今は、火曜日の夕方、西日が空を明るくしていて、西窓に面している書斎の机から、白いカーテン越しに、外を眺めている。お盆は終わった、というか、今日は送り火を焚く日なので、まだご先祖様は、暗くなるまで在宅しているのだが、明日から平日に戻るのか、という嘆息にも似た感覚がある。とは言え、コロナ禍で年中オンラインで仕事をしている身としては、明日から平常の生活に戻るわけではない。年中、同じ生活パターンで、ことさら改まるわけではない。事実、今日は、対面で仕事の打ち合わせをした。都内の事務所で、と言いたい所だが、溜池山王まで電車に乗って行くのが、面倒というか、腰が重いのは、もう在宅勤務にすっかり慣れてしまったからだろう。身も心も、この生活の居心地が良くなって、今さら元に戻りたくない、と思うと、一体、通勤とは何だったのか、都心の高い家賃を支払って事務所を借りる意味は何だったのか、どうも、分からなくなってきた。だから、今日の打ち合わせは、所沢駅構内の洒落たレストランで行い、自分としては快適な対面での仕事だった。打ち合わせは、喫茶店か蕎麦屋かレストランで十分ではないかと思う時、この頃、自分の価値観も変化してきたことに気が付いた。他人がどう思っても、自分やお互いが気に入っていれば、いいではないか、世間のしきたり、規則、常識、道徳など、主語を、世間から自分に代えれば、この上なく自由になれる。この前、スポーツジムからの帰り道に、親子連れに出会って、アッと声を上げた。まだ幼い女の子だが、上は服で下は浴衣で、あるいは、その逆だったか、何とも違和感があったが、親子が楽しそうに、談笑しながら歩いていった。そうか、いいではないか、本人が気に入っていれば、世間を気にしないほうが、よほど優れた考えではないか、と、親子に教えてもらった。日本も未婚率が増えてきたと新聞報道をしているが、いいではないか、本人が好きな生き方ならば、と思えば何の問題もない。現実に、その通りで、本人が苦しみ悲しむより、気に入って楽しいなら、世間とは離縁してもいいではないか。犬掻きで泳ぐ子に母手をたたく(向井克之介)の句を、新聞で読んだ。犬掻きだろうと何だろうと、母親は嬉しくてたまらない、我が子が泳ぐ様子に夢中になって、周囲の人なんか、目には入っていないだろう、それでいいのだ。いいじゃないの幸せならば、という古い歌謡曲があった、と想い出した。今の時代、衣服の価値観、職業の価値観、学歴の価値観、結婚の価値観、異性の価値観、金銭の価値観、レジャーの価値観など、すべてが世間の常識から、自分の常識に変わってきたような気がする。昭和の時代の古い人間からすれば、それでいいのか、と思いつつ、それでいいではないか、の方に、軍配を挙げたくなっている。
迎え火
今は、土曜の夕方、スポーツジムから帰って、書斎に上がって、画面に向かっている。天気予報によれば、関東に台風が上陸する関係で、警戒するような大雨になるというが、午前中も、時折、台風らしい強風と大雨があったが、午後はそれほどでもなかったので、スポーツジムに行った。帰宅しても、雨は小雨程度、風も小さく、窓から見える木々もあまり揺れていないので、どこかに逸れたのか、まあ、警戒するに越したことはないので、夕方の一時を、平穏に過ごしている。そう言えば、今日は13日、ご先祖様を自宅に迎える、迎え火を焚く日だった、もっと暗くなったら、玄関先で、家内が買ってきたオガラに火を灯そう。送り火は、16日らしい、西の空から降りてきて、お盆を自宅で過ごし、また天に戻るのか、昔の人は、可愛らしいことを考えた、というか、仏事だろうが、どこか哀愁があって、亡父と亡母に少し滞在してもらおう。8月も13日、お盆の時期になった、蝉しぐれが聞こえ、お墓参りも済ませ、期待外れの台風もやってきた、甲子園の高校野球が真っ盛りで、いつもの夏らしい季節になった。と言っても、コロナ禍で年中マスクをかけ、在宅勤務で、オンラインでの打ち合わせが、仕事らしい活動となった数年間、生活スタイルが変わった。自宅では、家内と話すことが多く、午前中は書斎で仕事、出版向けの資料の準備や原稿書き、講演資料の作成、諸々の雑事などで、午後は、平日はオンラインでの打ち合わせが多いが、なるべく筋力を付けたいので、スポーツジムに行くように、心掛けている。晩年になっても、仕事があり、運動をし、美味しい食事をし、ぐっすりと就寝する、それは、贅沢な生活と言えよう。夏が来て、お盆が来て、やがて甲子園の高校野球も終わり、秋風が吹き始め、残暑も微かに衰え、というように、自然は、人間の思惑を超えて、悠久の時を流れていくようだ。自然から見れば、人間の営み、仕事のこと、人間関係のこと、健康のこと、家族のこと、など、時に有頂天になって喜び、時に失望してがっくりと肩を落とし、時に涙を流して悲しむ、天から見れば、微笑むような些事かもしれない。新聞にこんな句があった。八十年行き来し方を想いつつ真向ひの山の大杉見上ぐ(松下二三夫)、大杉は真っすぐで、天に向かって、悠々として、大杉ともなれば、何百年も生きてきた、80年はまだまだ、と思えるところが、面白い。下界は、まあ、ちまちまと騒がしいことよ、と、迎え火を焚いたら、懐かしい両親が、笑うかもしれない。この歳になっても、会えるものなら、会って話がしたい。
小さな気付き
今は、10日水曜日の午前6時20分であるが、この変則的な時刻は、昨日、ブログを書き損ねたからである。オンラインでの研修と講演で、昨日の午後は塞がって、その後、少し日が陰った頃、伸び放題になった草を刈って、シャワーを浴びて、ガリガリ君のアイスと冷えたスイカを食べたら、もうすっかり予定を忘れてしまった。たかが、ブログじゃないか、そんなに、きちんと時間通りにしなくても、と、自分でも思うが、どうも性分なのか、予定通りでないと、すべてが狂ってしまうような気がして、どこか歯車が外れるような気がして、それが恐いからだろう。だから、手帳は手放せない、すべてが、手帳で管理されているし、そこに身を任せると安心する、紙の手帳と、googleカレンダーも愛用している。一昨日は、都内に出かけて、忙しかった、ずっと人と話しっぱなしで、オンラインだが、特にデジタル庁の幹部とのMTGは、重要な内容だけに、半分緊張し、半分ワクワクした。が、そんな日が、今週は続く。今日も、午前、午後、夕方と、オンラインでのMTGが続き、夕方は、所属団体の主催する、水曜サロンなので、ホストとして、ゲストと対話する仕事が待っている。これも、ドキドキしながら、ワクワクする時間なのである。それが終わると、ホッとして、夕食の時間になる。思えば、これが、自然な生活で、都内の職場に通っている時は、朝電車で出かけ、夕方電車で帰宅し、疲れた、と言って、お風呂に入って、ホッとし、楽しい夕餉を迎える、というパターンなのだが、在宅勤務になって、オンライン中心の仕事では、自宅と職場という境があいまいになった。やはり、仕事を外でして、自宅に戻る生活が、自然なのだろう、と言っても、現在の環境では、昔は良かった、と言っても、仕方がない、現状に合わせて、自分を変えるしかない。早い話が、今、自分がブログを書いていること自身が、現状に合わせているのだ、それは、ふと思うこと、ふと気付くこと、その直感にしたがって、行動を制御していることかもしれない。文脈は少し離れるが、新聞に、こんな句があった。4年前短歌(うた)詠み始め我が日々は小さな気づきに心躍らす(中山隆二)、分かる、気付きなのだ、それは、小さな発見とでも言えるが、こうして、人は、いろいろな出来事に出会って、ハラハラ、ドキドキ、ワクワクしながら、時を過ごしているのだろう。
散り際とは
今は、6日土曜日の夕方、スポーツジムから帰宅して、一息ついた所である。昨日まで、神戸に出張して、3泊4日の長旅が終わった、いろいろな事があった。コロナ禍の中、多くの制限があったが、数年ぶりの対面でのSSHの成果発表会が行われ、審査を終えて、自分は別件のため、もう一泊して帰宅したのだが、伊丹にある大阪空港を利用して、快適な旅だった。歳を取ると、新幹線での長時間は疲れる、飛行機なら国内では1時間程度で済むので、気持ちも軽くなる。コロナ禍以前のように、若い高校生のポスター発表を聞き、質疑応答すると、こちらが元気をもらい、研究も理解できる。残念ながら、近隣の高校生は、コロナ感染のため、参加できず、SSH校の発表校だけの参加になった。研究は、年々、進歩しているようで、新しいデバイス、測定機器、アイデア、分析など、知らないことが多かった。数理的な分野の進化も大きく、今流行ているデータサイエンスも、そのプログラムも、自由にこなしているようで、高校生は少しアドバイスすれば、グングン伸びていく様は、甲子園の高校野球と変わらない。審査員の中では、自分も長老になり、次々と若い審査員が入っている。科学技術の進歩は劇的に速く、研究の真っ只中で仕事をしている若手の准教授などが加わって、議論すると、なるほど、自分は不勉強だ、と実感する。もう、自分は終わりつつあるのか、と思い、少し寂しい気もするが、若手の研究者を見守ることも、長老の仕事でもある。専門誌や雑誌などを読むと、次世代の研究者が活躍しており、完全にバトンは渡されたようで、ならば、年寄りは何をすればいいのだろう、と思う。先般も、長い間務めた審査員を辞退して、若手を起用してほしいと、連絡した。自分は、審査系も、学会系も、団体系も、すべてが交代の時期になった。散り際をきれいにしたいと思うのは、男の美学と言えばカッコよいが、そんな年齢なのだから、当然のことで、美しくありたいと思うのは、研究も生き方も表現の仕方も、すべての面において、自然な人間の心情である。あの人は、最後は見苦しかった、と言われたら、すべての評価はマイナスになる、最後まで、片意地を張ってでも、真っすぐな生き方でありたい、と願っている。新聞にこんな句があった。杖突いて機械の田植見てをりぬ(津田和敏)、今は現役を退いて、機械植えの様子をじっと見ていて、頭に去来するのは、何だろうか、手植えの時代か、忙しかった若い頃か、今は何もすることもなく、隠居のままに、所在なく見ているだけか、杖なしでは徒歩もままならぬのか、あるいは、散歩の途中か、田植えで働く人を元気づけ、見守っているのか、今の生活に満足しているのか、あるいは寂しいのか、そっと自分の姿を重ねてみる。久しぶりの長旅を終え、日常生活に戻ったが、心は、神戸の華やいだ国際会議場と、静かな書斎を、行き来している。晩年をきれいに生きたい。
SSHに思う
今は、神戸のホテルにいる。朝7時台の時刻だが、時間がないので、この時間を使って、ブログを書く。SSH、スーパーサイエンスハイスクールの生徒研究発表会で、仕事をする予定だが、朝8時半までに、国際コンベンションセンターの会場に行くので、少し短いブログでお許しいただこう。このホテルは、以前にも泊ったことがあるが、今は23階の部屋で、海側なので、神戸港が良く見える、抜群の景色で、昨日の夜景も見事だった。他の用事もあって、5日に帰宅するが、4日までは、審査である。知の甲子園とも呼ばれる、この成果発表会は、そのレベルは、極めて高く、専門学会レベルで、ポスターで、じっくりと高校生に説明を聞かないと、理解できない。自分が分かるのは、概要とか、視点とか、独創性、などの上からの評価が多く、細部にわたる分析などは分からない、というか、興味が湧かない、のは、たぶん、年齢といよりも、研究は本質を極めることだからだろう。若い高校生との、研究についての勝負のようなものだが、質疑が終われば、爽やかな風が吹いて、心がきれいに洗われるような気がする。高校生たちは、既に、昨日からポスターの準備をして、いざ、出陣と、身構えているだろう。昨日から、自分は参加しなかったが、予備審査は始まっている。静かな、そして、頭を全開にする、暑い甲子園なのである。近隣の高校生もやってきて、4000名以上の、科学を愛する若い人たちと教員が一堂に会して、喧々諤々と、知的な議論が始まる。こんな経験ができるだけでも、有難い。飛行機の中で、久し振りに小説を読んだ、そこには、SSHのような世界ではなく、世間の厳しさや、仕事の悩みや、人間関係で苦しみながら、なんとか乗り越えようとしている姿で、そのギャップに、我が身を振り返った。高校生もそれなりの悩みやもがきや不安もあるだろう、が、今を精一杯生きているようだ。魂をひとつに蟻の列つづく(神宮斉之)の句が、新聞にあった。蟻は何も言わないで、せっせと餌を運んでいるが、何か考えることがあるのだろうか、SSHの高校生も、参加する近隣の高校生も、何か思う所があるだろう、今日は、自分も、若い人たちと、心を一つにして、議論しよう、皆、頑張っているのだ。
人生いろいろ
昨日も今日も猛暑で、午前中は書斎で仕事をして、午後は買い物やスポーツジムに行って、土日を過ごす。午後にオンライン会議などがないので、気楽に過ごせるが、この猛暑では、スポーツジムに行って、プールで泳ぐのが、極上の贅沢な一時になる。今日も、そんな過ごし方だが、ジムからの帰宅時刻でも、まだ容赦なく太陽が雲の合間から、照り付ける。帰宅して、冷えたお水を飲み、家内が冷えたスイカを出してくれると、そのみずみずしさが腹に沁み込んで、スイカはこんなに甘かったか、と思い、その後に、ガリガリ君のアイスを食べ、居間のクーラーの下で涼むと、ようやく生きた心地がする。それでも、まだ喉が渇くので、よほど汗をかいたのだろう、身体が、水分を欲しがっている。書斎にいても、西日が窓から入ってきて、書斎のクーラーもそれほど効いていないようだが、まあこのくらいでいいだろう、と思い、パソコンを開いている。連日の猛暑で、危険な暑さ、という形容は、まんざら嘘ではないようで、お昼のニュースでも、同じ埼玉県の熊谷で39度を記録した、というから、尋常ではない。地球温暖化は、肌で感じるが、この異常さは、収まりそうもない。ウクライナの戦場の惨禍、第7波のコロナ感染者数の急増、この連日の猛暑、どこか、地球全体が、平穏ではなくなってきた感がある。こんな時、自分のような年齢になると、ふと昔が良く見えてくる。騒がしい日常から離れて、静かな里に行きたくなる、来週は、4日間の出張があって、神戸に行って文科省の審査の仕事をしなければならない、それはそれで楽しみであるが、同時に、この猛暑日に出張して、狭いホテルに泊まって、小さなお風呂で、と思うと、どこか面倒な気持ちがするのは、歳のせいだろうか。一言で言えば、安らぎを求めたくなるのかもしれない。スポーツジムに行けば、プールに水しぶきが上がる、ゴルフクラブを振れば、汗で顔中がびっしょりになり、自宅からの徒歩で、身体が火照ってくる。静かな、平穏な、穏やかな気持ちになりたくて、昨日、久し振りに、書店で本を買った。まだ読んでいないが、平凡な人生に、ほのぼのとした生活を描いた小説だと書かれているから、自分の気持ちに、そのような、大きなゆりかごに包まれたい思いがあったのだろう。人は、いつもいつも元気でいることはできないのだろう、時に、疲れて、椅子の背もたれに身を委ね、時に、何もしたくない、時に、愚痴も言いたくなるのだろう。そんな時、小説でも、癒しになるのかもしれない。新聞に、こんな句があった。帰省して村の大きな木と話す(船橋充子)、たぶん、作者も、大きな木にもたれかかって、身を委ねたかったのかもしれない。それでいいのだ、人は、元気に仕事をしたり、時に大声を張り上げたり、時に疲れて何もしたくなくなったり、時に、自分が無能に見えたり、いろいろある。なるほど、人生いろいろ、である。
涼しい日
今は、火曜日の夕方、気温が低めで、過ごしやすいのは、今朝から小雨が降っているからである。昨日は、猛暑で、オンライン会議が4つあって、しかも庭の草取りをしたから、体中から汗が吹き出して、こんな日が続くと、文字通り夏バテになる、と思った。が、今朝起きて、居間から延長の縁側に立って、庭の草木を見ると、雨に濡れて、華やいでいて、存在感を主張しているようだ。そうか、草や花も、猛暑では熱射病になるのかもしれないし、小雨が慈愛に満ちた贈り物なのかもしれない、生き返ったような色をしている。昨日が休刊日で、今日の新聞に、こんな句があった。雨上がり若葉青葉のかがやけり(大串若竹)、のように、恵みの雨で、葉も輝きを増している。今は、百日紅(さるすべり)の花が満開で、景色をピンク色に染めて、目を楽しませてくれる。文字通り、百日近く、緑の葉っぱにピンクの花が咲き、そのコントラストは艶やかで、こんな風に、日本人は、季節毎に、心を添えて、自然と一体になろうとしているのか、と思う。ここ数日は、炎天下の中、用事があって、市内を車で走り廻っていた、それは、暑い日中と戦っているようで、自宅に帰ると、極楽の言葉が似合うような、過ごし方だったが、今日は、涼しく、朝に4回目のワクチン接種を済ませ、激しい運動は控えるように、と看護婦さんに言われて、オンライン会議の他は、書斎で、自分の仕事に精出した。が、どこか、けだるさや、眠気があって、集中度は高くない、仕方ないだろう。そして、今日も暮れていくのか、毎日、いろいろな仕事をし、処理をこなし、立場に応じた対応をし、それなりに気を遣い、この時間は自分の仕事をし、などで時間が経ってしまう。それでいいのだ、猛暑日もあれば、小雨の降る日もあり、時に大雨の土砂ぶりの日もあり、困った、とか、これは面白いとか、小さな出来事に、一喜一憂しながら、時が過ぎていく。国の舵取りをするような人は、責任も重く、その重さに応じた生き甲斐や苦労もあるから、振幅の大きな過ごし方かもしれない。が、事の大小で、人の哀歓の大小は測れない、子供は子供なりに、庶民は庶民なりに、苦労もあれば喜びもある。どんなことも、人の受け止め方で、一喜一憂の振幅は、変わってくる。それは、事の大きさには比例しない、とすれば、喜びは大きな山で、不幸は小さな谷で、という波に変えればよい。と思えば、今日も、上出来の日ではないか。
旅情
今、愛媛県の道後温泉に来ている。所属団体から、夏休み、といっても2日間を取り、今日の土曜の休日を入れて、3日間の休暇で、四国の旅行をして、今日が最終日の朝である。さすがに、有名な温泉どころ、奥道後は素晴らしい、以前にも同じ宿に泊まったのだが、昔を思い出し、もう一度四国の旅をしたいと思って、JTBに申し込んだという経緯である。コロナの感染者数の急拡大が気になるが、温泉宿は、別世界のようで、温泉も、食事も、部屋も、非日常である。今朝、今朝の5時を回っているが、温泉宿では、早い就寝なので、早く目が覚める、メールやその他の用事は、済ませても、まだ時間が余る、そうだ、この時間に、ブログを書けば、明日の日曜日に書かなくてよい、と思って、パソコン画面に向かっている。昨夜は足摺岬の宿だったが、あいにくと各部屋には、Wi-Fiが来ていなかったので、スマホで処理したが、添付ファイルなどがあって、仕事には向かない。ここ松山は、俳句で知られる町で、自分には文才がないが、俳句箱があって、市民も投稿することができるようだ。以前に、愛媛県の教育委員会に呼ばれて、講演をしたことがあったが、その時は、道後温泉の宿で、散歩したり、坊ちゃん温泉に入ったり、土産物店を覗いたり、まるで坊ちゃんのような気分だったことを思い出す。今は、老夫婦の旅で、どこか、無欲で、物見遊山で、疲れてもいないが、疲れを癒し、短い余生を、少し着飾るか、という気持ちである。俳句の街だから、新聞に載っていた句を、引く。友釣りの鮎に近寄る早瀬かな(高山国光)、と文脈はないが、昨日、四万十川の遊覧船に乗って、ゆったりと流れる川を上り降りする船に身を任せたが、猛暑の中に、涼しげな川の流れが、旅情を誘ったからである。残念だが、もう時間が無くなってきた、まあ、いいではないか、この部屋から、山の木々が見える、これから朝の露天風呂に出かけよう、自分たちも歳をとってきたのだ、老後のささやかな、安らぎの時である。
厳しい世渡り
今は、20日水曜のお昼前である。この変則的な時間は、種々の理由があるが、説明は省こう。本来は、昨日の夕方がブログを書く日だが、昨日は都内に出かけて、帰宅が予定より遅くなり、時間が取れなかった。一昨日の月曜は、3連休の最後で、いろいろあった。この年齢になっても、諸々の仕事が入ってきて、有難いと思う。タレントは、どんなに忙しくても、オファーがあれば、どんなに無理をしても、引き受けると、聞いたことがある。それは、見放されたら、もう仕事が来ないという怖さを知っているからだという。さすがに、激しい生存競争に身を置いているプロは、その厳しさを知っている、そうではない市井の人は、タレントから見れば、呑気に世間を渡っているように、見えるだろう。と言っても、何もしていないのではなく、それなりに見えない努力をしている。例えば、自分事であるが、手帳を見て、ふと講演資料を作るのを、忘れていたことに気が付いた。3週間も先の講演、と言っても、校内だけの小さな研修会なのだが、これはいけない、と思って、資料を見直した。この市内の研究指定校には、年に3回、60分の講演をすることになっている。この前の講演内容を見て、その流れで、次の内容を話さなければならない。市内の研究指定校には、昨年から関わっているので、全体研修会での講演が3回、研究指定校が小中学校の2校で年3回、つまり1年間で9回の講演をすることになる。全体研修会の最後は、オンラインで市内の全校に送るので、内容はかなり吟味しなければならない。2年間なので、合計18回の講演回数になる。厳しいことは、多少の重複はあっても、まったく同じ内容は話せない、ということである。と言っても、限られたテーマで、すべて違う内容で、60分間話しっぱなしで、先生方を飽きさせないで、という条件は、もはや、自分の力量を超えている。だが、先のタレントと同じで、オファーに対しては、決して断れない、というよりも、一応この分野のプロしてのプライドが許さないので、努力を続けるしかないのだ、が、それが、有難いのは、勉強したり研究資料を読んだりできるからである。大学の講義も、オンラインになって、たぶん先生方も厳しいのではないか、と同情する。対面ならば、脱線も、冗談も、板書もしたり、無駄な時間が取れる、実は、この冗長な話や活動が、学生の脳を活性化させ、飽きさせないのだが、オンラインでは、それがやりにくいのである。どの先生も、相当に努力されていると思う。数日前の新聞に、こんな句があった。猛暑日やリモート講義今日最後(加藤武夫)、分かる、ようやく、前期の講義が終わったという安堵感が伝わってくる。厳しいのは、市井の人も同じだったか。
訃報
今は、土曜日の夕方、外は曇り空で、猛暑の夏から、梅雨の季節が戻ってきたような天気である。今年の梅雨明けは早かったので、今頃梅雨戻りになって、野菜などに雨の恵みをもたらしているのかもしれない。画面に向かっていると、けだるさと物憂さが混じって、眠気が襲ってくる。無理もない、この頃、夜中に目が覚めて、トイレに行くが、その後、なかなか寝付かれない日が続いているからだろう。昼寝をすると、さらに夜中に起きるようになるので、我慢しているが、土曜の夕方、スポーツジムから帰って、プールで泳いだ快い疲れと、寝不足が重なって、つい眠くなる。悩み事があるからではない、要するに、世間に比べて寝るのが早すぎるからだが、恥ずかしくて、就寝時刻を書く訳にはいかない。今朝の新聞を見たら、山本厚太郎さんの死亡記事が載っていた。芸名は、山本コウタローで、走れコウタローや岬めぐりなどを大ヒットさせた、歌手であり音楽プロデューサであり、そして白鴎大学名誉教授でもあった。自分も白鴎大学で教鞭を取っていたので、山本コータロー先生と一緒、というより、研究室が隣だった。その隣は、コロナ感染症で一世を風靡した岡田晴恵先生だったから、個性豊かな教授が多かったのだろう。自分は無名だが、長く教育学部長を務めたので、教育学部の先生方とは懇意だった。山本先生とは、大学を定年になっても、お互いに役員をしていたので、年に数回の役員会議では一緒で、何故か座席も隣だったので、なんとなく世間話をしたが、彼は、少し耳が遠かったので、長い話はやりにくかった。白鴎大学の野球部の顧問も務めていた、と思うが、73歳とは早すぎる享年である。ここ数年、身近な人が鬼籍に入った、という知らせが多くなった。そろそろ、自分の番か、と思わぬでもないが、スポーツジムから帰ってきたばかりの身としては、絵空事のようにしか聞こえない。いつだったか、隣りの山本研究室から、ギターの音色が聞こえてきたことがあった。それは、まぎれもない、フォークソングだった。フォークか、と思ったら、あれは、若い頃の歌だ、フォークは、ギターとか若さとか学生とか反戦とか学生運動とか、なにか青春と呼ぶに相応しい音楽だ、と気が付いた。数日前の月曜日の新聞に、こんな句があった。なに話すわけでもないが喫茶店向かい合わせの幸あり昭和(久保田洋二)、とは、文句なしの青春の一コマで、誰でも似たような記憶があるだろう。昭和の時代の喫茶店は、少しばかりのほろ苦さと胸の高鳴りを想起させる、郷愁がある。山本先生は、その時代を突き切ったのだろう、人生を閉じるには早いかもしれないが、悔いはなかったのではないだろうか。合掌。
