妙な1日

昨日は、忙しかったが、同時に妙な1日だった。朝のメールで、原稿締め切りが明日だという、信じられない、原稿依頼は知っていたが締め切り日は知らなかったが、まったく時間がないので、数日延期してほしいとメールした。午後は、都内で2つの対面会議で、お昼を池袋の駅そばの予定で自宅を出たが、どうも時間が10分早かったのか、と思い、駅前のパン屋でパンを買って食べたが、池袋に着くと、時間が余って、駅そばを食べたが、時間を間違えたらしい。初めの会議に出たが、少し早めに終わったので、後楽園の駅付近で時間をつぶして電車に乗って、永田町で降りたら、どうも1番出口が遠い。南北線と有楽町線で、こんなにも出口までの距離が違うのか、と思って、時間に間に合うように、プラットフォームを走った。日頃ジョギングをしているので、走っても息は切れない、時計を見たら、議員会館にちょうど間に合った。議員連盟の対面会議で、役柄、どうしても遅れることはできない。一昨日、ワクチンを接種した関係で、昨日は激しい運動は避けること、などと言われているが、当然に無視した。会議室は、相当に密で、コロナ禍以前と変わらない。帰宅したら8時近くになって、そうか、コロナ禍以前は、こんな生活だったのか、と思い出した。議員連盟の会議は、収穫が多く、参加して良かった。さすがに、参加者は、コロナ禍であっても、精一杯の努力をして、世の中を動かそうとしている、そこに感銘を受けながら、自分も役柄、発言をして、終わった。帰宅の電車の中で、原稿の目次案をメモ書きしながら、ふと、思う。自分は、時間コントロールの概念がおかしい、余裕を持って対処すれば良いのに、と思って、充実しているが、妙に反省した1日だった。

ワクチン接種

昨日は、忙しかった。2つのオンライン会議があった。いずれも、自分にとっては重要な会議で、発言することはした、他の意見も聞けた、ので満足している。およそ役員会などは形式的な会が多いが、昨日は、その前も同じだが、議論することが中心になっているので、楽しい。聞くだけではつまらない、話して、参加して、議論して、それが違う意見であっても、否違うから、楽しいのかもしれない。が、このあたりの情感が、日本人はまだまだ成熟していないようだ。もちろん、自分も含めてだが、忖度や、足して二で割る世界から、なかなか抜け出せなく、場の空気を乱したくない、という気持ちが働く。後半の会議は、途中で抜けた。コロナワクチン接種の予約があったからで、係りつけのクリニックに行って、注射をしてもらい、そのまま15分座っていて、何事もなかったので帰宅した。車で5分くらいなので、時間がスムーズで有難い。予約は午後5時だったので、時間に間があって、ジョギングができたのは、運が良かった。次回も午後5時の予約になったので、同じようなスタイルになるだろう。運動をしていないと、夜中に目が覚めて、寝つきが悪くなるからだが、これで安心だ。帰宅してお風呂に入って、午後7時からの夕食までの短い時間だが、読みたい本が読めた。ワクチン接種という小さなことだが、どこか解放感がある、謹呈された本だが、中身にグングン引き付けられ、惜しいところで食事になったが、コロナの脅威から少し開放される、好きな本が読める、美味しい食事ができる、ウイスキーの水割りが楽しめる、好きなテレビ番組が見れる、歳をとると、小さなことにも喜びを感じる。

妥協すること

昨日は月曜日、週始めで2つのオンライン会議と1つの学校訪問で講演があって、時間が厳しく、忙しかった。家内が、若い頃から、忙しいとよく言っているから、今でも忙しいと言うと、ほっとする、と言うが、そうかもしれない。東工大の大先達、坂元先生と清水先生は、死ぬほど忙しい、と当時言われていたが、超多忙で頭の回転が速く、自分は後を追うのがやっとで、よく自省していた。学校での対面講演が終わって帰宅したら、もう夕方6時近くだった。ジョギングをしようと思ったが、面倒になって、まあ、いいか、と思って、久し振りに運動をしないで、夕食を取り寝床で休んだら、朝3時頃目が覚めた。普段は、それでも直ぐに寝れるのだが、昨日は、正しくは今日の早朝は、寝付かれなかった。ふと思って、そうか、ジョギングをしていないから、体のエネルギ―が発散しきれていないのか、あの時、自分に妥協しないで、ジョギングをしておけば良かった、と思ったが、後の祭りで、仕方なく、居間に降りて、寝酒を飲んで床に入った。誰でも、忙しく仕事をして帰宅したら、もういいか、と思うのは人情だが、そこが物事の分かれ目かもしれない。プロのスポーツ選手は、相撲にしろ野球にしろ、もう気持ちが前を向きません、と言って、引退することが多いが、身体的というより精神的に弱ってくるのが、主な原因らしい。そうか、小さなことだが、自分に妥協した結果なのだ、と思うと、明日から、いや今日からジョギングをしよう、と思う、のは、自分に妥協すると、仕事上でも影を落とすからである。あの時、こう言えば良かった、こうすれば良かった、その場逃れの対応だった、こんなに面倒にはならなかった、と後悔することはよくある。自分に妥協すると、結果は良くない。

原稿催促

昨日は日曜日、と言っても平日と変わらない。珍しいのだが、メールで原稿催促があった。普通は、かなり早期に原稿を提出するように心掛けているので、意外なのだが、これには少し事情があるが、省略しよう。昔、原稿の編集をしなくてはいけない仕事があって、遅筆の人がいて、人柄は良いのだが、催促してもなかなか送ってこないので、困った。それ以来、自分は決して編集者を困らせないようにしよう、と決意している。今でも自分に言い聞かせて、忙しいから、は言い訳なので、必ず締め切り前に提出している。それは、内容の良否ではなく、人との約束事なので、不渡り手形を出すようなもので、信用されない人になるからである。だから、昨日は驚いた、事情はともかく、直ぐに原稿を提出しなければならない。実は、正確には今日が締め切りなのだが、自分の気持ちとしては、その前日が締め切り日である。さて、どうするか、幸い、原稿枚数は少ないので、なんとかなると思って、しかし、資料などを調べるには時間はない、えい、ままよ、そのまま書いていこう、と思って、このブログ執筆と同じスタイルで、書き綴った。うまく午前中に書けた、読み返しても、論理的な流れはおかしくない、印刷して、誤字脱字を修正して、添付ファイルで送った。なるほど、理路整然ではないが、読みやすい原稿で、文語体から口語体になったような印象で、これもいいかもしれない。原稿のスタイルは、これ、という固定観念から離れて、どこか肩の力が抜けたようだ。人は、いつでもどこでも、どんな事態でも、学ぶことができる。

ジャグジーバス

昨日は土曜日、コロナ禍になって以来、平日と変わらない生活を過ごしているが、土日は少し気持ちが平穏になる。月に一度のお墓参りをして、お昼を外で食べて、スポーツジムに行くという生活だから、気楽で、特に差し迫っていないことが、嬉しい。土曜は、スポーツジムが密になる傾向があって、インストラクターが指導するボクシングのような運動は、若い人向きで、躍動するような音楽付きなので、誰もが夢中で、文字通り筋肉を鍛えている。が、自分のような年齢には合わない、一人で黙々と運動するのが、性に合っている。筋トレの次は、2階のプールだが、自分で決めた距離の泳ぎを終えると、ジャグジーバスが屋外にあって、そこに身を沈めて空を眺める。特に ジャグジー バスから出て、椅子に背を持たれ、両足を台に乗せて、街の風景を眺めるのが好きで、高い建物はほとんどマンションで、緑の木々が点在し、少し高い位置に神社があり、それらを大きく空がかぶさり、灰色と白色の雲が空一面に浮かんでいる。西向きなので、西に沈む太陽の光を浴びている雲だけ、白さの輝度が強く、存在感を増している。今日は、どんな日だったのか、これから何をするのか、何か楽しいことや苦しいことはあるか、と自分に問いを投げても、何も出てこない、ただ大空に吸い込まれるような気持がして、少し西から東に動いている雲を眺めているだけで、今のままで十分、これ以上何も要らない、と思える。雲白く遊子悲しむ、の詩人の心は分からないが、身を委ねると、心が空っぽになる。今の自分の心境である。

魅了する意見

昨日は、2つのオンライン会議があって、その後ジョギングをして、という一日だった。2つの会議は、午前と午後で、同じ団体なのだが、いつもメンバーの発言に感心している。研究者、教育者、経営者など、職種は違うが、何か物事の本質を捉えようとする態度や意見に、学ぶことが多い。意見が違う場合もあるし、一致する場合もあるのは、どの会議でも同じだが、意見が違う方が優れている、創造性が高くなる、深く理解できる、という発言には、ハタと膝を打った。その通りだ、ガーゲンが言いたかったのは、このことかもしれない、と文献を読みたくなった。会議で感じる一つ一つに、輝くような光が見えてくる。自分が敬愛し尊敬している先生の意見には、いつも魅了される。魅了される、とは、卓越した内容や深い思考もさることながら、他の意見にも気遣い、全体を包み込み、かつ、主張を中心の柱にする構造を持ち、その会議の建造物を構築している、ような感じだからである。誰も、その意見にいつの間にか巻き込まれるので、自分はドラマかなにかを劇場か画面で視聴しているような気持になる。役目柄、自分も意見を述べるが、その先生に比べれば、横綱と幕下のような違いがある。が、決して自分を卑下しなくて良い、ような気持にさせるので、その先生の発言は芸術品のような気がする。今日は良かった、と思いつつ、小雨が止んだ曇り空を見ながらジョギングをしたが、自分は恵まれている、先の会議にも、この自然にも、などと考えて帰宅した。世の中は、捨てたものではない。

ビデオ録画

昨日は、午前中はzoomによる録画で、午後はオンライン会議だったが、今週も来週も、6月は役員会のシーズンなので、忙しい時期である。忙しいことと、緊張することは意味が違う、緊張する時は、ホッとする一時に惹かれる。昨日の午前中は、都内の大学が主催する免許更新講習の講師を依頼されたため、ビデオオンデマンド用の録画をしたので、少し緊張した。他団体主催の免許更新講習のビデオは、既に録画しており、今はオンライン採点をしている。多くの大学が、今時なので、対面ではなくビデオオンデマンドで免許更新講習をしている。少し緊張するのは、内容ではなく、時間である。40分、30分、30分の3コマの講義を時間通りに収録するために、どの箇所でどの位の時間で話すか、そのコントロールに気を遣う。書斎に置時計があるので、それをパソコン画面の横に置いて、画面と、時々時計を見ながら、ぴったりの時間で終わるように制御するのだが、およそ最後の方は時間不足になるようで、練習しておかないと難しい。その練習をしていなかったので、緊張した。しかし、プレゼン資料の枚数を所要時間で割って、時間を制御するという荒っぽい方法で、紙に時刻を書いておくだけで、かなり正確にできた。休憩時間、といっても、5分から10分だが、それで予定通り録画できたのは、上等であった。やり直しだけは、避けたかった、新たな日時の設定は、今の時期ではかなり難しいのと、気持ちが離れて行くので、それを呼び戻すのにエネルギーが要るので、平凡だが、物事がうまく行くと、単純に嬉しい。と言うより、時間をコントロールする方法を思いついて、直ぐに実行して、それが成功かどうか確かめるのは、小さな実験なので、それも面白いのだろう。

安らか

昨日は、午前はオンライン会議、午後は神奈川県での対面会議で、帰宅したらもう夕方で、自分の時間がほとんど持てない1日だった。電車の中で読みたい本を持っていったが、疲れたようで、あまり頭に入らなかった。ただ、オンラインであろうと、対面であろうと、会議が続くと、同じ脳の部位を使うので神経が疲れて、どこかで発散したくなる。だから帰宅して、夕方、東の公園にジョギングに行った。走りながら、公園でよく聞くフルートの音色が耳に入ってきて、ほぼ同じ場所で、かなり高齢者の方で、たぶん若い頃から親しんできたのだろう。自分のような音楽音痴でも、心が揺さぶられて、1日が暮れるとは、こういうことなのだ、と思った。ただ、安らかで、平穏なのである。老いることとは、こういうことか、1日を振り返れば、会議では、いろいろな意見が飛び交い、安らぎや平穏とは別の世界であるから、自分は、ジョギングをしたくなるのかもしれない。夕日が西に沈み、正確には、夏至に近いので西北の方角だが、ハッと息を吞むような美しさである。ただただ、時の流れや自然に身を委ねることも、悪くない、と思う。このブログも毎日書いているが、時には休んでもよい、短くてもよい、と思うようになったが、それだけ仕事や生への執着が弱くなったのだろうか、今週は忙しく、特に今日は朝から忙しく、時間がなく、短い文章で終わろう。

オンライン会議のあれこれ

昨日は、はや6月に入った。理事会シーズンなので、昨日も2つのオンラインで忙しかった。忙しいのは良いとしても、一日中机の上のパソコンの画面と睨みっこしているのは、精神的に疲れる。理事会の内容は、どこでも同じで、今は決算と事業報告の承認であるが、団体によって、進め方が違う。形式的に進行する、議論を中心にする、和気あいあいのサロン風にする、実質的な議論をする、など多様だが、形式的な場合は、欠伸が出てくるようで、講義を受ける学生の気持ちがよく分かる。実は、昨日の前半の会議では内職をした、と言っても、手元にある郵送されてきた書類に、これからの研修内容と方法のアイデアを落書きしていた。落書き、では、少し語弊が生じる、アイデアは、何か書かないと、それは線画のようなものであるが、どこかに外化しないと、明確に意識できないのである。すると、だんだん雲が薄れてきて、その向こうから太陽の光がさしてくるようなイメージになる。画面の向こうの言葉は、まったく聞こえないのではなく、それも理解しながら、並行処理している。たぶん、脳が働く部位が違うからだろう。前半のオンラインが終わった時、次のオンラインまで40分位の時間があったので、早速確かめてみたら、うまく行きそうで、今日は嬉しい日だ、オンライン理事会は有難い、と、どこか不謹慎な感想を持った。後半の理事会は、立場上、内職ができないので、内容の審議でコメントしたりしたが、なるべく早く終わりたい気持ちだった。終了後、すぐにアイデアの続きをチェックした。昨日は、仕事なのか研究なのか、分からないような仕事ぶりだった。対面では、こんなことはできない。オンラインは対面より良いのか悪いのか、たぶん、それぞれの長所と短所があるのだろう。

敗者復活

昨日は、週始めで定例のオンライン会議の他に、オンライン打ち合わせ、対面での研修会があって、忙しい1日だった。定例の会議はいつも順調で、前向きな活動が多いのは、企業で言えば、たぶんK文字の斜め上向き業種になるのだろう。オンライン打ち合わせは、所属団体の総会プログラムについて、担当者とのすり合わせなので、これも順調であった。以上が、所属団体に関わる仕事で、対面の研修会の方は、講演とか研修会なので、仕事の質が異なる。振り返ってみると、今までは講演とか研修会などの教育研究が自分の存在を証明すると思っていたが、所属団体の仕事も、対外的には、こちらの存在が大きい。誰でも、いくつかの顔を持って、仕事をしているだろう。自分は、団体としての顔と研究者としての顔であり、端的には、一般社団法人ICT CONNECT 21会長と東工大名誉教授の肩書と言ってもよい。これまでは、東工大のほうが比重が大きかったと思うが、今では、どちらも同じ、対外的にはICON会長で仕事をするほうが多い。自分は、教育と研究以外は何も取り柄がないと思っているので、自分でも意外な感じがするが、人の生き方とはそのようなものだろう。夕餉は録画したテレビ番組を見ながらの食事で、明治の鹿鳴館の花と言われた大山捨松の生涯だったが、会津藩の家老の娘で、アメリカに留学し、薩摩藩士出身の大山巌と結婚して、女性として思う存分の活躍をした映像だった。会津藩と薩摩藩の取り合わせだけでも当時としてはあり得ないことで、多くの逆境を乗り越え、頭の良さや美貌も持ちあわせ、幸せな晩年を送ったと言われるが、女性の敗者復活戦の言葉が、素晴らしかった。人は、いつでも逆転できる、自分は苦手とか性に合っていないとか思っていても、いつどこでそれが主役になるかもしれない。人生とは、計算できないものである。