今は、火曜の夕方、もう18時になろうとして、日が影る時刻になった。明日は、自分の所属する団体で、定例で行っている水曜サロンというセミナーが18時からあるので、どうしても、今しか書けない。ただ、今日はミスが多く、市の教育センターの関係で、市内の学校訪問をする予定日だったが、すっかり忘れてしまい、先ほど、メールを見たら、校長先生からのメールが届いていて、恐縮した。日本人の素晴らしさは、この文面にもあるようで、決して相手が傷つかないように、忖度、というより優しい配慮がある。教育関係者は、日本人を背負って生きているようで、自分も、その通りで、良きにつけ悪しきにつけ、日本人という枠からは、出れない、そして出たくないのだが、なんとか詫びて、対応を考えた。午前中は、手帳に締め切りと書いてある原稿を書くために、文献や関連データなどの調べものをして、その分析に、はまってしまい、時間が過ぎてしまった。あれやこれや、などを雑用とは言わないが、諸々の用事で、今に至っている。しなければならないことは、ある、現に、先ほど、文科省からどさっと書類の束が届いた、審査系の仕事が始まるのだ。それは、手帳に書き入れないと、見落として、午前中の学校訪問のような、後の祭りになってしまう。そして、先ほど、気が付いた。今朝の新聞を半ばくらいしか読んでいなかった、何故なのか、よく分からない、何か気になることがあって、そう言えば、午後のオンラインの内容かもしれない、そうして、脳の容量が一杯になると、こぼれてしまう。このブログを書く時に、引用するのは、新聞の短歌や俳句なのである。だから、今、気が付いた。我が家は、7時のニュースを見ながらの夕食なので、その前にお風呂に入るので、6時半には入りたい、もうブログを書く時間が、30分もない。いつもなら、お風呂上りに、肩の凝らない小説などを読んで、20分程度だが、身も心も、平穏無事な世界に浸るのだが、今日はできない。時間の歯車がずれてしまった。それでいいのだ、先ほどの原稿の内容が気になったのは、ある活動の成果と課題についてだったが、分析をしていく内に、成果と課題は行き来するのではないか、と考えたからで、気になる関連資料を探し始めたからである。この話題になると、袋小路に入るので、止めておこう。さて、今日の新聞から、この句を引く。三ページすすむ栞(しおり)や今日の秋(谷村康志)、自分は、今日は読めなかったが、読書の秋か、物思いの秋か、窓からマンションの灯りが碁盤の目のように見える、書斎で、部屋の灯りとスタンドの灯りの元で、ブログを書きながら、秋の一時を過ごしている。それも、悪くはない。
