今日は金曜日の夕方、いつものように書斎から空を眺めている。昼間はかなり暑かったが朝夕は少し涼しくなって、どこか安らぎのある時間になった。先週はお盆休みだったのでほとんど仕事はなかったが、今週は少しずつ用事が入ってくる。用事と言っても仕事の部分と私的な部分があって、今週は特定健康診断やがん検診や床屋などの私的な用事と、オンライン研究会や対面でのイベントの仕事が混じって、1週間が過ぎ去っていった。月並みだが月日が経つのは早く、明日から休日になる。猛暑と呼ばれた暑さもかすかにやわらぎ、公園などで蝉時雨の声を聞くと、もうじき夏も終わるのかと感慨深く思ったりする。
先週も今週もニュースを見ると、いろんなことが起きている。千葉県では予想もしない大水害で、車の立ち往生や車に閉じ込められて亡くなった人もいた。まさかこんな事態になるとは、誰も予想できなかった。私ごとながら、何事もなく週末を迎えていることはありがたいと思うしかない。先ほどオンラインの研究会が終わり、もうブログを書く時間なのかと思って、1週間を振り返る。先ほど書いた通り平凡な日々が過ぎていき、公開日記に書くほどの内容はなく、時の流れに身を任せている。そしてそれが今の自分の境遇に合っているとも思える。
新聞を見たら、岸恵子さんが93歳で老衰のため亡くなられた、という記事があった。この大女優の映画を見たことはないが、岸恵子自伝の本を読んだことがあるので、あの著名な女優がと感慨深かった。新聞を読むと「私は人生の勝ち組ではない。私は何年も何年も負けて、学び取ってきた。それで強い女になれた」と心境を語ったという。自伝を読むと、こんなにも努力する知的な女性がいたとは信じられなかった。頑張って頑張り抜いた人であった。女優でありそしてジャーナリストであったことは、最後まで走り続けたに違いない。しかし悔しくて悔しくて、どうにもならない壁を乗り越えて、これまで生きてきたと書いてあった。旅行中に地政学の本を読んだせいか、彼女の言葉がよくわかった。日本は海に囲まれているから外敵とは距離があり、日本人は以心伝心で伝わる社会である。しかしヨーロッパ大陸のように国と国が隣合っていれば、強くなければすぐに征服されてしまう。日本からパリに渡って生活をし仕事をし生きていくためには、強い女になるしかなかったのだろう。
日本のメンタリティーで生活しても仕事をしても、ヨーロッパ大陸では負けて負けて負け続けたに違いない。そして勝つ方法を身につけた。特にジャーナリストとして国際的な仕事をされたので、その生き様は厳しくそして挫折も味わったであろう。しかも見事にそれを乗り越えて、今日まで活躍し続けてきたことは、まるで奇跡の人である。自伝の中で、孫と一緒に撮った写真があった。生まれて数ヶ月の赤ちゃんと一緒に居るのが、ただただ嬉しく幸せだったと書いていたが、そこでは平凡な「ばあば」であった。どんな人も孫に出会うと、全ての憂いや厳しさ、苦しさなどが流れ去ってしまうようだ。特に異国の地で強い女として生きてきた人には、この上ない安らぎだったろうと思う。
そしてパリから離れ、40年以上を経て故郷の横浜に帰ってきて、優れた仕事もしながら残りの人生を生き抜いた。93歳で老衰による生涯は大往生である。大満足であろうと思っていたが、本人は「勝ち組ではなく、負けて負けて」と語っている。たぶんそれは本音であろう。外野から見ると本音はわからない。離婚する時も、自分の悔しさを歌詞にして、おどけて歌ったと書いてあったが、本当に苦労をされたのだろうと思う。しかし世間は、彼女の生き方を大絶賛している。凡人には真似のできない生き方であり、そして波乱万丈の生を全うされた。
文脈は逸れるが、新聞に「「4番じゃ徳島行は」少女らが楽しそうです田舎の駅で」(楠井花乃)の句があった。小学生か中学生かわからないが、無邪気に少女らが電車に乗って出かけるのを楽しみにしている。同じ町の友達だろう。そこにはヨーロッパ大陸とは違う、安らぎがある。この短歌を読むと、そこに住む人の優しくお互いに気遣う息吹きを感じる。それは田舎の駅と徳島弁のもつ柔らかさであり、日本の故郷の香りがする。岸恵子さんは、最後の舞台は故郷の横浜であった。たぶんそこでは強い女である必要はなく、身も心も故郷の優しさに包まれて、楽しい仕事ができたのではないだろうか。先週のお盆の時期、我が家にも娘夫婦と息子夫婦がやってきて、お昼を一緒にとって近況を話し合った。家族や実家とはそういうものだろう。それだけで老夫婦は満足なのだ。岸恵子さんも満足されて、大往生だったのだと思う。
