和室

今は9月4日月曜日の夕方、日差しも心なしかやさしくなり、南側の窓から見える空は、青空と灰色の雲が混じって、まだ蒸し暑い日中の名残りがある。テレビ番組が報道しているように、今年は百年ぶりの暑い夏であった。その通り、肌に突き刺すような日差しを浴びると、出かけることもおっくうになる。今日は久しぶりに朝から雨が降って、正確には昨夜から降り続けていたが、今は青空が見えているので、久しぶりの30度以下の気温になった。昔は30度を超えると大騒ぎをして、暑い、暑いを連発したことが嘘のような気がする。今では30度はむしろ過ごしやすい、35度以上になって、暑いなあという言葉が出てくるぐらい、異常気象なのである。一昨日と昨日は土日で、オンラインの会議もなかったので、自宅に居るときは、下着だけで過ごす、といっても、冬のズボン下を履くのだが、これが足にぴったりくっついているので、動きやすい上にどこか軽やかな気持ちになって、書斎での仕事がはかどるのである。もちろん下着姿のときは靴下もはかない、素足が書斎や居間の床にぴったりついて、涼しさが足の裏から伝わってくるようで、心地よい。この下着姿で、二階と一階を行き来しながら、仕事をしたり休憩をとったり、何かと自宅の中をうろうろして、楽しんでいる自分を発見する。そんなことを考えていたら、新聞にちょうど良い句、靴下が畳に滑る夏座敷(村田一広)、が掲載されていた。確かに靴下で畳の上を歩くと、どこか滑るような感覚がある。我が家の一階に和室があるが、そこでは素足の方が似合う。今日も朝刊を玄関の郵便箱から取ってきて、和室にあるテーブルで広げ、いろいろな記事を読んでいるが、それは自分にとっての至福のひと時、といえば少しオーバーだが、リラックスする時間であることは確かで、その時の自分の格好は下着に素足、そして時折窓越しに庭を眺めて、しとしと降る小雨を味わいながら、何か良い句はないかと探すのが、月曜日の日課である。その時の気分によって、俳句と短歌を読んで、適当に丸印をつけて、スマホで写真をとるのだが、この句でブログを書こうなどとは、もちろん思ってはいない。ただなんとなくブログを書いてるうちに、見えない糸で引っ張られるかのように、ある句にたどり着く。なんと表現したらよいのか分からないが、多分人の心は無意識的に何かを求めているのだろう。それが句という形になって、自分の心のひだに引っかかる時に、スマホのシャッターを押しているのだろう。この句の作者は、自分と同じようなことを考えているのかと思うと、どこか愛着がわく。作者のことはわからないが、郷愁に似た、昔の家屋を懐かしんでいるような気がする。今日は月曜日、オンラインもあり出かける用事もあり、下着姿というわけにはいかず、それなりの格好をしているが、やはり休日の下着姿の方が良いに決まっている。世間を渡るとか、仕事をするとか、何かしらの活動をする場合は、自由という身に窮屈な格好をさせて、本心に世間向けの言葉で修飾をして、それなりに振る舞っている。それが大人の社会の常識だとすれば、それは確かに学校や子供や幼児の世界とは違う。まあそれでよいのだ、多少窮屈なこともあるが、生きていれば楽しいことも嬉しいことも、そしてちょっぴり悲しいこともあるが、それで良いのだ。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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