時が解決する

 今は火曜日の夕方、いつものように書斎の南側の窓から外を見るが、どんよりとした曇り空である。肌寒い一日で、まるで冬の初めのような気温で、空に明るい日差しは見えなかった。こんな一日でも時は確実に刻んでいき、お昼過ぎに首相指名選挙があって、国会中継をしていた。午後2時からオンライン会議があるので、どうなるかと固唾を飲んでテレビ画面を見ていたが、選挙結果は午後1時45分ぐらいだったろうか、タイミングよく報道された。それを見て2階の書斎に上がった。

 オンライン会議は仕事なので選挙などの話は一切しなかったが、先週からずっとお昼の時間は午後1時半ぐらいまでテレビ報道を見ていた。この前のブログにも書いたように、波乱万丈のドラマのような選挙であった。午後2時からはオンライン会議と、その後1時間ぐらいしか時間がなかったが、スポーツジムに行ってプールで泳いできた。そして今書斎でブログを書いている。新内閣の人事や詳細は、午後7時からの夕食の時間にニュースで確かめよう。それにしても与党野党とも関係者は、ハラハラドキドキ緊張の1週間だったに違いない。これから先はどうなるか分からないが、とりあえず審判は下された。

 政治には疎い自分だが、新総理の熱意というか頑張りというか粘り強さ、つまりレジリエンスには脱帽した。政党の論理も大切であるが、最後はレジリエンスのような人間っぽさの方に軍配が上がるのかと思った。理屈っぽく言えば、政策の理念は論理であるが、熱意や粘り強さは情意や感覚である。教育の分野で言えば、認知なのか非認知なのかである。これまでは認知、つまり思考力判断力のような論理的な能力を育てることを重視していたが、今日では、それ以上に諦めないとか情熱を持つなどの感性的な能力、つまり非認知能力が重要視されている。その意味で、新総理の熱意が首相の座を射止めたのではないか。

 ハラハラドキドキすることも病気の痛みもつらい出来事も、逆に嬉しい喜びもいつかは終わる。つまり時が解決する。自分を振り返ってみても、あの時は大変だった、いつ解決するのか、これが夢だったらなどと思い、お腹が痛くて痛くて何とかして欲しいと神に祈り、この痛みが無くなったらどんなに幸せだろうかなどと思ったことは、何度もある。それは誰でも同じような経験をしているだろう。自分が今ここにこうして、何事もなくブログを書くことができるのは、そのようなつらい経験が過ぎ去ったからである。つまり時が解決してくれたのだ。逆に楽しいことも長くは続かない。それも浜辺の砂模様を波が消していくように消していくのだ。時とは、都合のいいことも悪いこともきれいに流してくれる。ならば、あまり一喜一憂せずにありのままに生きていけばいいのではないか。

 新聞に、「虚子申す時解決す残暑また」(村越陽一)の句があった。俳壇の選者によれば、高浜虚子に、時が解決すると読んだ俳句があるようで、その本歌取りをしていると解説していた。なるほど暑い暑いと言っていた残暑も、今日などはむしろ寒いぐらいで、時が経てば秋は確実にやってくる。それは自然の移り変わりだけでなく、人間社会の織り成す諸々の出来事も、時が経てば必ず落ちつくところに落ち着くのだろう。そう思いながらも、人間はなかなか悟り切れず、時を待たないで今何とかして欲しいと思うことが多いのだが、それは多分人間のわがままなのだろう。自分も含めて、それが凡人の姿なのかもしれない。新総理大臣は、もちろん努力しながら、じっと時が来るのを待っていたのかもしれない。

 

 

ディシプリン

 今は土曜日の夕方、昨日と今日は秋晴れの言葉にふさわしい天気だった。昨日などは一片の雲もなく文字通り「天高く馬肥ゆる秋」と思わず独り言をつぶやくような天気で、今日も白い雲と青い空に包まれて、運動会か遠足などがふさわしい1日だった。先ほど嫁が、孫の小学生最後の運動会の様子をLINEの動画で送ってきた。誰でも同じような経験をしながら、季節が移っていく。

 自分は日曜日を除いて朝はテレビを見ないで、昼食時と夕食時に見る。お昼は12時から約1時間、夕方は午後7時から9時までとおよそ時間が決まっている。ところが先週から今週にかけて、お昼に12時から1時間半ぐらいテレビ番組を見ている。言うまでもなく首相指名選挙で与党野党とも大賑わいで、まるでドラマでも見ているような気がする。一緒に見ている家内も、他の番組よりもはるかに面白いと言う。国の大切な首相を決める政治イベントとは言いながら、ドラマでもこんなストーリーは描けないと思うほど、波乱万丈の物語が展開している、首相指名劇場と呼んでもいいだろう。

 テレビの観戦者は野次馬であり劇場の観客である。だから無責任なので、面白がっているだけだが、芝居をする役者は真剣勝負であり丁丁発止と舞台の上で大立ち回りをしている。選挙だから投票数の多い方が指名されることは当たり前であるが、政治家のやり取りを見ていると、与党にしろ野党にしろ単独では勝てないので連立することになるが、問題は政策をどのように合意するかである。その時あくまでも自分の政党の政策を固持するか、連立する相手の政党の政策も受け入れるか、そのせめぎ合いである。連立するなら妥協すればよいのにと、観客としては思うこともある。

 ただそこが政党に所属する国会議員と違うところで、彼らは政策に共鳴して集まった集団なので、その政策を曲げて妥協することは、自分自身を偽ることにもつながるのだ。研究者でも似たようなことがあって、自分が研究して正しいと信念を持っている場合は、どのような事態でも決して妥協しない。ガリレオ・ガリレイが、「それでも地球は回っている」と言明したとおりである。しかし一方、連立するにはある程度妥協も必要であり、政権を担うには数が必要なのだから、政策を固持して議論を振り回すのはきれいごとではないのかという現実主義の国会議員もいる。

 それを聞いて、ふと自分のことを振り返った。時折、小中学校の先生方を前に講演をすることがある。先生方はひょっとして、「現場も知らないで何をきれいごとを言っているのだ、そんな理論的なことよりも、すぐに役立つハウツーを教えてほしい」と思っているのではないだろうか。ただ研究者としての自分は、ノウハウやハウツーだけを話すことはどうしてもできないのだ。背景にどのような概念があり理論があるかを伝えないと、それは自分ではなくなるからである。我々はよくディシプリンの用語を使うが、規則や統制などと訳されるが、自分は学問や研究の基本姿勢やあり方のような受け止め方をしている。研究者は自分の学問のディシプリンによって行動するので、妥協することは極めて難しいのである。

 文脈は遠く離れるが新聞に、「おおよそで生きる余生や秋うらら」(渡辺しゅういち)の句があった。歳をとってくると、「まあそんな固いことを言わないで、世間と仲良く付き合っていく方が良い」などと若い人に言うようになる。自説にあまりに固持すると、「あいつはまだ青い」などと揶揄する言葉も聞かれる。番組の中でも、それに似た言葉を発する国会議員もいた。さてどちらが正しいのか、自分にはわからない。ただ一般的には、政党とか大学などに所属する人間はディシプリンにこだわるようだ。一方世間の裏表を見ながら仕事をする人は、綺麗事ではなく相手に応じて自分の信念さえも変えていく。小中学校の先生方も同じようで、ひとりひとりの子どもに寄り添って、自分のあり方を変えていくのだ。考えてみれば、それも他人が真似のできない優れたディシプリンなのかもしれない。

小さな旅

 今日は火曜日の夕方、書斎の窓から見る空はもう暗くなっており、今にも雨が降ってきそうである。天気予報によれば、今晩から明日の朝までずっと雨が降るらしい。秋にしては肌寒い一日だった。最近の天気は予測がつかず寒暖の差が激しいので、体がついていかない。しかし、つつがなく一日を終わろうとしているのは、それだけでありがたい。外を見ていると、なるほど秋は静かだと実感する。
 そういえば今日午前中、授業参観で音楽の時間で「赤とんぼ」の歌を歌っていた。三木露風作詞、山田耕筰作曲のこの歌は叙情溢れる名曲で、先生が「負われて見るのはいつの日か」の「負われて」の意味は、と生徒に質問したら、「背負われて」と答えた。それを聞いて、自分はまるで母親の背中に背負われて赤とんぼを見ているような情景が浮かんだ。こんな優しい世界に住めればいいと、歌を聞きながら思った。
 ふと一昨日の日曜日の朝の番組を思い出した。NHK「小さな旅」だった。この番組のファンで、どこか牧歌的な音楽と共に、その地域に出かけたような気持ちになる。一昨日は石川県能登島だった。大地震で大被害を受けて、大勢の人がこの島から離れていったが、島に残ってなんとか生活しようとする人たちがいた。その中の一人が、海に住んでいるイルカを小さな船の上から見るガイドの女性であった。この小さな島で生きていくのは容易ではない。彼女がいくつかの過去の出来事を語るシーンがあった。娘があるとき突然に家出をして、その娘の子供を一人残したまま突然消息を絶った。彼女が孫の面倒を見て育てている。そして能登地方は地震の他に水害もあって、立ち直る気力も失せた。
 しかし泣いてばかりではいられないのだ。何としてでも生活しなければならない。その現実が彼女の気力を蘇らせた。そして今はイルカウォッチングのガイドをしながら、観光客が能登島を訪れてくれるのを待っている。確実に収入を得るという保証はないが、それでも嘆いてばかりでは何も前に進まない。その姿を見て、人はこんなにも努力をして生きていくのかと、胸を打たれた。彼女ばかりではなかった。島の漁師が自分の息子と共に祭りを復活させようと努力していた。
 考えてみれば全国あちこちに、自然災害という不可抗力の出来事に遭遇して、その不満を誰にぶちまけることもできない状況の中で、立ち上がろうとしている人たちがいる。自分がその立場になったらどうだろうかと思った。たぶん立ち上がれないだろうと思った時、自分はなんと弱い人間なんだろうかとふと思った。
 新聞に、「残照に黄金(こがね)の穂波かがよひて能登の棚田はよみがへりたり」(熊田敏夫)の句があった。月曜日の新聞に、まるで「小さな旅」の番組を見ていたかのような句が掲載されていた。目も覚めるような神々しいような光景だったのではないか。そしてその棚田を見て、苦労を重ねてきた人々は嬉しかったに違いない。その喜びがこの句から伝わってくるようだ。
 今日も何事もなく、一日が終わることに感謝するしかない。書斎のパソコンでブログを書きながら、平凡であることのありがたさを感じている。誰でもそのことを知っているが、なかなか実感できない。考えてみれば、不平や不安や不満の方が、感謝よりも多いのはなぜだろうか。凡人は悟ることができないから、そんなふうにして月日を過ごしていくのだろうか。

 

 

宵祭り

今は土曜日の夕方、書斎の南側の窓にはカーテンがかかっている。秋にしては少し肌寒いので、カーテンを閉めて外気の寒さを防いでいる。今日は朝から一日中小雨の降る天気で、草木にとっては命をつなぐ大切な水分が補給される。しかし人間はまことに贅沢で、「今年は秋が来ないのか」などと言って、日本は四季ではなく二季だとうそぶく人もいる。
それが今日は秋そのもののような天気だが、なにぶん太陽がまったく雲から顔を出さないのだから、気温が低い。いつものように土日で、特別な出張などがなければスポーツジムに行くことにしている。今日も傘をさしてジムに行き、屋外のゴルフ練習場で下手なクラブを振り、その後プールに入って泳ぎ、サウナに入って汗を流した。
週3回ぐらいを目標にして通っているが、自分にとっては大切なジムで、そのおかげで健康でいられる。何より気持ちの切り替えが嬉しい。午前中は書斎でデスクワークなので脳が疲れる。チョコレートなどを食べると脳の疲れが取れるという、科学的なのか巷の知恵なのかわからないが、自分も時々食べている。ただ、これは体にはあまり良くない。それよりも運動する方がはるかに良いことは、経験的にも科学的にも証明されているスポーツジムの行き帰りで、山車に出会い祭囃子を聞いた。明日は所沢の本祭りで、今日はその前日の宵祭りである。雨の降る肌寒い天気ながら、祭りの法被(ハッピ)を羽織った何人かの人たちが、山車の上で太鼓と笛で祭囃子を奏でている。そして、おかめとひょっとこの仮面をかぶった踊り手が、手つきも鮮やかに祭囃子に合わせて手足を動かしている。祭りの関係者であろう。この寒空の中、明日の本祭りを盛り上げるための練習を兼ねた宵祭りである。それを見守る市民はそれほど多くはない。それでも祭囃子の音色を聞くと、なぜか心にしみてくる。自分はジムからの帰り道、10人ほどの観客の1人になった。山車の上の踊り手も、笛や太鼓のお囃子も一生懸命なのだ。まるで本番と同じように、大勢の観客に囲まれているように、抜けるような青空の秋であるかのように、お祭りを盛り上げようとしている。
町内ごとに山車を出すから、自宅からスポーツジムまでの間に何箇所か祭囃子が聞こえてくる。中でも旧市役所の前のコミュニティ広場にはいくつかの屋台があって、それなりに賑わっていた。親子連れも若者も山車の周りで祭囃子を聞いたり、テント付きのテーブルに腰掛けて、大人は定番のビールや焼きそばなどを、子供は焼きりんごやアイスクリームなどを食べている。それなりの人数が集まっているので、祭りらしい雰囲気になっている。明日が待ち遠しいのだろう。法被姿はどこかいなせで、江戸の昔を彷彿とさせる。この時期は当然ながら、お米などの豊作を神に感謝する行事だから、近隣の市でも秋祭りが集中している。そんなことを考えると、自分も日本人であることを誇りに思い、明日は観客の1人として、明るい日差しの秋のひとときを楽しみたいと思っている。やはり日本は四季でなければならない。
文脈は離れるが、新聞に「歯磨きにほのと音程秋の朝」(渡邉みほ)という句があった。「ほのと」とは「ほのかに」という意味で、俳句でよく使われるとネットに書いてあった。作者は朝、歯を磨くとき、かすかに音楽のように聞こえるのかもしれない。
ジムからの帰り道、山車から離れていくと祭囃子がだんだん遠くなり、「ほのと」聞こえてくる。祭囃子も、いきな法被も、山車も、秋という季節も、そして俳句も、日本人の情感が込められている。四季という自然や祭りや俳句などに触れると、自分の感性は何かに気づくようだ。

レジリエンス

今日は月曜日の夕方、いつもの通りの書き出しであるが、火曜日でないのは当然ながら事情がある。明日は他県に出張しなければならないので、今書いている。日帰りなので帰りの電車の中で書けるのだが、内容が限定される。明日は講演である。ブログは日常生活の平凡な出来事がなじむと思っているので、今日にした。自分の今の立場は、ブログでも書いた通りフリーランスなので、オファーに応じて仕事をしている。正確に書けば、自分の所属する組織はないと言ってもいいだろう。名誉教授とか名誉会長などの肩書は頂いているが、その肩書で仕事をしているわけではない。一介の市井の老人にすぎない。ある程度の年齢になれば組織から離れるようになる。組織には定款や規則があって、否が応でもそこから切り離される。ただし自分は今の立場が自分に合っている。特にフリーという言葉が好きで、何でもできるではないか、これからは自由の身分だなどと周囲の人たちに言うと、何を偉そうに負け惜しみかと言われることも承知している。人の生きる道には節目がある。自分のことを書けば、高校教員の時代、国立大学の教員の時代、私立大学の教員の時代、団体会長の時代、そしてそれらの組織から離れた今の時代である。高校教員は教員採用試験に応募して採択されるので、自らの意志で職を得た。よく先生は水を得た魚のようだと言われたが、そうかもしれない。毎日が楽しかった。夢中で仕事をしていたら、なぜか国立大学から来ないかという誘いがあった。それ以降就職で自ら応募したり問い合わせたりすることはなく、先方からのリクエストに応じて職場を移っていった。今もリクエストに応じて仕事をしているので、何十年前から変わらないのかもしれない。そしてどの仕事も面白かった。もちろん人間だから、気の乗らないことや不得意なことや落ち込むことなどもあるが、基本的には面白がっていると言って差し支えない。今でも同じである。明日の講演もオファーに従って出張するのだから、ありがたいとしか言いようがない。自分のような年齢で、自分のような浅学で、あまり能力もないのにオファーが来るだけで、自分もどこかお役に立てるのかと、自分を少し認めることができる。自分のことを認めることができれば、それは最高の喜びである。なぜなら自分はまだ生きてよいのだという証明書をもらったようなものだからである。話は飛躍するが、不登校の子どもや、うつ病の人の気持ちが分かるような気がする。何か自分に自信が持てなくて、どこかおどおどしたり、自分の居場所があるようなないような不安定な状態ではないだろうか。自分も先に書いたようないくつかの時代をそれなりに楽しく過ごしていても、ふと自分に自信がなくなる時がある。時が経つといつのまにか忘れているが、そんな繰り返しである。ずっと自信満々で、ずっと幸運のままという人は、この世の中には誰もいない。どんなことが起きても跳ね返す力が必要なのだ。文脈は遠く離れるが新聞に、「いつか来る分かれ道だと思うべし決然と行く免許返納」(橘晃弘)の句があった。作者の気持ちはよくわかる。免許返納しようとすればそれは大きな決断がいるだろう。自分はその決断ができないので免許を更新しているが、免許返納したらそれはまた別の人生が開かれるだろう。それは1つの節なのである。先に書いたように自分の人生を振り返ってみたら、いくつかの節があった。どの時代も今思えば楽しい思い出ばかりである。いや厳しい経験をしたり落ち込んだりしたこともあるのだろうが、ほとんどは忘れている。それは節のおかげなのかもしれない。今日、自分が役員をしている中学校から定期的な便りが届いた。その中に、竹はいくつかの節があるので、あのように折れないでしなやかに曲がることができると書いてあった。竹のように生きること、それは今の言葉で言えばレジリエンスである。この言葉が世界中で広がったのは、大人も子供も「心が折れる」と言われるように、しなやかさや復元力が欠けてきたからだろう。どんな時代になろうとも、どっこい自分は生きている、耐えていける力が求められている。それは我慢することではなく、楽しみながらしなやかさを持つ姿とも言える。自分もそうなりたいと思っている。

ミス

今日は金曜日の夕方であるが、自宅ではなくホテルである。この前のブログもそんな書き出しであったが、今日は札幌のホテルにいる。学会の年会に参加するためだが、今日はヒヤヒヤすることばかりであった。こんなことをブログに書くと自分の恥を晒すようで迷ったが、正直に書く方がよろしい。危うく飛行機に乗り遅れそうになった。もちろん多少余裕を持って自宅を出たのだが、ありえないことに時計の針が5分遅れていた。これには理由がある。2つの時計を使い分けている。両方ともソーラーなので電源は心配ないが、海外に行くと電波時計だと困るので、手動で時刻を変える時計も持っている。今日はそれを持ってきたのだが、時計の調節をなぜか5分間違えてしまった。なるほど人間のすることはこういうミスが起きるのかと思ったが、電車の中でハラハラした。羽田への到着時刻がギリギリなのである。ゲートに着いたら、札幌行きは15分遅れますとアナウンスがあった。これは奇跡なのかと思った。もう1つ恐ろしいミスがあった。今朝急いだせいか、なぜかパソコンのマウスを忘れてしまった。バゲージに、いつものカバンから必要な物を取り出して入れるのだが、昨今では自分はむしろリュックを使っている。だからリュックとカバンとバゲージがごちゃまぜになったせいかもしれない。しかしそれだけではない。通常2台のパソコンを使い分けているが、最近1台のパソコンがおかしくなった。キーボードのキーが1つ取れてしまった。そして時折何か言うことを聞かないような不思議な現象が出てきている。出張にはもう1つのパソコンを持っていこうとして、そのように準備していた。ところがこちらの方は重いのだ。やっぱり止めて、調子悪くてもいつもの軽い方を持っていこうとして、マウスを忘れたらしい。明日は懇親会があってブログが書けないので、今日の夕方に書くと決めていた。パソコンを開いてびっくりした。ポインターが画面に出てこないのだ。マウスパッドで動かしてみようと試みても、全く反応がなかった。これほど調子が悪いとは思ってもみなかった。自分は今度の学会を軽く考えていたのか、だから罰が当たったのかと、自分が情けなくなった。マウスポインターが操作できなければ、手も足も出ないのだ。もちろんブログも書けないし、明日の学会で話をすることもできない。どうしたらいいのだ、我が身を責めた。ふと思った。マウスを買えばいいではないか、そんな単純なことでも、落ち込んでいる時にはすぐに思い浮かばない。すぐにホテルを飛び出したら、すぐ近くにヨドバシカメラがあった。有線の安いマウスを買って、USBの口に差し込んだら、平然と何事もなかったように画面上をポインターが動いた。そんなことでも何か感動した。最後になって助けてくれたのかと思った。1つ間違えばとんでもない事態になり、皆さんにご迷惑をかけることになる。本当に情けない自分だが、どこかで大事に至らないように、神なのか先祖なのか家族なのか学会のみなさんのおかげなのか、と思った。文脈は離れるが、県内版新聞の歌壇欄に「県内の大雨の報入るなか静かな雨に白百合映ゆる」(阿部泰夫)の句があった。作者の気持ちはよくわかる。線状降水帯やら台風やらで打ちひしがれている人たちをテレビ画面で見ながら、自分たちは静かな雨の音を聞き、この雨で野菜や花が生き返るだろうなどと思っている。なんとも申し訳ない気持ちなのだが、これが凡人の感じ方なのかもしれない。明日は学会に参加する。しかしその内容は、世間で厳しい仕事をしている人から見れば、世間離れした議論をして楽しんでいるのかとしか見えないかもしれない。自分の出来事も、この短歌と同じような状況だろう。そう思うと何やら恥ずかしい気もするが、お許しいただきたい。

秋の夕方のひととき

今は火曜日の夕方、いつものように2階の書斎から南向きの窓越しに空を眺めている。夕日が隣の家々の屋根を照らして少し茜色のような反射光があったが、西日が沈んだのかもう見えなくなった。その家々の向こうにマンション群が見える。もう一日が終わるのか、静かなたたずまいで秋の夕方とはこんなものかとふと思う。平凡ながら月日の経つのは早く、明日から10月に入る。今週の土日は出かける用事があるので、今日スポーツジムに行ってきた。帰りの時刻は小学生の下校時間なのか、子供たちのグループとすれ違う。子供はいつも元気で、いつも楽しそうに話をしながら、そして道草をしながらそれぞれの自宅へと帰っていく。自分の帰り道は西向きなので太陽光を直接浴びる。もうこの時刻ではそんなに暑くはない。道路は車とバイクが、そして歩道には自転車や人々が歩いている。よちよち歩きの幼子と散歩している親子連れや、自転車の後ろに小さな子供を乗せ、抱っこ紐で赤ちゃんを抱えた母親とすれ違う。なんと母親は強いものかと思い、転んだり怪我をしないようにと他人事ながらハラハラする。そして自分は帰宅して、冷たいお茶とアイスキャンディを食べて喉を潤す一時は極上である。そういえば今朝、庭を見たらきれいに彼岸花が咲いていた。別名曼珠沙華ともいうが、赤と白の彼岸花が一列に並んでいて、思わず携帯で写真を撮った。今年は残念ながら巾着田曼珠沙華公園には行けなかったが、数十万本とも数百万本とも言われる公園は一面真っ赤な世界で、この世ではないような気持ちすらする。高麗駅に下車して公園までの道筋には、地元の皆さんが野菜やら漬物やらを売っていて、それを買って帰るのも楽しみだった。公園の広場で食べる鮎の塩焼きは絶品の味だった。昨年は子持ちの鮎だったのでなおさらで、生ビールのつまみに最高だった。大勢の観光客がぞろぞろと物見遊山もしながら、駅から公園入口まで歩いて行く。その辺りは巾着田と呼ばれて、昔の財布の呼び名である巾着に似た形をした一面の野原が広がっている。2人の子どもが小さかった頃も、毎年出かけて思い出を作った。野原にはコスモスがいっぱい咲いていた記憶がある。今年は家内が長く歩けないので中止したが、来年はもう一度行きたい。そんなことを思い出していたら新聞に、花野まで前行く人を追ひ越さず(海野公生)の句があった。その通りである。秋の一日を柔らかい日差しを浴びながら長閑な田園風景に囲まれて何をあくせくする必要があるのか、みんながその空気に包まれて日頃の疲れや憂さもどこかに飛んでいってしまうのだ。だからゆっくりと人の流れに沿って歩いて行くのである。自分のスポーツジムの帰りも、似たようなものかもしれない。秋の夕方は、人に安らぎを与えゆっくりと歩く気分にさせるのだろう。外はもう日差しがかげって薄暗くなり、マンションに規則正しい明かりが灯って、クリスマスツリーのように見える。それぞれの家庭が夕食の時間を迎えようとしている。先ほどすれ違った赤ちゃんと幼子を自転車に乗せた肝っ玉母さんのような家庭にも、楽しい一家団欒のひとときを過ごせるように祈りたい。秋の夕方は人を優しい気持ちにさせるようだ。

年会に参加して

今日は土曜日の夕方、いつもは自宅なのだが今日は学会の年会があって、ホテルの中にいる。雰囲気が違うのでどうもブログが書きにくいので、公開日誌にふさわしい文章かどうか不安であるが、お許しいただきたい。今日は朝から研究発表を聞き、質疑応答して、いわば贅沢な時間を過ごした。早朝に自宅を出て、会場に着いたらずっと研究発表を聞こうと思っていた。それは正解であった。自分が現役で学生たちと一緒に学会の年会に参加していた時とは違って、規模も大きくなり発展していた。若い人たちで会場もいっぱいで、盛況の言葉通りだった。自分の年齢では発表することは当然ながらないが、発表を聞いて議論するのが楽しい一時なのである。それは自分のアイデンティティというか、本来の自分に出会うというか、ああ、そうなのか自分はこうして時を過ごしたかったのかと思ったりする。特にこれから研究者の道を進もうとする大学院生や若い人たちに、教わることが多い。何か研究の息吹を感じるのだ。それは研究のレベルが深いとかアイディアが優れているとかではなく、研究自体の若さと言っていいのか、荒削りでも未来を見つめるキラリと光る魅力を感じるのだ。今日はそんなダイヤモンドの原石のようないくつかの研究に触れて楽しかった。時間があればもっと聞きたかったがそれはできない。ただ輝くような研究でも、磨かなければただの石ころになってしまう。議論が楽しいのは、宝石にするための工夫というかアイデアが出てくるからで、それはこれまでの自分が蓄えてきた経験値ではなく、発表者と自分との間で作り出す知的作業だと思う。今日の最後のセッションで、論文の書き方のようなきっちりした講演を聞いた。非の打ち所がない、疑問の余地が見出せないような内容であったが、正直に言えばあまり面白くなかった。その通りだと思うが、凡人である我々にはそのように実行できないのだ。交通事故を起こして、交通法規の講義を延々と聞かされているような感じであった。研究には硬い研究と柔らかい研究があると思う。柔らかい研究の方が人間味があってどこか面白い。講演を聞きながら、人は面白いから研究するのだと不遜なことを思っていた。文脈は遠く離れるが新聞に、「負けました皆な応援ありがとう」家族LINEへ少女剣士が(須山佳代子)の句があった。剣道の試合に出て負けた少女が、さわやかにそしてきっぱりと家族全員に伝えた。心が洗われるような短歌である。研究も同じかもしれない。爽やかでどこか他人が応援したくなるような発表に触れると、自分も心が洗われる。年を取って頑固じじいと言われたくない。この少女剣士のような生き様を見習って生きていきたい。今日は本当に勉強をさせていただいた。明日もまだある。

うろこ雲

今は火曜日の夕方、と言うより秋分の日の夕方と言った方がぴったりする。いつものように2階の書斎の窓から空を眺めている。まるで絵に描いたような静かな秋の夕方である。書斎の机に2台のパソコンと、その横のテーブルに小さなCDラジオがあって、童謡とか日本歌謡のような静かな音楽が流れている。自分は時折音楽を聴きながら仕事をすることがある。気持ちが落ち着くからである。家内が退院しても本年度中はリハビリのような期間なので、重い物を持ったり腰を曲げたり遠くまで歩いたりすることは、あまりできない。今の生活は、家内が主に1階で自分は2階である。2階に階段を登るのが大変なので、レンタルベッドを1階南向きのフローリングの部屋に置いている。その北隣に台所兼リビングがある。家内の生活空間は1階が中心で、台所で料理を作ったり浴室で洗濯をしたり、リビングや和室でミシンを使った趣味ごとをしている。現在は庭に洗濯物の物干し台を置いている。洗濯物もかなり重いので、浴室から庭まで運ぶのは自分の役割で、今朝も朝食の後に洗濯物を運んだ。物干し台は高さの違う2つの段に物干し竿が掛かっていて、そこに洗濯物を吊り下げるのは家内の係である。8時半を過ぎると東から太陽が照り付ける。2階のベランダには屋根が付いているので、直射日光は洗濯物の全面には当たらない。しかし庭の物干し台では何も遮るものはなく、朝日が照り付けて白いシャツなどはまぶしいような反射光が目に入る。雨の日はお風呂場で浴槽乾燥をするが、やはり太陽光に勝るものはない。ふと見上げると、空に一面にうろこ雲が浮かんでいた。魚の鱗のような小さな雲が空全体に筋状に広がって、なるほど今は秋なんだとふと思った。夏のような天気が続いていたので秋が来ることをどこか忘れていたが、背中をポンと叩かれたように思い出した。うろこ雲はいわし雲とも呼ばれるが、この雲を見ると子供の頃のことを思い出す。秋晴れの校庭で運動会があった。残念ながら自分は足は速くはなかった。3位以内に入れなかったと思うと、子供心にどこか惨めだった。昔は両親が弁当を持ってきて、お昼時間に一緒に食べるのが楽しみだった。速くはなかったが頑張ったなと励ましてくれた。秋には遠足もあった。どこか近くの山に登ったのだろう、楽しみにしていたのか、てるてる坊主をぶら下げていたことを思い出す。昔は日本全体が貧乏だったから、お昼の弁当に卵焼きが入っていると、誰もが目を輝かせて喜んだ。このブログでも書いたことがあるが、大好きな先生の横で弁当を食べておかずを交換したことがあった。優しいその先生とその時の光景は忘れられない。爽やかな風の吹く気持ちの良い秋の一日だった。夏の次はすぐ冬かと思っていたら、ようやく秋がやってきて、子供の頃を思い出させるような秋風と、その風に吹かれて揺れる洗濯物と大空一面に広がるうろこ雲が、自分を癒してくれた。何も心配することはないではないか、こんな自然の中で生活できればそれでいいではないか、自然の流れのままに頑張ればいいではないか。文脈は離れるが新聞に、「敗戦を終戦と呼び鰯雲」(木川志佳)の句があった。敗戦と言えば苦渋の思いがあるが、終戦と呼べば戦争が終わり平和がやってくる、それは鰯雲が空一面に広がっていくように、これから先も大丈夫だ、自然はきちんと訪れると、作者は、自然の懐に抱かれる思いがして、安心したのではないだろうか。自分も今朝同じような雲を見て、平穏な生活ができること自身が有難かった。それで十分である。それ以上の贅沢はいらない。

ねぎらう言葉

今は土曜日の夕方、いつものように2階の書斎の窓から空を見ている。空一面の曇天で、スポーツジムの帰りは雨が降っていた。異常気象と言われるように、35度近くの酷暑もあれば今日のような25度前後の涼しい日もある。今日は1日中曇り空で、午前中も小雨が降り午後からはずっと雨が降っていた。どこか肌寒いような気温だった。寝室ではクーラーをかけて寝るのだが、昨夜はかけなかった。そのせいかどうかわからないが、朝起きたとき咳が出なかった。実はここ数週間、咳が出たり鼻水が出たりティッシュが手放せなかったので、書斎のゴミ箱は書類よりもティッシュの方が多かった。今日は少ししかティッシュを使ってない。ありがたいことに体調も回復してきたようだ。昨日の昼間は体がだるくて、1階の居間で30分程横になっていた。その休憩がよかったのか、昨夜のクーラーを切ったのがよかったのか分からないが、今日は少し元気を取り戻したようだ。だから雨の中をスポーツジムに行って汗を流した。ジムにはサウナがあるので、汗でいっぱいになった体を、プールに隣接している屋外のジャグジーに浸かる。冷たい雨に濡れながら温かいジャグジーに体を浸していると、頭冷体温というか、その温度差で体全体がリフレッシュするような気がした。そして少しの時間だが、ぼーっと気になることを考えたりする。今週はあんなこともあったこんなこともあった、嬉しいこともあったが気になることもあった、こんな風にして時が過ぎていき、年を重ねていくのか、と思う。誰でもうまくいけば喜び失敗すれば打ちひしがれるのが人間の常だが、それでもいくつになってもなんとか上手くいくようにもがいているのだと思う。今週も学校訪問があったので、授業参観をしてコメントを送った。小学校の先生は優しく、中学校の先生はそれなりに厳しく授業をされているようだ。ただ世の中と少し違うと思う文化がある。それは子供や生徒が失敗しても、責めることはほとんどないことだ。企業や行政や団体であっても、数字の結果はそれなりの責めを担当者は負う。大学や大学院などは、高等学校までと違って業績という言葉を使う。業績が低ければ企業の営業成績が悪いことと同じで、それなりの競争社会で生きている。もちろん理系文系や国立私立などで比重は違うが、競争原理は働いている。しかし小中高等学校は学校教育法によって定められていることもあるが、学校文化があって競争原理は基本的にはない。だから年を取って振り返ると、桃源郷のような小中学校を懐かしく思い出すのだろう。文脈は離れるが新聞に、失敗を労(ねぎら)ふ言葉涼しくて(臼井正)の句があった。猛暑の中で、緑に囲まれた木陰に入って優しい風にあたると、その清涼感がこの上なく心地よい。失敗した時のねぎらう言葉は、競争社会と学校文化では違うだろう。世の中の組織は、今現在で評価するが、学校では今は将来のための一里塚であり、学校を卒業してからの未来を期待している。だから失敗しても優しい言葉が生きるのかもしれない。自分も団体の役員として長く仕事をしてきたので、数字で左右された。しかしどうだろう、仕事をするのは人間である。人間を育てるプロの組織が学校であるとすれば、学校文化を世の中の組織でも取り入れた方が良いのではないか。こんなことを書けば、多分世間はそんな甘いものではないという声が聞こえてきそうである。自分は長く教育の世界で仕事をしてきたせいか、この俳句のねぎらう言葉に共感している。