今は9月25日金曜日の午前である。この変則的な時間にブログを書くのは、もちろん理由があるからで、今日の午後、札幌に学会で出かける。夜ホテルではブログを書く時間がないので、今書いている。先週から今週にかけて忙しかった。9月はいろいろな行事があって、はしごから落ちないように少しずつ登っている。いくつになっても人は、目の前にあることを追いかけたり追いかけられたりしながら、少しずつ前に進むようだ。今日のブログの中心は、昨日帰国したがハノイでの学校訪問と講演である。
学校はハノイ市内の3校を訪問し、それぞれの授業を参観した。そしてハノイの国立教育大学で講演をした。2時間半の講演と聞いて信じられないと思ったが、質疑応答があること、そして日本語をベトナム語に通訳するので、半分ぐらいの時間が実質的な講演時間である。ただしスライドは英語で、質問は英語の場合もあるので、日本語と英語の混在した講演だったが、時間があっという間に経って楽しい経験をした。どうしてハノイに行ったのだと聞く方も多いだろう。ハノイと日本の架け橋のような優れた先生がおられて、私は彼と長い間付き合ってきた関係で、この度訪問することができた。彼のような教育に情熱を燃やし、ベトナムの人々を受け入れ、日本文化も伝える能力を持っている人はほとんどいない。彼のおかげで私は素晴らしいシルバーウィークを過ごした。
学校の授業参観の一つに、ハノイ日本語センターがあった。この学校は、日本の農業や工場などで働く技能実習生を送り出すための日本語の学習センターである。新聞などでは読んだことはあるが、実際の教室は見たことはない。他の学校は義務教育の学校であったが、この日本語センターは大人が対象である。20歳代から30歳代までの若者が、日本で働くために日本語を勉強していた。結婚して子供もいる人たちも多い。どうしてと疑問をもつことは意味がない。いわば日本への出稼ぎなのである。ベトナムで生活することは今日でも楽ではないようで、日本で働いて、そのお金を家族に送金するために我が身を削るのだ。
この日本語センターは、共同生活であり合宿所でもあった。だから教室の中に宿泊施設もある。知覧の特攻隊の施設を見学したことがあるが、同じように二段ベッドの上下で寝泊りしている。そしてささやかな食堂もあり、職員が料理を作る。生徒たちは文字通り朝から夜まで日本語の勉強をする。それは生きるための言葉の学習である。私たちが参観したのは日本語の基礎であった。カードに絵が書いてある。2人ペアになって、いくつかのカードの中の一枚を示して会話をする。「机と傘があります」と先生役の生徒が言って、もう生徒役はそのカードを探す。そして「傘はいくつですか」と聞いて「二つです」と答える。「どちらにありますか」と聞いて「右にあります」という会話を繰り返して「このカードです」と答える。私も「先生役をやってください」と言われて、「傘は2本あります」と言ったら、生徒役がカードを探せなかった。
本当に日本語は難しい。一つ二つ、一本二本など、対象によって数え方も違うのだ。こんな初歩から勉強するのか、そして日本に来て技能を習得して、給料をもらい、それを家族のために仕送りをするのか、その遠い道のりを思うとき、彼らのこれからの日本での生活の厳しさを思った。しかし彼らはまだ若い。ニコニコとして将来を夢見ている。大きな声で「ありがとうございました」と頭を下げた。こんな光景に出会うとは思わなかった。休憩時間になった。校庭で生徒が散髪をしてもらっていた。バリカンできれいに散髪をし、カミソリで生え際を剃っていた。聞けば散髪をしている生徒は、日本語センターに入学する前は床屋であった。彼は生徒たちの散髪を受け持っていた。まるで兄弟のように仲が良い光景に見えた。それは知覧で見た特攻隊のイメージに重なった。
かつて日本も貧乏だった。だから私も小さい時は、母親にバリカンで散髪をしてもらった覚えがある。虎刈りなどと冷やかされたが、それが日本の平均的な家庭であった。文脈は遠く離れるが、新聞に「昭和へと還る灯篭流しかな」(松岡三男)の句があった。この散髪風景を見ると、私の記憶も昭和の時代に戻っていくようで、日本語センターはかつて日本がたどってきた道のように思えた。いつだったかNHKの番組で、技能実習生の生活ぶりを報道していた。北海道の牧場で働く女性は、孤独に悩んだ。何ヶ月ぶりに一緒に日本にやってきた友達に会えた時、嬉しくて嬉しくて一晩中語り明かした。2泊3日の宿泊を終えて仕事場に戻る時、2人の女性は抱き合って泣いた。ベトナムも日本も人情は変わらないのだ。日本語センターの先生が「貧しくても家族で一緒に暮らせることが一番の希望だ」と言っていた。この日本語センターの生徒たちは、6か月の研修を終えて12月には日本に出発すると言う。生徒たちの幸せを祈らずにはおられない。いつかベトナムに戻って家族と共に暮らせる日を心から願っている。
