今は、8月8日土曜日の午前中である。当然ながらこの変則的な時間にブログを書くのは理由がある。今週はまさに夏真っ只中で、月曜日は都内でセミナーがあり、火曜日から木曜日まで老夫婦で旅行に行った。旅行会社のツアーに申し込んで予定通り出かけたのだが、何しろ行き先が大分県と熊本県だったので、地震でキャンセルになるかと思っていたら決行になった。昨日金曜日は、都内でセミナーがあり参加した。そして講演と挨拶をして夜帰宅した。一週間が密度濃く過ぎ去っていき、今は夏の盛りを生きているのだ、となぜかそんな気持ちがした。ぐっすりと休んで、ようやく一息ついた。家内は体調が万全ではなかったが、ツアーに参加できた。自分たちの方でキャンセルすることもできたが、今思うと参加して良かった。翌日セミナーがあったので少し躊躇する気持ちもあったが、可能性があるなら実行する方が良いと実感している。
月曜日のセミナーでは、学ぶことが多かった。年をとってからは、自分がプレゼンすることもさることながら、優れた講演を聞くことは楽しい。ただ自分の頭にすっと入ってくる場合と、どうしても馴染まないような話もある。その時はなぜだろうかと考え込んで、さらに理解できない場合もあって損したような気持ちになる。旅行では飛行機やバスなどに乗っている時間が長いので、本を二冊ほど持って読むことにしている。今回は地政学の本を持って、ほぼ読み切れた。切れ味の良い語り口のような文章と、その背景に横たわる理論的な内容が頭の中にスッと入ってきた。もちろん以前に1/3ぐらい読んでいたのだが、旅行で何かみやげ物をもらったような気持になった。教育に長く関わってそれなりに理解していると思っていたが、ある分野の教育学者の話はどうしても入ってこない。しかし省庁系の講演や、地政学のような多少自然科学系が含まれているような文章には納得しやすいのである。
金曜日のセミナーでは、私も話をしたり挨拶もしたりしたが、矛盾するようだが、教育に関わる話もしくは教育実践に見られる背景的な考え方の話をしている。当然ながら教育理論や技術的な話はせず、自分の頭の中は学校で展開される日々の活動が分散されており、そこには自分にとってハッと気づくような場面があり、それを中心に話をしている。ただいつも思うのだが、それは自分の自己満足の気づきであり、一般化されていないように思われる。ある分野の教育学者の話は、実は自分の知らない本質的な話をしているかもしれない。これは説明するには難しいのだが、根本的な意味で、自分はどこか教育の見方・考え方が一部欠落しているのではないかと思うことがある。
二つのセミナーと旅行で読んだ地政学の本を総合して、振り返ってみた。講演者も地政学の著者も、実は人間とは何かを追求したかったのか、あるいはどう生きていけばよいのか、子供にどう接していけばよいのか、と模索していたのではないかと思った。地政学はまさに地理を中心にして、政治や国同士の駆け引きや戦争などについて理論展開しているのだが、まことに見事だと敬服するしかない。しかし戦国時代を見れば、領土をめぐって駆け引きをし戦争をしていることを思えば、それは地理に深く関係している。領土とは地理だからである。国といえども読んでいると、まるで人間の生き様のような感じがした。人は、どう生きればよいのかという示唆を与えてくれた。省庁の役人も教育学者も教育実践家も教育関連の企業人も、学びとは何か、大人も含めてどう生きればよいのかという語りに聞こえた。
そして今感じていることは、もっと日本という国を大切にしたいということである。私自身が日本人であること、日本の環境で育ったことはまぎれもない事実であり、地政学のように、その環境から自分の生き方も考え方も影響を受けているはずである。それは自分を知ることであり、自分を大切にすることにもつながる。あー日本に生まれて良かったと、今自分は思う。自己を否定する必要はないのだ。文脈はそれるが、新聞に「入学式に七重八重とふ双子姉妹の美(は)しき名ありし戦後四年目」(山本喜太郎)の句があった。戦後まもなくの時代には、日本人の感覚が色濃く残っていて、我が子にも美しい名前をつけたいと親は思ったのだろう。七重八重は美しい花を連想し、まっすぐにそして微笑みたくなるような大人に育ってほしいと願ったのだろう。老夫婦の我々も同じ気持ちである。世に出れば厳しいこともあるかもしれないが、まっすぐな生き方をしていると思ってもらうような人になってもらいたいと願っている。明日は墓参りに行って、両親に近況を報告する。
