余裕

今は火曜日の夕方、ブログを書く時間である。今日は久しぶりにジョギングをした。昨日ほどの寒さはなく、秋らしい良い天気で気温も肌に優しく、周りの景色を見ながら走るのも悪くないなと思って、西の方角の公園に行って戻ってくると、約一時間かかる。東の方角は航空公園だが、西の方角は自分は春の小川と呼んでいる。公園の近くに小川が流れていて、そこに小さな看板があって春の小川と書いてあるからだが、春になると童謡の世界にぴったりの風情になる。その公園では子供たちが大勢でドッジボールをしたりサッカーをしたり、まるで休日のような賑わいであった。そうか今日は埼玉県民の日で学校は休みなのである。秋の柔らかい日差しを浴びてボールを追い回す子供たちの姿を見ているだけで、心が和む。若い人から見ればまるで歩いているかのようなゆっくりした足取りであるが、ともかく一時間走って我が家に戻ると下着が汗でびっしょりになる。体内の老廃物がこれで外に出てすっきりするのかと思い、健康を維持するにはスポーツジムに行くかジョギングが一番だと思って続けている。すぐにシャワーを浴びて身も心も爽やかな気持ちで、和服に着替えて書斎に上がり、今ブログを書いている。学校が休みだと、なんとなく休日のような気がして、気楽に仕事ができる。とりたてて急ぐ用事もなく締め切り前に仕事を済ませメールで送信したので、学校の宿題を終えた子供のようにどこか嬉しさが湧き出てくる。こんな風にして日々を過ごすのかと思いつつ、お昼の食事をしながら家内と話している。月日の経つのは早いな、すぐ暮れが来てお正月が来る、そしてまた年を取る、これでいいのかな、などとたわいもない話をしてお昼が終わる。自分は手帳に書いた予定に従って行動しているので、一応締め切り日等遅れたことはないが、歳をとってくると、かなりの余裕がないと不安になる。時間が足らないと思うと、良い原稿も書けず良い資料も作れず良いプレゼンもできないので、最近では余裕を持って手帳に書き入れている。ちろんブログも手帳に書いているが、これだけはあまり計画的ではなく、その日の忙しさによって日時が変わってくる。若い頃のような振幅の大きい出来事はほとんどなく、小さなさざ波のような仕事や研究が多い。もちろんそれは素晴らしくて有難いことなのだが、何か心残りがあるような気がする。長い間の経験で、この仕事はたぶんこんなものかとか、このイベントはまあこの程度かなどと思うようになるので、感動が薄いのだろう。これではいけないと思いながらも、この道はいつか来た道のような過去の経験に照らし合わせて推測したりするので、心に響かないのかもしれない。それでも無難に過ごせれば有難いとか嬉しいとか思うので、それで充分である。新聞に、冬近し何か忘れて来たような(中村昌男)の句があった。今の自分の心境は、この俳句のようなものかもしれない。別に困ってるわけでもなく不安でもなく何かが不足しているわけでもないが、若い頃と違って全力疾走していないようで、不完全燃焼のような状態なのだろう。まあそれが年相応といってもよい。いつも全速力で走っていると息切れがして、どこかでパタリと倒れるかもしれないので、今日のジョギングのようにゆっくりと自分のペースで、そして仕事も余裕を持って準備をするのが、今の自分に合っている。それでもなんとなく満ち足りないというのは、凡人の常であろう。まあ今のままで、これからも進んでいきたい。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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