思い込み

昨日は、一日中都心で仕事だったので、帰宅してからジョギングする時間がない。習慣とは恐ろしいもので、ジョギングをしないと体調がおかしくなる。ふと、そうだ、早朝にジョギングをすればいいのだ、という当たり前のことに気付いた。こんな当たり前のことでも、ジョギングは夕方するものだ、という考えがあると、なかなか気付かない。すると、若い人も年配者も、夕方よりも早朝のほうがジョギング人口が多いことにも気づいた。何でも気づくことは素晴らしい。思い込みは、文字通り思い込みの世界しか見えないから、他に気付かないのである。よくある心理実験で、どちらの顔でも見える絵があるが、その人の思いによって、見える顔が違うのは、そのことを言っている。自分の思い、つまり脳が見ているので、なかなか自分の思い込みから脱するのは、難しい。何かのきっかけでもないと、気付かない。読売新聞に連載中の、獺祭、という有名な日本酒がブランドになるまでの失敗と成功の繰り返しの回想録があるが、読みごたえがある。失敗というきっかけが、気付きを促すのだが、詳細はまた紹介するが、失敗とか、これまで通りいかないとか、道がふさがれたとか、という事態になって、そうか、この手があった、と気づくのだが、しかも、その手も、考えてみれば、当たり前のことが多く、奇抜なことではない。道がふさがる、ということは、思い込みを脱するチャンスなのだ。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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