気がついた。それは、同じ資料を見ているとは到底思えないほどの変わり方なのである。それは多分このテーマではこれが最善だと自分を過信していたのだ。時間が経過してもう1回見直さないと、自分の姿は見えないということだろう。最近そんな経験をしている。良きにつけ悪しきにつけ、人は脳細胞も含めすべて変わっていく。当然ながら見え方も、感じ方も変わる。家内が入院してから、自分の考え方も変わった。8月の後半にいくつかのイベントに参加しフロアと議論する中で、考え方に変化が生じた。いくつかの文献を読み自分と共鳴している内容で見方が変わった。買い物でも洗濯でも料理でもどんな些細な家事であっても、そこに気づきが生じ見方が変わる。変わる方が自然なのではないだろうか。今日読んでいた文献に、西洋文化は変わらぬものを求めるが、東洋文化は変わることを前提としていると書いてあった。ニュートン力学は自然の背後にある変わらぬものを探究した結果であるが、平家物語の「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり」の名文のように、奢れる人はいつか滅びる、つまり幸福と不幸は一体であり永久ではない無常だとすれば、それをそのまま受け入れるしかない。だから自分の講演資料も時と共に変わっていき、これがベストなどということは自分の勝手な思い込みでしかすぎないのだ。文脈は遠く離れるが、新聞に「長男を亡くせし祖父は医師を辞め誰とも語らぬ日を過しけり」(川久保洋子)の句があった。この祖父はどんな思いであったのだろうか。医師は科学の力で命を救う尊い仕事であるが、自分の息子も救えなかったことが、世の無常を感じたのだろうか。幸も不幸も人間の力だけではどうにもならず、幸福になるための原理はニュートン力学のような変わらぬ公式では表せないということなのか。ただ自然に任せて無常の世の中だと諦観するのも、どこか寂しい。人は努力すれば良いことが起きると信じているのだと思う。家内と買い物に行って美味しそうな秋刀魚があったので、今日の夕食のメインディッシュは、秋刀魚の塩焼きで大根おろしでいただく。そこに冷えたビールが出てくるので、これ以上の幸せはない。お寺の精進料理より美味しいから、自分はどうも現実主義者のようだ。
助け合う
暑い暑い、今日は特に暑い一日だった。土曜日の夕方となり、今週も今日も終わろうとしている。今日も外回りの用事が多くて、突き刺すような日差しを全身に浴びて自宅に帰ってくれば、冷蔵庫で冷やした水とアイスキャンデーで喉を潤すのが極上のひとときである。先ほども買い物に出かけて帰ってきたらもう汗びっしょりで、一日に何回冷水を飲むのだろう。時折食卓にある梅干しの容器から手づかみで食べる時がある。らっきょとか、たくあんとか、白菜とか、子持ち昆布とかあれば、手を伸ばすだろうが、あいにくと食卓には梅干ししかない。家内の入院中、娘が来て、夏はどんな食べ物もなるべく冷蔵庫に入れるようにと忠告されたからである。仕方なく冷蔵庫を開けるのだが、食卓の上にあるのと違って、手を伸ばして蓋を取って口に入れるという動作は、何か悪いことでもしているような気になって、母親に内緒でいたずらでもする子供のような気分になるので、冷たい水を飲むしかない。冷たい水は冷蔵庫に保存していることが普通なので、堂々と飲めるからである。実は今日は特別な日であった。17日間入院していた家内が、今日の午前中に退院した。もちろん自分も出かけて、リハビリの先生や看護婦さんなどにお礼を申し上げ、大きなスーツケースを持ってタクシーで自宅に帰ってきた。病院の食事は誰でも知っている通りの薄味で、お昼はおにぎりを食べたいという。塩味の効いた鮭とツナのおにぎりを、歩いて1分のローソンで買ってきた。さぞかし美味しかったのだろう、満面の笑顔でほおばっていた。甘いものが食べたいと言って、貰い物のお菓子を食べていた。入院中の約束で、夕食は鮮度が良くて極上の味だと評判のお寿司を食べたいと言っていたので、先ほど買ってきた。無事に何事もなく予定通りに退院できた。同室の患者さんとの話が面白くて、少しも苦痛なことはなかった、リハビリも順調で後遺症もなく、楽しい入院だったと、「楽しい」という言葉を初めて聞いた。それは素晴らしい。自分も長いようで短かった17日間、レシピを見ながら料理を作り、掃除・洗濯・買い物・支払い・郵便物の処理など、自宅と病院を行ったり来たりしながら、振り返ってみれば新しいことをいっぱい覚えた。腰と足の痛みの脊柱管狭窄症の病気で手術をしたのだが、先生はたぶん名医だったのだろう、しびれも痛みもすっかり消えて元気になった。ただ腰を曲げるのはなるべく避けて、年内は腰を大事にするようにとの注意があった。自分も年内は家内の補助や手助けをする必要がある。しかしあまり不安はない。短い期間であったが、家事に対してささやかな自信を得たからである。今日は娘が都内から手伝いに午後やってきた。特に仕事はなかったが、いろいろな話をして時を過ごした。新聞に、「ある時は母のごとくにある時は姉のごとくにみえる我が娘(こ)よ」(田代旅子)の句があった。この句は母親が詠んだ句だが、その気持ちはよく分かる。親も子もそれぞれ助け合って生きていくようだ。今日から多分年内ぐらいまで、家内は1階の居間にレンタルベッドで寝ることになる。2階の寝室は自分専用になるが、それも良いだろう。長い人生のうちには、いろんなことがある。親子も夫婦もそして兄弟も、みんな助け合って世間を渡っていくのだ。
忙しい日
今は火曜日の夕方、いつもの通り書斎の窓から南空を眺めている。今日もなんだか忙しい日が終わろうとしている。ブログにはあまり書いてないが、早朝に庭の草取りなどをしている。草取りをしていると、いろんな発見があって、早朝の涼しい時間なので少し楽しみなのである。そして朝の時間は忙しい。朝食の準備、そのためには台所で、夕べの食べ終わった食器をきれいに洗わなくてはならない。ポットとコーヒーサーバーには水を付け足しておく。そして今日朝食を食べると、ちょうど炊飯器が空になるので、ご飯をセットして夕食に炊きあがるようにする。ポットからお湯を注いで、仏壇にお茶を供え、自分もお茶を飲むのだが、その前にやることがいっぱいある。洗濯機に、溜まっている衣服を放りこんで洗濯をする。食事が終わった頃、衣服を2階のベランダに干さなければならない。朝食も、薬を数えて並べ、青汁を用意し、納豆とお新香と塩昆布とヨーグルトとミルクも、ちろんご飯とお茶を用意して食べる。食べ終わったらすぐに新聞を玄関から取ってきて、ざっと目を通すのだが、時間があまりない。というのは、今日は朝10時から12時まで市内のセンターで会合があって参加するので、時間が厳しいので、気づいたことは即やらないと間に合わない。今日は、明日の午前中講演があるので、仔細は省略するが、どうしても出席しなければならない。朝食が終わったら、直ちに食器洗いをして夕食に備えておく。自分の性格上、台所が汚れているのは嫌いなので、洗剤やら何やらできれいにしておく。そして今日はダンボールの収集日だったので、かなりの量のダンボールがたまっていたので、それをまとめるだけで時間がかかった。午前9時半までには、メールのチェックを終えていなければならない。公式の会合なので、普段のジーパンというわけにはいかずズボンプレッサーにかけたズボンをはいて出かける。帰ってきたらすぐ12時過ぎなので昼食を取るが、これはパンなのでお昼のニュースを見ながら簡単に食事ができる。食事が終わったら午後1時に家内が入院している病院に行って、諸々の打ち合わせをしたり準備をしたりする。今日は懸案だった自宅の風呂場のお湯を流す弁がうまく作動しないので直してほしいと家内に言われ、うまくいくのかなと不安ながらも帰宅してすぐ取りかかった。ただ外は猛暑である。暑くてたまらないから帰ったら冷たい水とガリガリ君を食べて、ようやくほっとした。風呂場の弁の修理は悪戦苦闘しながらも、なんとか修理できた。やれやれと思っていたが、明日の午前中の講演が気になって、一応できている資料を見たら、これは駄目だ大幅に変えようと思った。その前に2階のベランダに干してある洗濯物を取り込んで整理しなければならない。それが終わって、ようやく机に向かって、ああでもないこうでもないと考えながら、なんとか修正して先ほどようやくスライドのPDF版を送った。そして今ブログを書いている。なんだかこんな生活パターンになるとは思ってもみなかった。だが今思うことは、自分の体の中に潜んでいるエネルギーを出し切るしか乗り切る道はない。だから迷うことはない。真っすぐにやるべきことをやって進むしかない。それは苦しみではなく、やりがいなのかもしれない。文脈は離れるが新聞に、泣き崩れ立てぬ球児の夏終わる(田辺英男)の句があった。甲子園に出場するほどの野球選手なら、優れた才能を持ち人一倍の努力をしてきたに違いない。それでも世間はまだまだ広く、上には上の選手たちがいる。この選手の夏は終わったかもしれないが、きっとその経験が役立つ時が来る。汗いっぱいの夏が静かに去っていき、やがて秋がやってくる。自分も短い期間ながら、家内の入院中を悔いのないように生きてきた。来週からはいよいよ学校も始まり、自分も所沢市内の学校訪問をするだろう。いやもう今週から午前中は詰まっている。2学期への準備が始まっているのだ。若い人たちのような全力を尽くした生き方ではないが、年配者でも精一杯の生き方がある。やれることはすべてやってみようと今思っている。そう考えると家内の入院は、自分への甲子園球場の応援団のような気がして、逆に元気をもらっている。入院すること自体を嘆くことはないのだ。
つながり
今は土曜日の夕方、いつも通りの書き出しで恐縮だが、この時刻になると今週も今日も終わりかと思ってほっとする。先ほどまで地元の町内会の主催だと思うが、夏祭りの太鼓の音が聞こえてきた。といっても弘法大師の御社のある小さな広場で、側に小川が流れており、大きなイチョウの木があって、そのすぐ近くに、地元の農家の人たちが雨乞いをしている時にここを掘ったら良いと弘法大師のお告げがあって、そこから水が湧き出たいう井戸がある。その伝説も書いてある史跡がある。そして小川の反対側がスーパーマーケットの裏入り口になっている。そこに町内会の役員の皆さんがテントを張って、毎年恒例のお祭りを仕切っている。笛と太鼓とひょっとこなどのお面をかぶった踊り手が、踊っている。ただ例年と違って盆踊りの屋台ができていない。つまり今年は盆踊りはやらないで、踊るのは多分地元の伝統文化保存会の人達ではないかと思う。この市では町内ごとに、保存会が中心になって、祭りや盆踊りやいろいろなイベントで伝統文化を披露している。自分は所沢市の出身ではないが、そのひょっとこ踊りや太鼓や笛の音色が好きで、小さい頃に戻ったような気持ちになって嬉しくなる。重松流(じゅうまりゅう)祭囃子と呼ばれる太鼓の音色は郷愁をそそられるようで、胸にどんどんと染み込んでくる。お祭りは秋だが、所沢の銀座通りや繁華街で、太鼓を打ち鳴らすいなせな若者衆は、江戸の昔からこのような姿だったのだろうと、昔を彷彿とさせる。太鼓を打つ時のバチさばき、時折見せる見栄を切るようなパフォーマンスは、祭りに来た人たちをどこか酔わせるような魅力がある。自分は、秋の祭りと夏の盆踊りを本当は楽しみにしている。夏の盆踊りは、地元の盆踊りの音頭が好きで聞き惚れる。もちろん自分で歌ったり踊ったりしたことは一度もないが、大ファンであることは間違いない。例年なら町内会から御祝儀の依頼が来たりするのだが、今年はこじんまりと保存会の人たちだけの踊りとお囃子だけなので、遠慮しているかもしれない。受付の人たちはいたが、なんとなく後祝儀を出すのも気恥ずかしくなってやめた。2階の書斎の窓を開けているので、休んでいた笛と太鼓の音色が再び聞こえてきた。どの地域であってもこんな伝統文化が残っていて、大人になっても年寄りになっても、その音色や踊りが脳のどこかに大切に保存されていて、それが水面下から浮かんできて、地元の人たちとの連帯感が深まっていくような気がする。自分はこの地域に住んで、近所の人達とも仲良くしてもらい、地元の先生方や教育委員会の皆さんと一緒に仕事ができることが、この上なく嬉しい。家内も自分もこの地域に包まれていて、心理的安全性が高いと言われればその通りである。新聞に、田植えして一村すべて繋がりし(浜名勇)の句があった。なるほど田植えはみんなが協力しなければできない。だから農村は助け合って生きてきて、それが日本全体の文化風土になったとすれば、祭囃子や盆踊りはその絆を確かめるイベントなのかもしれない。そしてどの地域でも笛や太鼓の音色や音頭を聞けば、ここに住んで良かったと思う人が多いだろう。家内が入院しているので、先ほど自分の好きな刺身をスーパーで買ってきた。他にも料理を作るが、まだお囃子を続けているなら、ビールを飲みながら1人で聞いていたい。刺身と冷奴をおかずにして一杯飲むのは、父親譲りかもしれない。なるほど人は多くの人の繋がりで生きているのだと改めて思った。
歳か環境か
今は火曜日の夕方、まだ外は暑くテレビ報道では熱射病の恐れがあるので急な用がない限りは、外出しないようになどの注意を促している。それに逆らうように、自分はここ数日は外に出っぱなしで、家に帰ってすぐに水分補給をする。冷水がことのほか美味しく、ガリガリ君などのアイスキャンデー、さらにはビタミンCなどの飲料水も好きで、先ほども立て続けに飲んだ。家内が入院してから数日が経っているが、詳細は書かないが、自分は時間に追われている。実は4月以来、四輪車ではなく単車のバイクに乗って用事を済ましている。その方が時間のロスがなく駐車場も気にしなくても良いからである。市内の用事はほとんどバイクで行けるので、なんとか無事にすべてをこなせている。病院も駅前なので、駐車場はいつも満席で、ほとんどの人は電車で来る。自分の場合はいろいろな用事が重なるので、電車で行くと間に合わない。あれやこれやで単車のおかげで事は収まっている。自分も健康のことがあるので、なるべく運動するようにしているが、今週はいつものスポーツジムが休館なので、隣の市の市民スポーツセンターのプールに行った。夏休みだから子供たちでいっぱいで、幼稚園生から小学生中学生に至るまで、もちろん大人も多く来ていたが、いつものスポーツジムでは子供はいないので、少し違和感があったが、なるほど今は夏なのかとふと思った。今日も昨日も隣の市に出かけたのだが、セミがゆく夏を惜しむかのように声を限りに鳴いていて、たぶん今頃テレビでは甲子園の高校野球を報道しているだろうと想像した。色々なことがあっても、夏が来て、すぐにお盆も過ぎて、8月も後半になり、やがて9月を迎える。あっという間に日にちが経ってしまう。そういえば昨日市民プールから単車で自宅への帰り道、猛烈な雷雨に出会った。ものすごい音量と稲光がすぐ側に起きたような天候だった。たまには雨でも降って欲しいとは思ったが、こんな目に遭うとは思わなかった。単車に持ち込んでいた雨合羽が役立った。昔ジョギングをよくしていた頃、雨でも走らないと気が済まなくて買ったもので素材が良かったのか、あの豪雨の中でもしっかりと体を守ってくれた。4輪車に比べて、バイクは雨のときは役立たずだと思っていたが、それは自分の偏見だった。全く問題なく無事に帰宅した。4輪車よりもはるかに機動性が高く移動も楽だったので、助かったと感謝した。家内が入院してから洗濯、掃除、料理、郵便物などの処理と近所付き合いと病院通いで、こんなに忙しいとは思わなかった。それに加えて、これまでと同じ仕事をして、スポーツジムにも行っているので、なるべく早く処理したいと思っている。掃除はルンバがやってくれ、洗濯も洗濯機がほぼ自動的にやってくれるが、料理だけは、スーパーで買ってそのまま電子レンジで温めるだけという場合もあるが、自分はこの際にネットでレシピを調べて、自分なりの手作り料理を覚えたいと思っている。何種類かチャレンジしているが、手順は書いてあるのだが、あまり意味が書いてないようで、別に自分は料理を研究しようとするわけではないので構わないのだが、と思うことはある。例えばレモン汁大匙一杯などと書いてあるが、レモン汁が無い場合どうするのか、酸っぱければ他でもよいのか、なぜレモン汁が必要なのか、それははじめに味をつけるのか後に味をつけるのか、専門家は意味がわかっているので、他の物でも代用できるのかできないのかを、すぐに回答するだろう。素人は意味がわからなくて手順だけ従おうとするので、どうもピンとこないのである。今まで料理をしたことのない素人が、何を偉そうにと言われそうなので止めておくが、何しろ料理に時間を取られている。まあ料理を覚えるのも勉強の1つなのでそれも良かろう。年をとるとそれすらも面倒になるらしい。新聞に、欲しき物食(しょく)したきもの特になくデパートにいて老いを意識す(和泉純子)の句があった。自分にもいずれそのような時が来るだろう。ただどうだろうか、自分は今家内が入院して、家内の分の何割かが降りかかってきた。ただ今はそれがなんとなく自分を励ましてくれて、どこか楽しささえ感じる時がある。家内宛ての郵便物もかなりある、近所からの連絡事もそれなりにあり、自分はその意味では自宅と病院とのメッセンジャーの役割を果たしている。手術をして入院すること自身は、仕方のないことであり諦めに似た気持ちだったが、今は違う。手術をして元気になるのだからこれほど有難いことはないのだ。その間に自分も料理のレシピを覚えたり活動の幅が増えてきて、仮に家内が倒れたとしても、自分で料理ぐらいはできるようになっておきたいと思うようになった。そんなことは以前には、全く考えもしなかったことである。プールからの帰り道、猛烈な雷雨に遭遇してバイクの見方が全く変わった。すごいと見直した。同じように家内もこんなに付き合いが広いのか、などと驚くと同時に、まさか自分が料理を作るなど自立するとは思ってもみなかった。人は歳ではなく、環境で変わるのではないか。
八月十五日
今は土曜日の夕方、というより、お盆連休の最後の土曜日なので、多分帰省から帰る車で高速道路は渋滞し新幹線などの交通機関も混雑する曜日だろう。テレビ画面を見ると色々なニュースで賑わっている。トランプとプーチンの首脳会談、九州地方の大洪水による被害、大阪万博で帰宅できない大勢の人たち、毎年の事ながらの甲子園の高校野球など、1日1日があっという間に過ぎ去っていく。自分もそれなりの変化があった。14日に家内が入院し、15日に手術をし、そして今日16日になった。毎日病院に行っているが、15日は、先生から手術結果の説明を受けた。4時間ほどの手術だったが1時間長引いたので、内心何か予期しない現象、病気の併発などを心配した。待つ身には、不吉なことしか浮かんでこない。これはいけないと思って、自分は病院に小説を持ち込んで読んでいた。これは正解だった。心配したところで何の意味もないことは誰も知っているが、それができないのが凡人の悲しさで、そんなときは何かの助けを借りることだ。半分心配しながら半分は小説の中身に惹かれていった。そして先生は、レントゲンを映して、丁寧に手術の経緯と術後の結果を説明してくれた。なるほど医学は正真正銘の科学である。原因となる箇所を取り除くか、何かで代用するかによって、体を回復させる。つまり明白な因果関係に基づいて処方するのである。その時ふと思った。教育は外科ではなく内科ではないか。内科の処方は、主に薬とか生活習慣の改善などで、原因となるものを切って取り除くわけではない。教育もいじめや不登校のことを思えば明白で、原因となるものが明確ではないので簡単に切って取り除くという外科的処方は適用できない。子供によって多様な要因があり、それが複雑に絡み合っていたり、家庭環境なども影響を与えているので、ケースバイケースで暗中模索の解決法のように思われる。そして最後は、子ども自身の内面の変化や心のあり方によって解決する、というか解決する場合もある。それは科学ではないのかもしれない。あるいは極めて複雑な関係なので、現代の科学では手におえないのかもしれない。いずれにしても自分は担当した医師の説明を聞いて、医者は科学者であり技術者でありそして人の命を救う職種であると思った。それに比べれば、自分はまだ専門家とは呼べないような気がするが、教育は精神科医に近いかもしれない。教育は内科よりもっと内面に関わる現象を扱うからである。ただしあてずっぽうに処方する、つまり適当に指導しているわけではなく、これまでの経験知と研究に基づいた科学知によって、研究者も先生方も子供達に対応している。そんなことを考えていたので、15日は帰宅が遅くなり、夕食はカレーライスで済ませた。といってもスーパーで即席カレーを買って、電子レンジで1分10秒温めて、ご飯の上にかけただけで、美味しいカレーライスができる。自分で作ったのは初めてだったが、オーバーに言えば感動した。こんなにも美味しいのかと思ったが、そこにも食品メーカーの専門家がいた。彼らもまた美味しさを追求する科学者であり技術者であり、人に喜びを届ける職種である。教育は当然ながら人を育てる職種であるが、外科手術や即席カレーとは異なる面をもっている。医療も食品業者も最先端の技術を使い、それぞれの目標を達成するのだが、より正確に、より短時間に、より美味しくという効率を指標に用いている。教育の場合は効率だけの指標では、目的を達成できない。最先端の技術ではなく、手作業で直接子どもに触れる、子供に任せるなどの外的手段を用いない指導が多いのだ。それは長い経験による知恵だろう。場合によって、生成AIなどの最先端技術を導入するとうまくいく場合もある。だから複雑な糸の絡み合いのような世界が、教育なのである。文脈は離れるが新聞に、あるもので済ます八月十五日(里村直)の句があった。昔の日本はみんな貧乏だったから、8月15日でなくても美味しい食べ物を求めていたような気がする。今は簡単に美味しいカレーライスが食べられる。美味しいのだが、夏のキャンプでみんなで作ったカレーライス、家内が作ったカレーライス、どれも手作りで、その温もりが胃の中だけでなく、体全体にしみわたっている。教育は昔ながらの、その温もりを求めているのだろう。
