今は火曜日の夕方、冬空はもう暗くなって外はかなり寒くなってきた。午前中は学校訪問をしてその関連の仕事をして終わった。お昼は久しぶりに友人と駅で待ち合わせ、昼食を共にした。所沢の駅近辺は開発が進んで、都心の賑やかな姿そのものになってきた。駅の改札口が2階なのでそのまま歩いて、ショッピングとレストランのビル街に入っていった。駅からそのビルまで大勢の人たちが行き交っているので、なぜこんな平日にと目を疑ってしまうほどである。友人は初めてだったのでびっくりして駅周辺の変容ぶりに目を見張り、どこか非日常的な感覚だった。自分もこのビルに入ると、ここはどこだろう、大人の遊園地か食事街か、その巨大な広さと多様な料理の種類に、迷子のようにキョロキョロしながら歩きまわった。建物の中なので、昼間なのか夕方なのか夜なのかの区別すらできない。巨大な迷路の中で、どこかワクワクしながら昼食を注文した。台湾料理あり韓国料理ありインド料理ありと、ここはアジアの多国籍食堂街かと思いながら、天丼屋カツ丼屋寿司屋うどん屋などの日本料理の定番には目もくれず、韓国の石焼ビビンバと生ビールを注文した。本当は寿司でも食べたかったが、何かこの巨大なレストランモールの雰囲気に馴染まないような気がして、しかも平日の昼間なのに生ビールを飲んだ。少し早い忘年会かと思えばなんでもない、巨大なビルの中のこのエリアは外の世界と遮断されているようで、自分の立場も年齢も忘れて、大勢の人たちの一部になった。周りを見ると文字通り老若男女でいっぱいで、この時間に学校はどうしているのかなどと思ったが、野暮な詮索は止めよう。たぶんこの空間は非日常で、そこに浸りたくて好きな料理を食べながら束の間の幸せを味わっているのだ。忘年会もどきの昼食会は話がはずみ、あれやこれやと現状報告やら愚痴やら嬉しいニュースなども語って時を忘れた。河岸を変えて別のビルでコーヒーを飲みながら、話が終わるのを惜しむかのように話をし、次の再会を約束して駅の改札口を入った。こんな昼食会は久しぶりだった。昨日も都内で会議があり夜の忘年会もあったので夜遅く帰宅したが、今日の友人との2人だけの昼食会兼忘年会は少し意味合いが違った。昨日は仕事の続きの懇親会であるが、今日は仕事を離れ自分の今の境遇や事情を語り合う本音の語り、専門用語でナラティヴとでも言えばいいだろうか、誰でも人に語って聞かせる物語を持っている。それが伝わる時、人はカタリシスを感じ心の雑草が刈り取られるのだ。2人の出した結論は、なんだ大したことではない、贅沢な悩みかとつぶやいて苦笑いした。実際はそうであるかもしれないしそうでないかもしれない、どちらであってもそうして前を向いて頑張って世を渡っていくのだ。新聞に、庭先のコスモスの花複雑な家の事情も全て呑み込む(井上誠一)の句があった。我々の話は、周囲の人は大勢いたが、誰も聞きもせず興味もないのだが、その周囲の人の存在が大切なのだ。庭先のコスモスの花なのである。非日常的な空間の中で、人は自分を語り人の話を聞くのである。
気づく
今は土曜日の夕方であるが、外は真っ暗で夜である。いつものことながら土日の休日は、スポーツジムに行って汗を流している。この寒い日でも、プールで泳ぎ、屋上にあるジャグジーで冷たい風に顔を当てながら体は温泉のような温かさで、なんと贅沢なと思いながら浸っていた。屋上といっても2階なので、ジムの周囲にある木々が上から眺められるような高さであるが、まるで新宿のような乱立するマンションを遠くに眺めていると、セレブになったような気持がする。帰り道は西方向なので、今日は夕焼けではなかったが、灰色の雲が空を覆って太陽が当たっている雲のところだけ白く輝いて、その周りだけ青空が見えた。まるでそこだけ明るい未来を象徴しているようだった。しかし風は冷たく、さすがに冬の寒さが体を襲ってきて、道行く人はほとんどコートなどを羽織って、寒さを避けていた。もう12月なのだから師走なのだ。スポーツジムに行くと、入口のすぐ近くにクリスマスツリーが飾ってあって、あーもうそんな時期なのかと背中を押されるような気持がした。予定していたことがあまり出来ていないのに、月日だけは几帳面に間違いなく過ぎていき、いつの間にか年を重ねていく。すでに年賀状じまいをしているのでその心配はないが、まだ仕事のつながりがあって、この時期にはお歳暮をいただくので床の間に重ねている。あまり役立つことをしていないのに申し訳ないような気持ちで、お礼の葉書を出している。葉書代も切手代も値上がりしていることを知らず、投函した葉書が戻ってきた。世の中は物価高で生活が苦しくなったとテレビなどで報道しているが、実感として分からなかった。葉書が戻ってきて初めて値上がりを知った。主婦はスーパーで買い物を毎日のようにしているから、値段の上げ下げについては敏感だが、自分はこの点については鈍感であり素人である。人は何かのきっかけでその意味を知るのかもしれない。新聞に、亡くなっていると思っていた人を訃報が一瞬生き返らせる(たろりずむ)の句があった。まさにその通りで、そうだったのかと思い返すことは誰でも経験しているだろう。葉書が戻ってきて初めて値上がりに気づき、お歳暮をいただいてもう年末が近くなってきたのか、クリスマスツリーを見て大掃除をいつにしようかなどと考える。この前も朝起きたら喉がガラガラするような感じがしたので、ふと見ると加湿器の水が空になっていた。人が気づくということは、何らかの出来事がきっかけになっているのかもしれない。それは自分以外の他からのメッセージなのだから、教えてもらったとも言える。これを研究や仕事に当てはめてみれば、これは良いアイディアだと思っても、自分が生み出したものというより、他から気づかせてもらったという方が正しいのではないかと思う。ということは、いろいろな業績を上げたとしても、その大部分は他からヒントをもらい、自分のオリジナルな部分は、かなり小さいのではないか。振り返ってみれば、自分のかなりの論文はその通りではないかと思った。気づくということは凄いことなのだ。
小学一年生
今日は12月3日火曜日だが、今は午後5時半なのでもはや外は真っ暗である。先ほど床屋から帰って来たばかりで、書斎のパソコンの前に座っている。午前中は市の教育センターに協力して学校訪問をし、帰宅して授業のコメントを書いてメールで送った。午後はいろいろな雑用があって今に至っているが、時間は平等に経っているが、人間の意識の上では早い場合もあれば遅い場合もある。いつも思うのだが、今日は小学校を参観したが、子供は天真爛漫で何も屈託がなくのびのびと学校生活を送っているように見える。特に今日は小学一年生だったので、子供とはこんなに素直だったのかと思う。小学生も高学年になるとだんだんと自我に目覚めて、自己主張したり競争したり喧嘩したりするようになるのか、人が辿る成長とはそういうものらしい。小さい時は何の悩みもなく、毎日が毎時間が新しいことの出会いで嬉しいのかもしれない。それでも生きている限りはそれなりの波があって、子供なりに努力をして乗り切っているのだろう。確か昔読んだ李香蘭の自伝小説に、大人から見れば小さなことだが、子供にとってみれば重大事で不幸な出来事だと書いてあった。どんな出来事か忘れたが、友達との約束だとか文房具だとかおもちゃだったか、そのようなほんの些細なことが子供には大きな不幸がやってきたと深刻に思っていたらしい。自分が今日訪問した小学校は田園風景豊かな市内の外れにあったせいか、子供たちが昔と変わらぬ姿に見えた。周囲は畑で囲まれており、たくさんの実をつけた柿の木があって、校内にも雑草と草木がいっぱいで先生と子供たちで枯れ木を取ったりして学校園をきれいにしていた。それは自分が子供の時と変わらない学校風景だった。日本の学校も少子化が進んできたので、特に農村地帯に行けば昔と変わらない学校文化が根付いているが、その桃源郷のような学校であってもいろいろな問題はあるだろう。子供の純粋さがそのまま成長して大人になってほしいと願うのは、大人の夢である。いろいろな波がやってきて、中学生や高校生になればそれなりに悩むこともあるだろう、大人になって仕事に就けばさらに大きな波がやってくる。それでも今日訪問した小学一年生の姿は、見ているだけでこちらの心が洗われる。新聞に、「福耳じゃ」秀でたところなき吾をほめて見つめた母恋うる夜(上柿貞芳)の句があった。母親とは、どんなことがあっても我が子の最大の味方であり理解者である。大人になって色々なことに出会って自信をなくし自分はなんと無能なのかと思う時でも、この短歌のように母を想えば救われる。今日出会った小学一年生よ、どんなことがあっても大丈夫、くじけちゃいけないと、平凡な言葉を自分の心の中でつぶやいた。
凡人の知恵
今は土曜日の夕方から夜にかけての時間で、いつものように土日はスポーツジムに行っているので、今日もジムから帰宅して1階の居間でグレープフルーツを食べ、一息ついて2階の書斎に上がってきた。今日は何をしたのかといっても平凡な休日だったので、とりたててブログに書くほどのことでもないが、午前中は文献調査を行っていた。海外の学会発表があって、そのビデオ録画を視聴していた。昨年はこれは凄いと思うような掘り出し物の発表があってワクワクしたが、今年はまだそんな収穫はなく、なんだ午前の時間を潰してしまったかというような印象であった。人生と同じで、良いことばかりではなく都合の悪いことも起きる。むしろ都合の悪いことの方が多いことは、誰でも同感するだろう。それでもスポーツジムの帰り道はなんとなく一日が終わるような気持ちなので、さわやかな秋の空を見ながら心が空っぽになって家に着く。我が家の近くに小川があって、そこにシロサギが川の中を歩いていた。小川の横にはお社があって、自分も手を合わせるのが習慣になっている。その場所から西の方を見ると4階建てぐらいのアパートの窓が全面に西日を受けて、黄金色の反射光がこちらを照らしていた。その光景を見ていると、自然の美しさに自分も包まれて、色々なことがあっても平穏で過ごせることがこの上なくありがたく思える。ブログを書けば今日も一日終わる。お風呂に入って夕食に向かい、晩酌をしながらテレビを見て、心安らかに寝床に入る。今日の夕食は何だろう、たしか肉じゃがとか焼き魚とか言っていたが、老夫婦2人の夕食はささやかである。歳をとってくると食事が楽しみである。納豆と味噌汁のある朝食も大好物で、お昼はシチューのような汁物だったが大変美味しい。その間にコーヒーを飲みピーナッツをつまむのでそれなりに栄養価をとっているようだ。食事のことを書いたせいか隣のパソコン画面に提示されている、焼きたての秋刀魚にジュッと醤油かな(相坂康)の句が目に入った。あのちょっとほろ苦い味のする焼きたてのさんまは、句を読んだだけで口の中が湿ってくる。うわあ美味しそうだなと思わず言ってしまいそうな光景である。夕食が食べれるだけ、暖かい布団に包まれるだけ、雨風が防げる暖房の効いた家の中に居れるだけ、それだけでもう充分幸せである。世界を見れば、貧困にあえぎ寒さに身をふるわせ苦しみに堪えている人々がいる。せめて幼い子供だけでも何とかならないものかと思うが、どうにもならないこの世の不条理は切ない。そう思いながらも自分は食卓に向かうだろう。この世を生きるということは、不条理も矛盾も都合の悪いことも解決できないことも抱えながら、今の小さな幸せだけを見ているのだ。それが凡人の生きる知恵かもしれない。
言葉
今は火曜日の夜と言っていいだろう、書斎の窓から見る空はもう真っ暗で、確かに冬の季節に入ったようだ。今日は寒くダウンのジャンバーを来て、外の仕事を済ませた。寝る時も暖房を入れているが、鼻や喉の調子がおかしいと思ったら、寝室がかなり乾燥していたことが原因だと思って、昨日から加湿器を備えた。書斎はかなり前から稼働しているのだが、あの白い蒸気が吹き出ているのを見ると、冬が来たんだと思う。大学にいた頃も研究室に加湿器を備えて仕事をしていたが、外の気温と研究室の中の温度差が大きいせいか、窓がすべて曇っていてそれが冬の訪れのお知らせのような気持ちがした。今日のような寒い日に、夜突然と尊敬する先生が研究室に来られて、研究やら仕事やらの話を雑談のようにされて出て行かれたことがある。帰られた後あれはどういう意味だったのだろうかと考えたが、よくわからなかった。偉い先生でも時々誰かと話をして、気持ちを発散したい時があるのかなどと、つまらぬ詮索をした。加湿器を見ると、ふとそんなことを思い出す。あの頃は研究に夢中だったのかもしれない、研究室には大学院生がたむろしていたので、そこで交わされる言葉も専門用語が多く、それが合言葉のような印象だった。デフォルトとかアカウントとかサーバーなどのコンピューター用語が多かった。研究室毎にサーバーを設置して管理していたからだろうが、日常的に交わされる用語を知らないと部外者か素人だとみなされた。今日の午後小さな雑誌に掲載するオンラインの対談があった。自分は初めは乗り気ではなかったが、話をしてるうちに相手方の熱意にほだされ相手の気持ちがストンと自分の胸に落ちた。先方はバリバリのIT技術者であり、専門的な知識は溢れるほどあって、自分と話が噛み合うか心配だった。話しているうちに、用語の裏に隠れている情熱が伝わってきて、まるでプロジェクトXかと思ったほどである。偉い先生との雑談の中にも、学生たちが交わす会話の中にも、技術者が話す専門用語の中にも、それぞれの世界の深さがある。その世界で生きてきた重みがある。新聞に、土の量リューベに話す作業着の工事現場の語彙にときめく(春木敦子)の句があった。リューベとは、立米と書いて1m³のことだとネットに書いてあった。門外漢の自分にも、工事現場で働く技術者たちのプライドと熱意が伝わってきて、男たちの話し声が聞こえてくるようだ。言葉とは、その世界が醸し出すかぐわしい香りがする花束である。
スポーツ
今は土曜日の夕方、今週を振り返ってブログを書く時間である。と言っても頭の中にこんなことをと言うネタがあるわけでもなく、ただパソコンの画面に向かっている。先ほどスポーツジムから帰ってきたばかりで、帰宅して家内がむいてくれた柿を食べて、2階の書斎に上がってきた。スポーツジムに行く前は、どこかけだるく今日はどうしようかなどと思うのだが、帰ってくると気持ちは軽くなり、今日も良い日じゃないかと思うから、その変わりようにはびっくりする。多分脳内ホルモンが出て元気になるのだろう。帰り道は西向きなので夕日に向かって歩いてくるのだが、今日は風が強く冷え冷えとしてまるで年の瀬のようだった。街路樹の葉っぱがかなり落ちて、その光景を見ていると冬そのものである。しかし自分の気持ちは、こんな寒い日でもスポーツができて良かった、明日も行こうと思うから前向きなのである。午前中に読んでいた文献に、次のような分類があった。動機付けのレベルで、無動機は〇〇したくない、外的調整は仕方がない、同一的調整は〇〇すべき、内発的動機づけは〇〇したいと書いてあったが、妙に納得した。今日の自分の気持ちは、外的調整から内発的動機づけまでレベルが変化したことになる。動機付けすることは大変難しく、言葉だけで人を動かすことは不可能に近く、いくら言っても同一的調整レベルぐらいだろう。そもそも人は言葉では納得しないのである。幼い子供は素直に聞くが、大人になれば内言化するので、言うことを聞いたふりして内心では別の事を考えている。これが大人社会の様相で、国レベルの予算折衝から家庭での小さな決め事まで、ほとんどが言葉で説得しようとするのでなかなか難しく複雑なのである。そこで多くは、エビデンスつまり証拠を出して交渉することが多い。それが数値的なデータであれば、反論が難しいので仕方なく認めることになる。それはいわば論理的な説得である。しかし今日の自分のように、行動レベルで気持ちが変わることの効果の方が大きいのではないか。だからあまり難しいことを考えず、とりあえずやってみよう、そこから考えようという方が現実的ではないだろうか。同じく今日午前中に呼んだ文献でも、理屈で考えて論理的に議論してそれに多大の時間を使って、結局何も始めることができず、何も止めることもできないという曖昧な意思決定が日本では行き渡っているので、国も企業も学校も世界から見ればおかしな国と映るのではないかと書いてあった。文脈は遠く離れるが新聞に、温厚な人と言われる老いわれの心の歯ぎしり人には知られず(金子哲夫)の句があった。誠に日本人らしい読者で、本心を自分の胸の中に抑えて世間を渡ってきたのだろう。誰もそれを批判することはできない、そうしなければ長い人生を大きな波風を立てないでここまで来れなかったのだろう。なるほど文献でも自分の経験でも割り切れない世界が、この世の中かもしれない。
セレモニー
今は火曜日の夕方で、午後5時を過ぎると夜になる。書斎の南向きの窓から見えるマンションは、碁盤の目のように規則正しく灯りがついて、子供たちはもう家の中に居るのだろうか。灯りを見ると、どこかホッとする。今日は何をしたのだろうか、午前中はいつものことながらデスクワークで、午後はセレモニーがあって市内に出かけた。教育功労者表彰式という、どの市でもあるようなセレモニーだった。自分は市内のある学校の評議員を長くやっているせいか、表彰を受けることになった。この年になると賞状を渡す役はあるが、受け取るのはどこか気が引ける。今日の表彰式は大勢の人たちで賑わった。中でも小中学生もいて、県大会とか全国大会などで好成績を挙げた生徒たちが、年配の大人たちに混じって参加していた。何しろ功労者というだけあって、若者はいない。お年寄りと呼んでもよいような年配者であり、中には歩くのも少しおぼつかないような人もいた。このようなセレモニーでは、男性はスーツにネクタイをし、女性の中には和服姿の人もいた。自分もあまり好きではないネクタイをして、かしこまって参加した。1時間半の儀式はかなり長いのだが、まさか式典中スマホを触る訳にもいかず、じっと時を過ぎるのを待っていた。外は晴天の秋晴れで気温は低かったが、100人ほどが入るホールは、秋の日差しが入り込み温かかった。癒し系で眠気を誘うような静かな音楽が流れ、なるほど儀式とはこういうものかと思った。その中でもひと際目立つのは、先ほどの生徒たちである。その空間だけその表彰を受ける時間だけ、輝くような場面に変わる。まるで劇場にスポットライトが当たるような感じがした。そうか生徒はエネルギーの源泉なのか、人生を長い間生き抜いてきた年配者は、エネルギーを使い果たして湧き出るものがないのかと思った。不登校の文献を読んでいたら、心のエネルギーが欠乏したから不登校になるのだと書いてあったが、自分はあまり納得できなかった。子どもや若者はどんな状態であったとしても、湧き出る源泉を持っている。そのエネルギーの放出の仕方が違っているだけなのではないかと思っている。どんな子どもも光り輝く宝であり未来に向かっていけるエンジンを持っている。文脈は離れるが新聞に、ピアスの子夜学の一番前の席(寺村洋子)の句があった。どんな生徒なのだろうか、ピアスを着けていようがいまいが、この子は一番前の席で授業を聞いて、未来を見ているのだ。こんな仕事をしたい、自分はこうなりたいと思っているに違いない。今日のセレモニーで表彰を受けた生徒も、ピアスを着けている子も、花も実もある青春時代や活躍できる人生が待っている。子どもたちはスポットライトを浴びて演技をする役者であり、我々年配者は座席で舞台を眺めて拍手を送る観客である。今日の表彰式のセレモニーに出て、ふとそんなことを思った。
自由自在
今は土曜日の夕方、書斎の窓から見る空はもう真っ暗である。今日もつつがなく日が暮れて、一日が終わる。自分の休日の過ごし方は、およそ決まっている。現役の頃と違って、休日があるようなないような、平日との差がはっきりしない。午前中は書斎で、今日は審査系の仕事を主にして、午後は少しの畑仕事をした後スポーツジムに行って、今ブログを書いている。スポーツジムに行く予定は土日なのだが、イベントなどが入ることもあるので、先週から金土日の週末を当てることにした。といってもなかなかすべて時間が取れないので、多分平均的には月に6日~8日ぐらいだろうと思う。会費を支払っているからという思いと、このぐらいの運動をしないと体力が弱り健康が維持できないからという理由で、予定表に入れている。誰でも似たような考えをして、毎日を過ごしているだろう。午前中はデスクワークで、審査の仕事で面白い論文に出会い、今日は良い事があった、お店の商売をしている人であれば、今日は良いお客が来て売上が伸びたというような感覚だろう、なんとなくほほが緩むような時間を過ごした。しかしそんな嬉しいことばかりではない。今朝送ったメールを思い出して、あれは強く言い過ぎた、自分はなんと浅はかなことをしたのだろうかと悔やんだ。多分誰でも似たような経験があると思うが、なぜか後になって気になり、まずかったなどと思って反省するのである。もっと忖度してメールを送れば良かったなどと思う。しかし反面、いつまでも胸の中に気掛かりなことが残っていれば、それも苦しい。本当にどうすればいいんだろうか。インフルエンザの予防接種をするために、かかりつけのクリニックに昨日行った。その時待合室にテレビがあって、心理学者が似たようなテーマで解説をしていた。たしか相手は自分が思っているほど気にしていないのだというような話だったと思うが、人間社会はまさに気を遣いながら生きているようだ。もっと自分の気持ちに沿って、あっけらかんと表現した方が良いのかもしれない。新聞に、空を飛び地面を歩きとび跳ねる嫌われカラスは人より自在(代靖子)の句があった。確かにこの句の通りだ。憎まれっ子世にはばかるのことわざ 通り、そういう人の方が世間では活躍して幅を利かせているようだ。しかしどちらが良いとも言えない。カラスを羨ましいとは思いつつも、そうはなりたくないと、自分は思うからである。ということは、自分のありのままの生き方で良いと認めるしかないのか。
まっすぐに
今は火曜日の夕方、書斎の窓から見る空はもう真っ暗で、先ほどまで西の空が茜色で夕焼けだった。明日も良い天気なのか、昨日も今日も秋晴れの暖かい日で、11月とは思えないような気温だったので、外に出かける時長袖のシャツが暑かった。今日を振り返ると、ほとんど大したことはしてないのだが、それでも忙しいと思うのはなぜだろうか。午前中は教育センターに協力して学校訪問し、そのコメントを義務ではないのだが律儀に書いて送るとちょうど12時になる。この前の秩父温泉に行った時食べた秩父蕎麦が忘れられなくて、今日のお昼は近くの手打ち蕎麦屋に行った。ざるそばが自分の好みなので、というか蕎麦の美味しさがよく分かるからなのだが、美味しい蕎麦だった。週に一回蕎麦の日を作るからと、家内に告げた。その後も仕事やら色々な用事があって夕方になった。何事もなく平穏といえばその通りで、今所在なく昔のことを思い出したりした。新聞の俳句や短歌の掲載日は月曜日なのだが、昨日が休刊日となり今日になった。自分の机には2台のパソコンがあって、左のパソコンでブログを書き、右のパソコンの画面には、自分の気に入った俳句や短歌が表示されている。これらの句を読んでいると、いろいろなことが浮かんでくる。目を引いたのは、夜学子へ階段に置く握り飯(村野則高)の俳句だが、撰者の解説がないので文脈がよくわからない。勝手に想像すると、夜間の学校に通う生徒なのか大人なのか、夜間中学なのか定時制高校なのか専門学校なのか、作者の身内なのか下宿している他人なのかもわからないが、2階に住んでいるのだろう、階段を下りてくる時におにぎりをそっとおいた作者の気持ちが伝わってくる。この句を読んで、自分が高校教師だった時のことをふと思い出した。剣道部の顧問をしていたことがある。前任校では弓道部の顧問だったが、剣道は素人なので町の道場に夜通っていた。子供も2人いたから、なんともちぐはぐな光景なのだが、夕食後では竹刀を振れないので、出かけるときは家内がおにぎりをくれたことを、この句を読んで思い出したのである。若い時は、ただただ前を向いて進んでいたのだ。剣道がうまくなりたいというわけではなく、少しでも技術を身につけておかなければ、教師として生徒の前に出れないからである。高校なのになぜか修学旅行が京都だったことがあった。生徒たちは自主的に見学するのだが、恥ずかしながら自分はそんな経験がなかった。幼かった子供たち2人を連れて、4人で京都の1泊2日の下見旅行をした。それはまだ若かった頃の思い出で、自分もまっすぐに高校教師を生き抜いていたような気がする。今自分がだらけているというわけでもないが、あの頃は全力で走っていたのだ。穏やかな一日が終わる頃、まるでドラマのような眩しいような時代を思い出した。人生のページが終わりになるまでは、平凡だが悔いのない生き方をして表紙を閉じたい。
配膳ロボット
今日は土曜日ブログを書く曜日なのだが、このところいろいろ仕事や私的用事の関係で変則的になっている。土曜日は、今日の出来事だけというよりも、1週間を振り返る意味合いもある。散文的だが公開日誌なので、気になってることを書いておこう。木曜日7日は少し驚きの出来事があった。7日が発売日の週刊文春に自分への取材記事が掲載された。もちろん事前にインタビューされているので、そのことはわかっているのだが、メディアの取材は往々にしてボツになる事が多いので、今回は半ページにわたってしっかり書いてあったので驚いたのだ。もちろん週刊誌だからタイトルはセンセーショナルで、自分の好みには全く合わないが、先方はビジネスなので仕方がない。まあそれもいいだろう。自分はもう専門分野から引退するような年齢なので、掲載されたそのことにびっくりしたのである。老兵はまだ死なずのような心境だが、この世のことはわからない。そして今日土曜日は、金曜日に温泉に一泊して帰ってきた。時々無性に温泉に行きたくなる。それは幾つになっても、ストレスから逃れたいとか自分に小さなご褒美をあげたいというような思いがあるからだろう。不登校の文献を読んでいたら、子供に心のエネルギーを貯める必要がある、そのためにはリラックスして休憩することだ、大人が温泉に行って鋭気を養うようにと、書いてあった。その考えに妙に納得して家内と出かけたのである。しかしどうも自分には、この理論はあまり当てはまらないような気がする。一番近い温泉場は秩父である。本当にゆったりしたいのならば、特急電車に乗れば行き帰りも楽で、駅からも送迎バスがある。それではどうしても物足りないので、車で行って、札所巡りをいつものようにして、御朱印をもらって、子や孫のことをお願いした。そして今回はどうしても美味しい秩父そばを食べたいと思い、評判の良い店をネットで探した。さらに田園風景を見るのが好きなので、棚田が見える場所にも行った。そして帰宅したらどうしても畑仕事をやっておかないと、後の段取りが悪くなると思って、先ほどまで鍬を振っていた。こうして振り返ってみると、年をとっているのに、ゆったりではなく忙しくたち振る舞っているのである。その方が自分が落ち着くからなのだが、どこかおかしいのかもしれない。文脈は離れるが新聞に、人よりも人らしさインプットされ配膳ロボット道あけて待つ(渡辺照夫)の句があった。自分の場合は、自分自身がプログラムをインプットしているのであるが、どうもその流れに沿って行動しないとすっきりしない、つまり心理的安全性が低くなるともいえる。ということは、自分はほとんど配膳ロボットなのかもしれない。それは良いことなのか、まずいことなのか、自分には分からない。
