今は火曜日の夕方、書斎の窓から見える空は真っ暗で、自然は規則正しく日の入り日の出を物理の法則通りに運行しているようだ。今日の昼間の暑さはテレビによれば27度だと報道していたが、真夏のようで日本の気候はどこかおかしくなったのか、いや地球規模で天候異変が起きている。それだけではない、ウクライナやイスラエルなどの戦争を見れば、人的な異変が信じられないような規模と速さと頻度で起きている。自分のような高年齢であれば、何か事が起きても異変に身を任せて死を覚悟するしかないが、若い人たちや子供たちはこれから先どうなるのだろうと不安になる。真夏のような天気だと言っても、夕方が来て夜になれば漆喰の空になり、急に涼しくなる。そして家の中にいればエアコンで程よい適温に保たれて心地よい生活をしている。大国中国と台湾の間に有事があれば日本も平穏で呑気な生活はできなくなるかもしれないが、ほとんどの日本人は戦争を知らない子供たちで育ったので、悲惨な生活は経験していない。暑いだの寒いだの食事がおいしいだのまずいだの、考えてみれば平和の中の駄々っ子のような存在かもしれない。テレビに映る悲惨な光景を見るたびに、こんなことが現実に起きるのかと思って、ただただ驚くばかりである。凡人は、何かしてあげようなどとは決して思わない。凡人は自分の能力がわかっているから身の丈に合ったことしかできず、日々の生活を無難に送りたいと思っている。それでも小さな出来事は誰にもやってきて、こうすれば良かったとかあれはうまくいったなどと、反省と自己満足と後悔と自己肯定感が混じりあって日々を過ごしている。今日もそれなりに忙しく、車で学校訪問したりオンラインで打ち合わせや会議があったり、あれやこれやと活動をしながら、いつの間にか時間が経っている。ブログを書けばこの後はお風呂に入り、15分程度だろうが小説を読み、夕食に向かうが、自分には平凡な楽しみの時間である。年をとっても多少の欲や煩悩があってなかなか悟りきれない。あれもやりたいこれもやりたい、まとまった時間を取って論文に仕上げたい、できれば来年春までには出版をしたい、職場の活動を拡張したいなど、他人が見れば年寄りの冷や水かと思われそうなことでも、ふと脳裏に浮かんでしまう。だから滅多には他人に言わず、夕食に酔った勢いで家内にそっと言うこともある。例外は我が家から1分足らずの場所にある小さな社の中にいるお地蔵様である。他人が聞けば笑われそうなことでも願い事は何でも言える。子供のことや孫のことは当然であるが、まだ自分のこともお願いしている。それに気づいて、ふと苦笑する場合がある。新聞に、深秋や人の願いに立つ地蔵(田土義則)の句があった。どの地域でも都会はともかくお地蔵様があって、人はなぜかその前に立つと手を合わせたくなる。そして願い事をするのだが、学校に行ってる子や孫がいれば、勉強ができますようにとかスポーツがうまくなりますようにとか、そんな願い事をして毎日を過ごしている。小さな願いごとができているのは平和な証拠で、幸せな生活なのである。日本が戦争に巻き込まれたら、お地蔵様に何をお願いするのだろうか、とすれば凡人は今の幸せを感謝するしかない。
