最近、原稿を書いて思うことがある。原稿を書くとは、自分との対話である、とバフチンの言う、自己対話である、ことは確かにその通りである。バフチンはロシアの小説を読むことを事例にして、小説の中の登場人物と自分との対話を比喩にして、述べたと思うが、細かいことは例によってお許しいただきたい。というのも、ブログを書いていて思うことは、自分の公開日誌であるが、公開であるために、向こうに他人がいることを意識しなければならない。つまり自己と他者の対話が前提となって書くのである。これは、自分だけの非公開の日記との違いであろう。公開と非公開の違いを、自分はあまり意識してこなかったという反省である。現在、締め切りが近い原稿を書いているが、自分にはよく分かるが、相手に伝わる言葉を使っているか、ということに最近気が付いた。独りよがりの自己満足だけの原稿になっていないか、専門分野の人だけに通用する用語を使って得意になっていないか、という反省である。これは、誰でも知っている当たり前のことだが、自分には晴天の霹靂のような、天啓のような気付きである。今日も続きの原稿を書くが、全体を見直さなければならない。しんどいことかもしれないが、この作業は文字通り自己対話で、大切なことだろう。