とりあえず

今は土曜日の夕方、窓から見る空は白みがかった青空で、久しぶりの快晴の1日だった。昨日と一昨日は1日中雨降りで、時にみぞれ混じりの寒い日中だったが、今日は打って変わった天気になった。天気のせいではないが、今日は、月に一度のお墓参りをしてお昼は外食にした。自分たちの生活のこと子供や孫たちの様子などを報告すると同時に、お願い事などをしている。お線香に火をつけて拝んでいると、周囲が木々と畑で囲まれているせいか、俗世間を離れた静かな気持ちになる。そして他家のお墓さんを回って小さなピクニックのような散歩をして、駐車場に行く。そのまま行きつけの中華料理店で昼食をとった。自分は塩味のスープが好きなので野菜たっぷりタンメンで、家内は豚骨ラーメンだったが、たわいもない食事である。その後自分はスポーツジムに行って汗をかき、例のごとくプールで汗を流して、先ほど帰宅した。何とも平凡な休日であるが、休みというだけでどこか嬉しい。午前中は3ヶ月に1度の眼科クリニックに行って目薬をもらってきた。自宅から歩いて1分という近さなので、気楽に行ける。年を取ってくると何でも気楽が一番で、スーパーマーケット、コンビニ、薬屋、クリニック、電車の駅、接骨院、蕎麦屋、スポーツジムに至るまで、近いところを愛用している。午前中は平日と変わらず書斎で仕事をしたが、今日は大学入試模擬試験に似た問題の妥当性やら適合性などの自分にとっては慣れない仕事で、しかも気を使う。締め切りがあって、近づいているわけではないが、年と共に余裕がないと不安になることが多いので、朝一番と眼科クリニックから帰ってきて取り掛かった。誰でもそうなのだが、不慣れな仕事は取り掛かるまでの壁が高いから、先に延ばそうかという心と、いや今やらないと後で気が重くなるからという葛藤があって、迷うのだ。だから、とりあえずできるところからやってみようという、平凡な戦略を用いた。1問を解き2問を解いていくうちに、何かリズムに乗ってきたようで、時間を忘れた。とりあえずとはそういうことなのか、自分が、問題の中に潜んでいる黒子がいて、その黒子とやり取りしているような気がする。これは別に比喩ではなく、学問的に認められている言説である。文脈は遠く離れるが、新聞に、まだ慣れてゐないだけだよ靴擦れに絆創膏を貼るやうに言ふ(小金森まき)の句が目を引いた。旧かなづかいで書いているから、短歌に慣れている作者であろうが、気持ちはよくわかる。仕事で慣れなかったり、不手際になったり、自分はどうしてこんなにうまくいかないのか、自分には才能がないのかなどと、自己肯定感が低くなったりする時に、いやいやそうではないんだ、慣れだよ、慣れてくれば靴擦れの靴が足に合ってきて、馴染んでいくから心配ないよと、誰かが慰めてくれたり、あるいは自分自身で元気を出そうとしている短歌なのかもしれない。と解釈したが、いやそうではない、この短歌の文章通りではないのかと、ふと思った。午前中の自分の慣れない仕事であっても、とりあえず1問2問とやっていくうちに、靴に足が馴染むように、足が靴に合わせるように、自分と問題の中にいる黒子が協力しあって、ゴールに向かっていくのではないだろうか。そうすると、そのきっかけは、とりあえずやってみることなのだろう。このとりあえずという言葉は、優れた処世術を含んでいるような気がする。

平凡が一番か

今は火曜日の夕方、南向きの窓から見える空の色は、青色に混じった灰色がほとんどを占め、所々に残照に照らされた白い雲が見える。とりあえず今日もつつがなく日が暮れようとしている。今日は暖かい気温で春か初夏のような天気だった。あまりの気持ちよさに昼間ジョギングをした。こんな小春日和のような天気の良い日には、小川のほとりの公園までジョギングすると、どんなに気持ちがいいだろうと思って、自宅を飛び出した。お昼のニュースを見ていたら、明日から急激に気温が下がり、冬が舞い戻ってくるという、温度差は10度以上もしくは15度ぐらいにもなるというから、このチャンスを逃してはいけないと、せかされるように下着1枚で西の方角に走っていった。その期待を裏切ることなく、頬を横切る風が心地よく、こんな生活もいいなと素直に思った。先週までの胃が痛むような綱渡りのようなハラハラドキドキするような仕事をした後は、誰でもリラックスしたくなる。ましてこんな暖かい日には、ウキウキして西の方角には何か良いことが待っているかのように、恵みの神が手を差し伸べているかのように感じて、約1時間ほどゆっくりではあるが走った。帰宅して、汗びっしょりになっているから下着も変え、家内が用意してくれたグレープフルーツを食べると、ジューシーな味と香りで口の中が満たされ、胃の中に入って行くと全身がリフレッシュされたような気持ちになる。こんなさっぱりした時間は久しぶり、とつぶやきながら振り返った。お昼までにどうしても原稿を完成して投稿しなければならない仕事があって、何とかやり終えてパソコンのリターンキーを押した時、これで少しは解放されると思い、じわっと小さな幸せ感に満たされた。日々の生活はこんな小さな出来事で一喜一憂しながら、生きているようだ。仕事が何もなければ寂しいし、あまりにも日程が詰まっていれば苦しいし、現実、夢の中に出てきたり心臓が早くなったり、早く逃れたいと思うのは人情である。ほど良い忙しさと程よいリラックス感がバランスよく起きてくれば、理想的であるが、世の中はそんなにうまくはできていない。人は誰でも天が与える出来事に向かっていくしかないのだ。こんな暖かい日が明日から急激に寒くなると思えば、今の喜びを素直に受け止めれば良いのだ。新聞に、退屈を生きる幸せ福寿草(尻無浜一美)の句があった。あまりすることがなくて退屈と感じることも、見方によっては幸せなのかもしれない。平凡に生きられれば、それは素晴らしいことである。何かをやってみたい気持ちと、全てが終わって楽になりたい気持ちが、交互に起きてきて、人は迷いながら今を生きているのであろう。自分の今は、このブログを書くこと、それが終わればお風呂に入り夕食をいただく、まあこれも自分にとっては大切な楽しい時間なのである。平凡が一番か。

支えあう

全くうっかりしていた。今は土曜日の夕方、ブログを書く日であり時間なのだが、ぼーっとしていたのか、全く頭の中から離れていた。今日は何があったのだろう、もちろん 仕事もし、スポーツ ジムにも行ったが、 今日は冬空の晴天とはいかず、外はどんよりとした曇り空で、どこか肌寒い。こんな日はスカッと元気の出る話というより、なんとなく景気の悪い話しか出てこないが、まあ許してもらおう。ほとんど脈略も無く書くしかないが、昨日金曜日はビデオ録画している朝ドラの番組を見る曜日と決めている。夕食の時間に見ているのだが、戦後の日本が荒れ果てた時代に生きることに必死の人たちの会話が、現在とは全くかけ離れているけれども、身近に感じた。ブギウギの歌手が主人公の物語だが、夜の有楽町あたりに出かけていって会話をするシーンがあった。敗戦国日本の厳しい状況の中で、なんとか生きていく夜の女性たちの悲しみと厳しい状況に心打たれた主人公が会話をするシーンが、妙に印象に残った。華やかな舞台で踊る歌手と、夜の女性たちとのギャップは大きい。自分が惨めな状況にあればあるほど、人から施しを受けたくない、同情されたくない、哀れだと思われたくない、上から目線で見られたくないというのは、人の矜持でありプライドである。主人公の歌手が言った言葉が、わても必死なんや、そんな関西弁だったと思う。確かにこの時代はどんな職業に就いている人も、必死に働かなければ食べることができない時代である。その言葉で互いが必死にもがいていることに共感したシーンだった。多少きれいごとのシーンかもしれないが、多分本音の言葉だったのだろう。それに比べれば、自分の置かれた境遇などは苦労とか厳しいとかいうことはできない。しかしどんな人も全く何もなく華麗に生きている人はいないのだ。生きていれば多少とも嫌なことや思いどうりにならないことも起きるだろう。それでもなんとかもがいて生きていくのだ。たしか山本周五郎の小説だったと思うが、苦しみてもなお働け、この世は修行である、という言葉があったと思う。この世は修行かと言われれば、そうかもしれないと思う。自分にも今日はさざ波のような小さな浮き沈みがあった。それでよいのだ、能登の被災地の皆さんのことを思えば、なんでもない。新聞に、倒壊の家に降る雪静かなり(大川勇)の句があった。神は何とむごいことをするのだろうかと、誰もが思っているに違いない。厳しい寒さの中で手を取り合って生きていくのだろうか、そう思えば終戦後の食べるのがやっとの時代の苦しさも、能登の被災地の人たちも、自分たちのような境遇であっても、小さな波がやってくる。そして互いに助け合って生きていくのか。同じ日付の新聞に、避難所に支えあう声冬の星、作者は鈴木としか読めなかったが、このような句を読むと、人の優しさが身に染みて、どんなことでも乗り越えられそうな気がする。離れて暮らしている子供や孫のことだけでなく、ウクライナもガザも能登の人たちにも、幸せが来るように祈らずにはいられない。

パソコン

今は火曜日の夕方、南向きの窓から明るい青空が見え、2月中旬にしては暖かい光が差し込んでくる。こんな日はどことなく心も軽やかで、静かな気持ちで画面に向かっている。実はこの画面は新しいPCなのである。数日前に電気専門店に行って、まるで衝動買いのように、即座に買ってしまった。机の上には2台のパソコンがあって、どちらもそんなに古くはない。だが何か不具合があると、それを直すのに時間がかかって、仕事に支障が出てくるのだ。先般も自分の気に入ってる軽量のパソコンを持って、講演会場に行ったら、どうしてもプロジェクターの端子と繋がらなかった。理由がどうしてもわからない。会場にいた技術者が、このPCの端子がおかしいと言った。まだ1年半程度の新しいマシンなのに、ハード的な故障があるとは、これは運が悪かったのだと思ったのだが、プロジェクターに繋がらなければ、いくら性能が良いと言っても、宝の持ち腐れである。またバッテリーが弱く長持ちしない。もう一方のパソコンも気に入っているが、持ち運び用にはふさわしくない。重量があるからだ。どうしても理由がわからないが、キーボード入力で文字が表示通りに出てこないことがある、信じられないことが起きるパソコンだったので、量販店に行ったのは自分の意志というより、何かに引きずられて入ったのだ。パソコンをお店で買ったことはなく、ほとんどがネットで注文していたが、このような故障が起きた場合の対応がかなり煩雑で、返品や修理などが相当に面倒なのである。だから足が量販店に向かった。店員さんと話をしながら、購入するつもりはまるでなかった、ただ自分の欲しいモバイル系のパソコンを見ようとしただけだった。だがそれなりに高価であったが、買った。実は色も気に入らずハードディスクの容量やCPUの速度も。自分の希望には少し不足していたが、目に見えぬ何かが背中を押したのか、買った。それから書斎に持ってきたが、机の上には、もはや置くスペースがないのだ。3台をどうやって並べれば良いのだ、第一にどうやって使うのだ、ダンボール箱をそのままにして、急ぐ用事を2台のパソコンでこなしていった。少し後悔した。スペックは今の2台の方がむしろ上で、何のために自分は買ったのだろうか、自己肯定感が急速に下がっていった。日曜日は午前中にオンライン講演をして、午後は都内でイベントに参加し、懇親会にも出て夜遅く帰宅した。月曜日は幸い休日で書斎に入ったら、手付かずの箱が、そのまま書類の上に無造作に置かれていた。もし人間だったら、自分を恨めしく思って小言を言ったにちがいない。昨日ようやく時間が取れたので、ダンボールの蓋を開けて新品のパソコンを取り出した。かわいそうにと思い、早速にいくつかの設定を始めた。最近のパソコンはよくできていて、同期をさせると細かい作業はいらない。なるほど、そういうことか、昨日で全て設定は終了し、今日は快適に動いている。3台を並べるために、机の前の棚に置いてある書類や本を片付けたら、雰囲気が違ってきた。そして今日は3つのオンラインの会議があったが、新しいPCを使った。快適に動くじゃないか、何も心配することはないのだ、何も自己卑下することもないのだ、このパソコンは自分にとって最も必要な道具なのだ、あの時買ってよかった、明日は市内の学校で講演をしなければならない、もしプロジェクターに繋がらなかったら、恥をかいてしまうだろう、自分を救ってくれたのだ。文脈は違うが、新聞に、「惚(ぼ)けたかも」息子に言へば気にもせず俺の名前を言ってみなと言う(大森由紀子)の句があった。おかしくて面白い。悔やんでいたのは自分だけなのか、他人から見ればなんでもないことなのだ、この世の出来事はすべて同じようなものだろう、深刻に悩んでいるようなことも、他人から見れば、ごく普通の出来事に過ぎないのか、そう思えば、この世の中も、まんざらでもなく、生きるに足りる世界である。

努力すること

今は土曜日の夕方、ようやくブログを書く時間が取れた。昨日まで忙しさに翻弄されていた。明日日曜日もまた朝から夜まで用事で詰まっていて、朝はオンラインで講演をし、そのまま都心に出かけてイベントに顔を出し、夕方から打ち上げの懇親会にも参加するので、全く時間がない。そのような状態がこの1週間続いたのは、どこか不思議な気がする。自分のようなものがと書くと、謙遜していると思われるかもしれないが、全くの本心である。あまり縁起は良くないが、息を引き取る前は、まるで健康で元気のある話をして周囲を驚かせると、聞いたことがあるが、そのような状態なのかもしれない。まさかとは思うが、そうならないように自戒したい。とは言っても、4月からは手帳が真っ白で、どうやって過ごすのだろうかと多少の不安もあるが、人は毎日を忙しいと言いながら仕事をして、どこかで一息つくのだろう。2月と3月は原稿・講演・イベントなどで忙しいのは、誠に贅沢なことである。我々の言葉で言えば、それは本業で、事務仕事などの雑用とは違う。だから嬉しく楽しく幸せな一時かといえば、実はそうでもないのだ。どの仕事も同じだが、必ず相手がいる。授業をする場合は子供や学生などの受講生が、企業ではお客さんが、講演では視聴者が、イベントでは参加者が、つまり極めて当たり前のことながら、一人で仕事をすることは不可能であり、必ずそこに人間が介在している。人はそれぞれ個性があり感じ方も、受け取り方も、価値観も違うから、当然ながらギャップが生まれる。このギャップが妙に気になる場合とそれほどでもない場合がある。相手は大人だと顔で笑って心で泣いてのように外と内が違うので、その見極めも難しい。小学生低学年のように心のうちをすぐに表に出してしまう場合は、正直で良さそうな気はするが、それもまた厳しい。手加減はなく残酷な反応が帰ってくるから、先生も傷つくのである。大学生や高校生であれば、授業を真面目に聞いているふりをしながら、内職をしたり、どこか教員を手玉にとっているのだから、これもまた始末に悪い。企業のお客様相手はもっと厳しく、文字通りお客様は神様で、営業担当はその辛さを、居酒屋や自宅で、お酒と愚痴で忘れるのだろう。講演もまたしかり、面白くなければ居眠りをしたり表情にありありと出てくる。別に自分の講演で評判が悪かったというわけではないが、ある会場では80分という長丁場で、その間トイレも行けず視聴者が我慢をしている表情が分かる、それでも飽きずに聞かせるのは他の仕事と同じように厳しい。若い頃うまくいかなかった講演の時は、もう二度と引き受けないと、何度も思った。年をとっても、この時期の講演では、最善を尽くしたとしても出来・不出来があるのは仕方がないとは言いつつも、うまくいった時は胸が踊るような嬉しさがあり、少しでも視聴者が疲れたような顔をしている時は、その後で無性に自分に腹が立ち、気持ちが落ち込んでしまう。どの仕事でも喜びと悲しみが入り混じっているのだ。文脈は離れるが、新聞に、二三羽の寄り来し鳩が餌をもたぬ吾に羽音も高く飛び立つ(深沢ふさ江)の句があった。そうか鳩さえ餌を持たないとわかった瞬間、何の愛想もなく遠くへ飛び立っていくのか。ひょっとしたら餌をくれるのかもしれないと期待したのだが、その変わり身の早さは、人間の世界も同じである。その意味では仕事をすることは、相手に振り回され、相手に評価され、相手に値踏みをされることなのかもしれない。そういう自分も、テレビタレントなどは辛辣に批評したりするので、同じである。総理大臣に至っては、凡人では耐えられないような批判を、毎日毎時間受けている。もっと何かお互いが喜び合えるような仕事の仕方はないのだろうかと思うが、そんな能天気な仕事はない。それでも、どこか生きがいや、やりがいがあるので、努力しているのだろう。人の本性は努力することかもしれない。

団体役員

今は日曜日の夕方で、書斎の窓から見る空は多少の青空はあるがほとんどが曇りで、今夜からは雪もちらつくという天気予報である。日曜日にブログを書くことは、ほとんどないが、これは土曜日の代替えではなく来週の代替えである。週に2回のブログを書くことを自分に課しているが、来週は忙しく月曜日から日曜日まで仕事で詰まっている。その合間を見つけてかろうじて土曜日にブログを書くことにしているが、週の始めに時間が取れず今書いている。今の自分の役職は教員ではなく団体役員である。団体という仕事は企業や学校や行政などとは違って、自分の感覚では特殊な職場だと思っている。詳細は書いても意味はないが、忙しいのは3の倍数月だと言われる。つまり3月6月9月12月などに理事会などが開かれ、そこで代表は説明をしたり質疑応答をしたりすることが役職上求められる。しかしこれは儀礼的で、企業の理事会等であれば代表役員は気を使うだろうが、自分の団体では、そのような気遣いは少ない。これはありがたいことで団体でも胃が痛くなるような理事会もあり、この場合には代表役員はそれなりに精神的な負担があるようだ。しかし実質的には、事務局長が仕事を仕切っており、団体の業績や活性度の責任を担っている。代表は団体の顔と言っても良いが、団体の雰囲気や性格や対外的な印象などを左右するような立場なのであろう。自分もいくつかの団体役員をしているが、当然ながら代表をしている団体が自分の所属であり、対外的にはその団体名の名刺を用いている。来週また再来週は仕事で忙しいと書いたが、それは団体の仕事というより教員研修や講演やイベントなどに顔を出すので時間が不足しているのである。自分が教員だった時はむしろ3月ぐらいは余裕があり4月からは新年度なので忙しいのだが、団体役員は逆なのである。3月までは忙しいが、4月からは手帳が真っ白になるぐらい暇な時間が多くなる。こんな書き方をすると、他の団体役員やスタッフに迷惑がかかるので、余裕のある4月だと書いておく。自分にはこの団体役員が似合っていると思う。自分が代表をしている団体は比較的順調で、企業で言えば黒字経営とでも言えるので、自分はあくせくしなくても何とか運営できている。もう働き盛りを過ぎた自分でも、何かとオファーが来て原稿を書いたり講演をしたりイベントに出ていると、時が経つのを忘れてしまう。来週も再来週も走り回って忙しいのだが、時に暇な時間があってふと色々なことを考えたりする。それは水戸黄門のような果報な境遇でもなく、映画の寅さんのような気ままな風来坊でもなく、企業や学校などの役職を降りて趣味などに興じている立場でもなく、しかし働き盛りで東奔西走しながら業績という数字に追いまくられて努力している立場ではないので、忙しいながらも余裕のある仕事だと言ってもよいかもしれない。新聞に、酒蔵の試飲に酔うて日向ぼこ(青木雄二)の句があった。こんな風に暮らしてみたいと思うが、心のどこかにこんな風情がある。時間を見つけて温泉やら小さな観光ツアーに申し込んで、安らぎたいと思っている。仕事ばかりが幸せではなく、この俳句のように風に吹かれて身を任せるような気持ちになることも必要だろう。それを楽しみに来週から頑張ろう。

書類審査

今は木曜日の昼間、もちろんブログを書く時刻とすれば変則的だが、いつも書いてるように、この時間しか空いていない。明日金曜日は都内に出かけ帰宅が夜になり、そのため土曜日に書こうと思ったが、翌週がずっと出かけることが多く、ブログを書く時間がない。と言っても週2回は書くと公言しているので、来週の分の1回を日曜日に書くしかないと思い、手帳に入れている。なかなか予定通りにはいかない、いろんな用事や仕事が重なったからだが、特に審査系の仕事はかなりの時間と神経を使う。相手もずいぶん考え努力し申請書や書類を作成していると思うが、審査する側も表面ではなく、その背後にある意図を読み取って審査しなければならないので、1か所でも気がかりな点があると、時間がかかってしまうのである。小学校の校長先生が書かれた申請書は、なるほど子供思いの優しい先生だと思い、高等学校の校長先生や教員が書かれた申請書は、高校生を相手にしている書き方だなあと、その背景が文章の行間から漂ってくるような気がする。自分も学校を出て最初の就職は高等学校の教員だったせいか、高校の先生が書いた文章やレポートはなじみがあって、この先生はこんなことを思っているのか、自分も若い頃はこんな感じだったか、などと思うことがある。仕事で相手にしている年齢によって、感じ方や話し方や書き方なども変わってくるようだ。高校・大学はほぼ似たような文化を持っているが、大学院生は研究や大人のイメージがして、また別の感じ方がある。今の自分が所属する団体は、若い人もいるが、ほとんどが中年以降の大人である、企業からの出向者が多いので、IT企業か出版企業と雰囲気はほとんど変わらない。仕事上で読む書類なども、正直言うとあまり面白いことはなく、予算や決算では数字が並んでおり、事業計画や事業報告なども、無味乾燥で心がワクワクすることはあまりない。根っからの企業経営者であれば、数字一つ一つや事業内容そのものに喜びがあるかもしれないが、自分のアイデンティティは、高校か大学・大学院のような学校文化にあるから、高校教員が書いた申請書を見ると、なんとなく文体で懐かしいような気がする。文脈は遠く離れるが、新聞に、再会の手袋咥(くわ)へ脱ぐ握手(深沢ふさ江)の句があった。久しぶりの再会なので、懐かしさのあまりすぐに握手したいと思って、手袋を口で咥えて満面の笑みを浮かべて、昔話をする光景が目に浮かぶ。誰もが、学校のことを思えば心が和むのは、かつての自分を思い出すからだろう。学校は誰もが経験している、小学校では優しい先生を、中学校では生意気盛りだから好き嫌いがはっきりした先生、高校では何やら難しそうな授業した先生、名前も忘れてあだ名だけ覚えてる先生、どれを思い出しても、まだ世の中の苦労を知らない年代なので、学校は桃源郷のような楽園だったのかと、誰でも思うだろう。そんなことを思いながら審査をしたので、時間がかかってしまった。

困難に出会う時

今は火曜日の朝である。この変則的な時間にブログを書くのは、もちろん事情がある。今日の夕方が良いのだが、出張があって帰りが夜になるので、書く時間がなく、昨日月曜日の夕方に書こうと思ったのだが、仕事が長引いて時間がなかった。今日は午前に出かけるので、その前にと思って画面に向かっている。誰でもいつの時代でもさざ波のように、楽しいことと面白くないことがやってくる。自分も含めてそれは誰でも経験することで、しかも年齢に関係なくやってくる。忙しい忙しいと言いながら毎日を乗り越えているのは、就職してからずっと続いている。思えば、お正月に家族全員が久しぶりに集まって楽しく懇談したとか、温泉に行ってゆったりと過ごしたとか、海外旅行に行って夢中になって観光したとか、そんな楽しい時もあった。そうかと思えば、仕事で人間関係に悩んだり、それに巻き込まれたり、身内に病人が出たりなど、日常茶飯時のように起きている。能登地方の大地震のように、家が壊れたり身内が亡くなったり仕事ができなくなったりするような大事件は起きなくても、小さな波は絶えずやってくる。そして人は時々振り返って、今まだこうして生活できたり仕事ができたり楽しみもあったりして、まあ良いではないかと思いながら、過ごしていくのだろう。メールを見ると、問題を抱えた人からの相談事もあり、自分も忙しいのにそこに労力をかけるのはと思いながらも、多少ともお役に立てるならと思って、頭を悩ませたりすることもある。訃報のメールを受けて何とも侘しい気持ちになったり、ある人が厳しい事態になって、こんな状況でも規則正しい生活をして乗り越えていきたいという決意の知らせを読んで、自分の方が教えられた。すべての人が、もがき努力をし乗り越えようとしている。人はなんと健気にも困難に立ち向かおうとしているのかと思うと、人は、お互いが生きる知恵を学びあっているのだ。特に困難に出会った時に、その人の生き様が発揮されるように思う。新聞に、フーフーしてパパの手動く児の口へ能登震災の避難所の中(大西国子)の句があった。この父親は生きる勇気も失せるような絶望的な避難所生活であっても、良きパパでありたいと願いながら、我が子が丈夫に育つように、祈るような思いで食事をさせているに違いない。厳しい現実であっても、人はなんと勇気を出して立ち向かおうとするのだろうか。自分の信条は若い時から、まっすぐに生きることであるが、自分がそのような状況になった時、どうなるだろうか。

優れた授業参観

今は土曜日の夕方、と言っても、もう外は暗くブログを書く時間が遅くなってしまった。別に怠けているわけではないが、いろんな用事をしていると、すぐに時間が経って1日が終わってしまう。思えば1月もそろそろ終わりに近づいて、この前正月が来たと思っていたら来週からは2月になる。時間とは何なんだろう、どうなっているんだろうかと思うが、誰しも同じだろう。自分も何かに追われているようで、しかし仕事がないと寂しいことなので、まあありがたいことなのだが、それでもパソコンの調子が悪くなったりすると、それに取り掛かっていると、もう時間がいくらあっても足らない。IT関連の仕事をしてる人は、相当神経をすり減らしているのだろうと思う。プログラミングなどはわからなくなったら、もう頭をかきむしるような思いをするが、人の能力の限界を知るという言葉が実感として分かる。若い時のそんな気持ちを思い出した。楽しい仕事だけなら時間は忘れてしまう、しかし楽しいことと厳しいことが交互に訪れてくるようだ。昨日は出張で、ある学校で開催された研究会に参加して、授業を参観し最後に講演もしたが、体育館の中は寒くて外に出たら今年一番と言うほどの強風と寒さで、このような中でよく教育関係者が来られているなと敬服した。しかし自分は参加して本当に良かった、何か随分得をした、大きなお土産をもらったような印象だった。それは参観した授業が素晴らしく、もうそれ以外の言葉はふさわしくない、掛値なしに優れた授業だったのである。その詳細を自分がここで述べることは控えるが、優れていることは必ず人に伝わり、幸せの波紋を広げていく。参加した全ての皆さんが、多分そんな感じを持ったに違いないと思う。一言で言えば、生徒たちが、平凡な言葉だが、生き生きと嬉しそうに集中して授業に取り組んでいたからである。大勢の参観者が周りにいても、そんなことは生徒たちには何の関係もなかったような気がする。ただただ目の前の学習が全てだったと思う。それほど集中している授業だった。しかも10クラス以上の全ての授業が優れていた。その時の印象が、今でも脳に焼き付いている。生徒たちが夢中になっていること、その姿は美しい。優れた役者が演じる演劇のように、人を酔わせるような歌手のように、全てを忘れて笑わせる落語家のように、人々を幸せにするのである。新聞に、「教わる」にひそむ「子」の字は窮屈で「学ぶ」にひそむ「子」は健やかで(関根裕治)の句があった。こんな素晴らしい発見をしたのかと思うと、新聞を読みながら嬉しくなった。良い俳句や短歌も、また人を幸せにするのだ。

脳のしわざ

今日はなぜか 忙しい1日であった。なぜかではなく、午後1時から4時半までオンラインの審査があったからで、ずっと パソコンの前に座りっぱなしで仕事をした。いつも思うのだが、この審査は気を使う。そして自分の能力の無さにふと不安になったりする。もう何十年もこの審査をしており、ベテランの域になっているのに、なかなか自信は生まれてこない。この世の中には、当たり前だが専門家がいる。 例えば 小学校の先生は小学校の授業をする専門家であり、自分は素人である。このブログではいつもそのようなことを書いているが、自分が最も苦手とするのは、小学校の授業参観をして講演することである。専門家の前で素人が話をして恥をかくような思いが自分にあるので、いつも悩む。だから今でも小中学校の授業を参観して、先生方に教わっている。文字通り、自分は全身を耳にし 目にして、 授業参観 から吸収しようとする。それでも 専門家の域に達するのは無理で、いわば戦力外の野球選手である。ただし自分の専門領域に入れば、自分はプロと言って良いだろう。そこの架け橋が難しいのである。今日の審査は、また別の分野の専門家を求めているようで、自分は中途半端なのだろうと思う。半分は専門的な知識が役立つが、残りの半分は、表現が難しいが、別の専門性が求められる。それが自分には不足していると自覚している。それはどうしたら得られるのか分からない。いつも思うことだが、教育という分野は極めて幅広い、そしてさらに細分化された分野の専門家が存在して、自分はそれに対抗しようとしているので、どだい無理なのであると言いながら、自分を慰めている。忙しい忙しいと言いながら、今日も暮れていく。あっという間に1月も下旬になった。凡人は時の流れに身を任せるしかないだろう、日々を精一杯生きていけば何とか乗り切っていけるだろう、審査の合間に、メールを読んで返事を書き、思いついたことをメモ書きして、忘れないように手帳とクラウドのカレンダーに書き込んでいるが、多分このような作業が自分の脳がボケるまで続いていくだろうと思えば、正常に脳は働いてるのだ。ありがたいのだ。新聞に、壊れゆく脳持つ母は突然に仁王のような顔で怒りぬ(佐々木節子)の句があった。確かに認知症を患っている老人にはこのような症状がある。ということは、イライラしたり怒ったり不安になったりすることは、性格というより脳の仕業なのかとふと思う。人は病気になったら体のどこかが壊れているのだ、おもちゃの部品が壊れるように、人の体も脳も少しずつ形が変わっていく。仕事をしたり生活をしたりする上で、人間関係は大きな問題で、それが人を苦しめ悩むのだが、それは性格ではなく、また人間関係でもなく、脳や体の故障なのだと思えば、少し気が楽になるかもしれない。性格とは全人格を示す言葉だから、相手を全否定しなければならなくなる。そうではないと思った方が、人の生き方とすれば楽である。今日は精一杯仕事をした、そして自分の能力の至らなさを感じたが、それも脳が成せる結果だから、自分の能力が否定されたわけではなく、人間が劣っているわけではないと思うと、また明日も頑張ろうかと思う。人はずいぶん単純な生き物のようである。