帰り花

 今は火曜日の夕方、少し日が長くなったせいか、書斎の窓から見る空は、薄い青色と灰色のグラデーションで、西の方角は少し明るい。久しぶりに今日は学校訪問があって授業を参観し、そのコメントを午前中に送った。これは地元の学校への奉仕活動のようなもので、GIGAスクール構想で1人1台端末が整備されて以来、教育センターに協力して授業改善のお手伝いをしている。もう5年近くになっているので、自分の仕事として脳にインプットされている。

 公立の小中学校の授業は、12月は中旬まで1月は中旬から始まるので、約1ヶ月間の空白がある。もちろん専任の先生方は授業以外の仕事もあるので忙しいが、自分と教育センターの担当指導主事は授業だけに関わっているので、今日はちょうど1ヶ月ぶりだった。誰でも同じだと思うが、長い間の空白があると、そこに復帰するのはなかなか腰が重い。その間に別の仕事や研究をしているので、頭の切り替えが難しい。それは机の上のパソコンに向かっている環境と、生徒たちが学んでいる教室の環境が違っているからだ。環境によって脳の働く部位が違う。

 先生と生徒たちが、黒板やタブレットなどを使いながら授業をするのは、何が起きるか分からない。生きている環境である。今日は中学校だったので、発育盛りで伸び盛りの若い生徒たちは、先生や自分たちとは違う発想やエネルギーを発散している。それをうまくまとめ、拾い上げ、形を作っていくのは、先生の役割である。それは大まかな台本を下敷きにした演劇である。自分はいわばその舞台を見ている観客である。素晴らしい演劇を見れば、誰でも感動するし、それを体験したいために、入場料を払って劇場に入る。自分は有料ではないが、似たような世界だと思っている。

 自分は演劇評論家のようなもので、その感想を学校にメールで送る。先生方も忙しく議論する暇もないので、文章にして添付ファイルで送っているが、それは自分の宿題のようなものである。ただどんな授業でも、必ず気づきがある。こんなことは分かっていると思っていても、こんなレベルしか分かっていなかったのだという気づきである。それは自分にとっては小さな宝物である。机の上のパソコンの中の論文と、生きた生徒たちが織りなす物語の違いだろう。そういうことだったのかという気づきは、この生きた演劇と役者からのご褒美である。今日もそんな気づきがあった。

 そして自分はこの歳になっても、まだそんな夢のようなことを追いかけているのかと苦笑することがある。本当にそれは夢なので、このブログでは書かないが、今でも追いかけている。先ほど、ゆっくりとしたジョギングから帰って、冷たいお茶とグレープフルーツを食べて、一息ついた。その時、自分は贅沢な生活をしていると思った。金銭的なことではなく、運動もし、頭も使い、そしてまだ夢を追いかけているという贅沢さである。文脈は離れるが新聞に、「雨降りてあの桜坂帰り花」(中島紺)の句があった。撰者の評に、桜坂は、アイドルの名前か歌かなどと書いてあった。自分は桜坂のことは知らないが、春の頃は、薄桃色の桜が咲いて、この坂を行き来する人々は誰もが喜びで満ち溢れていただろう。そして桜の花びらが散る頃は、この坂は絨毯のように花びらで覆い尽くされていただろう。ネットで調べたら帰り花とは、季節はずれに咲く花で冬の季語だという。そこに雨が降っている。冬の雨は寒く冷たい。それでも狂い咲きのように花が咲いていたとすれば、どこか侘しいが応援したくなる。

 自分ももう老いて、それでも夢を追いかけているとすれば、それは小雨の降る道に咲く帰り花だろうと思う。自分の知り合いや子供たちも、こんなブログを読めば、驚くか年寄りの冷や水だと思うかもしれない。だから今日のブログを書くのは少し迷った。本当は隠しておきたかったが、日記なのでいいだろう。どんな夢かは笑われるので、止めておく。

小さな負荷

 今は金曜日の夕方、いつもの通り2階の書斎で南向きの窓から景色を見ている。近所の住宅の向こうに、マンションが見える。先ほど数えてみたら6棟もあった。この所沢市内はなぜか大都会並みのマンションが立ち並び、人口も減っていないようだ。所沢駅近くの小学校の児童数は1000人を超えている、というから驚く。自宅は、所沢駅から電車で3分の駅が乗車駅で、駅から近い。どの地域でも駅近くにはマンションが林立して、朝夕は通勤する人で賑わう。自分はフリーランスという立場から、ほとんど通勤することはないので、混んだ電車に乗らなくて済む。

 歳をとってくると誰でも同じだが、電車通勤はしたくない、人ごみの中に居たくない、騒がしいテレビ番組は見たくない、などとずいぶん勝手なことを言うようだ。振り返ってみれば、若い頃はよく朝早くから夜遅くまで出かけていたと感心する。電車が混むのが嫌で、朝6時前に家を出て、大学のある駅前のコンビニで小さな朝食を取っていた。冬の頃は、おでんが大好きで、こんにゃくや大根などを買ってコンビニの前で食べていた。これがもう絶品の味で、お腹が空いていて、背中を丸めるような寒さの中で、温かいおでんを食べるのは、これ以上の幸せはないような気持ちだった。そんなに朝早く出かけなくても良いのだが、早起きは三文の徳とばかり、早めに研究室について仕事をするのが自分の性に合っていた。

 大学に来る前は高校の教師だった。若かったから廊下を常に走っていたような気がする。走らなくても授業には間に合うはずだが、そうしないと何か調子が出ないような気持ちだった。あるときベテランの女性の先生から、皮肉を言われ注意されたことがあった。教師はもっと生徒の手本になりなさいというような言葉だったと思うが、あまりピンとは来なかった。そんな癖が今でも続いているのかもしれない。先ほどジョギングから帰って来たばかりである。散歩する年配者は多い。自分はどうも散歩するのは時間の浪費のような気がして、ゆっくりながらジョギングをしている。体に負荷がかからないと、醤油をかけない刺身のような感じで、自分の性分に合わないのだ。

 といってもジョギングのコースは、西の方向にある通称、春の小川と呼ばれている場所の向こう側までの往復である。なぜこのコースが好きかといえば、自宅の近くに小川が流れていて、その川沿いに小さな道があり、その両脇には昔ながらの農家や畑などがあって、童謡の歌詞に出てくるような風情なのである。小川には白鷺や鴨がいて、寒くないのかなどと思ったりする。大きな白壁の蔵があって、昔は庄屋だったのかなどと思う農家もある。一面の麦畑があったり、グレープフルーツの木があったり、ビニールハウスが畑に点在していたり、走りながらそれらの光景を見ていると癒される。

 だから年寄りのジョギングは、癒しも兼ねているので激しい運動ではなく優しく、しかしながら小さな負荷を自分にかけて、健康を保とうとするのだ。しかし癒されるだけでは人は生きてはいけない。小さな仕事でも研究でも良いので、頭に負荷をかけることもまた大切である。満員電車には乗りたくないが、ゆったりと座れる座席がある電車なら乗るだろう。同じように仕事でもジョギングでも、ゆったりとした気持ちで対応したいのが老人の本音だろう。確かにそれは身勝手で贅沢な願いかもしれないが、人にはそれぞれに合ったやり方がある。それは自分と身の回りとの調和である。

 新聞に、「夜学生へチョーク一本熱弁す」(今泉準一)の句があった。作者は若い頃の自分を思い出したのか、あるいはそんな熱血教師がいたことを思い出したのか、どこか正義感を身に纏ったような教師はどこにでもいる。自分もそんな教師の一人だったかもしれないが、年を取ればその姿も変わっていく。ただいくつになっても、自分の芯を貫いている信条や信念などは変わらないような気がする。それは身の回りや状況に合わせながらも、多少なりとも人のお役に立てばよいと思うからである。お役に立てれば、それが老人への最大の報酬である。

 

 

 

老いた研究者

 今は火曜日の夕方、いつもの通りだが、書斎の窓から見える空は真っ暗である。先ほどまでメールを見たり、明日のオンラインの準備をしたりしたので、ブログを書く時間になっても用事が済まなかった。お正月も終わったのだが、学校の授業はまだのようで、自分も来週から学校訪問をする予定である。だから今週は比較的時間の余裕があって、自分なりの研究的な仕事をしている。どんな小さな研究でも、ルーチンワークの仕事とは違って、新しいアイデアや結果を出すことがミッションなので、それなりの努力をしなければならない。

 研究とは面白いもので、あーでもないこーでもないと、もやもやしている内に、どこかヒントが生まれて、小さな発見がある。発見というと大げさなので、気付きと言ってよいが、その瞬間がこの上なく嬉しくて、この歳になってもまだ続けている。どんなテーマなのだと聞かれても、企業秘密のようなものなので、このブログでは書かない。子供が秘密基地に自分の宝物を隠すようなもので、公開するまでは誰にも話さない。また研究は、ケチをつけようと思えば、いくらでも付けられる。歳をとってくるとそれが嫌で、研究発表などはほとんどしない。公開するとすれば論文である。論文ならば面と向かってやり取りすることはないので、メンタルの負担が軽減されるからである。

 今日も午前中、データを元に資料を分析したり文献を調べたりしていたのだが、どうもしっくり来ない。どうしても腑に落ちず、明確に切り分けることができなかった。その理由を説明するのは難しく、たぶん伝わらないので、自分の感じ方だけを述べる。今取り組んでいるテーマは、まるで雲の中を歩いているか、もやのかかった霧の中でさまよっているようで、ぼんやりとした形だけが浮かんで見える。若い頃はそうでもなかった。何かもっと明確に、切れ味の良い刀でスパッと処理するような研究だったような気がする。そのような研究であれば、論文にしても発表しても、誰もが納得するだろう。なぜなら本人も査読者も読者も、共通基盤があるからである。

 生成AIの回答の仕方は、切れ味の良い刀で切っていると感じる。それは言葉の世界で処理しているからだろうと思う。ビッグデータはほとんどが言語なので、そこに論理が横たわっている。つまりサイエンスなのである。言葉と言葉の関係を組み合わせ、論理的な処理をして回答すれば、それは科学的な論文と同じである。したがって多少のハルシネーションはあったとしても、生成AIは自信満々に答える。それはまるで新進気鋭か、脂の乗り切った研究者の書いた論文のようである。論理の世界では間違いがないので、そのような世界になるのだろうと思う。自分も若い頃はその通りだった。

 ところが人の世を長く生きていると、特に教育はサイエンスが半分で、残りは未知だと気が付く。正しくは未知ではなくて、アートだと思っている。これを書くスペースもないので省略するが、人の織り成す営みは、科学や論理が半分、残りはアートだと思う。学校に行って思うことは、毎時間の授業は、教師と生徒の作り出す芸術であり、作品であり、どこか感動がある。昨日の新聞に、「寅さんのラストシーンのような空 貧しくたって青かった空」(桃井恒和)の句があった。若い頃はこの通りである。迷いがないのだ。まっすぐに自分の道を進む姿が、どこか眩しい。誰も辿ってきた道であり、歳を取ってきて振り返ると、真っ青な空のような透き通った光景だったのかと思う。しかしあえて言えば、今の年齢でしか見えない世界もあり、それを言葉で残し伝えることも、老いた研究者の役割なのかもしれない。

八百万の神

 今は土曜日の夕方、いつものように南向きの書斎の窓から空を見ている。1月3日なのでまだ三が日ではあるが、自分は今日から平日の感覚に戻っている。少しだけ日が長くなったのか、真っ暗ではなく青みがかって西方向はほんのりと黄色のグラディエーションの空である。こんな夕空を見ていると、お正月ももう終わりかという気持ちと、何かしなければという平日の気持ちが混じって、ホッとするようなけだるさと、きちんとブログを書かなければいけないという小さな緊張感が混じっている。

 先ほどいつものように、スポーツジムから帰ってきたばかりである。元日と2日は、今日と違って、お宮参りをしたり、昼間からお酒を飲んで昼寝をしたりした。今年は子どもたち孫たちも泊まることはなく、お宮参りと昼食を一緒にしただけであった。それでも久しぶりに話をすると、アルコールのせいもあって、嬉しくなったり陽気になったりして、暖かい日差しが注ぎ込む部屋で話をすると、あっという間に時間が経ってしまった。子や孫のことを聞くと、それは俺の親父とそっくりだ、それは俺の遺伝かもしれないなどと、いつの間にか饒舌になった。これがお正月なのだ。どの家庭でも似たようなものだろう。

 考えてみれば、12月のクリスマスはキリスト教、31日の除夜の鐘は仏教、お正月のお宮参りは神道で、日本人は1週間でいろいろな宗教に出会う。そういえば昨日今日の箱根駅伝では、山の神がいた。八百万の神と言うように、山でも海でも川でもすべてに神が宿り、そしてそれを敬う。自然と共存する日本人の特性なのか。自然は美しく神秘だけでなく、猛威を振るうこともある。だから八百万の神としてあがめて、仲良くしようと思ったのだろうか。その思想は、多分自然だけでなく、地域に暮らす人々の生活の中にも入ってきて、助け合う協調性が日本人に生まれたのだろうか。

 遠い祖先の日本人たちは、協力しなければ生活できず、まるで親兄弟のように、地域の人たちは、嬉しい時は喜びを分かち合い、悲しい時は慰め合い、大変な時は協力し合ってきたのだろう。年末と年始のテレビ番組で、厳しい自然災害を経験している人たちが助け合っている姿を目にして、こうやって昔から日本人は乗り越えてきたのかと思った。地域の人たちは、まるで身内のような感覚を持っているのかもしれない。子どもや孫が頑張っていれば、自分のこと以上に嬉しくなり、壁にぶつかってもがいていれば、応援したくなることと同じだろう。

 八百万の神という、自然とも環境とも地域の人々とも、一体感を持って協力して困難を乗り越えようとすることは、素晴らしい日本人の特性ではないか。そして自分は振り返ると、身内には一体感があっても、他人に対してはそうではないと自省した。仏様でも神様でもないので自省しなくても良いのだが、昨日話をしていてふと思った。「隣の芝は青く見える」諺を思い出し、その通りなのだ、一点の不安も困りごともない人は誰もいない。近所を見ても、同僚を見ても、皇族や有名人を見ても、誰も同じである。そう思ったら、他人が少し身内に近くなるような気がした。昔の日本人はそのことをよく知っていて、助け合ってきたのではないか。せめてお正月ぐらい昔の人を見習おうと思い、できれば長くその気持ちを維持したいと思った。

 お正月の新聞には読者からの投書がなかったので、約2週間前に掲載された句を引く。「嫁入り前母と歩いた落葉道「カサカサ」の音今も聞える」(高橋芙美子)。作者にどんな感慨があったのか、もっと頑張らなければならないと思ったのか、母親ならどんな時でもいつも味方になってくれる、優しく元気づけてくれる、そう思ったのかもしれない。なんと身内は有難いものだろうか。脈絡は離れるが、歴史を見ても今の世界を見ても、戦争が絶えない。なんとか身内のように、助け合い協力し合い手を取り合うことはできないものか。「隣の芝は青く見える」と錯覚しているだけではないのか。戦争の犠牲者は、未来を生きていく幼子や子どもたちである。

明日は大晦日

 今は12月30日の夕方で、静かに暮れようとしている。月並みだが月日の経つのはあっという間で、明日はもう大晦日である。歳をとってくると日々の生活に大きな変化はなく、今日も平日と変わらない過ごし方をしている。午前中は書斎で仕事をし、午後は少しだけの掃除と買物とスポーツをして、夕方を迎えている。

 近所のスーパーに少しばかりの買い物をして帰る時、小川の向こうにはっと息をのむような美しい夕焼け空が見えた。小川には鴨がいて、川向こうのオレンジ色の空と、寒々とした黒っぽい水の流れが、今年の終わりを告げているような気がして、ふと足を止めて見ていた。今年もいろいろあったが、まあよいではないかと思う。自分の感じ方も、この頃は賑やかで晴れやかさよりも、静かさや何気ない物憂さの方に惹かれることが多い。テレビ番組も、年末になると長時間番組で派手な演出が多いが、自分はどうも苦手である。NHKの小さな旅などの平凡でどこにでもありそうな風景と、肩を寄せ合って助け合っていく人たちの姿が、この上なく尊く見える。

 午前中は、ある学会の依頼で資料を集めて原稿を書く準備をしていた。原稿というより、学会なので論文である。論文となると心構えが違っていて、形式もほとんど決まっているので、自由奔放というわけにはいかない。特に参考文献が重要で、その文献を読むことに膨大な時間がかかってしまう。何日かの時間をかけてようやく構成を作り、参考文献も織り交ぜて、いよいよ今日から原稿執筆にとりかかることになった。自分の感覚では、準備の方が大変で、参考文献と図表など必要な資料が揃えば、それ以降はそんなに難しくはない。それは材料を集め手筈も整えて、あとは手順通りに煮炊きをする料理に似ている。できあがりが美味しいかどうかは分からないが、それは反面楽しい作業かもしれない。

 論文の構成はほぼ決まっているのだが、今日はなぜか原稿の流れが違った。材料の準備ができれば、後は型にはめるだけと思っていたが、はじめの書き出しから文章が流れて型にはまらないのだ。論文の形はわかっている。しかし水が形に沿わないで思わぬ方向に流れていくような感じだった。もちろん完成しているわけではないが、なぜだろうと自分を振り返った。原稿を書く前は、PDCAサイクルのように、計画を立て、その通り実行し、計画に外れてないかチェックして修正する予定であったが、それが崩れた。学会依頼の論文ならば、裃(かみしも)を身につけなければならない。それがまるで庶民の普段着のような着物だとしたら、笑われるかもしれない。

 歳と共に、自分の感じ方が変わってきたとしか言いようがない。演出を凝らしたテレビ番組よりも、庶民の日々の生活を映し出す映像の方に惹かれることに似ている。準備はする、それなりの参考文献もオリジナルな考えも含まれているのだが、きちっとした論文構成にすることに、小さな違和感を感じるのだ。観光地に行って目を見張るような晴れやかさよりも、小川の向こうに見える茜色の空の方に美しさを感じることに似ている。ふと思う。PDCAは計画を立てる時に有効だとは思うが、実施する段階ではそれほど意味はないのではないだろうか。我々の生活はほとんどが計画通りにいかないからである。振り返ってみたら、今年1年の出来事も計画書にはなかった。

 今日と昨日の新聞には歌壇・俳壇欄がなかったので、2週間前の新聞から一句を引く。水道にぼろ着せるなり冬支度(小川月子)。水道水が凍らないように、寒さが厳しい地域では、このような準備をするのだろう。そこに暮らす人々の優しさと庶民の知恵がある。全国のいろんな地域で、新年を迎える準備が進んでいるだろう。脈絡はないが、自分は日本人に生まれて良かったと思った。

外の世界

 今は金曜日の夕方、いつものように書斎の窓から外を見ると真っ暗で、冬至から数日しか経っていないので日の暮れるのが早い。朝夕はめっきり寒くなった。危険な暑さとか猛暑と呼ばれた夏も過ぎ、暖冬と言われながらも、ここ数日は冬の景色になって、北国では大雪注意報が出ている。太平洋側の地域でも、雪は降らないが寒さが身にしみる。一昨日は一日中雨で一段と寒かった。自然にやはり例外はないようだ。

 明日土曜日にブログを書くのが通例だが、月曜日に書いたので4日目なので良いかと思い、パソコンの画面に向かっている。昨日木曜日の夕方オンラインの打ち合わせがあって、それが仕事納めであった。水曜日も定例のオンラインのイベントがあった。正直に書けば、このイベントは自分は苦手な分野だったので、少し気が重かった。雨が降る寒い一日だったからかもしれないが、どうしようかと迷っていた。誰にでも同じような経験があるだろう。苦手な分野で対談をすると、不安になる。いつもは臨機応変に対応すればよいのだと思っているから、ほとんど準備しないで対応してきた。

 しかし一昨日は違っていた。何の資料もなくその場で対応するには、自分の知識が乏しすぎる。心のどこかで逃げたいとか、早く終わってゆっくりお風呂に入りたいとか、そんな思いが頭の中をぐるぐる回っていた。そしてふと思いついた。自分に知識がないなら調べればよいではないか、という当たり前の対応策である。さっそくネットで調べたら、ああ、こういう事なのか、なるほどそういえばこんなこともあった、といつの間にかその世界の中に入っていた。自分に知識がないだけ、乾いたガーゼに水が染み込むように、自分の脳の中に入ってきた。それは楽しい作業だった。何か嬉しくなってオンラインで対談したら、相手の先生の話はさらに予想を超えた内容で、素晴らしいの一言であり、自分は感銘を受けた。

 その後、自分はなぜあの時調べればよいのだという平凡なことに気づかなかったのか、気づくまでに悶々と一人相撲をとっていたのか、と考えた。そしてそれは、いつも通りでよいという思いから抜け出せなかったからである。事前に調査するという作業は不要だという思い上がりだったのだ。習慣化された行動や考え方は、それが当たり前と思っているから、そのこと自身を疑う目や耳はもっていないのだ。専門家とか高齢者になれば長い間その世界で生きているので、それ以外の世界が見えず聞くこともできないのか。それは怖いことではないか。自分の世界から外へ目を向ければ、あれほど不安だったイベントが感動に変わる。

 文脈は遠く離れるが新聞に、家々の柿の明かりにつつまれぬ(芝岡友衛)の句があった。最近はあまり見なくなったが、農家の軒先にたくさんの干し柿がつるしてあって、それが黄色に赤紫が混じった鮮やかなオレンジ色で、今時分の冬の青空をバックにすると、そのコントラストが目にしみるような感じがする。渋柿があの甘い干し柿になるのかと思うと、なぜか心が豊かになる。そしていつまでもこの平穏な日々が続けばよいのにと思ったりする。作者は、干し柿という明かりに包まれたような幸せそうな家々だと感じたのかもしれない。日常生活の中で、ふと平和な家々だと感じたのだろうか。それは非日常的な感覚かもしれない。自分が別世界のように感じたイベントも、同じ非日常的な感覚だったような気がする。山に登ってその頂上で下界を見ているような感じで、平地に住んでいればその感覚は出てこない。あと数日で今年も終わる。今年一年の自分を振り返ってみたい。

 

決断

 今は月曜日の夕方、書斎の窓から見る空は真っ暗で、マンションの灯りだけが規則正しく輝いている。月曜日にブログを書くのはもちろん事情がある。明日は都内で理事会があり夕食も出るので帰宅は夜となり、ブログは書けないからである。別に曜日を決めているわけではないが、週に2回、前半と後半に分けて日々の出来事を綴っている。2回書くとすると、その間は2日か3日しかないので、その短い期間での出来事を書くことになる。そんな些細なことであっても塵も積もれば山となるの諺どおり、このブログも1000篇近くになる。

 筆が動く限り、いやパソコンに指が触れることができる限り、自分の身の回りに起きたことを書き残すだろう。できれば往生するまで公開日誌を書きたいが、多分そうはいくまい。自分の尊敬する先生は、文字通り臨終までベッドの上で原稿を書いておられたと聞いている。実際はどうであったかは分からないが、先生の生き様からすればそのほうが自然である。それは自分の考えていることを文字で表現することが、先生の存在証明のようなものだからである。先生が先生であるということは、今最も関心のあることを自分の言葉で表出して、他に伝え、他がそれを受けて納得したり感銘を受けたりすることで、先生そのものが他の中に生きるからである。

 その先生は、ずっと走り続けずっと求め続けずっと表現し続けた人であった。自分などは遠く及ばないが、その姿を真似たいと思う。求め続けるにはどうすればよいのだろうか。昨日の夜出張から帰宅した。出張先で素晴らしい講演を聞いた。自分とは少し研究方法も違うが、その徹底した追求の仕方はまさに研究者の姿であった。自分には到底真似できない先生であるが、その姿が聞く人の胸の中に入り込んで、灯りをともすような印象を受けた。こんなにも先端を追求していたのかと思うと、自分などはまだまだで、とても人前で話すような器ではない。ただ自分もせめて勉強し続けたい。それしか方法がない。それが自分であることの存在証明だろう。

 しかし人は年老いていき、病気になって思い通りにならない事態も生じてくる。自分の尊敬する先生も例外ではなかった。それでも不自由を不自由ともせず、最後まで原稿を書き続けられた。どのようにしてその厳しい状況を乗り越えられたのか、自分にはわからない。新聞に、木枯らしが窓打つ音を聞きながら書かねばならぬ手術同意書(夕月秋人)の句があった。作者も不安で、同意書を前に心が揺れ動いたのだろう。この句を読む時、作者の決断が自分に伝わってくる。どんなことが起きようとも手術を受けるのだと、作者自身に言い聞かせたに違いない。尊敬する先生はどうだったのだろうか。たぶん同じように決断したのだろう。これを乗り越えなければ研究ができない、研究ができなければ、自分は自分でなくなる、それは耐えられない、それに比べれば手術することなど小さな波にすぎないのだと思われたのではないか。自分もこれから先どうなるか分からない、病気だけではない、いろいろな耐えられないような出来事もあるかもしれない、しかし自分が自分であることを続けようとするなら、障害は乗り越えられるような気がする。それは決断一つにかかっているのだ。

 

 

自信がない時

 今は金曜日の夕方、いつものように書斎のパソコンの画面に向かっている。ただいつもと違うのは、土曜日でないことである。当然ながら事情があって、土日が出張である。明日の夕方は懇親会があって、とてもホテルでブログを書く余裕と時間がない。日曜日の午前中に自分も講演するが、この出張は自分にとっても大変重要なので、講演内容については以前から準備していた。明日土曜日の早朝に家を出て羽田に向かう。

 今日のブログは、1週間を振り返って出来事を思い出してみる。今年の学校訪問が今週で終わった。内心ホッとした。もう5年間も続いているが、市内小中学校の6校を毎月訪問して、授業を参観しコメントを送っている。これも自分にとっては大切な仕事であり、地域への貢献活動と思っている。コメントを書く時、内心ビクビクすることが多い。小中学校の教員経験がないので、こんなことを書くと笑われるのではないかとか、まるで答えが分からなくて先生に当てられたらどうしようかと、不安に思っている落ちこぼれの心境に似ている。だからたまに、先生のコメントを職員が楽しみにしていますと、教頭先生から言われると、劣等生が先生に褒められたような気持ちになって、飛び上がるほど嬉しい。

 今週はオンラインだが研究会があって、自分がコメントした。この時は多分このようなストーリーだろうと、研究発表者の内容を事前に推測できた。だから緊張することもなく、パソコンの画面を見ながら、まるで大学院生を指導するような気持ちだった。しかし最後にコメントをする時、自分は本当は研究発表者の本質をつかみきれていなかったのではないかと、ふと思った。だから最後になって必死に考えた。ようやく別の視点が見えてきて、そのことを伝えた。そして自分の至らなさに気がついた。研究指導はもう何十年もやってきて、およそのことは見通すことができると自負していたのかもしれない。最後になって必死になった時、初めて気がついた、というより、天から教えてもらったような気がする。

 今週を振り返ってみると、自信がある方が、薄い氷の上を歩いているようで落とし穴があって危ない気がする。自信があると、氷が薄いのか厚いのかも見えなくなるのではないか。これに反して自信がない方は、ビクビクしながらでも、相手をよく見ようとか、状況をよく確かめようとするので、むしろ本質を読み取れるのではないか。逆説のようだが、確かにそんな気がする。しかしこんなことは昔から諺でよく言われている。油断大敵とか、勝って兜をとか、実るほど頭の下がるとか、能ある鷹は、など誰でも知っているのだが、現実に遭遇すると難しい。それは頭の中だけで知っていることだからである。歳を取ってくると、いろんなことを経験して、その経験値の中から、なるほどその通りだと納得することが多い。

 文脈は離れるが新聞に、ふるさとに来るのも今日が最後だと幼なじみに告げずに帰る(金内二郎)の句があった。作者に何があったのだろうか、最後のお別れにふるさとにやってきて幼馴染と話をしたが、これが最後だとは言えなかった。多分そのことを言うのも切なくて、口に出せなかったのだろう。仕事のことでうまくいかなかったのか、家庭のことなのか、あるいは病気のことなのか、詮索するのはもうやめよう、誰でも人に言えないことがある。多分幼なじみも、作者の気持ちを察していたのかもしれない。だからあえて口にしなかったのだろうか。しかし自信のない時こそ、落ち込んでいる時こそ、本質に気づくことが多いのだ。そうだ、こうすればいいのではないか、という天啓のような気づきが生まれる。自信がある時にはそんな気づきはあまりなく、経験値の延長のような考え方しかできない。だとすればチャンスはまだある。心配はいらない。

 

ずっと続かない

 今は火曜日の夕方、いつものように2階の書斎でパソコンの画面に向かっている。南向きの窓のカーテンは閉めて、部屋の暖房を維持している。12月も半ばとなれば、クリスマスや大晦日はもうすぐで、今年も1年が終わるのかと思うと、平凡ながら月日の経つ早さに驚くばかりである。今日は昼間に床屋に行き、帰ってすぐジョギングに行った。床屋は今年の散髪納めである。床屋の主人と世間話をしながら、過ぎゆく月日の短さに同感した。

 昨日はTSUTAYAに手帳とカレンダーを買いに行った。手帳は毎年同じ種類でないと気持ちが落ち着かないことは、誰も同じだろう。カレンダーは書斎用の卓上カレンダーを買ったのだが、日頃出入りしている業者の卓上カレンダーが今日届いた。これも毎年同じ業者のカレンダーだったのだが、来年は買ったのにしよう。こんなことを考えると、1年の締めを知らぬ間にやっている。そして思う。今年は何があったのだろうか。誰も同じだが、嬉しいことや楽しいこともあっただろうが、思わぬ出来事や思い通りにならないこともあっただろう。真新しい手帳を見ると、楽しいことだけで埋まればいいなと思うが、そんなことはあり得ない。来年も山あり谷ありの1年だろう。

 昨日は、かかりつけの内科医院に行った。月に1度行って薬をもらうのである。先月はインフルエンザの注射と血液検査があったので、その結果が知らされた。自分は手術や入院はほとんどしたことはないが、血液検査ではいろいろな異常値が出ている。血圧や尿酸値や脂肪肝などで、その薬をもらっている。昨日の検査結果では、医者が意外なことを告げた。一度大学病院にも相談した方がいいかもしれないと言ったので、正直なところビクッとした。これには事情があって、ブログで書くのは厄介なのだが、かつて大学病院で検診を受けたことがあった。これが1年に1回~2回なので都内に出かけるのも面倒で、市内のかかりつけの内科医院で血液検査をしてもらうことで、了解してもらった。その数値が上がっているらしい。来月もう一度血液検査をすることになった。

 自分は運動もしているし、健康のことは心配ないと思っていたが、こんなことも起きるのだ。だから調子がいいと思っていても、永遠に続くことはなく、必ず落とし穴がある。逆も言える。思い通りにならないことや、こんなつらいことが続くのかと思っていても、必ずどこかで好転することがある。人は今の状況が将来にわたってずっと続くと思っているが、現実はそうではない。必ずどこかで変化が生じる。今朝なぜか午前3時に目が覚めた。珍しく寝つきが悪く、スマホでメールなどを見ていたら、ますます目が冴えてきた。普段なら数分もすれば寝付くのだが、今日は寝られないのかと思っていたら、目が覚めたのが5時半だった。寝られなかったのは1時間ほどだった。なんだ、いつの間にか眠っていたのか。

 新聞に、シドニーの天気伝ふる深夜便ねむれぬ同士星座となりて(丸ケ崎結子)の句があった。ラジオ深夜便なのだろう。夜眠れぬ高齢者のファンが多いと聞く。シドニーなら地球の裏側だから、星座になって日本とシドニーの天気を見ているのだろうか。夜眠れなくても、全国に同じラジオを聴いている仲間がいると思えば、寂しくもなくどこか安らぎさえ覚えるのではないか。解釈は違うかもしれないが、眠れなくても長くは続かない。自分の場合はたかだか1時間ほどであった。血液検査の結果も、その時のこと、今から心配することなど一切ないのだ。全く意味がない。1年を振り返れば、あーすればよかったと思うこともあるが、済んだことは全く意味がない。だから人は誰でも、過去ではなく、未来を見つめて来年は良い年にしたいと思って努力するのだろう。それでいいのだ。

使い分け

 今は土曜日の夕方、窓から見る外は真っ暗である。休日のパターンであるが、いつものようにスポーツジムから帰って書斎に上がったところである。ジムに行く途中にコミュニティ広場があって、大勢の親子連れでにぎわっていた。屋台の店も出ている。なんだろうと思ったら、サンタフェスティバルであった。そういえば毎年この時期に、大勢のサンタの格好をした人たちが、この広場や目抜き通りを歩いて、子供たちに小さなプレゼントなどを渡している光景を目にした。今年もサンタの季節になったのかと感慨深く思った。

 赤帽子と赤い服を着た数十名のサンタのトランペッターが、クリスマスソングを生演奏している。多分市民吹奏楽団なのだろう。コミュニティ広場は、音楽と親子連れと屋台の店で大賑わいで、初冬の寒さを忘れるような空間だった。子供向けの赤いりんご飴や大判焼きなどが売られて、子供たちはニコニコして楽しんでいた。昔友人と仕事でドイツに行ったことがある。サンタの季節だったので、この風景に似た広場に、大勢の市民が集まって寒い夜を楽しんでいたことを思い出した。友人と広場の店で赤ワインを注文して飲んだら、温かい赤ワインだった。なるほど、身を切るような寒さでは温かい赤ワインがこの上なく美味しいのだ。どの国でもいろいろな知恵が働くのだろう。こうして寒い季節を楽しみに変えているのだろうか。

 今日のお昼、1階のリビングの部屋に、注文していた新しいベッドが届いて業者が設置をした。これまではレンタルベッドだったが、これからずっと使うので買ったのだが、 2階の寝室にあるベッドと違って、頭部も足部も電動式で上下できるコントローラーが付いている。家内が退院したとはいえ、足腰に無理がかかってはいけないのでこのベッドが必須なのである。2階は自分が、1階は家内が寝起きすることになった。自分は書斎とベッドが2階にあり、家内は台所もミシンもテレビもベッドも1階で、洗濯物の物干しは庭にある。つまりこの住み分けで快適に過ごせるのだ。歳をとってくるといろいろな不都合も起きてくるが、そこをうまく工夫すれば、不便ではなくむしろ快適になる。

 文脈は離れるが新聞に、ポケットの中の拳や冬めける(池田雅夫)の句があった。冬めけるは、冬めく、の意味で冬の季語だとネットに書いてあった。寒くなれば誰でも手をポケットの中に入れたくなる。手はポケットの外でも中でも握りしめている。もちろん手袋をしていなければ、その方が温かいからである。誰に教わったわけでもないが、人は握りしめることで保温をして血液循環も良くしているのだろう。人の体がそのように自然に反応して身を守っている。同じように、ことのほか寒いドイツの冬を、温かい赤ワインを飲んで、ほんのりとしたアルコールで体の中から温まる知恵を出したのか。市内のサンタフェスティバルも、家の中にじっと閉じこもりたくなるような季節を、フェスティバルで外に出そうとしているのか、これも市民の知恵だろう。

 自分も新しいベッドのある1階のリビングに体を横たえたら、南向きの部屋なので暖かい日差しがさんさんと入り込み、なんと気持ちが良いのか、このままひと眠りしたいと思った。だが待てよ、土日のスポーツジムに行くのを休めば、それが続いてしまう。健康を維持するには、ジムに行くほうがよいと思って出かけた。ひと眠りすることは自然に沿うことであり、ジムに行くことは自然に逆らうことでもある。冬に手を握りしめるのは自然に沿うことであり、温かい赤ワインやサンタフェスティバルは自然に逆らった人間の知恵であると思えば、人は自然に沿うことと逆らうことをうまく使い分けているのではないか。