自宅勤務

自宅待機ではなく自宅勤務とか在宅勤務が、普通になってきた。勤務であるから職場と同じように仕事をすることになるが、自由に動けるので、自宅と職場では異なるであろう。どちらが効率的か、どちらが質的に高いか、とは別である。現状では自分は、研究などは、自宅のほうがやりやすい。大学の時は、たぶん研究室のほうがやりやすいだろう。とすれば、職場という時間的にも空間的にも制約がある場合と無い場合のどちらがいいとは、簡単には言えない。環境によって、どうにでもなる。ならば、自宅勤務を仕事がやりやすい環境にすればいいだけである。早速、書斎を片付けた。

コロナへの対応

あの志村けんさんが新型コロナの犠牲者となり、自分も含めて世間が驚愕した。改めて、このウイルスの怖さを実感した。テレビで安倍総理や小池都知事が、懸命に訴えている。経済、教育、五輪、支援、ワクチン、自粛など、多岐にわたっているが、責任者とはこのような立場なのだ、という当たり前のことに気が付いた。何を言われようと、すべて責任を持つと言う気概がなければ、テレビという公の席で発言は難しいだろう。それに引き換え、責任のない人は、評論家と言って良い。誰でも、それらしいことは言えるが、言うことと実行することと責任を持つことは、天と地ほどの差がある。市民として、責任を持って職責を果たそうとする人々に、応援をしたい。

オンライン会議

新型コロナウイルスの関係で、オンライン会議・テレビ会議が、普通になってきた。やってみると、当たり前だが長所と短所がある。自宅でも職場でも会議に出れる、ビデオをオフにすれば、コーヒーを取りに行っても、別の仕事を並列処理しても、気兼ねがない。音声をオフにすれば、声も聞こえない。授業で内職をする学生の気分と同じだ。とすれば、その会議は、それほど真剣には参加していないことになる。これは短所だが、およその会議は、議題を承認することが多いので、これでもいいか、という気分になる。なるほど、難しい顔をして会議をしても、実際はこのようなものだったのか。


生物多様性

3月28日読売新聞朝刊で、養老孟司先生がコロナも生物多様性の1つであり共存することになると解説していたが、まったく同感である。人間には抗体ができるので、今は避ける努力はするが、やがて風邪や花粉症と同じようになるだろう。この状態では、今できることを精一杯やっていくしかない。自分は、懸案の資料作りの時間が取れて有難い。昔、筑波の教員研修所で、講演のため一緒に昼食をとったことを思い出した。

ブランコ

新型コロナの影響で、外出自粛要請が出て、じっとしなくてはいけない、と言っても天気が良ければ散歩くらいはしたくなるのは人情である。春の夕日はやさしく、体も心も包み込んでくれる。近所の公園で、母親と幼児がボール蹴りに興じている。その横で、赤ちゃんを抱いた母親が、ブランコにゆっくり身をゆだねている。世の喧騒とは違う、いつもの光景であった。ブランコは、どこか郷愁を誘うゆりかごである。