今は金曜日の夕方、今日はほぼ一日中小雨が降って、秋の長雨の言葉通りである。福井県や千葉県などは未曾有の大洪水で、生活も困窮しているようだ。だからこんな呑気なことを書くと、被害を受けた人々から叱られそうである。最近の気象異常はどうにもならず、地震や高気温と大水害が一度にやってくる。ニュースを見るたびに、人間の弱さが身にしみる。そんな弱い人間同士が戦争をして、この世の中はどうなっているのだ。まさに末法の世の中なのか、どこに希望が見えるのか、などと心の中で誰しも呟いているに違いない。
今日は珍しく都内の高等学校を訪問して、先ほど帰ってきた。久しぶりに電車に乗って学校に着くと、若者は何の屈託もなく、勉強や運動そして日々の生活を謳歌しているように見えた。実際はいじめ不登校などの話を聞けば、内面は誰も複雑な思いを持っているに違いない。それでも二学期になって初めての仕事をしたという思いがあって、どこか心がくすぐられているような気がした。今週を振り返ってみて、実は昨日は大変な一日だった。ブログなので事実をありのまま述べるが、家内が10月に手術を受けて入院することになった。本来は市内にある大学病院の予定であったが、手術を希望する人の数が膨大で年内は無理だという。そこで隣の市の病院で手術を受けることになった。そのための検査やら諸々の打ち合わせやらで、家内を車に乗せて病院に行き、帰ってきたのは午後7時になっていた。
身内のことをあまり話すのも少し気が引けるが、去年は脊柱管狭窄症の手術を受け、今年は膝の手術を受ける。どちらも痛くて痛くてたまらない。なるべく早く手術をして、楽に歩けるようになりたいと思うのは人情である。自分などは痛みに弱いので、よほど大騒ぎするだろう。そして病院も手術も大嫌いなので、逃げ惑うだろう。女性の方が男性よりも我慢強いようで、本当に偉いと思う。昨日病院に行って思ったことは、なんと患者さんの多いことか、皆さんは痛みや苦しさをこらえて耐えているのかと思うと、自分がまだ成長していない子供のように思えてきた。そして病院は待つことにも耐えるところなのかと思った。何時間も待たされてよく平気だなあ、と患者の皆さんも偉く見えてきた。
待つことも大の苦手な自分は、幾つかの本を持って行った。実はその中に自分の新刊書があった。このことについては日を改めて話したいが、9月1日の発行日で「教育のダブルスタンダード」のタイトルである。アマゾン出版なので、1ページから214頁までと表紙もすべて自作である。それが9月3日の午前中に届いたので、それを読んでなんとか待ち時間を乗り越えた。痛みのない自分が、待つのも大嫌いというのは、もはや幼児みたいなもので、何の取り柄もない人間のように思える。
しかし自分もこれからは心して、毎日を生活しなければならないだろう。10月の手術までにいろいろな検査が待っている。そして手術をして帰宅できたとしても、リハビリのために病院に通わなければならない。もちろん入院中は、自分が掃除・洗濯・料理など、すべき事をするのは当然だが、これまでのようにはいかないだろう。入院中の家内の衣服も自分が洗濯するだろう。隣の市の病院まで痛い足を引きずって電車で通うのはあまりにも惨めだから、自分が車で送っていこうと思う。ただフリーランスとは言いながら、いろいろな仕事を抱えていて難しいことも起きるだろう。昨日は家内とそんな話をしながら、これからの計画を立てた。
文脈は遠く離れるが、新聞に「秋立つや硬めの糊の白シーツ」(遠藤音々)の句があった。秋には、ビシッとした真っ白なシーツでベッドを整えるのだろう。自分は今日が二学期の仕事初めであった。学校に行って自分の背筋が少しピシッとしたような気がした。頼りない自分だが、「これからはしっかりしよう、もっともっと頑張ろう」と自分に言い聞かせた。この世の中には、頑張っている人が山のようにいる。日照り続きで野菜がしおれてしまった農家、大洪水で機械がすべて使い物にならなくなった工場経営者、地震で我が家を失い、怪我をした子供を抱える夫婦など、もがきながら頑張っているのだ。それに比べれば、自分などは取るに足らない小さな出来事だろう。医者は、右膝の次は左膝の手術も必要になるだろうと言われた。まあまあ大丈夫、それを乗り切れば軽い足取りで動けるようになるのだ。半年か1年くらいの辛抱なら心配することはない。自分がしっかりすればよいのだ、頑張ればよいのだ。
