失敗と成功とは

今は、土曜日の夕方なので、予定通りにブログを書いている。土曜日のブログは、今日の出来事というよりも、週、正確には、週の後半を振り返って書くことが多い。しかし、生来の行き当たりばったりの性格なのか、その時折で書く内容が違ってくる、つまり計画できないのである。このブログも、最近の出来事で印象に残ったことは、などと考えて、それについて書いても、文字通り、筆が滑る、ようで、趣旨が脇道に逸れたり、別の方向に行ったりする。それは、書いている内に、ふと脳に思い浮かんだりするので、それを書くと、まるで蛇行する川のような文章になる。学校では、国語の先生から、叱られるだろう。ただ、書いている途中で、着地が少しづつ見えてきて、これで、締めようと考えることもある。それは、自分の生き方と同じような気がする。計画通りいかない、予定が違ってくる、まさに、蛇行する川の流れで、後で、ずいぶん遠回りをしたとか、あの時、こうすれば良かったとか、何度も経験している。それは、たぶん、誰でも同じだろう。計画通りに実行できる人生なら、こんなに楽なことはないが、決してそうはならない。ここまで書いて、ふと思い出した出来事がある。が、内容を書く訳にはいかない、極めてプライベートな仕事のことであり、自分は、いつまでも、気持ちが晴れない、というか、多少は憤慨していた、ことだが、ふとしたことで、待てよ、それは、良かったのではないのか、と気が付いた。気が付く、よりも、フワッと天から舞い降りたような、天啓に似た気付きであった。自分は、何をくよくよしていたのか、まったく問題無いではないか、というより、そうでなかったら、むしろ逆に後悔することになっていたのではないか、という気付きである。具体的に書いていないので、何のことか分からないだろう、が、お許しいただきたい。人には、その時には、失敗だとか、後悔するとか、不運だとか、思うことが、後になってみると、その長さは数十年から数日までの幅があるが、むしろ良かった、と思えることがある。今週に、また今月にも、そんな体験をした。幸不幸とか、失敗成功とか、どうも簡単には決められないのではないか、数日から数十年までの長い間に、人は変わる、考え方も、視点も、感性も、性格さえも、例外ではない。本体が変わるのだから、あれは失敗だった、ということが、実は、成功だったと思えることもある。論理的には、その逆もある。歳をとってくると、その見方に柔軟性が出てきて、良かった、成功だった、の方向で、捉えることが多くなる。だから、今月も今週も今年も、良かったと思う、それは、自分で言うのは面映ゆいが、好々爺の心境だろう。心が、感性が、優れたもの、美しいもの、純粋なものに向くようになるからかもしれない。新聞に、テレビより高校生の合唱流れ掃除機を止め眼(まなこ)閉じたり(井川栄子)の句があった。若い人の歌声は、心を揺り動かす、そこに触れたい、自分の心の奥まで、吸い込みたい、それには、瞼を閉じて、外界の雑音や光景を避けて、受け止めたい、という気持ちだろう。毎日が、このような世界なら、何も問題はない。そうでないから、瞼を閉じて聞きたかったのかもしれない。文脈は少し離れたが、最近の自分は、この世のことは、すべて良き事になると、思える。歳をとることは、物事の受け止め方を、良い方向に変えていくらしい。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

失敗と成功とは」に2件のコメントがあります

  1. 失敗をすべてよきことに考えられるにはまだまだ若輩で無理だと思いますが
    失敗や苦しみがなければ今がないでしょう。素敵な仲間や先輩方がいたから
    そして伝えたい相手、子どもたちのキラキラ目があったから・・・

    先生の投稿よんでいるとほっとします。プログラミング教育のことで調べていて
    ふと このサイトに・・・

    ありがとうございました

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