3.11雑感

今は、3月14日火曜日の夕方で、西向きの窓から見える空はまだ明るく、日が長くなった、と実感する。季節は、人間の意思とは関係なく、いつでもどこでも、平等に、自然の法則にしたがって、やってくる。空が明るいと、気持ちも明るく、何か良いことがあるような、嬉しいことが起きそうな、そんなことはまったくないのだが、どこか夢想する。今日も忙しかった、午前は学校訪問があって、午後はオンライン会議があって、その間に、事務的な書類を確認して、ブログを書く時刻までに、1時間半程度の余裕があったので、ジョギングもした。今日は、東方向の航空公園で、約1時間、それでも、汗をしっかりかいて、帰宅して、家内が食べやすいように切ってくれたグレープフルーツを口に入れる、その酸味が、喉と胃の中に入って、極上の美味しさになる。なるべく、1日に1時間くらいは運動したいと思って、なんとか時間を工夫している。この晴れた日の公園は、昼から夕方まで、大勢の若者や幼子の親子連れで賑わう。サッカーに興じているグループが多く、年配者は、ベンチに腰掛けて、所在なく眺めている、若者は、スポーツか芝生に寝転んでいる。もう春なのだ、芝生に身を委ねるのも、悪くはないだろう、柔らかい草の感触が、人の意識を自然と一体化させる。平日なのに、かなりの人がいる、そう言えば、もうじき、卒業式なのか、旅立ちの季節か、この季節には、どこか青春の名に相応しい歌が多いのは、別れのもの悲しさと新しい出会いに向かう不安が、人の心を感傷的にさせるからなのか。自分にも、そんな時代があったのか、すっかり忘れてしまったが、青春時代は、どの若者も美しい。夢に向かって生きているからか、目が輝いている、年老いても、その輝きだけは、忘れたくない。まだやりたいことは、胸にいっぱい閉まっている。書斎から空を見ると、この仕事場で、自分はやれるような気がする。しかし、世の中は、いろいろで、同僚は、ほとんどが引退している。新聞に、靴箱に一足残る上履きは卒業式の翌日の朝(奥村和子)の句があった。この作者は、学校の先生だろうか、卒業式に出れなかった子供は、どうしてだろうか、病気か家庭の事情か心の病か、同じ学び舎で過ごした子供が、1人だけ残された、皆と一緒に飛び立てなかった、それを見送る先生の心情は、せつない。教師であれば、誰一人取り残すことなく、すべての子供に、幸せになってもらいたい、と願っているはずだ。しかし、まだ先は永く、希望はある、この子供も、これから青春を生きるはずだ。そう言えば、数日前は、3.11から12年経ったのだ。大勢の人が亡くなった、生きていれば、花も実もある人生を送れたはずで、楽しいことも、時に悲しいこともあるが、生きていれば、それもなんとか乗り切れる。自分のような老人であっても、まだ希望という船に乗って、航海できる。3.11で亡くなられた人々にご冥福を祈りながら、現在の自分の境遇に感謝しながら、世界が平和であることを願いたい。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。