今は金曜日の夕方、いつものように2階の書斎の南向きの窓から空を眺めている。今日は一日中どんよりとした曇り空で、今も空は白色で、マンション群を覆っている。先ほど西の方角にある春の小川に向かって少しばかりのジョギングをして、いつものように庭にあるグレープフルーツを家内が一口サイズに切ったものを、紅茶用の細長いスティックシュガーをかけて食べた。年寄りのジョギングであっても汗をかくので、酸性の強いフルーツが殊のほかおいしく、体の中に染み込んでくる。今日もジョギングができてよかった、そんなことを言いながら先ほど2階に上がってきた。
実は今日は、自分にとってはかなり重要な日であった。ブログは公開日記なので、正直に午前中の出来事を書く。市内にある大学病院に出かけた。このブログでも書いたが、主治医である内科医から、定期的な血液検査の結果が思わしくないので、大学病院に行きなさいと言われた。かつては都内の私立の大学病院に、半年に1回ぐらい検査を受けていたのだが、患者が長蛇の列をなし、あまりにも時間がかかるので変えてもらった。市内の大学病院はよく知っているので気楽だと思っていたが、その思惑は違った。防衛医科大学という名前からして、患者は医師に逆らえないような印象があって、正直変えなければよかったと思った。
医者は専門家である。そして大学病院は最先端の施設を整えて、研究もしながら患者を治療する。今日まで3回の検査をしたが、いずれも何人かの医学生が立ち合って、まるで生体実験を観察するかのように、教授が学生に説明していた。専門用語は分からなくても、雰囲気で病状の進行状態がわかる。3回目の検査で教授が、どうもなかなか難しいね、と言った言葉がしこりのように頭の中に残った。今日はその診断の日であった。自分はもう手術の覚悟を決めた。家内とも話し合った。もし手術なら個室にしてもらうこと、パソコンを持ち込むことを許してもらうこと、日程については自分の希望も受け入れてもらうこと、などであった。これまで一度も手術と入院をしたことがなかったから、不安がないといえばウソになるが、それよりも仕事の日程に狂いが生じることの方が怖かった。
それを心配して、家内も今日は一緒についてきた。昔の罪人が、奉行所の白州に座って罪状を受ける心境に似ていた。そして医師ははっきりと、手術することはありません、これまで通り内科医院で定期的な血液検査を受けてください、と言って、いろいろな数値データやエコー写真などを見せながら、学生に説明するように丁寧に理由を言った。それは経過観察であり、大学病院に来る必要はないことを明言したのである。自分は、この時ほど嬉しかった瞬間はなかった。これでまた、自分の仕事が出来る、原稿が書ける、人前で話もできる、と思った時、感謝で胸がいっぱいになった。
癌の疑いではない、甲状腺ホルモンの関係でカルシウムの数値が増加していたのである。自分は不安だったので、実は生成AIで調べた。生成AIは、この症状ですぐに手術することはほとんどありません、と断言し、いくつかの根拠も示していた。生成AIで調べる前は、ほとんど手術だろうと勝手に推測し、悪いことばかりを妄想していた。結果は、生成AIの言った通りである。生成AIは、ビッグデータつまり統計データに基づいている。ある論文に、人が事前に予想する悪い出来事の70%は起きないと、書かれていたことを思い出した。だからといって、誰でも楽観的に事に当たることは難しい。市井の人は医者でもなく科学者でもない。だから心配するのが普通なのだ。そしてその心配が晴れた時、今自分が置かれている状況に心から感謝できる。
文脈は離れるが新聞に、「特急が速度落とさず過ぎゆける小さな駅の町に老いゆく」(田中美登)の句があった。自分も特急のような優れた能力があるわけでもなく、普通列車のように、少しずつ自分のできることをやりながら老いていき、やがて往生するだろう。しかしその当たり前のような生き方ができること自身が、すごいことなのだ。今日自分は医師の診断を受けて、普通に仕事ができること、普通の生活ができることが、いかに素晴らしいことかを知った。特急や急行でなくてよい。普通で十分なのだ。
