厳しい世渡り

今は、20日水曜のお昼前である。この変則的な時間は、種々の理由があるが、説明は省こう。本来は、昨日の夕方がブログを書く日だが、昨日は都内に出かけて、帰宅が予定より遅くなり、時間が取れなかった。一昨日の月曜は、3連休の最後で、いろいろあった。この年齢になっても、諸々の仕事が入ってきて、有難いと思う。タレントは、どんなに忙しくても、オファーがあれば、どんなに無理をしても、引き受けると、聞いたことがある。それは、見放されたら、もう仕事が来ないという怖さを知っているからだという。さすがに、激しい生存競争に身を置いているプロは、その厳しさを知っている、そうではない市井の人は、タレントから見れば、呑気に世間を渡っているように、見えるだろう。と言っても、何もしていないのではなく、それなりに見えない努力をしている。例えば、自分事であるが、手帳を見て、ふと講演資料を作るのを、忘れていたことに気が付いた。3週間も先の講演、と言っても、校内だけの小さな研修会なのだが、これはいけない、と思って、資料を見直した。この市内の研究指定校には、年に3回、60分の講演をすることになっている。この前の講演内容を見て、その流れで、次の内容を話さなければならない。市内の研究指定校には、昨年から関わっているので、全体研修会での講演が3回、研究指定校が小中学校の2校で年3回、つまり1年間で9回の講演をすることになる。全体研修会の最後は、オンラインで市内の全校に送るので、内容はかなり吟味しなければならない。2年間なので、合計18回の講演回数になる。厳しいことは、多少の重複はあっても、まったく同じ内容は話せない、ということである。と言っても、限られたテーマで、すべて違う内容で、60分間話しっぱなしで、先生方を飽きさせないで、という条件は、もはや、自分の力量を超えている。だが、先のタレントと同じで、オファーに対しては、決して断れない、というよりも、一応この分野のプロしてのプライドが許さないので、努力を続けるしかないのだ、が、それが、有難いのは、勉強したり研究資料を読んだりできるからである。大学の講義も、オンラインになって、たぶん先生方も厳しいのではないか、と同情する。対面ならば、脱線も、冗談も、板書もしたり、無駄な時間が取れる、実は、この冗長な話や活動が、学生の脳を活性化させ、飽きさせないのだが、オンラインでは、それがやりにくいのである。どの先生も、相当に努力されていると思う。数日前の新聞に、こんな句があった。猛暑日やリモート講義今日最後(加藤武夫)、分かる、ようやく、前期の講義が終わったという安堵感が伝わってくる。厳しいのは、市井の人も同じだったか。

訃報

今は、土曜日の夕方、外は曇り空で、猛暑の夏から、梅雨の季節が戻ってきたような天気である。今年の梅雨明けは早かったので、今頃梅雨戻りになって、野菜などに雨の恵みをもたらしているのかもしれない。画面に向かっていると、けだるさと物憂さが混じって、眠気が襲ってくる。無理もない、この頃、夜中に目が覚めて、トイレに行くが、その後、なかなか寝付かれない日が続いているからだろう。昼寝をすると、さらに夜中に起きるようになるので、我慢しているが、土曜の夕方、スポーツジムから帰って、プールで泳いだ快い疲れと、寝不足が重なって、つい眠くなる。悩み事があるからではない、要するに、世間に比べて寝るのが早すぎるからだが、恥ずかしくて、就寝時刻を書く訳にはいかない。今朝の新聞を見たら、山本厚太郎さんの死亡記事が載っていた。芸名は、山本コウタローで、走れコウタローや岬めぐりなどを大ヒットさせた、歌手であり音楽プロデューサであり、そして白鴎大学名誉教授でもあった。自分も白鴎大学で教鞭を取っていたので、山本コータロー先生と一緒、というより、研究室が隣だった。その隣は、コロナ感染症で一世を風靡した岡田晴恵先生だったから、個性豊かな教授が多かったのだろう。自分は無名だが、長く教育学部長を務めたので、教育学部の先生方とは懇意だった。山本先生とは、大学を定年になっても、お互いに役員をしていたので、年に数回の役員会議では一緒で、何故か座席も隣だったので、なんとなく世間話をしたが、彼は、少し耳が遠かったので、長い話はやりにくかった。白鴎大学の野球部の顧問も務めていた、と思うが、73歳とは早すぎる享年である。ここ数年、身近な人が鬼籍に入った、という知らせが多くなった。そろそろ、自分の番か、と思わぬでもないが、スポーツジムから帰ってきたばかりの身としては、絵空事のようにしか聞こえない。いつだったか、隣りの山本研究室から、ギターの音色が聞こえてきたことがあった。それは、まぎれもない、フォークソングだった。フォークか、と思ったら、あれは、若い頃の歌だ、フォークは、ギターとか若さとか学生とか反戦とか学生運動とか、なにか青春と呼ぶに相応しい音楽だ、と気が付いた。数日前の月曜日の新聞に、こんな句があった。なに話すわけでもないが喫茶店向かい合わせの幸あり昭和(久保田洋二)、とは、文句なしの青春の一コマで、誰でも似たような記憶があるだろう。昭和の時代の喫茶店は、少しばかりのほろ苦さと胸の高鳴りを想起させる、郷愁がある。山本先生は、その時代を突き切ったのだろう、人生を閉じるには早いかもしれないが、悔いはなかったのではないだろうか。合掌。

行司役

今は、火曜日の昼間の時刻だが、今日と明日の夕方に時間が取れず、ブログを書いている。雨が少し降って、猛暑から少し離れて、過ごしやすい気温になった。仕事をしていれば、意見が合うことも合わないこともある、そして自分の役割は、その調整役だから、気楽のようで、そうでないようで、何んとなく損な役割をしている気がする。今日の午前中は、市内の小学校に行って、授業参観をした。研究指定校の関係で、仕事半分、研究半分の、文字通り気楽な時間を過ごした。学校は、昔と変わらない、中学校に行った時、各生徒たちの椅子の背に、雑巾が掛けてあった、どうも雑巾を自然乾燥させているらしく、先生に聞いたら、今でも同じように、小中学校共に、掃除は雑巾掛けをしている。そう言えば、授業の始めと終わりは、起立、礼の声に合わせて、よろしくお願いします、と、ありがとうございました、と斉唱するが、これも変わっていない。昔と同じかと思うと、内心、ほっとして、日本人に生まれて良かった、と思う。子供たちが、元気そうに授業に参加している光景を見ると、嬉しくなり、どこか窓の外を見ているような子供がいると、自分の孫のように、心配になる。学校は、昔の姿を映し出して、少年のような気持に引き戻す。そう言えば、自分も同じだったか、遠い過去を思い出し、長い間生きてきて、今、このように過ごしていて、仕事をすると、面白いことも煩わしいことも、降りかかってきて、歳を取った、という感慨がある。同じ日本人なら、分かるだろうに、と思うが、現実は、なかなか難しいことがある。この前、北陸に旅行して、若狭で箸を買った、その箸を食事時に使っているが、その軽さ、装飾の細やかさ、繊細な色使い、があって、食べやすく、確かに日本人が作った箸だな、と思う。この細やかさ、隠れているが見えない所での気遣いが、感じられる。それが、逆に、人間関係を煩わせているのかもしれない、と思うこともある。もっと大胆に、ストレートに、装飾なしで、忖度なしで、モノを言えば、気楽なのではないのか、裏を読まないと、真意が分からないような世界は、たぶん外国人は生きにくいだろう。日本人の良さでもあるし、世界には通じにくい文化でもある。声張りて土俵ひらひら跳ぶごとく夏の衣の行司伊之助(望月廸子)の句が、新聞にあった。日本文化の象徴のような相撲行司だが、軍配を刺し違えたら切腹という昔のしきたりに従って、短刀を指し衣装を纏う、と聞いたことがあるが、先の箸作りと似た感覚がある。この文化が、日本を支え、発展させてきた、それは、先の授業の、起立、礼、雑巾がけの掃除と同じだろう、と思えば、仕事上のトラブルも、同じ文化を共有しているなら、もっと協力すればいいのに、と今の自分は、行司役かと思いながら、嘆息している。

小さな波

今は土曜日の夕方、良く晴れた夕刻、と言っても、まだ日は沈まず、空は明るい。今日の天気は、曇り予想だったが、晴天に変わった。土曜の夕方は、どこか気が緩んで、過去を振り返るにはちょうどよい日時なので、ブログを書くことにしている。6月は企業や団体にとって、予算や決算期で、事業の報告や計画などがあって、いろいろな組織に関わっている身として、忙しいのは慣れているが、7月に入ると、そのようなセレモニーが終わって、自分のやりたい仕事、出版の企画、そのための資料などの準備、原稿書き、講演資料など、集中してできるか、と思えば、さにあらず、1ページも書けていないのは、締め切りが迫っている仕事に追われているからで、それは団体のための仕事であって、有難いのだが、嬉しいような、迷惑のような、複雑な心境になる。ただ、この年齢で、まだ仕事があること自身が、家内の言葉を借りれば、奇跡のようなことで、それは感謝の言葉しか出てこない。自分のやりたいことは、きわめて贅沢なことで、時間を見つけて、やらせてもらうことであって、という謙虚な気持ちは、現役の頃と変わっていない。世の仕事は、なかなか複雑で、楽しいとも苦しいとも言えるのは、前に書いたブログと同じである。これさえ無ければ、この件だけ解決すれば、すべてハッピーなのだが、と思うことは、誰でも同じだろう。昔、成田空港で猛烈な腹痛が起きて、空港の病院で治療をしてもらったことがある。国際電話をかけて、明日の飛行機で行くと、連絡して、病院のベッドで点滴を打ってもらったのだが、この時だけは、文字通り、これさえ無ければ、この痛みさえ解決すれば、と天に祈らずにはいられなかった。翌日、奇跡的に回復して、予定の便で空港を飛び立った時は、嬉しさで、文字通り天にも昇るような気持だった。これさえ無ければ、と願う気持ちは、誰も持っているだろう。安部元総理が銃撃されて死亡したというニュースは、昨日のテレビ番組を、一色に塗りつぶした。天地がひっくり返ったような騒ぎだったが、一夜明けた今日、その余韻はあるものの、次の出来事が待っているかのように、過ぎていくのだ。近年例を見ないほどのウクライナの惨状のことも、新聞の第1面を飾らなくなった。だから、この世の中は、今しかなく、これさえ無ければ、と思っても、別の波がやってきて、喜んだり悲しんだり、を繰り返すのだろう。どこまで探しても、永遠の楽園はないのだ。車窓から見える町では穏やかに暮らせそうだと愚かに思う(のぶつばき)の句が、新聞にあった。作者もそれが幻想にすぎないことを知っている、知っていながら、現状から逃れたい、現状に正面からぶつからなければ、と分かっていながら、別の世界なら、と思う気持ちは、よく分かる。現実は、いつまでも、小さな波はやってくる。それは、嬉しいことも悲しいこともあるのだ。

楽しいが苦しく

今は、火曜日の夕方、少しばかりの雨がちらついて、気温を下げて、過ごしやすい日中だった。このようにして、陽が陰り、時間が過ぎて、1日が終わり、明日を迎え、1週間が過ぎて、やがて1ヵ月が経ち、ということなのだろうか。忙しいという訳でもないが、時間の過ぎるのが早く、自分では本来の仕事だと思っている原稿執筆などの時間が取れない。それは、好きだけれども、時間が余れば取りかかるレベルの仕事であって、贅沢なことなので、させてもらっている感覚である。それが、仕事のすべてであったら、楽しいかと言えば、そうでもあるし、苦しいことでもあるだろう。同じような趣旨を、ベストセラー作家の佐藤愛子が、エッセイの中で述べている。苦しいのだが、しかし止めるわけにはいかない、会心の文章が書けると、この上ない楽しさや喜びがあり、書かずにはおれないと、綴っている。筆を絶つと、どうなるのか、書くことがすべての作家にとっては、生きる甲斐もなく、生きる屍になると、そのエッセイの中で、父親佐藤紅緑の晩年を描写して、述べている。その通りだろう。書くことが生きることのすべての作家にとっては、書くことが楽しさの源であり、それが止められることは、温泉の源泉に蓋をすることと同じだから、生きる甲斐がなくなる、しかし、源泉が枯れることなく出続けることは、人間にはあり得ない、というか極めて稀であろう。人は、生物的な寿命という区切りがあって、次第に細胞が死滅していくのだから、若い頃と同じように、ということは、自然の摂理に反するからである。仕事が無ければ、生きていけない、仕事をするには、エネルギーが必要で、その活力の元は、少しずつ枯れていくので、仕事の質は下降していき、やがて止まる、という運命になる。楽しいが苦しく、面白いが悲しいことが、仕事の本質なのかもしれない。立場上はいと言えない日々にいて働くことは長い寸劇(吉村おもち)の句が、新聞にあった。寸劇だから、そのセリフは決まっている、はいと言いたいのだが、言えない役柄なので、というのは、仕事をする人の心情を物語っている。どんな役だろうと、演劇が好きな人にとっては、楽しい演技であるが、現実の仕事の場面では、演劇と同じように、言えないセリフがある、そうだなーと、同感した。昨日も今日も、やりたいこととは別の仕事で、時が経った、しかし、それは、自分のやるべき仕事であり、役者として果たさなければならない、重要なセリフなのである、と自覚しながら、自問している。生きるということ、仕事をするということは、そういうことなのだ、それでいいのだ。

日常と非日常

今は、日曜日の夕暮れ時、まだ外は明るいが、珍しく、ギンギンの空ではなく、どんよりとした雲が広がっている夏空である。珍しく、とは、ずっと人の体温越え、酷暑、猛暑、危険な暑さが、続いて、雨を待ち望んでいたからで、ほんの少し、パラと、お湿りとも言えぬ雨が降ったが、天の恵みである。明日から、当分、湿り気のある天気のようで、これで、野菜も果物もお米も喜ぶだろう。公開のブログで書くのは気が引けるが、私的な旅行に老夫婦で出かけた。北陸の観光ツアーで、日本三景の1つの天橋立、情緒豊かな伊根の舟屋など、行ったことのない名所や、何十年ぶりかの永平寺や東尋坊などを観光して、昨夜遅く帰宅した。旅の疲れは老いの身には堪えるが、すぐにシャワーを浴びて、土産に買ってきた鯖缶と干しホタルイカを魚に、冷えたビールで喉を潤すと、もうこれ以上の贅沢はない、と思う程、身も心も落ち着いた。旅行中は、猛烈な暑さで、バスの中で冷えた水を飲み、外に出れば汗だくだくで、中学高校の烈しい運動部の練習のようで、冷房の効いたバスに戻るような、繰り返しだったが、これが、この上ない喜びであった。そこか、これは、大人と老人の修学旅行なのか、行儀のよい生徒たちで、弾んだ声で話し合い、時間は厳守で、添乗員さんを喜ばすかのように拍手を送り、生活態度は満点の集団であった。宿は、言うまでもなく、ゆったりとした豊富な温泉で、もうこれ以上はないという程のバイキング料理に、食いしん坊という欲望が遠慮なく表に飛び出してきたようで、少し恥ずかしい気がした。こんなことは毎日続く訳はない、だから観光旅行、非日常的な出来ごとなのである。非日常だから、年に何回か訪れるのだが、その感慨が余韻を持っている。今朝は、ぐっすりと寝て、今日は日曜日か、と思いつつ、朝からオンラインの打ち合わせがあった。その後、すぐにメールを出して、手際よく対処した。それは、長年の経験で、すぐにしないと、仕事は思わぬ方向に展開し、難しい局面になる場合がある。ホッとして、お昼は、家内と車で買い物に行って、その後自分はスポーツジムに行って、帰宅して今、パソコンに向かっている、という次第である。これが、日常なのである。非日常と日常の切り替えが大切で、そのどちらも、すぐに対応すること、そしてどこか楽しさや喜びを見つけるのである。スポーツジムからの帰宅途中、こんな光景に出会った。新聞にあった、夏帽子自転車の母前後の子(臼井正)の句の通りで、この母親は、これが日常で、観光地でアイスを買って我が子に与える母親は、非日常の光景だろう。どちらも、美しく、楽しく、今が幸せなのだと、見えない声が聞こえてくるようだ。

適度で良い

今は、火曜日の午後、ブログを書くにはふさわしくない時刻なのだが、夕方に時間が取れず、明日も無理なので、今の時間、ぽっかり空いているので、パソコンに向かっている。この前のブログに書いたが、何しろ外は猛暑、危険な暑さで、梅雨が明けて、本格的な夏に入った。今朝は、市内の小学校に授業参観に行って、子供たちの学習風景に触れたが、ICTなどの先端技術もあるが、昔ながらの授業スタイルがほとんどで、それなりに、ホッとする。不易と流行の言葉があるが、あまり好きではないが、確かにその通りで、自分が小学生の頃と変わっていないような気もする。黒板があって、板書して、教材を見せて、質問があって、大型の提示装置があって、など、子供たちは、それで満足なのだ。少し違ったのは、オンラインを使って、校長先生が、画面を通じて、各教室に、呼びかけ、挨拶をし、訓話をして、全校集会があったことだ。なるほど、昔のように、校庭に全校生徒を並ばせたら、この暑さだ、日射病になるだろう、クーラーの効いた教室で、全校生徒が、教室にある画面に集中するのは、悪くない、というか、素晴らしい技術の恩恵である。小学校低学年は、まだ幼い、じっとしていない、集中させること、飽きさせないこと、それは、至難の技かもしれない。画面から送られてくる校長先生は、さすがにベテランだ、言葉だけではない、スライドを作り、それに合わせて、語る、その様は、昔に馴染んだ紙芝居に似ている。登場人物に添って、声色を使い、飽きさせない工夫があった。というより、見事な語りであり、技であった。なるほど、先端技術も、使う人の技量によって、生きもすれば死にもする、そんなことを思いながら、授業に参観した。1限の授業であったから、8時に自宅を出て、10時に帰宅できたので、効率は良い。今日は何か良いことがあった、などと独り言を言いながら、昨夜の寝苦しさで、夜中に一度起きて、その後すぐに寝たが、それでも、少し眠気が催す。たぶん、暑さのせいだろう、と思いながらも、論文の修正をして、書き上げたのだから、エアコンのお陰とはいいながら、エライと自分を褒めた。6月に入って、少しづつ庭の草取りなどをしていたが、この暑さでは熱中症になる、早朝か夕方でないと、危険である。新聞に、ひっそりとどくだみの増え母の家(原山桂子)の句があったが、よく分かる。ほっとけば、たちまち増え続ける雑草、特にドクダミの生命力には、負ける。適度に仕事をし、適度に身体を動かし、適度に庭の雑草を取る、それで良いのだ、若い頃のように、集中しては、し過ぎては、身も心も脳も持たない。自分には、今のままで、ちょうどよい。

猛暑の日

今は日曜日の夕方に差しかかる頃、パソコンに向かっている。昨日の夕方は時間が取れず、今ブログを書いているが、それで良い。計画通りやろうとすれば無理になり、長続きしないのは、世の常である。昨日は長丁場のオンライン審査があって、今日は人に会う用事が、昼間にあって、所沢駅に出かけ、その帰りにスポーツジムに寄って、プールで泳いできた。昨日も今日も、特に今朝は、雲一つない晴天、しかも真夏の日差しで、朝から気温がぐんぐん上がって、ニュースでは35度近いというから、尋常ではない。自宅から所沢駅まで徒歩で25分位、途中にあるスポーツジムまで15分位なので、今日は、約1時間近く歩いたことになる。この暑さだ、途中の100均で、日除け用兼風送り用に扇子を買って、多少役立ったが、駅の構内のショッピングモールに入ると、涼しいエアコンで、生き返ったような気持がした。なるほど、この快適さに慣れると、いくら節電をと、テレビが呼びかけても、家庭で節電をする気にならない。プールで泳いで水しぶきを上げて、その後に屋外のジャグジーに身を任せ、街の風景を眺めると、歌の文句のように、浮世の憂さはどこへやら、と何やら小原庄助さんのような気持になって、まさか鼻歌とは言わないまでも、能天気な人間になる。たまにはいいではないか、今日は日曜日で、午前中は原稿も書いて仕事もしたのだから、と多少の弁解もしながら、街の風景を眺めていた。さすがに、暑い、帰りに、久し振りにオロナミンドリンクを買って飲み、帰宅して、冷水をがぶがぶ飲んだ。今年は、猛暑らしい、いつだったか、9月に入っても残暑が去らず、さすがに参ったことがあった。今年も似た年になるのだろうか、窓から入り込む西日が優しい、と書きにくく、まだ6月だったか、と卓上カレンダーを眺め、この先どうなるのか、梅雨はどうなるのか、と多少雨降りが恋しくなった。人間とは、我儘で、暑いだの、雨が欲しいだの、節電は嫌だの、まるで親の言うことを聞かない幼児のようだ。仕方がない、あまり我慢のできない駄々っ子が、人間本来の姿かもしれないと、自らを慰める。新聞に、ただ青い からっぽの空夏はじめ(藤岡賢)の句が載っていた。今は、夏はじめの季節ではあるが、夏真っ盛り、しかも猛暑の真夏で、空っぽではあるが、遠慮のない太陽が照り付ける、のだが、まあいいか、部屋に入ればクーラは効いている、冷たい水もドリンクも飲める、夕方にはキンキンに冷えたビールも飲める、日曜日だから大河ドラマも楽しめる、と思えば、なんと人間は贅沢にできているのだろうか、と少しだけ自省した。

学校訪問

今は、火曜日昼間の時刻で、ブログを書いているが、夕方に時間が取れず、明日も夕方は無理なので、ちょうど時間が空いている今を使うと、手帳に書いてある。手帳で行動をコントロールしているので、その予定に従うのだが、諸事情で変わってくるから、出来るところから、気付いたところから、臨機応変に処理している。今日も、庭の草取りを早朝にしたが、まだ気温は上がらず、爽快な気分なので、朝食が美味しかった。いつもは、朝食後に気が向いたら草取りをするのだが、朝食前のほうが快適であることは言うまでもない。午前に、ある小学校の授業参観をした、というより、お願いして、させてもらった。教育の仕事をして、たまには講演をしたり、出版したり、会議で発言したりするのだが、何より苦手なことは、小学校の授業、生活風景、子供たちの姿などが、まだイメージできないと言うことである。誰でも、経験したことがないことは、思い切って発言できない、実は、自分はこの分野は素人なのですが、などと言い訳をしなければならない。そこで、昨年に、市内の研究指定校になった学校に、授業参観できないかという願望を持っていて、今年も自分は、研究指定校の研究推進の役目を、教育委員会からいただいているので、思い切って、ボランティアで、昨年のGIGA推進の学校の授業参観ができないか、と教育センターの所長さんにお願いしたら、それは何でもないことと、すぐに快諾していただき、小学校2校、中学校1校を、毎月1回ずつ、訪問して授業参観できることになった。その第1回目が、今朝だったのである。それでも、何か恐る恐るという心境だったが、子供たちは屈託もなく、遠慮もなく、にこにこして、部外者を、教室に迎え入れてくれた。そして、先生の話に惹かれ、まるで自分が小学3年生になったように、授業の中に入っていった。なんと表現したらいいだろうか、長年観たいと思っていた劇場に入って、その華麗な演劇を見て、鑑賞している気持だった。もちろん、これまでに多くの授業を参観してきたが、それはお披露目用の、どこか外向きの光景で、素顔を見せない演劇だったような気がする。今日は、そこが違った。自分も、クラスの一員、仲間、孫のような子供たち、身内のような気持で、授業参観したのだが、それは初めての感覚だった。学校とは、宝のような場所であり、砂漠の中のオアシスであり、そこに行けば、子供たちに癒される、極上のリゾート地でもある。新聞にこんな句があった。三輪車まだ漕げず地を蹴飛ばして進む幼よきょうも逢いたし(近藤きみ子)、幼子を愛おしみ愛情を抱く気持ちがよく分かる。

食の楽しみ

今は、金曜日の夕方、いつものブログのように、正面が西窓なので、太陽がまだ西空にいて、陽光を注いでいる。今日は、真夏日かと思うくらいで、予報では最高気温28度などと報じている。明日は、朝から夕方までオンライン研究会があって、机から離れられず、その後に所用があって、ブログが書けないので、今パソコンに向かっている。そしていつものように、スポーツジムから帰ってきたばかりで、運動をした後は、自分も体力はまだ衰えていない、気分もさわやか、などと、まんざらでもない高揚感があるのは、脳内ホルモンの分泌のせいだろう。外が明るいと、気持ちまで明るくなるのは、誰も同じだろうが、うつ的な状態では、いくら明るくても、それが、逆に作用するようで、どんな美味しい料理でも、砂を嚙むような感じで、何も味がしないらしい。味覚とは、なんと素晴らしい天からの贈り物か、とよく思う。昼食は、だいたいパン食なので、いつものパターンだが、夕食などは、時にうーん、うまい、と声を出すこともある。歳を取っても、食の楽しみは、ある、というより、大いにあるし、生きている甲斐がある、と言っても過言ではない。だから、入院はしたくない、極めて薄い塩分、味のないような味付け、栄養バランスという、およそ人間味のない、秤で測って料理を作るような、理科実験室で試験管で調合しながら作った料理のようで、耐えられそうもない。テレビでも見ながら、少しだけアルコールを飲みながら、今日の様々な出来事を思い浮かべて、老夫婦で会話しながら、平凡だが、それが、楽しい夕餉の光景である。病院の食事のまずさは、両親が老人病院に入っていたので、食べたことはないが、よく知っている。いくら認知症とは言え、料理のまずさや美味しさは、覚えているだろうから、入院とは、我慢させ、諦めさせ、従うことを学習させる施設のようで、そんな経験はしたくない。そう考えれば、病院ではなく、自宅でお風呂上りに、美味しい料理をいただくのは、なんという恵だろうか。新聞に、トンカツを切る音キャベツ刻む音(中路修平)の句があった。いい音だ、サクサクとトンカツを切り、キャベツをトントンと小刻みに叩くと、ホカホカの料理が出来あがり、頬が緩んで、真っ白いご飯と一緒に喉を通ると、アー幸せ、と言うかどうか分からないが、どこかそんな庶民の嬉しそうな顔が目に浮かぶ。学生の頃、もうこれ以上の絶品はないと断言できるような、カツ丼の食堂があって、教員になっても、よく通った。この文章を書くだけで、口の中が湿ってくる。平凡だが、食べることは良きことだ。