今は金曜日の夕方、いつものように2階の書斎から南の空を眺めているが、白い雲が空一面を覆い、青空が少しばかり見える。今日も昼間はかなり暑かった。どうにもやりきれず、まだ学校は夏休みだからと思って、スポーツジムのプールだけに行った。そして先ほど帰ってきたのだが、気持ちはさっぱりしている。プールに行く前はどうしようかと迷っていたが、プールといえども行こうか行くまいかと、人はいつでも迷うのだ。そんな時、あまり考えないで行くほうがよいのだ、するかしないかと迷った時は、する方にかけたほうが良い、となんとなく自分に言い聞かせている。その方が後で後悔しないからである。
実は朝の涼しい時間に、庭やその他の雑草取りをしている。今日は庭の小さな草取りだったが、昨日は玄関の前の郵便受けの下にある木を引っこ抜いた。枝葉が繁って郵便ポストの入り口をほとんど塞いでいた。家内に言われていたが長い間ほっといて、なぜか昨日ふと抜いてしまおうと思った。しかしこれは意外に手ごわかった。根が土深くまで広がっていたからである。汗びっしょりかいて、ようやく取り除いた時は、全身から力が抜けた。そしてすぐにシャワーを浴びて下着を着替えたら、さっぱりした。やるかやらないか長い間迷っていたが、やってよかった。
今日の午前中は、ある自治体の教育センターの運営委員会があった。いつもは対面で参加するのだが、諸々の事情があって今日はオンラインで参加した。2時間の長丁場の会議なので、正直そんなに参加意欲は高くはなかった。ところが「今日は初めての試みだが、少人数のグループ討議を行う」と、担当者が言った。研修会や講演会でも短時間のグループ討議はよく導入されている。私も何度も経験しているので、違和感はない。そして5~6人の委員がブレイクアウトルームで討議をしたら、確かに議論が活発になった。内容も少し本質に迫るような気がした。
多分担当者は、運営委員会なので少人数のグループ討議を導入するかどうか、迷ったに違いない。そして今日初めてやってみた。私はなるほどと思った。運営委員会のメンバーなので、少人数でなくても話す内容は豊富に持っているから、あまり効果はないだろうと思っていたが、私の予想外れであった。他のメンバーから学んだことが多かった。多分大会議室で対面で話したとしても、同じような意見は出てくるだろう。しかし少人数のメンバーになると、その伝わり方が違ってくる。親近感があるからなのか、言葉の奥の本音の内容が伝わってくるような気がする、自分の専門分野の用語で言えば、ソーシャルプレゼンスなのかと思った。
そして私は今、ブログを書いている、正直言うと、今日は書くネタがないと思って、どうしようかと迷っていた。しかし時間は迫ってくる。そんな難しいことを考えなくても、今週を振り返って印象に残ったことを書けばよいではないかと思っていたが、なかなか浮かんでこなかった。だから見通しはなく、今日の出来事を書いた。書いていると、なぜか出来事が浮かんでくる。だから私のブログは計画に沿って書いているわけではない。書いている内に何か浮かんでくるので、それを書いているだけだが、画面の文字が案内してくれるような気がする。
そして今思っていることは、するかしないか迷うことではなくて、することによって自然にガイドしてくれるのではないか、それに従えば良いのだ。それはむしろ自分の意思を離れているのかもしれない。画面の文字と私が対話しながら、共同で出来上がってくるような気がする。文脈は遠く逸れるが、新聞に「梅雨明けや句をつくりてはまた生きる」(笹沼郁夫)の句があった。その作者の心情はわからないが、作者と句が寄り添いながら共同で俳句を作っているのではないか。少なくとも作者だけで作る感覚ではなく、句と対話しながら、おぼろげな輪郭が徐々にはっきりして出来上がるのではないか、作者は作句を生きがいにしているようだ。誰もが絶えず、するかしないかで迷っているが、することによって人は対象が導いてくれるようだ。することは、対象と人との共同作業である。
