文献を読む

昨日で、連休も終わったが、月日の経つのは矢のごとし、である。ふと、梅沢富美男が、テレビ番組で読んだ句、四日はや雪駄をはいて駅の蕎麦、を思い出した。お正月も3が日が終わると、お節料理に飽きて蕎麦が食べたくなる、という誰もがうなづける句だが、連休も同じかもしれない。今年は、コロナ禍で自粛要請があるので、外出は控えているだろうが、そろそろ仕事に戻りたくなる企業人や、生徒の顔を見たくなる教員も多いかもしれない。自分は、いつもと変わらない生活なので、まるで学生気分のようで、気ままである。昨日は、探していた文献が見つかって、アッと驚いた。本箱の隅のほうに、そっと置かれた本、探していた内容が詰まっている、開いてみると、あちこちに鉛筆でコメントまで書き込んでいるのだが、全く記憶がない。なんと有難い、宝のような文献なのだが、どうしてだろう、と思った。先に書いた、アフォーダンスであるが、比喩的には、たぶん、この本も見つけてくれ、とメッセージを発信していたと思うが、それは探す方のアンテナの精度による、つまりキャッチできるかどうかである。昔読んだ時には、やはりピンと来ていなかったのではないか、否、単に記憶が無くなったのではないか、と言うかもしれないが、読んだ瞬間、そうではないと確信した。見え方がまるで違うのである。今、探している自分は、昔の自分と違う、それはオーバーに言えば、別人かもしれない、その今の自分のアンテナには、本の主張がキャッチできたが、かつての自分では、それができなかった、あるいは、視点が別方向だったかもしれない。こんなことは当たり前で、自分も、学生の頃、何年か経って、アッ、そうだ、波とはこういう意味なのか、と分かった、すっぽりと入ってきた、経験がある。小学生でも知っている波の物理的概念は、大学生、大学院生になって、理解することもある。そんな感じなのだが、見えないものが見えるのは、嬉しい。いくつになっても、否、経験を重ねれば重ねるほど、見える部分がある。歳をとっても、若い頃とは違う面白さがある。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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