変わらぬ生活

今は、火曜日の、まだ外は明るい夕方である。このブログを書いて、その後お風呂に入って、その後、夕食ではなくてオンライン会議が入っている。午後7時から9時までだから、当然、空腹になるが、その後、夕食である。それは、一杯飲みたいからで、先にお腹を一杯にして、会議で頭を使って、さて一杯やるか、というわけにはいかない。仕事も片付けて、お風呂にも入って、すべて終わって、美味しい夕餉になるのが、事の順序だろう。午前中は、学校訪問があって、午後は、先ほどまで市役所の6階で会議があって、帰宅したところである。コロナ禍になって、すっかり生活パターンが変わってしまった。それまでは、都内の事務所に電車に乗って出かける、ハンを押したように、定時に家を出て、ほぼ定時に帰宅する毎日だった。時々、出張が入ったり、会合で遅くなったりするが、逆に早めに帰宅することは、ほとんどない。つまり、典型的なサラリーマン、というか、団体役員と自称しているが、的な生活で、朝の通勤電車で、なるべく座れるように、時刻と電車の乗り場所を工夫する毎日だった。事務所に着くと、いろいろな仕事をして、ああ、自分も団体役員か、と、まんざらでもなく、満足して通勤していた。お昼は、行きつけの、サラリーマンで一杯の店に行って、美味しい蕎麦やうどん、カツ丼、パン、パスタ、カレーなど、およそ定番の食事をして、それは楽しみな時間だったが、という、生活だった。世のサラリーマンとは、こんなことか、と思っていたが、今は、まったく違う。書斎が仕事場であり、オンラインがほぼすべて、お昼は外食ではなく、1階の居間で食べて、近所の店で買ってくる、サンドウィッチ、肉まん、石焼き芋、インスタント蕎麦やラーメンなど、およそ、質素な食事である。運動をしないと、と思って、お昼に、短い運動をすることもある。2月は、いろいろ忙しく、出かけることも多かったが、普段は、都内への電車から、市内で車での移動が、中心になってきた。そして、慣れた。もうすっかり慣れて、電車にはなるべく乗りたくない、なるべくオンラインで済ませたい、今日も、夜の会議は、オンラインにしてもらったが、そんな生活をすると、自分は、所沢市民なのだ、という意識が強くなって、この生活は、自分に合っている、ずっとこうして生活して、このまま往生したい、などと思うようになる。コロナ禍以前から、ずっと以前から、こんな生活をしていたのか、と思うくらいで、お前は、変化がなくて、凡庸な生活が好きか、と言われても、はい、そうです、これが気に入っています、と答えたい心境なのだ。車に乗って市内を移動すると、仕事だという意識も薄らいで、このまま温泉地に行ったら、楽しいだろう、など、不謹慎なことを考えることもある。庶民の生活とは、こんなものではないのか、昨日は、都内で仕事があって、珍しく都心の赤坂で懇親会があって、深夜に帰宅した。だから、眠いはずだが、朝5時起床の目覚ましで起きて、普段と変わらぬ生活を送っている。変化があること、それは素晴らしいことだが、変わらないこと、それも、満ち足りた、小さな幸せではないか、と思う。新聞に、降る雪や昔ばなしをするように(小山内豊彦)の句があった。日本海側辺りで、雪が降る日は、昔に聞いた話を思い出すのか、いつの時代も変わらない生活なのか、太平洋側から見れば、大変だな、と思うかもしれないが、雪掻きをし、雪道を作り、仕事に出かけ、暖かい我が家に帰る、という平凡な生活だが、ずっと変わらぬ生活で、その中に、これでいいのだ、柱に背をもたれて、うつらうつらして、音楽を聴いたり、テレビ番組を見たり、という想像をした。とすれば、電車通勤も良し、在宅勤務も、また良し、都内の事務所から出かけるのも良し、市内を車で出かけるのも、また良し、今の生活を味わってみると、それは、案外、幸せに包まれているのかもしれない。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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