うっかりしていた。今は、金曜日の夕方である。週2回はブログを書くと宣言していたので、およそ水曜日か木曜日に書いて、さらに日曜日に書けばという計算がすっかり狂った。慌てて、今書いているところで、後は日曜日になる。遅れたのは、いろいろな用事が入って、その処理に追われていたので、すっかりブログのことは頭の隅になかった。今日のブログも今週の付録のような感じだが、自分では丁寧に書く心づもりでいるのだが、急ぎの仕事には勝てない。今朝の朝食の後、オンラインが始まるまでに少し時間があった。気になっていた雑草をふと刈った方がよいと思って、短い時間だが、小さな庭だがきれいにした。少しでもきれいになると、何故か、いろいろなことが目について、そろそろ大掃除の真似事でも準備しておいたほうがいいなどと、頭をかすめる。仕事は公用、私事は私用だが、この概念そのものが古くて、公用も私用もどちらも大切だと、この頃思うようになった。私用を犠牲にして、仕事だけに生きてきて、晩年になって後悔している人も世間には多いと、どこかで聞いた、というか、自分でもそう思っている。あれほど、すべての時間をつぎ込んで研究した結果、何も残らなかった、何の影響も与えなかった、あれは何だったのか、自己犠牲の上に成り立つ自己満足だったのか、だとしたら、日の当たらぬ影でそっと咲く花なのか、考えてみれば、ほとんどの人の仕事の成果とは、そのようなものかもしれない。残骸の山という表現がピッタリである。と思えば、私用で汗をかけば、家族のためになる、軽く考えてはいけないのだろう。仕事も結構、私用もそれ以上に結構である。けふ少し明日また少し冬支度(山口照男)の句を、新聞から引用する。世間では、誰でも家の中をきれいにしたり、年賀状の準備をしたり、何かと気ぜわしくなって、年末を向かえるのだろう。それで良いのだ。自分も世間並みに、冬支度に取りかかっている。
