今は、火曜の夕方、ブログを書く日で、書斎の窓から外を見ると、うすどんよりした曇り空で、可もなく不可もなく、とりあえず日が暮れる、という感じである。今日は、どうだったか、と自分に問うてみる。午前は市内の学校訪問があって、その報告を書いて午前は終わって、すぐにお昼だが、12時から13時までにオンライン会議があったが、別段に珍しくもない。会議の時間を調整するのは、至難のことだから、お昼を抜かせば、この時間なら、なんとか皆さんが集まれる。自分は、フリーランスだから、比較的時間の余裕はあるが、現役の先生方は、忙しい、超忙しい人ばかりだから、この時間帯を選ぶことが多い。超党派議連の会合などは、議員会館で、朝8時半という時間が好まれるが、自分は行かない。オンラインでも参加できるので、それで十分である。この歳になると、国会議員の先生であろうと、著名な大学教授であろうと、同じ人間ではないか、という思いがあって、特別な対応はしないが、所属する団体の立場上、代表の顔として、対面で参加しなければならないことがある。それが、仕事なのだから、と言えば、その通りで、役職になると、どの世界でも同じだろう。マネージャーとプレイヤーの違いだが、プレイヤーの方が楽しいに決まっている。役職では、ほとんどが、予算とか決算とか数字を追いかけて、何が面白いのか、たぶん、大企業であっても、面白くないだろう、それでも、会社や団体の顔となれば、それをこなさなければならない。そうして、年月が経っていく、もう6月か、1年の半分近くも過ぎて行ったのか、と思うと、我が身の頼りなさを実感する、実は何もしなかったのか、無為に過ごしてきたのか、いやいや、ともかくも、努力したのだから、まあいいではないか、と我が身を慰める。もう夕方か、このブログを書き終えたら、お風呂に入って、夕食かと思って、なんだ、子供みたいに、夕ご飯を楽しみに、一杯を楽しみに、しているのは、なんと小さなことだろうか、と思う。それにしても、楽しみにしていた午後4時からのオンラインは、予想が外れた内容だったが、後味は、すこぶる良かった。それは、午前の学校訪問も同じで、新しい気付きがあって、知的な興奮を感じたのだが、何気ない生活の一コマ、会議や打ち合わせの一コマ、学校訪問の一コマ、ほんの些細なことで、気付きがあって、それが新鮮な驚きにつながる場合がある。なるほど、刻々と時間が経つということは、すべて違うと言うことだから、新鮮な出来事と言っても良いのか。今日の夕食のおかずに、好物の、ぬた、があると、家内から聞いた。そんなことでも、どこか新鮮なのだ。文脈は離れるが、母の日やぬた茄炒め笹団子(与田博司)の句が新聞にあった。母の日は過ぎたが、美味しそうな食事風景が目に浮かぶ。ぬたは、あの酢味噌味がたまらない、箸がつい出てしまい、お酒がすすむ、ナス炒めは豚肉と味噌味で、一緒に食べるご飯が、飛び切り美味しい、食後だろう、笹団子は素朴な田舎の味がする、どれをとっても、美味しいと言うことは、すべて、新鮮な気付きなのだ。
