ブログの遅刻

今は、水曜日の朝である。ブログが変則的な時刻になったのは、昨日が仕事に忙殺されて、どうしても書く時間がなくなった、しかたなく、今朝書いているが、こんなことは珍しい。この頃、何故か、仕事が重なって、なかなか手帳の空白が見えにくい。手帳の空白は、実際は空白ではなく、その準備のための資料作成であったり、調査であったり、分析をしたりという、自分本来の仕事なのだが、その時間が削られて、中身の薄い仕事しかできないようで、心細い。忙しいことは、それだけオファーがあることなので、内心は嬉しいこともあるが、反面、どう対応しようか、と考える。昨日の夕方、ちょうどブログを書こうとした時、メールを見た。通常、メールは朝はもちろん、時間の合間にチェックするのだが、朝から夕方まで、パソコンの前に座っていると、もう疲れて、お昼くらいは、近所を散歩して、頭を空にしたくなる。すると、仕事のことは忘れて、頭が、優しさに包まれるような気がする、癒しと言うか、レフレッシュと言うか、そうしないと、人は機械やロボットではないから、無理なのであり、大切なことである。但し、昨日の午前中は、学校の訪問があって、その処理や、午後は3つのオンライン会議があって、もうこれで締め切りだと思って、夕方にメールを見たら、すぐに対応しなければならないオファーがあって、ウーン、と考え込んで、ブログは止めて、その準備をした。2時間くらい、あれやこれや、思いを巡らして、それらしき風景が見えてきて、これなら、なんとかなるだろう、と思って、返信を書いた。このような時には、うん、と気持ちを引き締め、できるかどうか、自分に自信のようなものがないと、うかつに返信できない。しかし、それは決して断ることもできない内容で、分かっているが、想定外の早急に仕上げなければならない内容だった。大丈夫と、心に光明がさしてきたとき、これで明日の朝、ブログを書こうと思った次第である。たかが、ブログと思うなかれ、これも自分の仕事であり、どこか、近所の散歩のような、庭に雀が来て、餌をつつく光景を見るような、癒しやレフレッシュの作用がある。どんな些細なことでも、長く続けていると、愛着が出てくる。人は、世の浮き沈み、小さな波を乗り越え、努力を続けながら、過ごしているが、時に、癒しがほしくなる、時に、温泉でも行きたくなる、時に、スポーツもしたくなる、それでちょうど良いのだ、それで、身体も心も正常に保たれるようだ。新聞に、抽斗(ひきだし)に詩集隠しぬ新社員(はやし央)の句があった。新社員だから、まだ周囲に慣れていないのかもしれない、繊細な神経の持ち主かもしれない、自分の好きな詩集を机の抽斗に入れて、疲れた時、人間関係でもつれた時、もう逃げ出したいと思う時、あるいは、意外に物事がうまくいった時、嬉しくて、その思いを共有したい時、そっと詩集を取り出して、読むのかもしれない。どんな人も、そうやって、心のバランスを計っているのだろうか、人の生き方とは、けなげである。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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