笑顔

もう真夏の天気で、外は灼熱の太陽に照らされて、とても歩けたものではない。今日は先ほどスポーツジムから帰ってきたが、行き帰りは、贈り物の日傘をさして歩いた。男が日傘か、と忸怩たる思いはあるが、暑さにはかなわない。帽子をかぶるより、よほど日陰の効果は高い。プールに入って泳いだり水中ウォーキングをしていると、身も心もリフレッシュして、子どもの夏休みのような気分になる。昨日は市内の教育センターで講演をした。夏休みは講演やら研修やらのシーズンで、8月いっぱい忙しい。帰宅すると、今日は仕事をしたんだなあという充実感に溢れて、夕食のお酒も進んだ。金曜日の夜は、朝ドラの1週間分をまとめて見る習慣になっている。植物学者の自叙伝に基づくドラマだが、見ると面白くハラハラドキドキする。昨日は主人公にいろいろな不幸が次々と襲いかかって、人生が翻弄される場面だった。実家の酒屋は倒産し、まだ二歳のかわいい盛りの娘が病死し、本人は大学への出入りを禁止されるという四面楚歌の物語だった。テレビ番組とは言え、何か身につまされるようで、もし自分がこんな目に遭ったらどうするんだろうと思ったので、夜中に夢を見てしまった。この物語が史実なのかどうか分からないが、たぶんほぼ現実も同じであったろう。ということは、植物学者もその奥さんも、また実家の夫婦それぞれが、人生の悲哀をかみしめてなんとか立ち上がろうともがいている姿が目に焼き付いて、夜中に一旦目が覚めて、寝つきが悪かった。それに比べれば、自分などはまるで呑気な生き方をしているようで、有難いような申し訳ないような、そんな気持ちがした。今日などは、まるでセレブのような過ごし方で、猛暑の天気だが空は晴れて青く、沖縄は台風で大変だなあと思いながらも、自分だけこんな贅沢をしているのかと思った。本当に人の生き方は様々だが、人の力ではどうしようもないのである。自然の猛威の前には、なすすべもなく、ただ通り過ぎるのを待つばかりである。やがて台風も去り危険な暑さも穏やかな天気になるのだろうか、そんな日を心待ちに待っている。文脈から離れるが、新聞に、ひなげしや笑顔で手話のできる人(井原修)、の句があった。この人は楽しそうに笑顔で手話で会話しているのだろうか、こんな人に出会えば、誰でも心が和んで嬉しくなるに違いない。猛暑の毎日であっても、大型台風で生活が不自由になろうとも、もし笑顔で会話ができるなら、こんな素晴らしいことはないだろう。残念ながら自分はその境地に達するには無理だが、確かにそのような人がいる、そこに居るだけで笑顔になれる人、幸せを運んでくれる人、あまり関連はないが、ひなげしの花を歌ったアグネスチャンを連想した。そういえば、この句はどこか昭和の時代の匂いがする。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

コメントを残す