今は、月曜日の夕方だが、明日火曜日も明後日水曜日も時間がないので、この隙間時間を借りて、ブログを書いている。なんとなく忙しい、師走とはよく言ったものだが、誰もが、急ぎ足で歩いていくのだろうか、たぶん、それは、寒いから背を丸めて、身を守るからか、暖かい自宅に一刻でも早く帰りたいからか、ゆったりとした雰囲気どころではないことが、この季節である。家内が、近所のスーパ―に出かけて、いつもより活気があって、誰もが多くの買い物をしていて、この光景と雰囲気が好きなのよ、と言っているが、確かに、その通りで、自分も好きである。昨日の日曜日に、ショッピング、と言っても、100均なのだが、出かけたら、大きな店のせいか、ジングルベルの音楽が聞こえてきて、まるで小学生のような、わくわくした気持ちになった。いくつになっても、この音楽は嬉しい、もう年の瀬が近い、はしゃいでも、誰も、笑顔で見てくれる、許してくれる、そんな約束事があるかのように、音楽に乗って、心が弾む。だが待てよ、この寒い時期、ウクライナの人々は、極寒の中、電気系統が遮断されて、どのように、寒さを凌いでいるのだろうか、食料をどのように得ているのだろうか、想像するさえも、我が身も凍る。もう忘れたような出来事が、まだ続いている、戦争とは、なんと惨いものなのか、自分たちは、暖かい部屋で、美味しい食事をいただき、お風呂に入って、などを考えたら、ただ申し訳ない、としか言えない。が、どうしようもないのだ。人々の心も、なんとなく慣れてしまい、少しづつ遠のいていく、この地球上に、同情に値する多くの人々が暮らしているが、自分たちも、日々の生活で、精一杯で、どうにもならない、という諦めの気持ちも起きてくる。この世には、天と地のようなギャップがあり、しかし、それにも麻痺して、何も感じなくなってきて、当たり前のことのようになってしまう。どんな悲惨な出来事も、介護のような大変な仕事も、慣れてしまえば、平常になるのだろうか、分からない。市内には、ここは新宿かと見紛うばかりの、高層ビル、それはマンションであるが、外から見ると、きらびやかな雰囲気があって、ジングルベルが似合うマンション街がある。ただ、今日、知り合いの人に出会って、話を聞くと、多額のお金を積んで、マンションに引っ越した高齢者の方が、特に一人の場合は、寂しくて、何もすることがなくて、という話題だった。どこにいても、すべてが満ち足りて、ということは稀で、何か、人は重い荷物を背負って、生きているのだろうか。新聞に、戦争とコロナいつまでそぞろ寒(さむ)(あらいひとし)の句があった。極寒の地、ロシアもウクライナも忘れたい、コロナも、もう御免だ、5回目の接種も、あまり効き目もないようだから、もういいだろう、道行く人も背を丸め、この世は、そぞろ寒なのだ。ジングルベルの音楽は、その寒さを吹き飛ばそうとする試みなのか、師走の時期は、ワクワクする心と、寒さに震える心の両面があるようだ。しばらくは、その両方を味わって、時を過ごそう。
