今日は火曜日の夕方、書斎の窓から外を見ると、もう真っ暗で、冬だと実感する。今日は、朝から夕方まで、パソコン画面に向かってオンライン審査に加わった。もう、これ以上は、考えたくない、資料も読みたくない、と思いつつ、今日は審査の始まりだから、もう少し資料をチェックしていれば、明日から楽になると思っても、脳が断っている。しかし、逃げているのではない、自分なりの努力をして、なんとか初日の審査が終了したのだ、上出来だ、と思いつつ、世の中の専門家とはなんと凄いのか、といつも思う。自分は番付言えば幕下で、専門家の中には大関・横綱クラスがいるので、専門とはいかに幅が広いのだろうか、と思う。1階に降りて、休憩時にお茶を飲んだり、昼食を取ったりするが、ようやく終わった時は、マスクをして近所を歩いた、と言っても数分程度だが、風が冷たい、冬なのだ。オミクロン株が猛烈な勢いで感染し、トンガの国で海底火山が大爆発し、と世間は物騒な出来事で満ちていることを思えば、部屋の中で、暖かく仕事をしているのは、贅沢だろう、震えるような肌寒さの外気から、玄関を開けて中に入ると、なんと暖かいのだろう、エアコンが効いて、その温度差を体験すると、家とは、家族とは、夕食とは、お風呂とは、何と素晴らしい贈り物なのか、有難さが身に沁みる。生きようと精一杯の人乗せて救急車行く風花の街(谷吉修一)の句が、新聞にあった。粉雪が舞うような寒い日に、救急車が行く、その中には、必死で生きようとする人が乗っている、そう言えば、似たような光景を数日前に見た。誰でも、経験しているだろう、乗っている人が身内だったら、と思えば、外の冷たさなど何でもないだろう。家の中で暖まっている人、冷たい外で仕事をする人、人の命を運ぶ人、そして命を救う人、様々な人間模様が動いている。自分にできることは、不平を言わず、感謝して、せめて審査をして、少しでも世の中に役立つことだろう。
終活をする
今は、1月16日の日曜日、時刻は午前11時とブログを書くには相応しくないのだが、ふと時間が空いた。午後は月に一度のお墓参りと買い物と外食と、審査系の仕事が待っている。日曜日くらい、ゆったりするほうが良いのだが、持って生まれた貧乏性なのか、時間がもったいないと思って、画面に向かっている。来週から、いよいよオンライン審査が始まり、もう机にしがみつくしかない、ブログも書けるかどうか、さらに、教員研修用に、ビデオ録画があって、さらに研究実験も入っていて、月曜から日曜まで予定がびっしり詰まっている。現役の時でも、こんなタイトなことは無かったように思うが、有難いことだ。土曜日の午後は、足の診察のために病院に行くが、これでギブスが取れれば、気兼ねなく散歩もできるだろう。足の骨折のお蔭で、外に出れず時間が取れたので、何とか審査系の準備ができたのだから、世の中の因果関係を、凡人が予測することは不可能である。昨日は、ある役職の引継ぎの打ち合わせをして、どこか荷が降りた。今年で年賀はがきの打ち止め、身の回りの整理、銀行口座のまとめ、仕事関係や役職の収束など、終活をしている。以前は、なんとなく寂しい気もあったようだが、昨日は、逆に嬉しく清々しい朝を迎えたような気持になった。自分にご苦労さん、という表現がぴったりなのだが、実はそうではない、安堵をついた、のでもなく、まだ先に夢をを持って、ともまったく違う、強いて言えば、恐れ多いが、水戸黄門のような感じなのだ。忙しいのだが、なんとかこなせる、優秀なスタッフや後輩たちがやってくれる、何かの時にはお役に立とう、と言うと、少し格好が良いかもしれない。まあ、年相応に頑張ろう、ということだろう。もうすぐ、お昼時間になる、家内と車で出かけて、気楽な時間を過ごそう、空もよく晴れている。
老人の心境
いろいろあって、忙しくなったが、どうも不思議な気がする。昨日は、水曜日で、隔週だが夕方6時からのオンラインのセミナーがあった。ゲストが素晴らしい先生だったせいか、評判がいいようで、さすがにベテランだ、と敬服した。ただ、今日も時間に追われ、資料造りに夢中になって、他の仕事を脇に置いて、という生活なので、このブログも手帳に書いて、忘れないようにしている。と言うのも、手を外すと、元に戻れないような気がするので、これも自分の仕事の内で、ずっと続けたいと思っている。かつて団体の役員を降りた時、と言っても、今は別の団体の役員をしてるが、これからは、組織に頼れないので、自律するしかない、連絡先も分からないようでは困るだろうと思って、始めたブログなので、その初心を忘れてはいけないと、自分に言い聞かせている。ただ、心境は変化している。左足の親指の骨折で小さなギブスで固定しているが、なんだこれしき、と思っていても、まだ3週間しか経っていないので、長い時間歩くと、痛くなる、すると、おかしなもので、老人の心境に近づいてきて、日向ぼっこがいい、暖かい縁側に腰を掛けて、などと思う。そう言えば、自分の両親も、この自宅に来た時は、日だまりで、うとうとと居眠りをしていた、やがて、老人介護施設に入居したが、というか、老人病院だったが、2人揃って入院した、そして、父親が亡くなってから、49日目に母親も亡くなった、それは7日の倍数なので、両親とも木曜日に亡くなり、金曜日に通夜、土曜日が葬儀で、月曜から大学に行ったので、今思えば、親不孝者だったのだ。でも、家内も4年近く毎日病院に通い、その前に、静岡まで遠隔介護を4年位したので、それで許してもらおう。病院では、和やかで、認知症だったから、よく分からなかったようだが、にこにこしていた。徘徊の母を見つけて帰る道空は夕焼けあしたも晴れだ(椎名昭雄)の句が新聞にあったが、作者はよほどの親孝行者で、母親を見つけて、よほど嬉しかったのだろう。今年で最後の年賀状にしたので、そろそろ終活の支度をしている。ほっとするような寂しいような心境ではある。
病院と夕日と
今日は9日の日曜日、あっという間に時間が過ぎていく、週2回のブログを自分に課して、今は西日が2階の書斎に入ってくる夕刻前である。冬の日差しは、身体を労わるかのように優しい。3が日が終わって、今週は思いもかけず大雪が降った、が、それもすっかり忘れて、何も知らない子供のように、所在なく窓から景色を見ている。そう言えば、昨日は病院に診察に行ったのだ、足の親指の骨折、と言ってもヒビが入ったのだが、医者に言わせれば不完全骨折が学名だそうで、これで硬い板と包帯から解放されると思って、土曜の午後に予約した時間に、予定通りに診察してもらった。順調に治癒していますと言うので、有難いと思い、いつから散歩やらジョギングをしようか、と思っていたら、2週間後に来てください、と言われてしまった。どうも骨折の場合は、最低でも1ヵ月くらいかかるらしい。これで、予定が狂った、新幹線で行く予定だった出張を早速、オンラインに切り替えてもらうメールを出した、新幹線の切符もキャンセルした、自分は短気で、早とちりで、自分を過信するところがある。病院の帰りに、久し振りに整体院に行って、事情を話したら、十分に足を労わるように諭された。その通りである、揉んでもらって、少し楽になったが、自宅まで歩いたら、少しまだ痛い。本当に、医者と整体院のプロの言うことを聞こうと思い、今日は、包帯した足に合うように、運動靴を買った。足は相棒である、冬の日差しに心が癒されるように、足も癒してやらなければ、と思う。旅先で転んだら、と思えば、オンラインというテクノロジーは有難い。そして、もう絶対無理だと思っていた、SSHの審査がほぼめどが立ち、もうこれで審査は大丈夫になった、これも外出を控えて、書斎で仕事をする時間が増えたからだと思えば、何も不安がることもないし、心配することもないのだ。新聞にこんな句があった、蜜柑山登りつつ海展(ひら)けつつ(和田亘生)、伊豆高原あたりで小高い場所に登っていくと、大海原が眼下に見える経験をしたが、その爽快感は忘れがたいが、この作者も同じだろう。海を見ると、心が広くなるのは、どうも人は外形から影響を受ける単純な動物らしい。病院にいる時は、患者で溢れ、自分も病人らしく振舞い、書斎から夕日やマンションなどを見ると、気が大きくなって、車で伊豆の温泉でも行きたくなる、側にあるCDカセットから音楽が聞こえてくる、夕暮れ前のまだ明るい空は、自分を旅人にさせる。明日も休みか、だがオンライン打ち合わせが2つ入っている、まあ、それもいい、今夜も美味しい食事が待っている。
正月雑感
今日は1月3日、元日に家族が集まって、総勢10人、自宅が急に賑やかになった。そして、昨日2日の午後にそれぞれが帰宅して、元の2人の生活が始まった。それもまた良し、時間は、アッと言う間に経って、まるで夢を見ていたような気持ちがする。ふとパソコンのgoogleの写真を見たら、サービスだろう、2年前の同日の写真が表示されていた。よく見ると、箱根駅伝のテレビ画面が映っている、そうか確かに1月2日の写真である。昨日は、家族で人生ゲームをやっている光景の写真を撮ったのだが、違うのはマスクである。今年は、家族であっても、食事以外はマスク着用のルールを守り、ゲームに興じている。2年ぶりに娘夫婦と息子夫婦と4人の孫が集まり、先に書いた人生ゲーム、公園でバレー、お宮参り、そして書初めをして、元日はBBQを小さいながら庭で楽しんだ。ただ、元日は、快晴ながら風が肌寒いが、なんとなく外で食べたり飲んだりするのは、どこか洒落ていて、気持ちが豊かになる。そう言えば、BBQは、昔半年だが滞在したカリフォルニアのアーバインを思い出す、借りていた家の庭にガス栓の口があって、いつでもBBQができるようになっていた。あれはアメリカの良き時代だったのか、BBQは、西部開拓で野外で食事をする名残かもしれない。暖かくなったら、日本のどこかに気ままな旅をして悠々とBBQをやってみたい、と思うが、家内から猛反対されるだろうし、まあ、そんな元気も薄れてきた。人は日々の暮らしの中で、喜びも悲しみもやってきて、そして、1年1日が如く、生きていくのだろう。それで良いのだ、正月のような特別な日は、長くは続かないし、楽しさも薄らいでいくだろう。やがて、暖かい陽光が降り注ぐ季節がやってくる。深呼吸風の匂いも冬初め(佐久間房江)の句を、新聞から引く。しばらくは、この冬と一緒に過ごしていこう。自分は5日が仕事始めで、オンライン会議が始まる。春風が吹いてきたら、ゴールデンウイークになったら、生ビールが美味しい夏が来たら、また家族が集まりたい。
人生模様
今日は大晦日、午前に今年最後のブログを書いている。平凡ながら、年月が経つのは早く、そして今日が最後、明日から令和4年だと思えば、どこか感慨深い。書斎にある卓上カレンダーも令和4年1月になっている。今年もいろいろあった、そして窓から穏やかな日差しが差し込み、平穏で静かに最後の日を過ごそうとしている。昨日は、スーパーでの買い物、部屋の片づけ、掃除などをし、気になっている審査系の仕事をして、年末のわさわさした1日を過ごした。新しい手帳の肌触りを楽しみながら、1年を振り返っている。昨日の昼食の時にNHKの番組を見たが、気仙沼の漁師の生き様を、スーパーマーケットにカメラを固定して、映していた。と言っても、過去の放映であったが、いろいろな人生模様があって、夢を持って生きがいに感じている人、海に生きる喜びを持っている人、生活に疲れている人、病気に苦しんでいる人、それぞれである。ずっと海で仕事をしてきた人、海から陸に上がった人、また海に戻る人、それぞれの生き方がある。夕方のニュースでは、帰省した親子連れが、駅の改札口で、幼い孫がじいじとばあばに飛びついて、笑顔満点で出迎える光景を2年ぶりに見た。オミクロン株の不気味な感染に恐れながらも、帰省の光景を見ると、ようやくお正月を迎えることができる喜びが、伝わってくる。一方では、コロナ禍で人生が逆転してしまった人、寂しい年末になった人もいるだろう。先の漁師が、別れた奥さんに未練はないが、もう大きくなっただろう子供に会いたい、とつぶやいていた。ニュースに見る幸せな親子連れも、独り身になった漁師のつぶやきも、同じ人生であり、いつの時代も、親は子供のことを思っている。それでも、ままにならないのが、この世の中である。新聞にこんな句があった。抱きしめてやりたき吾子の墓洗う(岩田秀夫)。今年も、今日で終わる。来年は、どうぞすべての人が幸せでありますように。
御用納め
今日は12月28日御用納めであるが、朝に電話対応があり、午後は夕方までに3つのオンライン会議がある。そして、昨日まで、大車輪で3日間、あるイベントに関わっていた。自分にとっては、ここ大一番の行事で、詳細は書かないが、とても無理だと思っていたことが、大成功裡に終わったことは、どう考えても、幸運の女神が応援してくれたからだと、平凡な表現だが、そんな気がする。実際は、スタッフの努力とチームワークのたまものであり、どんなことも、人が結束すれば、なんとか乗り越えることができると、改めて感じた。この世には、優秀な人が多い、企業にも団体にも官庁にも学校にも、どこにでも、素晴らしい人がいる。年老いた身であっても、少しでもお役に立ちたいと思えば、それなりの働きができる、それなりに良かったと思える仕事ができる。頭の中では、たぶん無理だろう、そこそこで終われば上出来だろう、そもそも企画そのものの粒度が粗いなどと、知ったかぶりで構えていたが、今思えば、なんと浅はかな青二才が、と自省する。現実の世界は、人智では及びもつかない展開をする。幸運の女神はいるのか、天から采配をしているのか、という程、順調に事が運んでいくと、自分の小ささが見えてくる。そして、終わってみれば、まるで初めから予定していたかのように、体操選手のようにきちんと着地するのだ、そんな体験をした。そして、今日もまだ忙しく会議は続く、この頃、いったいどうなっているのか、年齢は関係ないのだろうか、と思いつつ、メールを見ると、もうどうしても無理だと思うこともある。そう思いながら、今朝は、次の仕事の資料作りをしていたが、それぞれの仕事に糸が通って、そう言えば、これは使える、このアイデアでなんとかなる、など、それは決して自分で考えたものではなく、自然につながっていくのは、何故だろう。土門拳は、自分が写真を撮るのではなく、自然にシャッターが降りる、計算ではあり得ない絶妙の瞬間に撮れた写真を、鬼の写真と呼んだと言う。それほどの名人や達人でなくても、素人であっても、夢中になって仕事をすれば、向こうから手を差し伸べてくれる、そんな瞬間がある。もう、今日は12月28日か、有難きかな。
寂しい年齢
明日朝から飛行機に搭乗して、四国に出張する予定がオンラインになった。内心、ほっとしている、気持ちは、分かるであろう、オミクロン株がそろそろ日本でも市内感染が出始めた、明日から全国的に大雪予報が出ている、などの条件を考えれば、出張は大変だろう、と誰でも納得する。要因は別にあるのだが、突然に変更になった。世の中は、常に予定通りにはいかない、何かの横槍が入ったり、自然災害が襲ってきたり、それが当然なのだろう。今朝は雨が降って、久し振りのお湿りかと思っていたら、午後はカラッとした晴天だった、なるほど、1日でもこんなに変わるのか、人は絶えず変化の波にさらされながら、生活している。親指の足の骨にひびが入って包帯を巻いているだけで、歩きにくいし、転ばないかと気を遣う。今日の午前中は、明日の変更の件で、オンラインで連絡や協議ばかりで過ごした、まったくの予定外であるが、これが人の世である。それでも、午後は予定通りに車で買い物に出かけ、そうしないと、年末の準備ができないからだが、帰宅してから、原稿や仕事の整理をし、瞬く間に時間が過ぎていく。明日の準備をと思いながら、オンラインに変更になったから、明日の午前に準備をしよう、などと思い、そしてメールで、どっさと審査用の書類が届く、と言っても、メールなので、資料のダウンロードだが、こんなにも大量なのか、とため息が出る。来年度は、審査委員を辞退しようと思いつつ、手帳に書き込む。そんな時、居間で忙しそうに雑多な用事をしている家内に相談する、来年から審査委員をどうしようか、と思うのだが、と話しかけるだけで、それでもやったらどう、とか、止めてもいいよ、とか何でも言ってくれると、また頑張るかと思うようになる。新聞に、こんな句があった。亡き夫と津軽弁にて思ひ切り夢の中にて語るはたのし(砂田和子)、そうか、自分も同じようなものか、生きているが、1人では寂しい年齢になったのか。
生きている限り
左足の親指の骨にひびが入って、固定して包帯を巻いているので、もちろん走ることはできず、歩くことも、少し痛みが走るので、自制している。月曜日に病院に行って、経過を見てもらったが、順調らしく、有難い。この際、じっくりと医者の言うことを聞いて、あまり出歩かないようにしたいが、世の中は待ってはくれない。今日は、また4つのオンライン会議があって、ブログを書く時間がないので、今、早朝に書いている。早朝ジョギングが無いせいか、朝食前に時間的な余裕がある。昨日は、オンライン会議の他は、外に出なかったので、年賀状を書き上げた。年賀状を出すのは、今年で最後にしようと思い、そのような文面にしたが、長い付き合いだったが、時代と共に、世の慣習も変わっていく。変わらないのは、人との付き合い方だろう、医者に診てもらい、看護婦さんに包帯を巻いてもらい、自分では大したことはないと思っているので、そうか、自分も患者なのか、と思い直したが、忙しい日々を過ごしていると、つい忘れて、突っ走ってしまう。しかし、ひびで良かった、骨折だったら、松葉杖をついて、想像しただけで、ぞっとする。講演どころではないかもしれない。昨日は、書斎で、出版の原稿を書く時間もあった、時々庭に出て、冬の優しい陽光を浴びると、自分も歳を取ったのか、日向ぼっこが嬉しいし、安らかな気持ちになり、老人の気持ちが分かる。新聞から句を引く、温かき手に手の冷たさを謝りつ今日の始まり起床の介助(小谷義孝)。作者は、介護士であろう、温かいのは介護される老人の手だが、介護士の心の温かさに触れて、1日が始まる、老後とは、このように人の助けを借りて生きることなのだろうか。まだ実感が湧かない、しばらくは、まだまだ原稿を書き、講演をし、会議で発言もしたい。今日は水曜日、夕方は、隔週のオンラインで水曜サロンがあって、ゲストと対談をする、それもまた楽しからずや。
好事魔多し
今週は忙しかった、月曜日は都心に会議で出かけ、火曜日は隣の市の学校で研究授業と協議会に出かけ、木曜日は都心で重要な省庁の会合に参加し、金曜日は、所属団体の理事会があり、その他の曜日はオンライン会議や審査に追われてなど、自由な時間が取れなかったのだが、自分にとっては、気になっていたことが解決したり、理事会でも業績が上がっているので和気あいあいの会議になったり、何か出来すぎのような日が続いた。まるで子供のように、ワクワクする嬉しい気持ちだった。歳を取ってきたが、こうなれば、後は健康を維持することだと思って、週2回のスポーツジムに行き、後の5日間は早朝ジョギングをして、朝の爽快な空気を吸って、身も心も新陳代謝をするのだ、と年甲斐もなく張り切っていた。が、自信過剰は禁物で、金曜日の朝5時45分に自宅を出てジョギングをするのが日課だが、あいにくと小雨が降っていた。雨が降れば日の出は遅い、この時刻では夜中と同じで、安全のために首から単三1個の小さな懐中電灯をぶら下げて走っているが、足元までは明るくしてくれない。およそリターンする場所の近くで、木の幹を囲んでいる囲いに躓いたようで、転倒した。アッと思ったが、すぐに立ち上がれたので、ホッとしてそのまま帰宅した。ジョギングの時間は、毎日およそ1時間で、この日も同じペースだった。特に大きな痛みは感じなかったので、その後3つのオンライン会議を無事にこなし、というか先に書いたように、理事会は参加者全員が、好意的な発言に終始したので、自分としては満足だった。が、夕食時に、家内と話したら、すぐに病院に行く方が良い、と言われ、確かに痛みが増してきたような気がして、これはまずい、明日土曜日の早朝に行くことにした。レントゲン検査の結果、左足の親指の骨にひびが入っていたことが分かり、固定されて、靴が履きにくいことになった。が、左で良かった、車の運転はできる、年末に四国に講演で行かなければならないが、なんとかなるだろう、と思って、医者の言うことを守って自重することにした。好事魔多し、とはよく言ったもので、仕事が順調だと、つい自分を過信してしまうのだろう、これは天からの戒めである。今日日曜日は、買い物などの用事をし、その他の時間は、書斎や自宅で過ごし、月曜日の朝、もう一度病院に行かなければならない。自分には、ちょうど良い薬である。お陰で、出版原稿を書いている。
