山崎さんの本

 今は金曜日の夕方少し前の時刻であるが、書斎の窓から見る空は白い雲が浮かび、ぽつりぽつりと小雨が降っている。もっと降れば涼しいのにと思いながら、天からの贈り物に感謝している。テレビの番組では、連日のように40度越えの猛暑の地域を報道している。今の時間は、この恵みの雨に手を触れて、その心地よさを実感したいのだが、降ったり止んだりの頼りない小雨なので、窓に残っている雨つぶの痕跡を眺めている。先ほど玄関に出て手で確かめたが、確かに少量ながらも天からの水滴である。こうなると、この雨つぶもどこか愛おしいが、窓から見る空模様では、雨はもう期待できそうもない。

 この1週間を振り返ってみた。印象に残ったことは、山崎エマさんの著書である。山崎エマさんは米アカデミー賞ノミネート監督としてよく知られ、いわゆる著名人である。私が彼女の存在を知ったのは、NHKの番組でエマさんをドキュメンタリー映画監督として紹介していたからである。制作した映画のタイトルが「小学校」であり、しかも日本の小学校である。この番組を見るまで、恥ずかしながら山崎エマさんの名前を知らなかった。詳しくは憶えていないのだが、日本の小学校のありのままの姿をドキュメンタリー映画として制作し、それが世界中の映画館で上映されて大きな評価を得たと言われている。私はこの「小学校」というタイトルに惹かれた。日本の小学校がドキュメンタリーとして上映され、かつそれが世界の人々に絶賛されたとは、どういう意味なのだろうか知りたいと思った。

 隔週毎の頻度で、私は水曜日の夕方にオンラインのイベントを主催している。といっても私はホストで司会役なのだが、ふと山崎エマさんをゲストとして迎えたいと思った。この水曜日のイベントには、私を含め4人のスタッフが担当しているが、その打ち合わせで彼女を推薦した。まさか引き受けてくれないだろうと思っていたので、交渉担当から了解の返事をいただいたときは驚いた。来週の水曜日の夕方にイベントが予定されている。山崎さんから送られてきたタイトルは「それでも息子を日本の小学校に通わせたい」であった。それは彼女の著書であると書かれていた。これは読んでおかないとイベントで私が恥をかくと思って、注文した。そして昨日読み終えた。それは彼女の自分史と言ってもよい内容で、久しぶりに心が揺すぶられた。

 山崎エマさんは、家庭環境にも才能にもそして幸運にも恵まれて、世界に知られるようなドキュメンタリー監督になった。しかし、真実は厳しい葛藤の世界があることを知った。日本文化とイギリス文化とアメリカ文化のはざまで、自分探しを続けた。アメリカ社会で、映像系の仕事で地位を獲得することは、才能だけではないことを知った。努力に努力を重ね、明日の生活費に不自由しても、自分がやりたいことは決してあきらめない決意がなければ、厳しいニューヨークで生き延びることはできないのだ。それを彼女は、イチロー選手の本に学んだという。アメリカンドリームは一握りの努力家だけが手にするものらしい。

 しかしほとんどの人は平凡な道を進み、一部の選ばれた人だけが栄光を手にする。その裏に、並々ならぬ努力と強い精神力と恵まれた才能が隠されている。そのことは誰でも知っているが、どこかでラッキーだったのではないかと、凡人は思う。自分もそのラッキーにあやかりたいなどと思うが、この本を読んで真実はそうではないことを知った。努力と不退転の決意とまっすぐな精神力で、栄光を勝ち取ったのだ。それは山崎エマさんだけに限らない。それなりに名を挙げた人は全て同じだろう。文脈は逸れるが、新聞に「びびること何ひとつなし長嶋の大空振りを思えば平気」(神郡一成)の句があった。言うまでもなく不世出の長嶋選手は、空振りさえも世間から愛された。それは彼が全力を尽くしてバットを振っているからである。その空振りの姿が見る人の心に飛び込んでくるのだ。あのように全力で生きたいという気持ちが湧いてくる。

 山崎エマさんも、全力で映画作りに取り組んで世の評価を得た。その作品は、努力に努力を重ね、丹精を込めて咲かせた花である。山崎さんのメッセージがその花に込められて、見る人の心に入ってくる。それは長嶋選手の全力でバットを振り切る姿と同じで、その姿を見る観客は、そこから言葉にならない感動を得て、自分の生きる力の糧にするのだ。私も同じである。「もう年だから、そろそろゆっくりして、なるべく表に出ないようにして、面倒なことはやめよう、誰かがやってくれるから」などという言葉はもう止めよう。全力とは、今持っている自分の力を出すことだから、昔のようにできないことはわかっている。そうではなくて力を出し惜しみすることは、全力ではない。当然ながら、人から評価されたいとか褒められたいということではなく、その方が楽しいからだ。仕事や研究や作品作りに年齢など関係無いのだ。また一つ私は山崎さんの本から教えてもらった。

 

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21名誉会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

コメントを残す