ねぎらう言葉

今は土曜日の夕方、いつものように2階の書斎の窓から空を見ている。空一面の曇天で、スポーツジムの帰りは雨が降っていた。異常気象と言われるように、35度近くの酷暑もあれば今日のような25度前後の涼しい日もある。今日は1日中曇り空で、午前中も小雨が降り午後からはずっと雨が降っていた。どこか肌寒いような気温だった。寝室ではクーラーをかけて寝るのだが、昨夜はかけなかった。そのせいかどうかわからないが、朝起きたとき咳が出なかった。実はここ数週間、咳が出たり鼻水が出たりティッシュが手放せなかったので、書斎のゴミ箱は書類よりもティッシュの方が多かった。今日は少ししかティッシュを使ってない。ありがたいことに体調も回復してきたようだ。昨日の昼間は体がだるくて、1階の居間で30分程横になっていた。その休憩がよかったのか、昨夜のクーラーを切ったのがよかったのか分からないが、今日は少し元気を取り戻したようだ。だから雨の中をスポーツジムに行って汗を流した。ジムにはサウナがあるので、汗でいっぱいになった体を、プールに隣接している屋外のジャグジーに浸かる。冷たい雨に濡れながら温かいジャグジーに体を浸していると、頭冷体温というか、その温度差で体全体がリフレッシュするような気がした。そして少しの時間だが、ぼーっと気になることを考えたりする。今週はあんなこともあったこんなこともあった、嬉しいこともあったが気になることもあった、こんな風にして時が過ぎていき、年を重ねていくのか、と思う。誰でもうまくいけば喜び失敗すれば打ちひしがれるのが人間の常だが、それでもいくつになってもなんとか上手くいくようにもがいているのだと思う。今週も学校訪問があったので、授業参観をしてコメントを送った。小学校の先生は優しく、中学校の先生はそれなりに厳しく授業をされているようだ。ただ世の中と少し違うと思う文化がある。それは子供や生徒が失敗しても、責めることはほとんどないことだ。企業や行政や団体であっても、数字の結果はそれなりの責めを担当者は負う。大学や大学院などは、高等学校までと違って業績という言葉を使う。業績が低ければ企業の営業成績が悪いことと同じで、それなりの競争社会で生きている。もちろん理系文系や国立私立などで比重は違うが、競争原理は働いている。しかし小中高等学校は学校教育法によって定められていることもあるが、学校文化があって競争原理は基本的にはない。だから年を取って振り返ると、桃源郷のような小中学校を懐かしく思い出すのだろう。文脈は離れるが新聞に、失敗を労(ねぎら)ふ言葉涼しくて(臼井正)の句があった。猛暑の中で、緑に囲まれた木陰に入って優しい風にあたると、その清涼感がこの上なく心地よい。失敗した時のねぎらう言葉は、競争社会と学校文化では違うだろう。世の中の組織は、今現在で評価するが、学校では今は将来のための一里塚であり、学校を卒業してからの未来を期待している。だから失敗しても優しい言葉が生きるのかもしれない。自分も団体の役員として長く仕事をしてきたので、数字で左右された。しかしどうだろう、仕事をするのは人間である。人間を育てるプロの組織が学校であるとすれば、学校文化を世の中の組織でも取り入れた方が良いのではないか。こんなことを書けば、多分世間はそんな甘いものではないという声が聞こえてきそうである。自分は長く教育の世界で仕事をしてきたせいか、この俳句のねぎらう言葉に共感している。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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