昨日は月曜日の週の始まりで、所属する団体のオンライン会議がある。大学では水曜日が多かったと思うが、企業などでは月曜日が多いようだ。いつもの通り、小さな団体であっても、活動していれば何かの事業報告があり、評価があり、課題もある。どこも同じだが、企業も団体も世の中は組織で動く。協力する体制ができていないと、前に進めないが、この団体は何でも言える雰囲気があって、居心地が良い。だから、月曜の会議は面白いし、気兼ねも要らず、家族のような団体で楽しい。しかし、仕事になると、うまくいく場合もあれば、いかない場合もあるのは、当然であるが、そこをどう乗り切るかは、誰も苦労している。自分も例外ではなく、自分が関わる仕事も、どうしようかと頭を悩ませる。昨日、自分が監修した新刊本が、自宅に届いた。監修なので、初めの何ページかを書いているが、これも組織としての仕事である。原稿を書いて、それが出版されること、人の手に渡り、購入してもらって、読んでもらえる、それは最高の知的な仕事であり、喜びである。だから原稿を書いている時は、脳を全開して、その時の知をすべてつぎ込むような意気込みがある、と書くと少しオーバであるが、そのような気がしている。新刊書は、表紙もカラフルで、体裁も格好よく、すぐに手に取って読みたい気持ちを起こさせるような姿なので、原稿に服を着せ、着飾って外に出すような気持がする。ただ、不思議に読みたいという気は起きない、スーッと見る、自分の原稿を確かめるだけ、で終わる。終わったものには興味がないと言うと、本当か、と言われそうだが、その通りで、これまでに出版した本も、すべて同じだった。むしろ表現のまずい箇所が、何故か目に飛び込んでくるくらいで、できた、嬉しい、という有頂天になるような気持は起きないが、それはすべて同じではないだろうか。芸能人やスポーツ選手が録画を何度も見るなどは、演技や技の研究をする時を除いて、あまりしないのではないだろうか。本の出版も論文も同じで、完成させるまでに相当の努力をし、もがき、唸りながら原稿を書いても、刷り上がったら、興味は無くなっている。そう思うと、先の仕事でも、うまくいかなくても精一杯やればそれで良し、その結果がどうであっても構わない、もう一度努力しよう、と考えるしかない。仕事の依頼がくるだけで、有難いのだ。コロナ禍において、特にそう思う。
