秋の夕方

今は火曜日の夕方、書斎の南の窓から見る空は青空で、一点の雲も見えない暑い一日だった。昨日が敬老の休日だったので、今日は火曜日といってもなんとなくイメージが湧いてこない。今日から仕事始めの週のような気もするが、フリーランスの身としては、休日と平日の区別がほとんどないので、一日が無事に終わればありがたい。先週は外出ばかりで忙しかったが、今週はやはり出かけることも多く時間に追われる。時間は仕事ばかりで埋まっているのではなく、諸々の用事も重なっている。先ほどはプリンターのインクを買いに行ったばかりで、お昼休みは近所のスーパーに買い物に行き、早朝は自宅の庭にある小さな畑に野菜を育てるので、苦土石灰をまいて土と混ぜ合わせた。そんなことも入ってくるので、忙しいと言えば忙しいのである。それでも書斎から空を見ていると、今日もほぼ終わりに近づいたと思う。いくら暑いと言っても自然の営みは正確で、今の時間は庭に出ると爽やかな涼しい風が吹き、西の空は茜色が薄く交じったグラデーションが自分を癒してくれる。人は勝手なことを言って、灼熱の暑さや危険な暑さと言い、大雨や洪水が起きると日本列島は大災害に見舞われているような報道をする。確かにこの頃の気象は、天地異変のような気もする。今日の午前中は市内の中学校に行って、社会科の授業参観をした。単元は北海道の災害で、雪の被害を取り上げて人々はどのような対策をしているかをまとめていた。北海道には雪や火山や大自然に満たされているが、被害だけなのかという問いに対して、観光客がいっぱい来るから収益が上がるのなどの利益についても話し合った。観光客がたくさんくれば良いことばかりなのかという問いが出て、いやプラスもあればマイナスもあるという議論になって、人々はそれぞれに対応して生きているという授業だった。なるほどそのとおりで、暑さが続けば雨は恵の雨となり、洪水が起きれば晴れた日が恋しくなる。人と自然のいたちごっこのような戦いの日々である。そして人は知恵を絞って、苦しさや大変さの中にも喜びを見出そうとする。お昼のテレビで、いくつかの地域の祭りやイベントを報道していた。今年は秋刀魚が豊漁で、暑い日差しにテントを張って秋刀魚を食べるイベントは、自然に負けないと主張しているようであった。夕方のこの時間に空を見ると、優しさと平穏さで満たされている。そのとき人は本来の自分の気持ちを呼び出すようだ。できればいつもこのような穏やかな気持ちで過ごしたいが、そうもいかないのがこの世の中である。苦しい時や思いどおりにならないときは、なんとか頑張るしかない。そして灼熱の日差しが衰えて涼しい風が吹く夕方になるように、世の中の出来事は移っていく。今日の社会科の授業のように、自然やこの世の中のことは、良いこともあれば都合の悪いこともある。人々はそれに対応している。文脈は離れるが新聞に、「せんじょう」は心に痛し戦場も降水帯も遠くであろうと(白波悠子)の句があった。そうであろう。自分は何もお役に立てないが、現地に住む人々は苦渋の日を過ごしている。何もできないが、この作者と同じように自分も心を添える。何の根拠もないけれど、努力していけば窮地をいずれ脱出して、良きことも起こってくる。そう願うだけである。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21名誉会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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