今は、火曜日の夕方、今日もオンラインやら諸々の用事があって、日暮れになった。まるで冬のような寒さの中で、スポーツジムからの帰り道、ジムと言っても、今日は、少しゴルフクラブを振っただけで、恥ずかしくて、このブログでは、あまり書かないようにしているが、年寄りの慰みのようなもので、少しだけ汗をかいて、帰宅した。帰宅途中で、中学生がスポーツウェアを着て、たぶん、制服として認められているのだろう、元気に話しながら、帰宅していた。中学生はいいな、と思いながらも、どの年齢でも、多少の悩みもあるだろう、成績のこと、人間関係、部活や、進学、場合によって、病気も気にしている子もいるだろう。いくつになっても、いつも楽しいとか、いつも元気だとか、日日是好日というのは、ドラマか漫画の世界で、現実には、いろいろなことが起きてくる。日日是好日がタイトルの、小説というか現実の体験、お茶の世界のことだが、凡人には、とてもお茶の教室に通う気力はないし、こんなに深い世界があるとは、この小説を読むまで、知らなかった。すれ違う中学生も、スポーツジムで出会う人々も、オンライン会議に参加している人たちも、皆、それなりの人生を歩んでいるのだろう、若い頃は、元気そうだが、年齢を重ねるにしたがって、世の荒波に揉まれ、時に落ち込み、時に有頂天になって、また落とされる、その繰り返しである。テレビを見れば、なんと様々な出来事が起きるのだろうか、この世の中は、苦渋で満ちているのか、と大臣辞職のニュースを見て、つぶやき、というのも、大臣になる前に、何回か会議で一緒だったから、よけいに政治の厳しさを感じた。ケータイでSNSを読むと、世界情勢から芸能人ニュースまで幅広い、市民としては、興味本位だから、ほーそうか、と思うだけだが、芸能人も苦労している人が多い、特に家庭の中は、厳しいようだ。申し訳ないが、平凡な生活で、子がいて、孫がいて、老夫婦だけの生活で、なんとか生活ができるだけでも、たまには温泉に出かけるのは、よほどの贅沢だと思うようになった。それでも、いろいろな事が起きるが、少しづつ解決していくようで、それが、生きる気力を与えてくれる。不安や心配事は、自分の想像の産物のような気がしている、気休めではなく、本当に、なんとかなる、心配することはない、と思える。夜学子にひとひとりの匂いかな(萩原行博)の句を、昨日の新聞に見た。文脈は離れるが、どんな夜学なのか、塾なのか、仕事を終えてやってくる大人なのか、学校の部活を終えてやってくる中学生なのか、それぞれの荷物を背負って、夜学に集まる。肩に食い込むような重い荷物なのか、楽しいもので一杯の荷物なのか、それぞれの思いを詰め込んで、夜学にやってくる。帰り道に出会った中学生は、どうだろう、失脚した大臣はどんな思いだろうか、家庭生活が冷え切った芸能人は、どうだろうか、しかし、今の自分が言えることは、少しづつ少しづつ、事は解決していく、努力を重ねていけば、物事は必ず好転の方向に向かう、これは長年の自分の経験から言えることである。この世の中は、まんざら捨てたものではないのである。