今は7月3日金曜日の午前である。金曜日にブログを書いて1週間を振り返るのはよいのだが、通常は夕方に書いている。この時間にパソコン画面に向かっているのは、午後から私的な用事が入っているからで、いつものように書斎の窓から空を見ている。曇り空であるといっても、どんよりとした灰色ではなく、白色で雲の切れ目はない。梅雨の季節なので、ほぼ毎日このような天候である。少量でも良いので雨が降った方が野菜の育ちはよく、農家も喜ぶだろう。私もたまには小さな菜園の雑草などを取っているが、この時期は伸び方が早い。名も知らぬ雑草やドクダミなどは、放っておくと外から見れば、この家人は手を抜いていることがすぐばれる。しかし曇り空や小雨が降る日は、腰が重くなって眺めるだけである。
1週間を振り返って気になったことといえば、新聞の掲載記事である。それぞれの時代を精一杯生きて、世に名を挙げた人の生き様の連載であるが、一昨日から柔道家山下氏が登場した。言うまでもなくロスアンゼルスオリンピックの柔道の金メダリストであり、その後も日本オリンピック委員会JOCの会長を長く勤めたと聞いている。ただ自分の脳裏には、オリンピックの決勝戦が強く残っている。この時、山下氏は足の怪我をしたので、少し足を引きずっているような印象があった。この不利な状況の中で、よくぞ優勝できたと感慨深かった。それは私だけでなく、日本中の人々が精一杯の拍手を送った。勝った瞬間、山下氏は両手を上げて、そして涙を流していたと記録している。テレビ画面なのでうろ覚えではあるが、私は深い感銘を受けた。
その後、山下氏がJOCの会長になったことは知っていたが、山下氏は柔道家としてだけでなく、日本のスポーツ界を背負っていく至宝として尊敬されていたと思う。日本の伝統スポーツである柔道を代表する人物として、誰もが日本人らしい好漢山下氏を応援している。しかし新聞記事には、「逆境を背負い、前へ」のタイトルがついていた。山下氏にも逆境があったのかと思った。新聞記事には、数年前に温泉で突然の病に倒れ、現在もまだ手足が不自由で、車椅子でリハビリを続けていると報道していた。まさかあの山下氏がと思ったが、順風満帆はいつまでも続かないのか、天に情けはないのか、と思った。あの人懐っこい笑顔と、日本中の期待を背負って怪我をしても頑張り抜いた山下氏の人柄は、誰でも好感を持っている。あのような素晴らしい人でも、神は情け容赦はしないのかと思った。
しかし新聞記事を読んで、さらに山下氏の考え方に共鳴した。「あの時死んでいてもおかしくなかったのに、今生きていることはまだすべき事がある」と語っていた。頑健な身体に鍛え上げただけでなく、精神までも力強く鍛えたのだ。そしてその鍛え方は、鋼のような強さではなく、しなやかな強さなのだ。「柔よく剛を制す」の言葉通り、気負うことなく、不自由な自分の体を支えてくれる人たちに感謝しながら、自分ができる精一杯の努力をしたいと語っていた。山下氏には柔道の真髄がしっかりと根付いているに違いない。その道を極めた人は、どこか達観した人生観を持っているようだ。誰にも幸不幸はやってくる。しかしその受け止め方が大切なのだ。そのことは誰もわかっているが、本音でそう思っているかどうかは別である。それはどこか仏教用語で言えば「悟り」のような気がする。
新聞に「むきたてのゆで玉子だよと頭撫で治療のりきる娘の笑顔」(梅川さりい)の句があった。がん手術の後の治療薬の後遺症なのだろうか、滅入りたくなるような辛さを乗り越えて、笑顔で母親に話している。本当にこの人は偉いなと思った。自分ならとても真似できないと思いながら、人は誰でもこのようにして、苦しいこともつらいことも乗り越えていくのだと思った時、人間とはどんなことも頑張っていける力を本来的に持っているのではないかと思った。ワールドカップで日本選手がブラジルに負けた時、ある選手は「四年後を目指して鍛えて優勝する、まだまだ自分たちの力量が低かったのだ」と語った。日本を代表するような選手たちは、素晴らしい精神力を持っている。がん治療を受けた娘さんもサッカー選手もそして山下氏も、こうして起きてくる出来事と戦っている。自分も生きる勇気をもらった。
