男と女

 今は金曜日の夕方で、書斎の窓から南向きの空を眺めてみると、灰色の雲がどっしりと空一面を覆っている。今日は一日中曇り空であり、同時に肌寒かった。昨日もまるで冬のような寒さで、長袖のシャツだけでは外出できずジャケットを羽織って出かけた。今週はそれほど忙しい仕事はなかったが、それでも都内に出かけたり、オンラインで会議をしたり、諸々の用事を済ませたりという一週間だった。洗濯やら料理やらいろいろな家事をこなしながら、仕事もやりくりしてなんとか今日まで来た。

 今日、家内が18日間の入院を終えて、自宅に戻ってきた。午前中に病院に行って手続きを済ませた。終わってみればあっけないような気持ちもするが、同時に戻ってくれて良かったという安堵感はある。今日は退院祝いだと言って、病院から自宅に戻る途中に新鮮な魚を売る店があって、そこでお寿司と刺身を買った。病院では食べられなかったせいか、待ちに待ったような料理だった。自宅に帰って、お昼はささやかな退院祝いをした。家内はお寿司で自分は刺身だったが、少し晴れやかな我が家になった。

 病院では甘いものは食べられないからと言ったので、歩いて2分程のスーパーで甘系のお菓子類を買ってきた。よほど美味しかったのだろう、満面の笑顔で食べていた。リハビリを続けなければならないが、我が家はそんなに良いものかと思うほど居心地がよさそうだった。娘夫婦や息子夫婦も、また娘も一人で我が家と病院に足を運んでくれて見守ってくれた。人は誰でも、誰かに支えられて生きているようだ。

 一週間を振り返ってふと思う。女の方が強く、そして賢いかもしれない。男は強がっているだけで本当は弱いのだ。仕事上では偉そうなことを言っても、本当は賢くはないのだ。昔流行った歌謡曲に似たような歌詞があった。このことを書くには紙幅がないのと、些細なことであまり意味がないので省略するが、自分はそのことを実感した。たぶんどの家庭でも同じだと思う。昭和の人間としては、どこか男のほうが女より上だという意識があったのかもしれない。しかしそれは間違いである。明治の頃はそれがさらに極端であった。朝の連続ドラマを見て、父親の姿に醜さと浅はかさを感じた。だから腹が立つのでもう見ていない。

 これまでの生き方を振り返ってみた時、自分が至らぬ夫であった、学生の言うことを素直に聞けなかった傲慢な教師であったことを、今恥じている。自分のことは、分かっているようでほとんど分かっていないのだ。自分の生き方は、自分が正しいと思い込んでいることが多かった。家内や学生から見れば、なんと偉そうでもっと優しくなれないのかと、思っていたに違いない。家内の入院で初めてそのことに気づいた。人はおかしなもので、他人からそう言われてもそのまま受け取れないのだ。自分で気づくしか自分のことはわからない。しかし、気づけば自分を変えることができる。

 文脈は遠く離れるが、新聞に「ネガティブな思いばかりの我の前ゆらりゆらりと折れぬコスモス」(宮前咲恵)の句があった。コスモスの花は、まるで女性のように芯が強いのだ。表面は柔らかであるが、決して倒れない強い花である。作者は女性のようだが、コスモスに勇気づけられたのかもしれない。誰でも落ち込むこともあり、自分は取るに足らない人間だと思うこともあるだろう。それでもあきらめないで頑張っていくのが人の常である。自分も反省はするが、頑張ることを止めはしない。コスモスのように最後まで倒れない。体力も気力も衰えていくことは確かであるが、そして至らぬ自分ながらも最後まで歩んでいきたい。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21名誉会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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