学校訪問

 今は金曜日の夕方、いつものように書斎の窓から空を見ている。今日も一日中小雨が降って、秋の長雨の言葉通り、しばらくはこのような雨模様が続くようだ。今日は午前中に学校訪問があり、帰宅してコメントを書いて送った。午後はオンラインの研究会があって、その後散歩をして今帰って来た。通常はジョギングなのだが、今日は雨も降りそうなので、傘を持って散歩としゃれ込んだが、予想通り雨が降ってきた。約一時間の散歩だったが、背中が汗びっしょりになった。散歩とは言え、小雨が降る中を歩くと適度な運動になったのか、気持ちが晴れ晴れとしている。やはり体を動かすことは健康の源である。

 手帳を見ると、今週から市内の学校訪問が始まった。教育センターのアドバイザーをしている関係で、授業を参観しその日のうちにコメントを書いて送っている。その日というより午前中になるべく送るようにしている。今週は4校訪問したが、今日は東のはずれの小学校だった。この学校が自宅から最も遠くて、雨降りのせいか道路が混んでいて車で40分かかった。そして初めて能力別編成のクラスの授業を参観した。低学力のクラスなので、先生と学習支援員の先生の2人で、9名という少人数の子供たちを指導していた。先生は、噛んで含めるように分数の割り算を教えていた。「みかんが16個あります。3人で分けたら一人何個もらえて、何個余るでしょうか」という定番の文章題である。

 さすがに先生は子供のことをよく知っていて、みかんを分ける仕草を見せた。自分は初め何をしているのだろうと思ったが、この文章の意味を伝えていたのだと気がついた。文章の意味がわからないとは、自分は考えてもみなかった。そしてプラスチック製のおはじきを一人一人に渡して、考えさせた。そして黒板に磁石製のおはじきを使って、やり方を見せた。そのやり方は3人とも同じ数のみかんなので、はじめは1個ずつ次も1個ずつ渡して、答えを導いた。これは大変だねと言って、割り算の計算式を書いて計算した。

 1個ずつ渡す方法は、数え上げである。それはコンピュータの計算方法である。ひとりの子供は指折りしながら計算していた。コンピュータは指折りの数え方と同じで、最も素朴で自然な計算方法なのかと思った。それで計算式という方法が発明されて、効率的に計算できるようになった。計算の苦手な子供は、指折りの数え方から入るのがよいと、この先生は思ったのだろう。この説明が終わって、教科書の次の問題を解く場面になった。それは数字が少し変わっただけで、全く同じ問題だった。だから自分はこの易しい問題はすぐに正解するだろうと思った。しかし実際は全く違っていた。計算式が書けない子供もいれば、書いても計算できない子供もいる。これが子供の実態なのかと知った時、自分は何も知らないのだと気がついた。

 担当の先生も学習指導員の先生も、一人一人に寄り添って優しく丁寧に教えていた。「個に応じる」とはこのことかと、初めて教えてもらったような気がした。後で先生が「自分の分身が何人でも欲しい」と言われた時、後ろで授業参観をしている自分が何の役にも立っていないことが分かって、申し訳ない思いがした。ある子供の横に立ってノートを見たら、計算式も何も書けていなかった。その子供がそっとノートを隠すようにした。子供は子供なりの苦しさがあるのだ。それを上から目線で見ている自分は一体何なのだ、本当に情けないと思った。

 小雨の降る散歩で、下校する子供たちに出会った。どの子供も元気で嬉しそうに話し合っている光景を見ると、学校は楽しく桃源郷のようだと思うが、子供たち一人一人は楽しいことばかりではなく、苦手なことも逃げ出したいこともあるのだ。その中に入ってみなければ、外から見ているだけでは何もわからない。帰宅途中、訪問介護の車とすれ違った。この世の中は楽しいことも苦しいこともあって、そして子供も大人も老人も頑張って生きているのだ。それでも学校の素晴らしさに惹かれて、これからも教育センターのアドバイザーとして学校訪問をしたい。その実践の一部を「教育のダブルスタンダード」としてアマゾンで出版した。

 文脈は遠く離れるが、新聞に「地球にも表面張力露の秋」(渡辺しゅういち) の句があった。宇宙から見れば、地球はまるでハスの葉っぱに乗っている露のような水滴に見えるのだろう。海が青く奇跡のような美しい星に見えるのだろう。しかしその中に入ってみれば、大洪水やら大地震やら戦争など、いたるところに厳しい出来事が起きている。それでもなんとか努力して、美しい地球を守ろうとする人間がいる。学校も同じである。いや学校だけでなく家庭も地域も、すべて同じだろう。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21名誉会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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