今は火曜日の夕方、先ほどオンラインの会議が終わったばかりで、ホッと一息ついたところで、予定通りブログを書く時間になった。今日は比較的余裕のある日だったので、特筆すべき事もあまりなく、白いカーテンをした西窓から空を見ると、雲ひとつない景色が目に入り、素直にいい日だなと思う。昨日は、今日に比べると忙しく、時間的にも気持ち的にもハラハラドキドキしたような一日だった。所沢市内の学校で校内研修会があり、自分もその学校に出かけて、授業を参観しコメントをした。他にも色々な会議や仕事が入っていて、めまぐるしく一日が過ぎていき、仕事が終わったのは夜9時、それから夕食を取ったので、今の時間は眠い。昨日の学校訪問を思い出すと、自分は本当に助けられたなあと、その感謝だけが残る。15クラスの授業が公開されて、校長先生に案内されて全ての授業を参観して、その後は恒例の研究協議になるが、自分にとって、この研究協議は、少しオーバーに言えば、不甲斐なさと知識の無さと経験の無さと能力の無さを自覚する時間である。1クラスの授業を数分で見て、15クラスすべてにコメントをするのは、どう考えても無理である。だから、自分は自分に言い訳をする。小学校や中学校の教師経験がない者が、どうして気の利いたコメントができるのだろうかと、自分を慰めるのだが、世の中はそれを許してくれない。教育委員会から2名の指導主事が来られているが、その先生方は事務方としての役割である。例えば文部科学省の担当官と先週もある高等学校を視察したが、自分たちの役割はアドバイスをしたりコメントをする役割で、担当官は事務方の役割で、その区分は極めて厳密で、その垣根を超えることはありえない。しかし昨日はそれを超えようと思った。自分よりはるかに指導主事の方が学校に精通していて、先生方の心の奥まで見通しで、言葉の一つ一つが確実に伝わるだろう。それに比べて、自分は現実離れしているようで独りよがりで、本心言えば逃げ出したい思いだった。しかし逃げてはいけない、例えどんな状況であったとしても、脳を全開して先生方に伝えなければならない。そこでふと気が付いた。自分と2人の指導主事の3名で、思う存分のコメントをさせていただこう、それが学校にも先生方にとっても、素晴らしい効果をもたらし、確実なメッセージになると思った。そして、それは大成功であった。指導主事の先生方の言葉の1つ1つが自分の心に響き、それが自分の脳の奥深くにしまい込まれていた知識を呼び出し、自分が言いたかったことはこれなのかと、自分で気がついた。本当に2人の素晴らしい先生に救われたのである。夜7時から9時までのオンラインでの会議においても、本音を言えばあまり発言をしたくなかった。それは自分の不勉強で、どこか逃げたい自分がいたからだろうと思う。しかし参加して本当に良かった。そこに多くの優れた先生方がいて、事前の不安がどこかふっとんでしまったからである。世の中のプロとは、こういう人たちなのかとつくづく思った。しかし自分はと言えば、内心ビクビクしている小心者のだと思っているが、世間ではそうではなく一応のプロとして見なしているので、できないとは言えない。だから事前に不安になったり逃げようかと思ったりすることもあるので、我ながら苦笑する。しかし実際にその場面に立つと、不安はどこかに飛んでしまう。素晴らしい人が大勢いて助けてくれるから、事前に心配しなくても上手くいくのかと安心することが多いのだ。新聞に、苦しみなど元から無かったかのごとく抹茶フラペチーノを飲み干す(かなもり涼華)の句があった。この人も、何か気がかりなことや苦悩を抱えながら生きているのかもしれないが、大好物の飲み物を飲む時は、まるで何事もなかったような感じがして、心が休まったのだろう。大抵の人は、そのような生活をして生きてるのだろうと思う。自分なども、さざ波のような浮き沈みのある毎日を送っているのだが、それは決して無駄ではなく結果は必ず良きことになるという経験を何度もすると、楽天家ではないのだが、明日を生きて行く勇気が出てくる。不安や気がかりは、事前に自分で作り出して勝手に心配しているだけで、現実に出会えば、何事もないのである。
