今は、金曜日の夕方、といっても、明るい空ではない。薄暗く、梅雨入りしそうな曇り空で、どことなく気だるい空の色だ。明日にブログを書いてもよいが、週末と週始めに書くことにしているので、何も断らなくてよいだろう。今日も、午後に3つのオンライン会議があって、そう言えば、今日は外に出ていないことに気が付いた。身体には良くないな、と思いながら、仕事に追われた。面倒な仕事もあるが、その中にも、どこか面白さがあって、一概にすべて気が乗らないということはない。それでも、午前の方が、面白い。すべてが、自分の時間なのだ。取り掛かったのは、資料作りだが、それが終って、別の宿題に取り組んだが、どうにもうまくいかない、詳細を述べるわけにはいかないが、シミュレーションで、データを作り出さねばならない、実際のデータがないから、生み出すしか手はなく、乱数の関数を使うが、それが、まったくの架空ではなく、とは言っても、目的に合う実データは得られない、類似の実験データはあるが、それは、かなり条件が違う、あれやこれやと試行錯誤して、ネットで関数を探したり、マクロでプログラミングできないか考えたり、あっという間に時間が経ってしまった。あれも駄目、これも失敗、などを繰り返して、諦めかけていたが、午前の時間切れに、最適な方法が見つかった。おーと声を上げて、一階の居間に行き、昼食を取った。午後は、1時からのオンライン会議があるので、パンを食べながら、テレビを見ながら、ニヤニヤと思い出し笑いをしたので、家内が怪しそうに見ていたが、食べ終わってから、すぐに書斎に戻った。もう一度確かめたかったからだが、ふと思った、子供がおもちゃに夢中になったり、大人が趣味にのめり込んだり、若い人がタレントに夢中になったりすることと、同じだ。少し知的で上品な気はするが、プログラムを作るのは、ゲームにはまることと、同じだと思っている。講演資料を作っていて、ふと思う、作ることは、何でも面白いし、人を夢中にさせるのか、それは人に与えられた特権かもしれない。昨日は都心で対面の会議があったが、日本を救うのはエリートじゃない、夢中になって仕事をする人だ、という言葉を聞いた。この通りではないが、似たようなフレーズだった。なるほど、夢中になることは、素晴らしいことで、それだけ遠くに飛べるのだ。そんな小さなことでも、夢中になれば、生きていける。新聞に、取説をくり返し読みて掃除機が動きましたよおお五月晴れ(金尾絢子)の句があった。歳を取ると、なかなか機械操作が難しく、パソコンもスマホも苦手になり、まして取説など読んでも分からないことが多いが、この読者は、何度も何度も読んで、ようやく掃除機が動き出した、おお五月晴れ、の言葉に、嬉しさが身体じゅう満開になって、青空に向かって叫びたい気持ちだったのだ、夢中だったのだ。その喜びを何と表現したらいいのか、おお、と感嘆したが、プログラムに成功した、ゲームをクリアした、公演で好きなタレントに会えた、と同じである。それは、子供も大人も若い人も年寄りも、関係ない。夢中とは、年齢を超えて、全身に喜びをもたらす魔法の杖である。
