今日は火曜日の夕方、書斎の窓から見る南側の空は曇り空で、灰色一色なのでいかにも寒々しい。先ほど外から帰ってきたばかりで、駅から帰宅する途中やっぱり冬かと感じた寒さだった。今日も忙しい1日で、特に今週はイベントが詰まっていて、手帳が真っ黒になっている。しかし若い頃と感じ方が違う。いつも走っているねと、よく言われていたが、それは嬉々として仕事に取り組んでいたからだろう。オーバーに言えば、すべて楽しかった。正しく言えば、楽しかったことも落ち込むこともあって、その振幅が大きかった。年を取った今は、悲しいかな振幅が小さくなったのだ。それは当たり前のことで嘆くことではないが、今日のような太陽のかけらも見えない冬空は、人を少しだけ憂鬱にさせる。午前中は、オンラインの審査系の仕事があった。国の仕事なので時間をかけて準備して臨んだのだが、他の審査員の質問は核心をついて鋭く切り込む切れ味があった。それに比べて自分の質問は、なまくらの刀のようで見るからに切れ味が悪かった。そんな仕事をしていると、審査員のレベルの差がはっきりと見えてくる。俺はまだまだ駄目なのかと、自己肯定感が下がってくる。でもこんなことはよくあることなのだ。そんな自分が情けなくなったが、逃げるわけにはいかない。午後は市役所で会議があって出かけた。あまり気持ちが高揚していないので、話さないようにしようと思っていたが、そろそろ最後の場面だと思った時、話しておきたいと思って、感じたことを淡々と述べた。それは鋭い意見ではなく、日頃自分が感じていたことなのだが、それから委員の意見が続出した。そうか自分の意見が他の人の考えを誘発したのか、それはありがたい。最後になってこの会議は盛り上がり、少しお役にたったのかと思った。自分はどこかサービス精神があって、皆さんの意見を引き出すように、潜在的に持っているのかもしれない。午前中の審査の会議と比べると、嬉しい会議だった。午前中だけの審査会であれば、少し憂鬱になって 午後の仕事が上の空のようになったかもしれない。人はいつもうまくいくことばかりではないことはよく分かっている。分かっていながら、がっかりしたり喜んだり、1日の中でもそんな感情の起伏の中で生きている。やがてその振幅もだんだん小さくなって、ぼーっとした1日を過ごすのか、それは寂しい。多少落ち込むことがあったとしても、何もないよりはましだ。文脈は離れるが新聞に、年金の振り込み通知ありがたし妻と茶を飲み和菓子をつまむ(東賢三郎)の句があった。老夫婦が、微笑みながら茶菓子で談話をしている光景が目に浮かぶ。今日は良かったありがたいと話をしているのだ。小さな振幅ではあるが、心の中は幸せで満たされている。これから先自分はどんな生活をするのだろう。この老夫婦のように、小さなことでも喜び感謝してニコニコしながら暮らせたら、幸せな晩年だろう。自分は、どうも仕事の波から逃れることはできないような気がする。しかしこれから先はだんだん波が小さくなって、静かな余生を送ることになるのだろうか。確かに老いることは寂しいが、この夫婦のような平穏な日々でありたい。

赤堀侃司です。
はじめて、有難いメッセージをいただき、恐縮しています。
この返信が届くのか、わかりませんが、ご連絡、ありがとうございます。
仲のよいご夫婦のようで、ぜひ長生きして、幸せな人生を送ってください。
お礼まで。
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はじめまして、
いつも読ませていただいております。
このように 正直に誰にも理解できるように 書いてくださり 時々共感したり
居られる場所の情景も思い浮かべる事ができ
一緒の時間を共有してるかのようです。
自分だけが クスクスと笑っているのは勿体ないので、
夫にも読ませてあげてます。夫は認知症介護2です、 耳も遠いのですが 身体は元気で助かっております。
私達も同じ後期高齢者ですが こんなに世の中で活躍し、
まだまだ お忙しい日々をおくられて 幸せですね。
こちらも 幸せになります。
これからも楽しみに読ませていただきたいとお思っております。
友達にも読んでもらっていて、楽しみにしているということです。ありがとうございます。
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