困難に出会う時

今は火曜日の朝である。この変則的な時間にブログを書くのは、もちろん事情がある。今日の夕方が良いのだが、出張があって帰りが夜になるので、書く時間がなく、昨日月曜日の夕方に書こうと思ったのだが、仕事が長引いて時間がなかった。今日は午前に出かけるので、その前にと思って画面に向かっている。誰でもいつの時代でもさざ波のように、楽しいことと面白くないことがやってくる。自分も含めてそれは誰でも経験することで、しかも年齢に関係なくやってくる。忙しい忙しいと言いながら毎日を乗り越えているのは、就職してからずっと続いている。思えば、お正月に家族全員が久しぶりに集まって楽しく懇談したとか、温泉に行ってゆったりと過ごしたとか、海外旅行に行って夢中になって観光したとか、そんな楽しい時もあった。そうかと思えば、仕事で人間関係に悩んだり、それに巻き込まれたり、身内に病人が出たりなど、日常茶飯時のように起きている。能登地方の大地震のように、家が壊れたり身内が亡くなったり仕事ができなくなったりするような大事件は起きなくても、小さな波は絶えずやってくる。そして人は時々振り返って、今まだこうして生活できたり仕事ができたり楽しみもあったりして、まあ良いではないかと思いながら、過ごしていくのだろう。メールを見ると、問題を抱えた人からの相談事もあり、自分も忙しいのにそこに労力をかけるのはと思いながらも、多少ともお役に立てるならと思って、頭を悩ませたりすることもある。訃報のメールを受けて何とも侘しい気持ちになったり、ある人が厳しい事態になって、こんな状況でも規則正しい生活をして乗り越えていきたいという決意の知らせを読んで、自分の方が教えられた。すべての人が、もがき努力をし乗り越えようとしている。人はなんと健気にも困難に立ち向かおうとしているのかと思うと、人は、お互いが生きる知恵を学びあっているのだ。特に困難に出会った時に、その人の生き様が発揮されるように思う。新聞に、フーフーしてパパの手動く児の口へ能登震災の避難所の中(大西国子)の句があった。この父親は生きる勇気も失せるような絶望的な避難所生活であっても、良きパパでありたいと願いながら、我が子が丈夫に育つように、祈るような思いで食事をさせているに違いない。厳しい現実であっても、人はなんと勇気を出して立ち向かおうとするのだろうか。自分の信条は若い時から、まっすぐに生きることであるが、自分がそのような状況になった時、どうなるだろうか。

優れた授業参観

今は土曜日の夕方、と言っても、もう外は暗くブログを書く時間が遅くなってしまった。別に怠けているわけではないが、いろんな用事をしていると、すぐに時間が経って1日が終わってしまう。思えば1月もそろそろ終わりに近づいて、この前正月が来たと思っていたら来週からは2月になる。時間とは何なんだろう、どうなっているんだろうかと思うが、誰しも同じだろう。自分も何かに追われているようで、しかし仕事がないと寂しいことなので、まあありがたいことなのだが、それでもパソコンの調子が悪くなったりすると、それに取り掛かっていると、もう時間がいくらあっても足らない。IT関連の仕事をしてる人は、相当神経をすり減らしているのだろうと思う。プログラミングなどはわからなくなったら、もう頭をかきむしるような思いをするが、人の能力の限界を知るという言葉が実感として分かる。若い時のそんな気持ちを思い出した。楽しい仕事だけなら時間は忘れてしまう、しかし楽しいことと厳しいことが交互に訪れてくるようだ。昨日は出張で、ある学校で開催された研究会に参加して、授業を参観し最後に講演もしたが、体育館の中は寒くて外に出たら今年一番と言うほどの強風と寒さで、このような中でよく教育関係者が来られているなと敬服した。しかし自分は参加して本当に良かった、何か随分得をした、大きなお土産をもらったような印象だった。それは参観した授業が素晴らしく、もうそれ以外の言葉はふさわしくない、掛値なしに優れた授業だったのである。その詳細を自分がここで述べることは控えるが、優れていることは必ず人に伝わり、幸せの波紋を広げていく。参加した全ての皆さんが、多分そんな感じを持ったに違いないと思う。一言で言えば、生徒たちが、平凡な言葉だが、生き生きと嬉しそうに集中して授業に取り組んでいたからである。大勢の参観者が周りにいても、そんなことは生徒たちには何の関係もなかったような気がする。ただただ目の前の学習が全てだったと思う。それほど集中している授業だった。しかも10クラス以上の全ての授業が優れていた。その時の印象が、今でも脳に焼き付いている。生徒たちが夢中になっていること、その姿は美しい。優れた役者が演じる演劇のように、人を酔わせるような歌手のように、全てを忘れて笑わせる落語家のように、人々を幸せにするのである。新聞に、「教わる」にひそむ「子」の字は窮屈で「学ぶ」にひそむ「子」は健やかで(関根裕治)の句があった。こんな素晴らしい発見をしたのかと思うと、新聞を読みながら嬉しくなった。良い俳句や短歌も、また人を幸せにするのだ。

脳のしわざ

今日はなぜか 忙しい1日であった。なぜかではなく、午後1時から4時半までオンラインの審査があったからで、ずっと パソコンの前に座りっぱなしで仕事をした。いつも思うのだが、この審査は気を使う。そして自分の能力の無さにふと不安になったりする。もう何十年もこの審査をしており、ベテランの域になっているのに、なかなか自信は生まれてこない。この世の中には、当たり前だが専門家がいる。 例えば 小学校の先生は小学校の授業をする専門家であり、自分は素人である。このブログではいつもそのようなことを書いているが、自分が最も苦手とするのは、小学校の授業参観をして講演することである。専門家の前で素人が話をして恥をかくような思いが自分にあるので、いつも悩む。だから今でも小中学校の授業を参観して、先生方に教わっている。文字通り、自分は全身を耳にし 目にして、 授業参観 から吸収しようとする。それでも 専門家の域に達するのは無理で、いわば戦力外の野球選手である。ただし自分の専門領域に入れば、自分はプロと言って良いだろう。そこの架け橋が難しいのである。今日の審査は、また別の分野の専門家を求めているようで、自分は中途半端なのだろうと思う。半分は専門的な知識が役立つが、残りの半分は、表現が難しいが、別の専門性が求められる。それが自分には不足していると自覚している。それはどうしたら得られるのか分からない。いつも思うことだが、教育という分野は極めて幅広い、そしてさらに細分化された分野の専門家が存在して、自分はそれに対抗しようとしているので、どだい無理なのであると言いながら、自分を慰めている。忙しい忙しいと言いながら、今日も暮れていく。あっという間に1月も下旬になった。凡人は時の流れに身を任せるしかないだろう、日々を精一杯生きていけば何とか乗り切っていけるだろう、審査の合間に、メールを読んで返事を書き、思いついたことをメモ書きして、忘れないように手帳とクラウドのカレンダーに書き込んでいるが、多分このような作業が自分の脳がボケるまで続いていくだろうと思えば、正常に脳は働いてるのだ。ありがたいのだ。新聞に、壊れゆく脳持つ母は突然に仁王のような顔で怒りぬ(佐々木節子)の句があった。確かに認知症を患っている老人にはこのような症状がある。ということは、イライラしたり怒ったり不安になったりすることは、性格というより脳の仕業なのかとふと思う。人は病気になったら体のどこかが壊れているのだ、おもちゃの部品が壊れるように、人の体も脳も少しずつ形が変わっていく。仕事をしたり生活をしたりする上で、人間関係は大きな問題で、それが人を苦しめ悩むのだが、それは性格ではなく、また人間関係でもなく、脳や体の故障なのだと思えば、少し気が楽になるかもしれない。性格とは全人格を示す言葉だから、相手を全否定しなければならなくなる。そうではないと思った方が、人の生き方とすれば楽である。今日は精一杯仕事をした、そして自分の能力の至らなさを感じたが、それも脳が成せる結果だから、自分の能力が否定されたわけではなく、人間が劣っているわけではないと思うと、また明日も頑張ろうかと思う。人はずいぶん単純な生き物のようである。

年を取ると

 今日は土曜日、今は夕方であるが、晴天の冬空と違って朝からどんよりとした曇り空、そして昼間はずっと雨が降っていた。こんな時、人はなんとなく憂鬱になるのかもしれないが、自分は 意外にそうでもない。午前中に資料作りをやっていて、それが思いのほか出来が良かったからかもしれない。誰でも同じだと思うが、画面に向かって、あーでもないこうでもないと言いながら、資料作りをしている時には、独り言を言ったりするので、外から見ると多分変な人だと思われるだろう。資料作りでも何の仕事でも、画面と人との対話である。だから 自分の意識では、物理的な画面ではなく中にある情報なのだが、それは擬人化されている ような感覚と言ってもよい。あーでもないこうでもないとは、自分に言い聞かせ自分が答えているのだが、相手はやはり 画面の中の情報なので、バフチンの言う画面と自己対話しているのであろう。 年を取ってくると、いろんな機能が衰えるのは自然なのだが、 不思議に自分の専門の知識はあまり下降しているようには思えない。年齢にあった感じ方や考え方ができるので、それはそれで世の中に役立つこともある。講演を例に取れば、どこか 若い頃とは違った深さ、あるいは渋みと言っても良いが、別の味が出てくるような気がする。午前中にその仕事で少し自己肯定感が高まったせいか、外の天気はどうであれ内心は自分もまんざらではないと思っているようで、多少気持ちが弾んだ。その勢いに乗って、スポーツジムに行ったが 、この寒さと雨のせいか人はあまり多くなかった。そのためプールで長めに泳いだ。帰宅して、運動すると喉が渇くので冷蔵庫に冷やしてあるペットボトルの水とみかんを口に入れ、その後食卓にある沢庵やら白菜やら塩昆布やらをつまみ食いした。そうするとまた喉が渇くので、お茶を飲むのだが、これは熱いお茶でないと相性が悪い。そう言えば、午前中も仕事をしながら、頻繁に1階の居間に行って漬物とお茶でつまみ食いをしていた。この年になると、お菓子だの饅頭だの甘いものは避けるようになる、つまり嗜好品は年齢と共に変わっていき、気力体力なども衰えていくが、自分の専門だけはどうも別の法則に左右されてるようだ。こんな他愛もないブログを書いて少し恥ずかしいが、お許しいただきたい。全く文脈も離れているが新聞に、首輪 より三割引の札下げて子犬は見知らぬ我に尾をふる(鈴木興山)の句が目を引いた。思わず笑ってしまった。無邪気な子犬が可愛らしい 。自分が若い頃の年寄りのイメージは、縁側などに腰掛けて漬物とお茶を飲みながら、近所の人と世間話をし、暖かい日光を浴びて、ゆったりと過ごしている光景である。庭には子犬などが昼寝でもしてるような、そんな気がする。自分も毎朝、庭に雀の餌をやって雀が食べるのを眺めている。年を取るとは、そんな童謡のような世界に戻ることなのだろうか。 まあ生きているだけで有難いということか。

梅の花

今は月曜日の夕方だが、明日いろいろ忙しいので、今の時間にブログを書こうと思う。今日も素晴らしい冬空で、雲ひとつない晴天が毎日続いている。南向きの書斎の窓から外を見ると、マンションの規則正しい明かりが灯り、その背景は薄青色に西空の薄赤色が混じった、色鉛筆で描いたような空模様を映し出している。今の時刻はホッとして今日一日を振り返る時刻である。小さな一日でもいろんなことがあって、メールを見ると順調だと思うことと、あれっと思うことが混じって、意欲が湧かないようなメールを見れば、そっとしておこうと誰でも思うだろう。相手にも都合があり、こちらも都合があるから、両方とも満足のいくことは、この世ではなかなか難しいことなのだ。それでもちょっとしたことで気持ちが和らぐことがある。今朝庭にある梅の木を見たら、小さなピンク色の花が咲いていた。おお、もう梅の花か、少し早いが春の兆しが見えてきたかと、どこか嬉しくなった。毎日のように梅の木を見ていると、小枝の先に数ミリの小さな小さな赤い芽がついて、花が咲くのはまだ先だろうと思っていたが、今日その花を見て、あっと叫んだ。まるで生まれたばかりの赤ちゃんのようで、可憐で可愛くて、それでいて風が吹いても花びらは散らず、凛とした姿が日本人好みなのだろう。月曜日は朝刊に俳句や短歌が掲載されるので、いつも朝食の後、和室でじっくりと歌壇欄を読むが、誰でも同じような思いをするのだろうか、ちょうどぴったりの俳句があったので、引用する。陽を見つめ星に目つむり冬木の芽(小俣敦美)、冬木(ふゆき)とは冬の季語で冬枯れの一枚の葉もない寂しげな木の様子を隠喩しているらしいが、そこにちらほら芽が出てきて、そして小さな花を咲かせると、誰でも嬉しくなり大切にしたくなるだろう。そう思うと、いろんなことがあっても、まあいいではないかというような気持ちになる。オンラインで会議があり、原稿を書き、書類を整理したりしながら、俳句や短歌を読み、一日が暮れていけば平凡ながらありがたいのである。自分の椅子の後ろに加湿器があって、湯気が出口から斜め上方に向かって吹き出している。実は古い加湿器が壊れて、昨日電気屋に行って買ったのだが、少し小さめのものにしたせいか、どこか可愛らしい。小さなものはすべて愛されるようだ。小さな梅の花を愛で、新聞の俳句や短歌を和室で読み、書斎で加湿器から湯気が出るのを眺め、オンラインで会議をしたり原稿を書いたりしながら、一日が暮れていく。自分のやっていることは小さなことで、あまりお役には立っていないが、なんとか平穏無事にこれからも生きていきたい。今日のメールで、古い友人の訃報に接し、少し感傷的な気分になったが、自分はどんなことがあっても、生かしてもらえるなら末永くと思う。友のご冥福を祈りながら、自分の今の境遇は、まことに贅沢だと自覚した。今後は、不平を言うまいと思った。

人の優しさ

今は土曜日の夕方、書斎の窓から見える空は、と言っても真っ暗で何も見えない。久しぶりの休みだったので、久しぶりにスポーツジムに行って帰ってきて、昼間にやり残していた仕事の続きをしていたのだが、家内が1階から上がってきて、雪だよと自分に告げた。嘘だろうと言ったのだが、1階に降りて庭を見ると確かに真っ白になっている。そうか初雪か、どうりで寒いと思った、子供や犬は雪を見て喜ぶが、今時は能登地方の大地震を思い出してどうしているのだろうと、思いはそこに行ってしまう。さぞ寒かろうと思う、こんな日は暖かい料理がことのほか嬉しく心が和むだろう。被災地を映し出すテレビ画面の中でも、食事時の湯気の出ているような暖かい料理を映し出していた。学校の給食のようにお椀にたくさんの食材が入っている汁物を入れて、全員に配布しているのだが、もらったお年寄りが頭を下げてお礼を言っている。もちろん日本人なら当たり前の光景だが、ふと思う。なんと日本人は礼儀正しいのだろうか、どんな時でも相手に対して礼をつくすのは、古いと言われようとなんと言われようと世界に誇れる美徳である。私たちの祖先からずっと受け継いできた、若い人たちに伝えていきたい優れた文化である。今日もスポーツジムでシャワーを浴びていたら、自分の前に使っていた人が、すいませんシャワーの下に下着を忘れていたのでと、下着を取りに来た。自分ももちろんどうぞどうぞと言って返事をしたが、その人の恥ずかしそうな表情やいかにも申し訳なさそうな声で、シャワー室に入ってきたので、そんなに恐縮しなくてもいいのにと思ったが、なるほどこれが日本人なのだと妙に納得した。そんな言葉遣いや仕草から、この人もきっといい人なのだなぁと思った。こんな些細なことでもどこか心が温まる。能登の被災地は歯がゆいぐらい厳しい環境ばかりで、天は助けてくれないのかと思うのだが、テレビ画面に映る人々はどこか柔和で他人への思いやりが豊かな日本人の原点のような人たちで満ちているような気がする。新聞の編集手帳に、俳句や短歌ではないが、紹介されていた。被災せし老婆の口をもれいづる「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」そんなことを言わなくてもいいのにと、誰でも声をかけたくなる。今回の大地震のニュースを映像で見たり新聞で読んだするたびに、日本人の優しさと人間としての素晴らしさを感じた。自分も日本人で良かった、なんとか被災地の人たちに手を差し伸べたいが、どうにもならない。ただ一日でも早く一刻でも早く日常生活に戻って欲しいと願うばかりである。この世にはどうにもならないことも多いが、瓦礫や壊れた家などの無残な光景の中にも、清楚で美しい花があちこちに咲いているのかと思うと、心が救われるような気がする。

仕事始め

今は1月9日火曜日の夕方で、手帳を見ればブログを書く時刻である。自分も昨日までオンラインもなく対面での仕事もなく、主に自宅で研究や仕事や庭いじりをしていた。これはこれで楽しい時間で、論文を書いたり審査の仕事をしたり、手帳のスケジュールを見れば、ほぼ予定どうりの進行でほっと一息ついている。長い休日を心待ちに待っていたのは、まとまった仕事をしたかったからで、今1時間余裕があるからすぐに論文を書いたり審査の仕事をしたりできるわけではなく、頭がその状態にまで達していなければ、何も入って来ず何も出すことはできない。つまり状況と自分の認知状態がほどよい関係になっていないと、頭も働かず手も動かない。そのことは多分誰でも経験しているだろう。長い休日は、そのまとまった時間があるという心の余裕があって、背中から押されているような気掛かりがないことなのだ。それが嬉しい。手帳では今日は仕事始め、午後に教育センターに出かけて打ち合わせをし、その後オンラインで会議があった。その間にメールのチェックをして、添付ファイルを保存し、関連する資料を検索して追加する、そしてあっという間に夕方になってしまう。昨日までの心の余裕はどこにいったのだ、と思っても、状況は待ってくれない。仕事とはこういうことかと改めて感じる。不思議なことに、そのような状況になると脳の認知状態がそれに適応して、そこにある種の快感すら出てくる。人間とは、なんと外的な状況に見事に適応できる生き物なのだろうかと感心する。休日であれば休日のように、仕事があれば仕事のように、研究であれば研究のように、打ち合わせであれば相手に合わせて臨機応変に自由自在に自分を変えることができるのかもしれない。しかもそれがどこか心地良いのだ。昨日までの自分と今の自分は、全く生き方が違うような気もする。永遠に同じ自分ということはないのではないかと思う。季節が移り、雨や雪が降り、時に大地震が起き、暑くなったり寒くなったり、自然は自由無限に変化していき、人はそれに合わせてそれなりに生きるすべを身につけて、なんとかこの地球で命を永らえていくのだろうか。といっても能登半島の大地震で亡くなられたり避難生活をされている方には、申し訳ないと思いつつ、人の持つしたたかな適応能力を発揮して生き延びてほしい。文脈は離れるが新聞に、秋の木は葉が散り尽くす終止形冬木は花を待つ未然形(武藤義哉)の句があった。なるほど自然の循環を終止形や未然形という文法で表現して、読む人の心にすっと入ってくる。こういう人を文才があると呼ぶのだろう。自然の循環システムでは、木も花も確かに環境に適応して自らを変えていくのだから、人間も同じなのだろうと思えば、状況の変化に逆らわない方が良いのかもしれない。90歳の老婆が家の下敷きの柱の中から助け出されたという。奇跡の生還だという。この時の老婆の心境はわからないが、あるがままに身を任せていたのかもしれない。これから先、我が身にもどんな事態が起きるかもわからないが、最大限の努力はするが、後は状況に任せるしかないのだろう。そう達観したい。

能登の大地震

今日は7日日曜日の朝である。 変則的な時刻にブログを書くのは 諸事情のためだが、 昨日 一昨日と仕事で忙しかったので時間が取れなかった。 正月も三が日が過ぎれば 平常モードに戻るのだが、人はなかなかその切り替えが難しい。玄関のお飾りは今日までなので、 少しお正月の 気分は残っているが、 今年は特別で、元旦の石川県能登の大地震と2日目の飛行機事故で普段のお正月とは違った緊張感があって、今年の日本はどうなるのだろうと少し不安になってくる。多分誰も同じ思いをしているのだろうと思うが、ニュースを見るたびに地震の被害が大きくなり、行方不明者は絶望的な状況になってることを思うと胸が痛くなる。何しろ この寒さである。 特に北陸地方の天気は、今日は雨か雪だとテレビで報じているが、なんと神は無慈悲なのか、少しは優しい手を差し伸べてくれないのかと、天を恨んでみたくなる。それでも人は生きていかなければならない、悲しんでいてばかりだと、何も問題は解決しないのだ。それは厳しいけれども 自分を奮い立たせるしか他はないのかと、ニュースを見るたびに思う。小さなことだが、昨日一昨日はどうしてもやっておきたい審査系の仕事があって、朝から夕方まで集中した。一昨日前までは、論文の準備をしていた。それは自分の楽しい仕事というか 研究なので、どこかわくわくした気持ちだったのだが、これが仕事になるとその切り替えが難しい。その時、よしと 自分で自分を奮い立たせ叱って決意するしかないのだ 。土曜日のスポーツジム も止め、金曜日の散歩も外出も止め、 全てそれに集中しようと自分で自分に言い聞かせた。そんな小さなことでも、この年になってもなかなか難しい。しかし 昨日の夕方で、ようやくなんとか目処が立った。だからブログが書けなかった。日曜日の朝に書くのは初めてかもしれない。被災地の皆様には申し訳ないが、 全国の人たちが皆さんを応援している。直接支援はできなくても、せめて気持ちだけでも手助けしたい。人が求めているのは、誰かが応援してくれていることかもしれない。そのことが分かっただけでも、生きる勇気が出てくるのだ、よしやってみようという決意ができるのだ。新聞に、きっと誰か共に見てゐる冬の星( 中野博夫)の句があった。その通りである。全国の人たちが見守っている。そしてそのことは自分たちにとっても勇気を得ることなのである。能登の人々のことを思えば、こんなことは何でもないことだ、苦しいことなんか何にもない、厳しいことも何もない、審査系の仕事を暖かい 書斎でできるだけでありがたいと思うのだ。そう考えると、人と人がつながり 、人が人を大切に思うことは、自分を大切にし、生きる希望を得ることである。今頃、能登の地域には 雨や雪が降ってるかもしれない、それでも生きる勇気を持ってほしい、頑張って乗り切ってほしいと切に願っている。全国の人々が応援している。

肝っ玉母さん

今日は1月2日、時刻は夕方といっても外はもう真っ暗で夜である。まだお正月なのだが、その気分はどこかに吹っ飛んでしまった。とは言っても、心中はなかなか複雑である。大晦日恒例の紅白歌合戦やら、にぎやかな番組で華やいだ雰囲気の中で、昨年一年を見送った。里帰りした子どもたちや孫たちと一緒に楽しんだが、年齢には勝てず、午後10時になったら、もう床についた。久しぶりの日本酒が効いて楽しい夢でも見るかと思ったが、現実はとんでもない自然災害が起きた。お昼はお正月らしい雰囲気の中で、ワイワイガヤガヤ近況の報告をしたり楽しい思い出を語ったり厳しい仕事の話をしたり、それはそれで幸せな一時だった。その雰囲気をテレビ番組が突然に釘刺した。緊急避難してくださいという声はどこかうわずっており、平静が売り物のアナウンサーにしては失格とも言えるような感情的な声であった。石川県能登地方を中心に大地震があり、津波が起き火事を起こし道路が寸断されるという災害予報であった。NHKもすべての民放も、この地震速報でうめられて、元旦の特別番組はすべてキャンセルされた。民放ではスポンサーに対してどのような対応するのだろうか大損害なのだろうなどと、つまらぬ連想をしたが、地震速報で元旦気分が一掃された。しかし人間とは誠に現金なもので、子や孫に囲まれ美味しい手巻寿司に舌鼓を打ち、美味しいお酒を飲んで談笑してるうちに、テレビの緊急速報も上の空で、いいお正月だななどと呟いたりした。人は悲しいことも嬉しいことも辛いことも楽しいことも一緒にして、乗り切れる特性を持っているらしい。そうでなければ生きていることは難しいだろう。肝っ玉母さんのようにうろたえず堂々と世間を渡っていく根性が誰でも持っているらしい。今日は1月2日、お宮参りをして一年の無事と平穏を祈りつつ、お賽銭をあげて例年のように楽しんだ。おみくじを引いてこれが正月だなあと思った。当たるはずはないとは思いながらも、吉と出れば喜び凶と出ればがっかりするのは人の常である。当たるも八卦当たらぬも八卦のことわざを知っているから気休めなのだということは、吉であろうと凶であろうとおみくじだということが、肝っ玉母さんのような大らかな気持ちにさせるのである。今日の午前中は、箱根駅伝を見ながら地震のニュースも見ながら家族で雑談をした。そこに何の矛盾も感じないのは、人はそのようなものだからとしか言いようがない。文脈は全く離れるが、元旦の分厚い新聞には歌壇の欄はない、その代わり編集手帳に清少納言の文章、いと寒きに、火など急ぎおこして、が引用されていた。暖を取るために薪か炭火に火をつけたのであろう、現代ではエアコンのスイッチを入れて部屋を暖かくすることだが、昔も今も変わらない、寒いなといいながら暖をとることの嬉しさが伝わってくる。昔も今も幸せなひと時もあれば自然を恨みたくなるようなむごい出来事も起きてくる。そして時が過ぎ、大晦日にまた一年を振り返るのだろう。喜びも悲しみも自分の身にもやってくるだろう。その時はまた精一杯乗り切っていきたい。できれば肝っ玉母さんのようなどっしりとした気持ちで対応できたら、今年一年は安泰だろう。この寒い夜に家を焼かれた人々の悲しい気持ちに同情しながらも、申し訳ないが身内の幸せを願うのは、凡人であるがゆえにお許しいただきたい。

良いお年を

今日は12月29日今はその夕方、西側の窓から見える空は少し赤みがかって薄青色とのグラディエーションが美しい。文字どうり年の瀬である。後数日で今年も暮れる。平凡ながら月日の経つ早さに、ただただ驚くばかりである。今年はどんな年だったのだろうかと誰でも振り返るが、まあ良い年だったのではないか、正確にいえば良いというより有難いという言葉がふさわしい。自分の年齢でまだ仕事があったり研究ができたり、少しずつではあるが前に進んでいると自覚できることが嬉しい。それは自分の力では到底なく、人の助けを借りたおかげであることは疑いようがない。人は少しでも進歩したと実感できれば生きていた甲斐があったとか、これまでやってきたことは無駄ではなかったと言える。たったそれだけのことで人はこの上なく嬉しくなる。それはオーバーではなく真実である。自分が拙いけれども講演をした後、そのことをいつも感じていた。今年は講演の数が多かったのだが、後悔したり自己卑下したり自尊心が低くなったりすることが少なかったからである。理系の大学にいた頃、大学院生たちと一緒に研究に邁進した。寝ても覚めてもと言ってもいいだろう。しかしそれが何の意味もなかったら自分はこれまで何をやってきたんだろうかと、悔やむに悔やみ切れない思いがするだろう。これまでの努力が何の意味がなかったとすれば、次に進む勇気も出てこないだろう。実はそんな気持ちが、講演をしたり原稿を書いたり出版をしたりする毎に湧き起きて、自分を苦しめてきた。しかしこの二年くらい無駄ではなかったのだ、これで良かったのだと思えるようになった。何がどうなんだと多分読者の皆さんにはわかりにくい表現なのだが、それは研究と実践のギャップと言ってもよいのだが、ブログで書いても自分の気持ちは伝わらないだろう。今年一年を振り返って、講演の後にああ良かったこれで少しは人様の役に立ったかと思うことが多かったからである。そんな風に自分を認めることができたからである。自分と付き合いのある人は、こんなことを言うとほとんど信用しない。外見を見ると自信を持って話をしたり議論したり司会をしたりしているので、そんなことはあり得ないと私に言う。一昨日27日の懇親会でもそんな風に言われた。しかしこれは真実であり、自己肯定観を持てるようになったのはこの二年ぐらいからである。自分のやってきたことに意味があると思えることは、こんなに素晴らしいことなのか、有頂天になるような気持なのである。それは感謝するという言葉がぴったり当てはまる。だから今年一年を振り返って、こんな自分でもお役に立ったかとか仕事があるとか少し新しい知見を得たとか、そのことがいかに自分の心を弾ませるのか、外から見ている人にはわからないかもしれない。文脈は離れるが、新聞に、落ち葉掃く媼(おうな)に時給アップの報(ほう)(天童光宏)の句があった。おばあさんが仕事をしている。落ち葉を片付ける仕事で時給で給料が決まるのだが、その時給がアップしたという知らせを受けて、おばあさんの嬉しそうな笑顔が目に浮かぶ。これで少し暮らしが楽になる、孫に土産の一つでも買えると思っているかもしれないが、それ以上に自分のやっている仕事をちゃんと認めてもらえたという喜びの方がはるかに大きいだろう。これでもっと頑張って落ち葉拾いができる、見ている人はちゃんと見てくれているのだ、自分がやっていることは意味があることなのだ、決して無駄ではないのだという思いが伝わってくるが、それは今の自分の気持ちと同じである。毎日お風呂上がりの十分程度の時間で小説を読んでいるが、その小説は戦国時代の武士の生き方を書いているが、心情的には全く同じである。自分の生き死によりも、自分のやっていることに意味があるのかと問い続けているような気がする。一番残念なのは無駄死にであるが、それが名誉であれば死を恐れることはない。それはそこに意味があるからである。今年一年を振り返って自分のやってきたことも意味があったのだと思えるだけで、これ以上の喜びと感謝はない。本当に有難い年末である。後数日で今年も終わり新しい年が明ける。子どもたち孫たちも元気な顔を見せてくれるのか、布団干しやら料理やら大掃除やら気ぜわしい数日が、老夫婦にとって極上の幸せの時間である。皆様も良いお年を。